etekoは、外に出る時と言うか、食料を買い出しに行ったスーパーの諏訪のマルトに入る時はマスクを付けるよ。
それ以外は、マスクを付けないよ。
何しろ、お店なんかに入る以外は、周りに人はいないなよ。
マスクを付けてる時間は、限りなくゼロに近いなあ。
シンコロナ(武漢肺炎)が、日本で流行り出した時に、お店に入る時は、「マスクを着用してください。密にならないで下さい。」と言う張り紙が入り口に張り出されていた。
今も張り出されているのかなあ。
確認してないけど、スーパー内に入ると、みんなマスクをしてるよ。
etekoもしょうがないので、お店に入る前にマスクを付けるよ。
自粛警察とかまで出てきたからね。
お店に入る時にマスクをするので、自粛警察にあった事はないけどね。
でもねぇ、思うんだけどね、etekoがお店に入る時にマスクを付けるのは、もし、マスクをしないで店内に入ったら、マスクを付けてる人達の冷たい視線に耐えられないと言うのが予想できるよ。
その時のetekoの心象風景を想像したら、マスクは付けて入ろうって言う気分になるよ。
ちらっと思ったのは、etekoと同じ気分なのは、日本人ならみんなおんなじなんだろうね。
マスクがシンコロナ(武漢肺炎)の予防にならない事は、みんな知ってるのにね。
自分が感染してる時に、口からでる飛沫は少しは減らせるかもと言う思いはある。
でもみんな思ってるよ、マスクをしてないと冷たい視線を浴びるってね。
そっちの方が、シンコロナ(武漢肺炎)に感染するより怖いと思ってるよ。
やっぱり日本人は恐ろしい民族だなあ。
アメさんの属国になってからの75年間の間、アメリカと特亜三国とロシアは、日本を汚鮮しきったよ。
情弱な日本人達を汚鮮しきったよ。
その歪は、時間の流れとともに、どんどん大きく生ってきたよ。
それは、日本で生まれた日本人が搾取されバカを見るシステムが出来上がってしまった。
令和の時代になって、その大きくなった歪は大爆発しようとしてる。
2020年に大爆発すると思ってる。
多賀支所を出て、常陸多賀駅に向かう、海の方へ真っすぐになだらかな坂道を下ってゆく。
歩くのには楽なはずだけど、少し歩いては背伸びして立ち止まった。
後から来る歩行者の3人くらいに追い抜かれた。
追い抜いた人達の背中を見ながら思った。
みんな駅にむかってるなあ。
電車が入ってくるんだなあ。
時間は、分からなかった。
乗り遅れると、30分くらいは待たないといけないなあ。
それでもいいと思った。
急ぐことは何もなかった。
駅舎にたどり着いた。
電車の到着時間の表示板が改札口の上に掲げてあった。
上り電車も下り電車も間もなく来るみたい。
表示板を見てる内に、ホームに上り電車が入ってきた。
下りのホームにも電車を待ってる人達が目についた。
高校生が多く目についた。
etekoは、慌てて切符を購入することにした。
一番安い金額の190円の切符を購入した。
一駅だからこれでいいんだろうと思った。
入場券なのかとも思った。
足りなければ、次の駅の日立駅で払いこめばいいよ。
電車に乗るのは何年ぶりだう。
日立駅近くの居酒屋で飲み会をやった時に、電車で行った記憶がある。
その2,3回を除いたら、40年ぶりかもしれない。
社会人になった時の最初の頃は電車で通勤してた。


この写真は常陸多賀駅のロータリの周りの歩道だなあ。
ここに古くからある薬局のビルが建ってるなあ。
死ぬまで喘息持ちの親父は、ここでアステロイドの喘息のスプレー系の薬を購入してたなあ。
昭和30年代の後半から、亡くなる平成14年まで、ずっと使ってた。
あの薬の名前はなんだったけ。
劇薬と言えば劇薬だったなあ。
長年の服用で、身体中に異変を生じてたなあ。
あれが親父の死を早めた一因なのは確かだなあ。
この薬で発作が止まらなくと、近くの町医者を電話で呼び出して、大きな注射を寝床で売ってもらってたのを何度もみてたなあ。
枕元には、痰を吐き出す洗面器がおかれてた。
洗面器のそこには新聞紙がしかれてた。
その洗面器の中を見るのは耐えられなく目をそらしてた。
それでも、喘息の発作が治まらないと入院してた。
最初は鉱山病院だったかなあ。
その時の記憶はほとんどない。
その後は、多賀病院、日立病院。
今思うと、この三つの病院は、みんな総合病院だった。
日立市内には、3っつもの総合病院があったんだね。
日立市は、日立鉱山、日立製作所の大企業のおかげで財政は潤っていたよ。
それぞれの病院の医師たちは、東京の方の医大の出身者を呼び寄せたよ。

常陸多賀駅の正面だ。
駅舎の入り口は駅舎の中央にあるような感じだ。
改札口を入ると、下り線のプラットホームだ。
その向かいは上り線のホームだ。
その上り線の向こう側が日立製作所の多賀工場の敷地になってた。
なっていたと過去形なのは、多賀工場の建屋は残ってるものの、他の会社になってるみたいだ。
多賀工場は、昭和の高度成長期に白玉の電気製品を生産してた。
etekoが小学生の時には、多賀工場に工場見学に行くと言うプログラムがあった。
常陸多賀駅から山側に直線に伸びる通りを登って行くと6号国道にぶつかる。
ここを横断した所に、etekoが通った大久保小学校がある。
この小学校から一学年が列を作って、多賀工場まで歩いて向かう。
あの時は、何組まであったんだろう。
6組まであったような気もするなあ。
1組は、40人以上いたとおもうんだけどね。
兎に角、200人以上の子供達が、列を作って、小学校から多賀工場まで列を作って歩いて行ったよ。
今考えると、日にちを変えて、一組くらいで行ったのかもしれない。
工場内で見た風景は、コンベアの横に何人もの工員がいて流れ作業で製品をくみたてていた。
記憶としては、頭に頭巾をかぶった女の人達がもくもくと単純作業をしていた。
この記憶は、後にテレビで流れてた高度成長時代の家電生産の工場内の風景で印象付けられたものかもしれない。
でも、今思うと、あのテレビで見せられた画像は、東京か大阪辺りの画像だろうね。
そんな同じ状況を、小学生の時に目の前で見せられたのは衝撃的だったんだろうなあ。
今でも、多賀工場に工場見学に行って、現場を見せられたのは覚えてる。


上りのホームの向こう側は多賀工場の敷地だよ。
多賀工場の敷地はここから海側の方に広がってる。
そして、海岸線を走る245号線にぶつかる。
常磐線の線路と245号線に挟まれた土地が多賀工場の敷地だよ。
幅は、いくつあるんだろう。
1キロはないけど、500メートル以上はあるな。
この敷地内に何棟もの工場の建屋が立ち並んでいる。
国道245線の海側は、直ぐに太平洋になっている。
海との境は、20メートルくらいの断崖になっている。
多賀工場の敷地は常磐線と海岸線を走る245号線に挟まれた土地になってる。
日立駅方面は、山の方から流れて来る小さな川の桜川が境になってる。
川に沿って、車道が一本走ってる。
こっち側に工場の正門がある。
この道路を挟んだ向かいが、日立製作所の国分工場の敷地になっている。
ここの敷地も、常磐線と245号国道に挟まれた土地が工場敷地となっていた。
国分工場は、重電機関連の機器を設計、製造している。
etekoは、この国分工場には関係が深いと言えば深いなあ。
何しろ、etekoの桜川のボロ屋敷は、昭和36年代に国分工場の県外から新人社員の寮になったよ。
主には東北地方の各地からの高卒の新人会社員が桜川のボロ屋敷に泊まり込んでた。
一部屋に、二人とか三人とか泊まっり込んでたなあ。
2階の6室は、全部屋だったな。
一階の3室も寮生の部屋だったなあ。
一時期は、20人近くの人間が、etekoの桜川のボロ屋敷で寝泊まりしてたことがあったんだなあ。
あの頃の賄は、ナカちゃんとお手伝いさんがいて、朝、昼の飯を作ってたんだなあ。
あの時はプロパンガスも普及する以前だから、煮炊きは炭やマキでやってたんだなあ。
風呂も炭やまきだったなあ。
洗濯機は一台あったけど、脱水する装置がロラーに挟んで絞る奴だったなあ。
一台では、間に合わないから、大きなたらいも2つくらい置いてあったよ。
洗濯板も置いてあったなあ。
そんな頃に、etekoのボロ屋敷には、20人近くの人間が寝泊まりしてた頃があるよ。

常陸多賀駅から日立駅に着いた。
田尻の家に行く前に、日立駅の側のセントラルに寄ってから行こうと思った。
久しぶりに歩いたら、いろいろな事をおもいだした。
高校生の3年間は、常陸多賀駅から日立駅まで、毎日、電車通学してたよ。
日立駅からは、日立一高まで歩いて通学したよ。
あの距離は、2キロ弱くらいかなあ。
桜川のボロ屋敷から常陸多賀駅までの距離と同じくらいかなあ。
高校生の時は、毎日歩いていたんだなあ。
写真のレールをまたいでる高架橋の出口の横がセントラルビルだよ。
高架橋の入り口付近に改札があるから、そこから出れば、セントラルビルは目の前だよ。
ある意味、セントラルは駅前ビルだなあ。
なんて思いながら、高架橋の方にホームを歩きだした。
その時にへんな雰囲気を察知した。
あれれー、列車を降りた乗客は、みんな山側の改札に向かって歩いていくよ。
海側の改札に向かってるのは、etekoひとりだよ。
いやな予感がする。
その予感はあたってるよ。
山側の改札に引き返そうと思った。
でも、一瞬、嫌な予感を確認してやろうと言う気になった。
ひとり、ホームの端まで歩いていく。
高架橋の入り口の階段近くに着た時、入り口に網戸のシャッターか゛かかってるのを確認する。
ここのホームから高架橋には、入れないようになってる。
この高架橋を歩いてセントラルビルの方に行ったのは十年以上も前だったなあ。
高架橋の入り口の海側のホームを見た。
このホームの端には、海側の改札の建屋があったけど、消えていた。
ふーん、海側の改札の駅舎は、ガラス張りの駅舎がリニュアルされた時に移動したのかなあ。


海側の改札の建屋は、こっちに移されたのかなあ。
etekoが電車を利用しなかった長い間に、いろいろ変わってしまってる。



この階段を下ると、新しい海側の改札口があるのかなあ。?
今日は時間に余裕だらけなんで、新しくなった日立駅の中をうろついてみた。
お腹の調子が悪いのでトイレに入ってみた。
おシュレットではなかった。
今まで数回、日立駅に来たけど、その時は、夜だった。
時間も余裕ないから、スマホの写真も撮らなかった。
初めて、駅構内から見える風景を楽しんだ。?
駅構内からいろいろな風景をスマホした。



駅を出ると駅の広場の端っこの方に歩いてた。
ケーブルテレビのJWAVEの建屋のある方向だった。
駅の広場を出るのは、もうちょっと山側にある信号のある横断歩道を渡らないといけないよ。
こっちに歩いていけば、柵の向こうに行ける小さな階段があるように思えた。
etekoの期待は必ず裏切られる。
柵の向こうに出られる階段はなかった。
そこは、喫煙所になってた。
迫害されてる喫煙者達が、そこに2,3人、幸せそうに一服してた。
ここなら誰も文句を言わないと言う安ど感のオーラが漂ってる。
etekoもバックからタバコをだして一服した。




日立駅の周りの風景を見ながら、信号のある横断歩道を渡って、セントラルビルに歩いて行った。
一服したものの、まともに歩行できない自分に落ち込む。