生まれて死ぬまで生きてる。( eteko の 創作ノート その1 ) | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。

 

とうとう、最後の1羽になったウコちゃん。

このまま、死ぬまではエサをやってるのかなあ。

潰して食す気には慣れないよ。

 

雌鶏と2羽の時も、潰すって気持ちはなかったなあ。

雌鶏は卵を産まなくなってから大分経っていたけどね。

 

 

生まれて死ぬまで生きてる。( eteko の 創作ノート その1 )

 

親父が亡くなってからは、もう20近くも時が流れていたのか。

親父が亡くなったのは、平成に入ってからの間もなくの年だった。

 

無くなる前の、4,5年間は、脳梗塞になったりして、病院と家との行ったり来たりだった。

家で倒れ時に、

救急車で近くの総合病院の多賀病院まで、一緒に乗って、何度、乗り込んでついていったことだろう。

 

でも、元気になった親父は直ぐに、病院を逃げたしてきて、家に帰ってきて、部屋で寝ていた。

 

病院を根け出てくる理由は、病院食がまずいと言う事だった。

入退院を何度も繰りかえす前には、胃がんの摘出をした。

 

胃の三分の二を切り取った。

手術後に、トレイに広がった胃の摘出部分を確認させられた。

 

あの時が、人の臓器を目の前で見せられたのは初めてだった。

 

しわしわになった親父の切り取った胃袋の三分の二がトレイに広がっていた。

 

この対面はなんなんだろう。

医師が胃の悪い部分を切り取ったという親族の確認なのか。

 

この腫瘍部分を切り取ったから、親父は長生きするのだろうか。

切らなかったら、二、三か月で死んでたんだろうか。

 

そんなことを考えていた。

 

親父が長生きすることを願って手術を許可した訳でもなかった。

 

成り行きだった。