ナカちゃん星になる。その8 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



【DHC】2019/9/9(月) 青山繁晴×居島一平【虎ノ門ニュース】を聞きながら、etekoの創作ノートを書くよ。



8月27日はナカちゃんの告別式だった。
目まぐるしく、忙しかったよ。
etekoは、施主だからね。


でも、今も忙しよ。
後は、四十九日んんだけどね。




ナカちゃんの遺体は、金沢葬儀場で、焼かれてお骨になったよ。
お骨になったのは良いんだけど、歩けなくなって、股関節に埋め込んだ、大きな金属片が出てきたなあ。

あんなに小さくなった身体の両足に、すり減った骨の補強の為にでかい金属のホルト?を埋め込んだなあと思ったよ。

左右の足に入れたよ。
2回、切開したよ。
一階の手術で、3ヶ月くらい、島崎病院に入院してたなあ。
それが、2回だから、半年は入院生活をしてたよ。


その間、etekoは、週に一回くらいは、島崎病院に通ってたなあ。

命に別条のある切開じゃなかっけど、70過ぎてからの切開だったよ。

ナカちゃんは、若いころから糖尿病だったったよ。
50代の頃に、交通事故にあった時から、歩行困難になっちゃったよ。
家の近くで、バイクに突っ込まれて、左足を骨折してよ。

あの時は、etekoは、まともな会社員だったよ。
etekoが会社から帰宅すると、玄関の所で、ナカちゃんが座り込んでいたよ。

どうしたのって言ったら、さっき、近くのスーパーに食材を買いに行ったの。
その帰りに、バイクが転倒して突っ込んできた。

そのバイクに巻き込まれて、足をやられたと言う。

etekoは、直ぐに、救急車を呼んだよ。

近くの、秦病院に緊急入院したよ。
これも、3ヶ月くらい入院してたのかなあ。

左足の骨折だったよ。
骨折して、3ヶ月くらい入院してたよ。


退院してから、リハビリを受けないとダメみたい。
ナカちゃんは、リハビリを受けなかったよ。

その後に、歩行困難になっちゃったよ。
その後は、20年近くは、車椅子生活だったよ。

それが、70代になって、股関節の手術を受けることにしたよ。
糖尿病の事もあり、切開手術は避けてたよ。

でも、70代になってから、このままじゃあしょうがないと思ったんだろうね。

股関節に、補強のボルトを埋め込む切開手術を受けるよ。

それも、左右の両足だったよ。


もう、祖気がないと思ったんだうね。

日立総合病院では、白内障の手術もやったよ。

兎に角、ナカちゃんは、親父が亡くなった、15年前くらいから、いろいろな手術を受けたよ。
それに、たまに倒れて、日立総合病院には、4,5回、緊急入院したよ。






ここからの写真は何だろう。
田尻の家の、二階の部屋の写真だなあ。




26日の(仮)通夜に、山形の鶴岡から、ナカちゃん異母兄弟の叔父さんが、車で、ひとり、来てくれた。
その時に、二日間、田尻の家に泊まってもらったよ。

もちろん、etekoも泊まり込んだよ。

2階には、etekoの部屋と、妹の部屋があるっだけど、ずーと空き部屋だよ。
etekoの部屋には、敷きっぱなしの布団が敷いてあるよ。
この布団に寝たのは、今までに一回だけだよ。

その布団に、鶴岡から来た異母兄弟の叔父さんに寝てもらったよ。
この部屋は何もないよ。
ただ、エアコンは入ってるよ。
お風呂に入った後に、叔父さんに寝てもらったよ。






一階のリビングは、こんな感じたなあ。
散らかってるなあ。
お片付け、断捨離をやらんと行けないよ。




そんなことを、思ってたのも、もう二週間近く経ってしまったなあ。ショボーン