etekoチャンネル その69 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



etekoチャンネル その69 だす。

40 年以上前に作ったetekoのオリジナル曲をお稽古してみました。

詩もコードも忘れてるなあ。

誰も知らないeeokoのオリジナル曲を、世界の片隅でお稽古してるよ。

etekoはバカなんだね。

まあー、どうでもいいよ。

こんな事やってる時だけが幸せみたい。チュー




引きこもっていると、撮る写真は、自分の食事の風景だけになってるなあ。
お金ないから、外食はゼロだなあ。

自炊の家食で、ひとりで作って、ひとりで食してる。

料理と言っても、タマネギゃキャベツを切ったりしてるだけなんだよね。

それでも、調理してる時は、楽しいよ。照れ





でも、考えてみたら、自炊を始めるようになったのは、3.11の震災以降だなあ。
それまでは、ナカちゃんも桜川のボロ屋敷にいけどなあ。

でも、ナカちゃんがいたからかと言って、ナカたゃんが料理を作ったと言う記憶はあんまりないなあ。

ナカちゃんは、3.11の震災までは、歩けなくなってて車椅子だったよ。
料理をするというのが困難だったよ。

3.11の震災の年は、西暦2011年で平成の23年みたい。
平成の30年間の記憶はほとんど消えてるなあ。
平成の何年に世の中でどんな動きがあったとか、全く記憶に残ってないなあ。

平成の14年に親父が亡くなったのは確認した。
平成14年は、西暦2002年だったのか。

あれからいろいろあったんだなあ。

親父が亡くなる年に、社会人になってから勤めてた会社を自主リストラしたんだなあ。

その前から、会社がおかしくなってたんだなあ。
会社と言うか、日本の景気がおかしくなってきたんだなあ。

ソ連が倒壊したのは、1991年だったんだね。
あれが平成3年だったんだなあ。

あの時は、ベルリンの壁がこわされたんだ。
テレビで見てたなあ。
かまやつひろしがギターを抱えて、現場で取材してた動画を見てた記憶があるなあ。

と言う事は、天安門事件は何年だろう。
スマホは答えないなあ。

ソ連倒壊後だよなあ。


これは、久慈浜のカインズに行った後の酒の肴の写真だなあ。
食材の買い出しに行った後の食事は、どうしてもこうなっちゃうなあ。
体調不良回復の薬を飲まなくちゃあいけない身体なのに、逆の薬も飲んでるなあ。ショボーン







eteko風サラダのトッピングには夏ミカンが載るようになった。
夏ミカンは、まだ黄色くなってないけど、収穫して食すようになった。
もう、15くらい収穫して食してる。
青みがかってる夏ミカンは美味しくないかと思ったけど、なかなか行ける。

美味しい。

いままで、青みがかってる夏ミカンを収穫して食したことなかったよ。ショボーン




そして焼き鳥。
いつも、皮ともものパックを1つづつかってくる。
1パックに3本入ってる。
これを一日に、2本づつ食してる。

桜川のボロ屋敷にいる時は、IHクッキングヒータのオーブンで、ピザモードて゛温める。
温めると言うか、焼き直しだなあ。
なにしろ、タイマーが切れる時には、焼き鳥の櫛が焦げてる。
発火の一歩手前に生ってる。

焼き鳥の下には、タマネギとかキノコ、ニンニク、ニンジンをカットして入れとく。
大量に入れてるなあ。
そして、だし汁をかけて焼く。

これらを入れる初期は鉄製の容器だ。
カレー専用の食器だ。

桜川のボロ屋敷には、これ一枚しかないから、焼き鳥の時は、この初期のお世話になってる。

以前は、アルミホイル焼きにしてた。

アルミホイルの在庫もまだ沢山あるなあ。
たまには、アルミホイル焼きも復活しよう。チュー






ここからの写真は、etekoがパチカスに変身した時の写真だなあ。
パチンコ屋の入り口の喫煙スペースでタバコを吸ってる時に、周りの風景を写してみた。

こんな写真を撮れるときは、一箱くらい出た時の余裕のある時だけだよ。
最近は、パチカスに変身する回数も減ってきた。
軍資金がないと言うだけの話しなんだけどね。

しかしなあ、ここのパチンコ屋は、潰れないなあ。
出ないし、お客さんもいないのになあ。

最後の悪あがきなんだろうか。

日本の周りの反日国と同じで、経済的にはガタガタなはずなんだけどね。

この時は、まだ、シルバー人材の手入れは入ってなかったんだなあ。
二日前だったか、F氏の家とetekoのボロ屋敷の側溝の上に積もってた落ち葉や雑草を掃除してくれた。

etekoがやる前に、市が動いた。

動けなくなて来てるetekoにも、ちょっと感謝の念が生じた。

でもなあ、考えてみたら、税金払ってるしなあ。

行政が、初めて、etekoの為に動いたのか。

と言うよりは、周りの住民の苦情の方が多き方に違いないけどね。ショボーン














そして、づーと、eteko飯の写真。
なんか、ワンパターン化してるなあ。

それでも、飽きもせず、続いてる。

外食して、美味いものを食べたいと言う欲求もないなあ。

振り返ってみて、外食して、これは美味いと思ったことのないなあ。
つづけて、これを食べに行こうと思った経験もないなあ。

etekoは、舌までアホなのかなあ。ショボーン



みそ汁も作るようになったんだなあ。
寒くなったからね、

eteko風サラダは、寒く感じるようになった。

それにしても、食べ過ぎだよなあ。

動かない。
動けなくなってきてるのにね。ショボーン








自炊してから、ご飯のも美味しいと感じるようになった。

実は、etekoは、物心ついた頃から、お米は食べなくなった。
家族と顔を合わせて食事すると言う事も無くなった。

小学生の低学年までは、家族4人が顔をそろえて食べることもあったけど、ほとんどがひとりきりの食事だったと思う。

死ぬまで嫌っていた親父とたまに食卓を囲むと、親父は必ず暴れ出して、ちゃぶ台返しを始める。
そして、食事をぶちまけたり、食器を投げつけて、障子のガラスを割っりしていた。

それが、トラウマとなってた。

親父か゛家で食事をするときに、酒を飲みながら煙草をスパスパ吸いながら食事をしてた。
そして、ご飯の炊き方が悪いとか、オカズがまずいとか、愚痴りだす。

それは、子供のetekoがみてても、女の腐ったような愚痴だった。

そして、最後には、暴れ出す。

八つ当たりと言うものだった。