10年ぶりぐらいに、自分のオリジナル曲を練習してたよ。
考えてみたら、10年位前に、自分のオリジナル曲を一曲だけ作ったよ。
」Bのレジェンド」と言う曲なんだけどね。
etekoは学生時代に、ベンチャーズにあこがれてギターを弾き始めたよ。
学生時代は、ギターの知識は何にもなくて、中学生の時に、ギターの通信講座を受けることにしたよ。
これでエレキギターが弾けるぞと思ったら、そのギターの通信講座は、クラシックギターの通信講座だったよ。
お金を払い込んじゃったから、仕方なくそのクラシックギターの通信講座をやったよ。
でも、今思えば、そのおかげで譜面も読めるようになったよ。
最初の課題曲は、「桜」だったなあ。
それまで、小学、中学と音楽の授業はあったけど、ずっと、2だったなあ。
最低評価だった。
オタマジャクシなんか、全く分からなかったよ。
中学生の頃には、ラジオの深夜放送と言うのが流行ってたなあ。
その頃に、岡林とかフォークセル・クルセダーズとか聞いたよ。
etekoが高校生になる頃にに、拓郎、陽水が出てきたんだなあ。
そして、かぐや姫とかでてきて、ユーミンが出てきたんだなあ。
そしら、巷では、ニューミュージックと言う言葉が出てきたんだなあ。
そんな青春時代を過ごしたetekoだけど、受験地獄で暗い青春を過ごした記憶しかないなあ。
大学時代は音楽サークルに入って、青春?を過ごしたなあ。
その時にetekoは、シンガーソングライターにこだわっていたよ。
自分で作詞してうたっうって言うのにこだわっていたなあ。
ミュージシャンと言うよりも、詩人になりたかったんだなあ。
でも、大学を卒業して地元に帰って社会人になったら、音楽活動が出来なくなったなあ。
2,3年は社会人バンドに所属して音楽活動してたんだけどね。
etekoに任された仕事が、とてつもなくハードだったよ。
直ぐに音楽活動はできなくなったな。
20年近くは、会社と家を行ったり来たりの生活になってしまった。
ギターも弾けなくなっちゃったよ。
その為に若い頃に買ったギターは、ハードケースの中で、30年近くの眠りについたよ。
etekoが入った会社は、入社した時には、業績は右肩上がりでイケイケだったよ。
いくら働いても仕事は山済みだったよ。
今のブラック企業よりも酷かったなあ。
なにしろ、入社一年目の正月の日の出は、徹夜明けのCAd室で向えたからね。
あの時は、M君だったなあ。
M君は今どうしてるんだろう。
etekoの為に、大みかの工場に移る時に送別会を開催してくれたっけ。
いろいろ思い出すなあ。
そんな会社を50まじかで、自主リストラしたんだなあ。
暇が出来たんで、ずーと弾いてなかったギターを弾き始めたんだなあ。
学生時代に作ったオリジナル曲を残そうと、自主製作のCD
創ったんだなあ。
そんな時に、若い頃に社会人バンドをやってた時の仲間に誘われて、久慈浜の丸勝と言うお店のオープンマイクに誘われたよ。
そこで、学生時代に作ったオリジナル曲を人前で歌うようになったよ。
そしたら、3.11の震災がやって来たんだなあ。
etekoは、3.11の震災後に、宮沢賢治の「雨にも負けず」に曲をつけて歌いたいなあと思ったよ。
その時に、30年ぶりに作ったオリジナル曲が、「Bのレジェンド」だよ。
考えてみたら、オリジナル曲はこの一曲しか作ってないなあ。
etekoのオリジナル曲は、みんな学生時代に作ったものだよ。
昔、丸勝で歌う時には、30年前に作ったオリジナル曲ですっていってたけど、今は40年前に生っちゃってるなあ。
ただ、この「Bのレジェンド」だけは、10年前に作ったetekoのオリジナル曲だよ。
久しぶりと言うか、10年ぶりくらいに練習したら、歌詞もコード進行も記憶の中にうずもれてるよ。
上手く歌えないよ。