おお-、この動画は、常磐高速を走って、日立中央ICで降りるところから始まってる。
etekoはこの風景を、100回以上は見てるよ。
でも、動画とか写真は残してないよ。
日立中央IC で降りる時は、インタ-チェンジからの一般道に出る坂道は、当初は有料だったよ。
出るにも入るのにも、100円だか200円取られたなあ。
日立市の常磐高速は、日立市の山側の頂上付近をトンネルと高架橋で貫いてるよ。
日立市の住宅街は、阿武隈山系の切れ端と太平洋に挟まれた大地に形成されていた。
その狭い大地は、山の方から流れ込む短い河川で形成された扇状地だ。
台地に流れ込む河川は太平洋までの距離が、2キロもないためか、正当な扇状地にはならなかった。
短い河川は、大地に食い込み始めて、河川が流れるところは、平地よりも5メートルも下に流れるようになってる。
河口付近では、それが10メートル以上にもなってる。
日立市の大地は山と海に挟まれた南から北に延びる大地に、古代から縄文人が住み着いていた。
この日立市は台地には農村が点在し、川の河口には、小さな漁村があった。
その農村地帯に、住宅街が建ち始めたのは、昭和の30年代の高度成長時代からだった。
この頃には、日立鉱山を発祥の日立製作所が白玉家電の生産で右肩上がりの好景気だった。
全国から社員を集めた。
ところが、県外から集まった金の卵たちの住む場所がなかった。
それ以前に集められた古参の社員には、日立鉱山の福利政策で、住む住宅は少しあったが、それでは追いつかなくなった。
平らな南から北に延びる狭い土地は、農地が潰され宅地に変わった。
それも、直ぐに飽和状態になり、海に面する山の斜面が削られ、宅地造成されていった。
etekoが、幼稚園から小学生の間に、見える山の斜面が土色なるのをず-と目にしてた、
2、3年も経たない内に、土色の山の斜面には、新築の住宅やアパ-トが立ち並んでいた。
あそこの土地には、小学生の低学年の時に、キノコ採りに行った山だったんだけど思い出した。
松茸を採ったんだけど、知らなくて捨てちゃったのを思い出した。
とにかく、日立市の住宅街に、高速道路を通すスぺ-スはなかった。
そんな訳で、常磐高速は、日立市の山側の天辺付近をトンネルで通すことになった。
山の途切れ切れには、短い河川が流れてる。
ここの部分は、50メートルくらいの高架橋になってる。
南から常磐高速に入ると、長いトンネルを抜けると、短い距離、空も太平洋も見渡せる道路になる。
でもそこは、地上から50メートルくらいの高架橋の上だよ、
そして、次の長いトンネルに入る。
日立市を抜けるのに、いくつトンネルあるんだろう。
トンネルだらけだよ。
日立市を抜けて、高萩市、北茨城市までは、トンネルだらけだなあ。
隣の福島県のいわき市に入ったところで、トンネルは無くなったと思うよ。
その先までは行ったことないから分からんけど、トンネルだらけは、日立市だけだろうなあ。