高中モドキ1-eteko5336.mpg  だす。 | eteko屋スタジオ

eteko屋スタジオ

勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



高中モドキ1-eteko5336.mpg と言うetkoが作った40年くらいい前の音源です。

この音源は、etekoが音楽活動を休止した40年くらいの前に作った音源だよ。
この音源がカセットテープに残ってて、PCにアップしたよ。
その時に、もやもやの動画も一緒に付け加えてみたよ。

etekoは、地元の日立製作所系列の会社に潜り込む前の学生時代は、東京の三流大学にいたよ。

ここでは、中学生の時から始めたギターがひけると言う事で、間違って音楽サークルに所属しちゃったよ。


大学の4年間は、この音楽サークルの思いでしかないなあ。

勉強はしなかったけど、この音楽サークルに参加する為に大学に行ってたと言っても過言じゃあないよ。


地元の日立市に帰って来てからも、音楽活動がしたくて、地元の社会人バンドに加入したよ。

このバンドは、社交ダンスのバックミュージックをやるバンドだったよ。
演奏は上手くなかったけど、需要が地元ではあったよ。

このバンドに入ったら、人前で演奏する機会が増えたよ。
年末の頃は、毎週のように、地元の開場で毎週のように演奏する機会があったよ。

おまけに、ギャラまでもらえたよ。
バンドのメンバーは6人くらいいたよ。

ギャラは、個人に渡るんじゃなくて、バンドの機材の費用に充てられてた。

人前で塩素絵をして、ギャラを貰えたと言うのはこの時が初めてだったなあ。

etekoは、このバンドでサイドギターだつた。

コードだけを刻んでれば良かったよ。

ただ、一曲だけボーカルのきょくがあった。
そのボーカルをetekoに任されてしまった。

大学自体は、歌ってたんだろうね。

この頃は、カラオケが出てく来たときだった。
それも、8トラックのでかいカセットテープだった。

プロの歌手以外は、素人が人前で歌うと言う雰囲気はなかった。

etekoが任された、社交檀家用のボーカル付の曲は、サンタナのブラック・マジック・ウーマンだった。

そんな曲を、etekoは40年前に、社交ダンスを踊る人達の前で歌ってよ。

このバンドは、一年くらいで、内案で解散しちゃたよ。

その後ねetkoは、このバンドの取り巻き連中のバンドに参加して、2,年くらいは、社会人バンドに入って音楽活動をやってたよ。

でも、3年くらいが限界だったなあ。

潜り込んだ会社で、etekoは、CADと言う者の専任になってしまった。

仕事の方が。あまりにもハードなもんで。それから30年近くは、ギターも弾けないし音楽活動もできなくなったよ。

大学の4年生の時に、3年の月賦で買ったマーチンD-28は長く、ギターケースの中に眠ることになったよ。

音楽活動が出来なくなった頃に、シンセサイザーのDX7が出たよ。
今では信じられないけど、それまでのシンセサイザーは単音だよ。

和音が出来なかったよ。

それまでは、モルグ?だったか、シンセイザーと言えばモルグだったなあ。

etekoはこのシンセサイザーのDX7に飛びついたよ。
その後に、シーケンサーやリズムボックスを買いそろえたよ。

そんな機材で、3月くらいかけて、この動画のカラオケを作ったよ。
そのカラオケの音源に、一発撮りのetekoのギターを重ねどりしたよ。

その音源は、カセットテープに残ってたよ。

録音してから。20以上も時が流れた時に、PCにアップしてデジタル化した。

今思うと、40年前のetekoは、エレキ・ギターを弾いてたんだね。

あれから、40年。

まったく、エレキ・ギターは弾いてないなあ。

これから挑戦してみよう。
i




,ヶ月ぐらいで