etekoチャンネル #0055 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。

etekoチャンネル #0055

今は、1月の28日。

1時42分。

 

深夜に目が覚めた。

昔の記憶をいろいろ書き出したくなった。

 

昔の記憶の事をなるべく書き出して置こうと思い立った。

新年になってからもやもやモ-ドが続いてていて、ブログを書く気力が失せていた。

 

PCの不具合で、長い文章を書いた記事か消えてしまったと言う事がった。

 

そして、録画したこの動画も、上手くアップできてない。

 

再生できない。

 

母親が亡くなってから、父方の親戚の叔母から、ナカちゃんは、三女のバッチだと言うのを聞いた。

 

今になるまで、親戚の事など、両親から聞かされたことはなかった。

 

考えてみると、親父が胃がんの手術をしてから、母方の親戚の悔やみには、毎年の様に、etekoが一人で行かされた。

 

どういう繋がりなのかは,未だに分かってない。

親戚のお悔やみには、住んでる地名で呼ばれてた。

赤土の叔父さんが亡くなった。

赤土の叔父さん?

 

家とは,どういう繋がりなんだろう。

山の手の叔母さんが亡くなった。

 

etekoとは、どう言う繋がりなんだ。

 

分からないままに、葬儀に参列してた。

 

両親が動けなくなった頃から、親戚の葬儀に出席してた。

 

そこで毎回、顔を合せる親戚の顔もあった。

その親戚が、etekoとは、どういう繋がりなのかも、ほとんど理解できなった。

 

母方の親戚関係は複雑だ。

ナカちゃんの母親は、若い時に、身重の身体で農作業で働いてて亡くなったらしい。

 

その後は、実家の祖父母に育てらていたらしい。

亡くなった、ナカちゃんの母親は、三人の娘と、一人の男を生んだ。

その間に早産で亡くした子供も、

 

大きな農家だった、家は、ナカちゃんの弟が、小学生に入る前に、落雷で焼失した。

 

ナカちゃんの弟は、去年、米寿になった。

ナカちゃんは、米寿のお祝いをした次の月の5月に倒れた。

 

田尻の家の風呂場で、脳梗塞で倒れていた。

日立総合病院に緊急搬送された。

 

それから3,年3カ月は、病院のベットで寝たきりだった。

しかも、言語機能は壊れていて、しゃべれなかった。

意思疎通が困難になっていた。

 

 

 

日立総合病、大みか病院と転院して、最後は実家に近い、常陸太田市の西山堂病院と転院した。

 

西山堂院病院に転院するには、胃瘻手術が条件だった。

 

倒れてから、6年以上も経ったのか。

 

命日は、8月22日。

 

あの時の、前後の事は、鮮明に覚えてるなあ。