2020/11/17(火) 百田尚樹×北村晴男×加藤康子×居島一平【虎ノ門ニュース】を聞きながらいろいろ書いてみる。
最近は評判を落としてる「虎の門ニュース」だなあ。
「虎の門ニュース」が始まったのは、5年前くらいからだと言う行ってた。
その頃の視聴回数は2,3万だということだ。
それが今は、100万回に届く勢いになっていると言う。
etekoは、「虎の門ニュース」を毎日聞くようになったのは、百田尚樹と言う人の動画を見てから、「虎の門のニュース」にたどり着いた。
もともと、etekoはずーとテレビは見られない状態だった。
「虎ノ門ニュース」の売りは、地上波のテレビでは、やれない「ニュース」を、いろいろなコメンテーターが解説すると言うものだった。
その頃のetekoは、日本のテレビ、新聞は自分達に都合の悪い報道はしない情報操作機関だと認識してた。
それは、若い頃からだった。
最初は日本の政治に対してだった。
そのニュースを流すイヌHKは、日本政府の情報操作機関だと認識してた。
その為、テレビを観られた頃は、イヌHKを見たことはなかった。
イヌHKは国営ほうそうだと思い込んでいた。
物心つくまでは、テレビは当たり前のように見てた。
etekoの桜川のボロ屋敷では、家が建った後に、白黒テレビが入った。
テレビが普及した年代も調べないといけないなあ。
あの頃に見た記憶のあるのは、「チロリン村」「ひょっこりひょうたん島」「夢で逢いましょう」「ヒットパレード」「プロレス」にどなど数えきれないほどだなあ。
小学生の頃に見たテレビはいろいろあったなあ。
「鉄腕アトム」「鉄人28号」も見たしなあ。
「鉄腕アトム」「鉄人28号」も幼稚園に入る前の新町にいる頃に、月刊雑誌の「少年」で見てたなあ。
新町の米屋の店舗に連れていかれて、その奥の方で、毎日、漫画を読んだり、お絵かきしてたんだなあ。
あの時に、水戸黄門の漫画も見たんだなあ。
そして、共楽館の映画をみたんだなあ。
黄門さまは、月形龍之介だったかなあ。
悪役の俳優が黄門様をやってたんだなあ。
検察庁から出ると、お昼近くになってた。
道路を挟んで、向かい側は弘道館の敷地だった。
その裏側が神社になってた。
神社の方を散策することにした。
何の予定も仕事もないetekoだよ。
やるべき仕事?は山積みなんだけどね。


検察庁の反対側の神社に向かう。
入り口に赤書きのタテカンが立ってる。
「水戸藩主九代の徳川斎昭がこの神社を作ったとかかいてあるみたい。」
鳥居を目指して参道に入る。
ここの神社は、弘道館の裏手にあるみたい。
弘道館の裏門かなあ。
この門もアメさんの空爆で焼失しちゃったみたい。
後に再建されたと言う説明書きがあった。









社殿の周りには、戦火を免れた老樹が立っていた。
そして、再建のの時に建てられた石碑も経っていた。
石碑の方は、戦火でやられちゃったみたい。
それでも、石碑に刻まれた文字は劣化して読みずらくなっていた。
石碑の後ろに回ってみた。
思った通り、石碑を建てる為に、寄進した個人名とか団体名が金額の順に右上からびっしり着座まれていた。
金額の下に、個人名が刻まれていた。
500万円から始まっていた名前もあった。
500万、100万円と金額は減っていく。
100万単位の金額の横に刻まれていた名前は、5,6人だった。
金額が一桁代になると、数えきれない名前が刻まれていた。
再建当時の100万円って、家が一軒建つんじゃないのかなあ。
当時のお金持ちかなあ。
結局、お金をいくら集めても、あの世には持っていけないしなあ。
子供達には、いくらか残したのかなあ。
それでも余りそうなお金は寄進したんだろうなあ。
そんな事を妄想してしまった。




再建された社殿は水戸藩にしては質素なものだった。
奥の中央にあるご神体?のような石碑を木造りのプレハブ小屋で囲ったみたいな作りだった。
元々、こんな造りだったんだろうね。



社殿の横にある、こっちが本殿だったのかなあ。
こっちは、創建された当時の姿を正確に再建されたみたい。
このお堂の中には、戦火で割れた石碑を補強修復して祭ってあるよ。
このお堂の横には、再建過程の詳細な様子が写真と説明文で天してあった。
真偽を確かめる気力もなく、弘道館裏の神社を後にした。


