8月20日頃のetekoだす。 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



【DHC】2019/9/13(金) 上念司×大高未貴×居島一平【虎ノ門ニュース】を聞きながら、ブログの記事のようなものを書いてみる。


ナカちゃんのお骨は、田尻の家に置いてある。
四十九日まで、簡易の祭壇に遺影と木の白い位牌何かと一緒に置かれてる。
そんなもんで、田尻の家に行く回数も増えてる。
毎日とはいかないが、4日/週ぐらいは、行ってるんじゃないのかなあ。ショボーン


行ったら、線香をあげてる。

遺影の写真のナカちゃんの顔を見るたびに、人間の死と言うものを考えるようになった。
人間の「生と死」と言うものについて考えるようになってる。

中高生の頃、自分の死と言うものについて、考えた時に、眠れなかったことがあったなあ。
あの頃は、etekoの自我が目覚め始めた頃だったなあ。

無味乾燥した受験体制の中、etekoの生い立ちも手伝って、暗い青春時代を送ったなあ。えーん




上の写真は、田尻の家に泊まり込んだ時に、ナカちゃんの告別式の時に残った精進あげを、ひとり食してる時の写真だなあ。



田尻のリビングにいる時は、PCとテレビを点けてる。
PCはピグのゲームをやってるよ。

桜川のボロ屋敷では、テレビもピグのゲームもできないよ。ショボーン









ピグのゲームの中では、いろいろなピグ友やアメ友にであうなあ。
アメブロもそうだけど、いろんな人たちに会えるなあ。

仮想の世界でしか、人との出会いがないetekoだなあ。
でも、ナカちゃんの葬儀の時には、30人くらいだけど、いろいろな人達に再会できたなあ。
10年ぶりくらいに再会した親族もいたなあ。


考えてみたら、近くに住んでる親族でも、30年くらい会ってない家族もいるよ。
その家族は、祖父が亡くなった時に、長男の親父の所に、財産分与の金をもっと出せと、いちゃもんをつけてきたなあ。




ここにいる時は、ギターのお稽古をするようにもなったよ。
エレキ・ギターの方は、クラプトンの曲を楽譜?を見ながら練習してるよ。
最近は、高校生の時に買ったアコースティク・ギターのお稽古してるよ。
こっちは、手元に譜面がないので、暗譜で弾いてるよ。
弾いてるのは、クラレンス・ホワイトの曲と、ドックワトソンのブラック・マウンテンラグだよ。
何十回と、繰り返し弾いてるけど、上手く弾けないよ。

それでも、少しは前に進んでるみたい。照れ






下の写真は、田尻の家での燃えるゴミを出した時の写真だよ。
ゴミ出し場は、家から10メートルぐらいの所だよ。
桜川のボロ屋敷よりも近いなあ。

この地域のゴミ出し日は、月曜と木曜日だよ。
てぇことは、前日は、田尻の家にお泊りしたんだなあ。ショボーン


そこから、周りの風景と空をスマホした。
まだ、8月の頃だったのかなあ。

青い空に、白い雲が気持ちよかったよ。

でも、この時は、暑かったなあ。

いまじゃあ、覚えてないけどね。
































下の写真は、その後に、田尻の家に来た時の写真かなあ。

この日は、除草作業をすこしやったんだなあ。
そして、わずかの収穫だよ。

お盆が過ぎて、涼しくなったら、本格的に除草作業をしようと思ってた。

お盆を過ぎたけど涼しくならなかった。

19日には、暑い中、日立高鈴GCで、AKさんと二人でゴルフをしたんだなあ。
20日は、高萩の叔父さんと、中染のナカちゃんの土地を見に行くことにしてた。

高萩の叔父さんには、田尻の家まで来てもらった。
そこから、etekoのプリちゃんで、中染めのナカちゃんの土地を見に行ったんだなあ。

11時頃に田尻の家を出た。
ああの時は、雨になるかもしれないから傘か、カッパを持っていくかで悩んでたなあ。
結局、雨具は持たずに、田尻の家を出た。

空はどんよりと曇ってた。

田尻から日立市を抜けるには、海側の国道バイパスを走った。
それから多賀地区に入ってから、山側の国道のバイパスを使って走った。

山側のバイパスの出口は、石名坂交差点だ。
お昼前と言う事もあり、信号待ちは、1回で、6号国道に出られた。

それから、石名坂を下り、久慈川にかかる橋をわたった。
今ある橋の海側にもう一本、橋を架ける工事をやってる。
大分前からやってるなあ。

橋を入れ替えるのかなあ。
それとも、石名坂あたりの車線が増えるのかなあ。

よく分んないなあ。

兎に角、ずーと工事してるなあ。
工事現場の脇には、高いクレーンがいっも建ってるなあ。

動いてるところを見たことないなあ。キョロキョロ


そんな高いクレーンの鉄骨を見ながら久慈川を渡る。

左にガソリンスタン゛か゛ある。
ここの価格は、etekoが桜川のスタンドで入れてる価格と同じだなあ。

ちょっと行くと、十字路になってる。
海側に左折すると、日立港だなあ。

山側に、右折すると、少し行くと常陸太田市になる

そんな道路を山側に走って行った。

ずっと行くと、JRの常陸太田駅がある。
水郡線って言う奴だなあ。

その裏の方に、西山堂病院がある。
この時は、ナカちゃんは、西山堂病院の三階の病室で寝てたんだなあ。

西山堂病院の前を通り過ぎて、水府村の中染に向かう。
ずーと山奥だと言う感覚だなあ。

限りなく、栃木県方面に向かう。


ずーと、山だなあ。
そんな山から、川が流れてくる。
山から流れてくる川は、山の出口あたりに扇状地を作る。
そんな平らな猫の額のような土地で、ナカちゃんの御先祖様は、百姓をやってたんだなあ。

ナカちゃんの実家の家は、大きな茅葺きの農家だったという。
ナカちゃんが、10歳の頃には、家では、たばこを栽培してて、実入りが良かったみたい。

中染の辺りには、金砂神社って言うのがあるよ。
80年に一回の大祭って言うのがあるよ。

神社から神輿を、日立市の漁港まで、運ぶというものだ。

日立市の漁港は、久慈漁港なんだけどね。
今は、日立港って事になってる。


ナカちゃんは、この80年に一度の大祭を二度経験したよ。
最初は、幼少の頃だよ。
ナカちゃんの実家に、神輿を運んだりする大人の人達が、20人近く泊まり込んで、酒盛りしてたんだって言ってた。

二度目の時は、何年前だったろう。

10年くらい前だったかなあ。

etekoも、ナカちゃんも、この大祭を見に行かなかったよ。

それでも、地元では、この金砂神社の大祭で盛り上がってたね。

あれは、何年だたんだろう。

etekoは、大祭を見に行く余裕なかったなあ。ショボーン























田尻の家に行った時には、除草作業と、少しの収穫をしたよ。
この日は暑かったんだなあ。
直ぐに汗が噴き出たよ。

そして、両足も汗かいたよ。
ズボンの両足は、汗びっしょりだよ。

etkoがおもらししたみたいに、ズボンは、びしょびしょになっちゃったよ。