etekoチャンネル その28 だす。 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



10年ぶりぐらいに、自分のオリジナル曲を練習してたよ。

考えてみたら、10年位前に、自分のオリジナル曲を一曲だけ作ったよ。
」Bのレジェンド」と言う曲なんだけどね。

etekoは学生時代に、ベンチャーズにあこがれてギターを弾き始めたよ。
学生時代は、ギターの知識は何にもなくて、中学生の時に、ギターの通信講座を受けることにしたよ。

これでエレキギターが弾けるぞと思ったら、そのギターの通信講座は、クラシックギターの通信講座だったよ。

お金を払い込んじゃったから、仕方なくそのクラシックギターの通信講座をやったよ。

でも、今思えば、そのおかげで譜面も読めるようになったよ。

最初の課題曲は、「桜」だったなあ。

それまで、小学、中学と音楽の授業はあったけど、ずっと、2だったなあ。
最低評価だった。
オタマジャクシなんか、全く分からなかったよ。ショボーン

中学生の頃には、ラジオの深夜放送と言うのが流行ってたなあ。

その頃に、岡林とかフォークセル・クルセダーズとか聞いたよ。
etekoが高校生になる頃にに、拓郎、陽水が出てきたんだなあ。

そして、かぐや姫とかでてきて、ユーミンが出てきたんだなあ。

そしら、巷では、ニューミュージックと言う言葉が出てきたんだなあ。

そんな青春時代を過ごしたetekoだけど、受験地獄で暗い青春を過ごした記憶しかないなあ。

大学時代は音楽サークルに入って、青春?を過ごしたなあ。

その時にetekoは、シンガーソングライターにこだわっていたよ。

自分で作詞してうたっうって言うのにこだわっていたなあ。


ミュージシャンと言うよりも、詩人になりたかったんだなあ。


でも、大学を卒業して地元に帰って社会人になったら、音楽活動が出来なくなったなあ。
2,3年は社会人バンドに所属して音楽活動してたんだけどね。

etekoに任された仕事が、とてつもなくハードだったよ。
直ぐに音楽活動はできなくなったな。

20年近くは、会社と家を行ったり来たりの生活になってしまった。
ギターも弾けなくなっちゃったよ。

その為に若い頃に買ったギターは、ハードケースの中で、30年近くの眠りについたよ。

etekoが入った会社は、入社した時には、業績は右肩上がりでイケイケだったよ。
いくら働いても仕事は山済みだったよ。

今のブラック企業よりも酷かったなあ。
なにしろ、入社一年目の正月の日の出は、徹夜明けのCAd室で向えたからね。

あの時は、M君だったなあ。

M君は今どうしてるんだろう。

etekoの為に、大みかの工場に移る時に送別会を開催してくれたっけ。

いろいろ思い出すなあ。


そんな会社を50まじかで、自主リストラしたんだなあ。
暇が出来たんで、ずーと弾いてなかったギターを弾き始めたんだなあ。

学生時代に作ったオリジナル曲を残そうと、自主製作のCD
創ったんだなあ。

そんな時に、若い頃に社会人バンドをやってた時の仲間に誘われて、久慈浜の丸勝と言うお店のオープンマイクに誘われたよ。

そこで、学生時代に作ったオリジナル曲を人前で歌うようになったよ。
そしたら、3.11の震災がやって来たんだなあ。

etekoは、3.11の震災後に、宮沢賢治の「雨にも負けず」に曲をつけて歌いたいなあと思ったよ。


その時に、30年ぶりに作ったオリジナル曲が、「Bのレジェンド」だよ。
考えてみたら、オリジナル曲はこの一曲しか作ってないなあ。

etekoのオリジナル曲は、みんな学生時代に作ったものだよ。

昔、丸勝で歌う時には、30年前に作ったオリジナル曲ですっていってたけど、今は40年前に生っちゃってるなあ。

ただ、この「Bのレジェンド」だけは、10年前に作ったetekoのオリジナル曲だよ。

久しぶりと言うか、10年ぶりくらいに練習したら、歌詞もコード進行も記憶の中にうずもれてるよ。

上手く歌えないよ。