2021/8/3(火) 百田尚樹×髙橋洋一×居島一平【虎ノ門ニュース】を聞きながらの殴り書き。
リー地域の悪行がオリンピックであぶりだされてる。
日本人の賢いネット民達は、昔から知ってたよ。
情弱の人達にも知れ渡ってきたのはいいことだなあ。
田尻の家に行った時は、こんなものを食してた。
田尻の家は別荘やなあ。
田尻の別宅に行く前には、6号国道を挟んだ海側の方にあるスーパーのマルト寄っていく。
マルトでは、食材を買いだしてから行く。
いつも、5000円ちょっとの出費だなあ。
マルトがある敷地は、昔は、自動車学校だったというのを知ってる人達も少なくなってるだろうなあ。




初日に、買ってきた食材の一部をこたつの台の上に広げて、駆け付け一杯。
無職の老人には、ちょっとした楽しみだなあ。
この日は、こたつは片付けてなかった。
次の日に、片付けた。
酒の肴は、チリ風味の揚げチキンを切れ。
そして、庭で収穫したピーマン、シシトウなんかを入れて、チンした。
田尻の別宅には、電子レンジがあるからいいよ。

一杯やる前には、いろいろやってたなあ。
洗濯物を洗濯機に入れて選択した。
それに、仏壇に線香をあげた。
庭に出て、プランターに植えた野菜の苗のチェックと収穫をした。
そして、散水。
いろいろやってからの一杯だった。
etekoにとっては、至福の時だなあ。
でも、これがetekoの身体を蝕んでるんだなあ。
分かっちゃあいるけどやめられない。
馬鹿は死んだら治るのかなあ。
分からないなあ。
次の日、洗濯物を干すのに二階に上がった。
二階から家の周りの風景をいろいろ映してみた。
二階のトイレや洗面台の所にある窓を開けて、裏庭?の風景を映してみた。
裏庭は除草作業をやらないといけないと思ったけど、手つかずだった。



二階のetekoの部屋にだけついてる狭いベランダに出たときに周りの風景を映してみた。
ここだけが、洗濯物を干せる場所だ。
梅雨は開けたと言うのに、からっとした晴れ間がみえない。
台風8号が近づいてきて、茨城県あたりを直撃しそうだった。
湿度の高めな夏の日がつづいてるなあ。
そんな時に、オリンピックが開幕した。
シンコロナ(武漢肺炎)のせいで、1年延期になった上に、無観客だよ。
今は、2021年なのに、2020年東京オリンピックみたい。



ベランダの下の庭は、レモンの木とミカンの木の葉っぱでおおわれてるなあ。
レモンの木の苗は植えてから10年目からかなあ。
レモンの実が生りだした年に、ナカちゃんは脳梗塞で倒れてた。
それからは、病院のベットで寝たっきりになってしまった。
あれは何年だったんだろう。
米寿のお祝いをやった年だった。
5月の終わりころだったかなあ。
それから、3年3か月は、病院のベットで寝たっきりだった。
結局、田尻の家で採れたレモンは口にできなかった。
最初に、日立総合病院に緊急で入院した時から、食事はとれなかった。
鼻から管を通して、栄養液を流していた。
そして、半身不随で、言語機能も失われていた。
日立総合病院からは、ひと月くらいで転院させられた。
担当医師には緊急入院した時に、脳のレントゲン写真を見せられながら説明を受けた。
脳梗塞で、脳の組織が広い範囲でやられてて、今の状態よりの回復はみこめません。
日立総合病院から大みか病院に転院した。
ずーと、寝たっきりだ。
言語機能は失われてるものの、etekoが行くと、認識できるみたいだ。
etekoが行くと嬉しそうだった。
ナカちゃんに面会に行くのは、子供のetekoとブーちゃんだけだった。
ふたりで一緒に行くことはなかった。
ブーちゃんは、週一で、洗濯物をやっていた。
etekoも週一で行ってた。
寝たっきりで、食事もできない状態だった。
何も持っていくものはなかった。
ただ、自分の身体を持っていくだけだった。
大みか病院には、半年ちょっと入院していた。
そのうちに転院と言う事になった。
そして、常陸太田市の西山堂病院に転院した。
この病院に転院するには、胃瘻の手術を受けるのが条件になっていた。
それは、鼻から管を通して入れてた、流動食?を、お腹に穴を開けて、直接、胃に入れるものだ。
こうなると、先が長くない。
それでも、亡くなるまで、3年3か月間は、病院のベットで寝たっきりで生き続けた。
享年92歳だった。
昭和の一桁生まれで、令和の元年まで生きていた。















