ナカちゃん星になる。 その3 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



2019/8/26(月) 青山繁晴×居島一平【虎ノ門ニュース】を聞きながらブログ記事を書くよ。

ブログ記事と言うよりは、etekoの小説家を目指す資料ノートだなあ。

田尻の家の駐車スペースに戻ってきて、プリちゃんから降りようとしたら、スマホに着信。

出ると、西山堂病院からの呼び出しだった。

ナカちゃんの容態が急変し、三階の病棟から二階の病棟に移ると言った内容だった。
二階の病棟に移して、緊急入院で治療をすると言う。

それに関して、担当医師から説明があるので、午後の5時までに来てくれとの事だった。

etekoは、即答をしなかった。
今日は、ナカちゃんの土地を見に行く為に、西山堂病院の前を往復してた。
田尻の家に、3時過ぎに帰ってきて、疲れ切った。

取りあえずは、妹と相談してみますと言って、電話を切った。

妹に電話した。
etekoの事情を話して、最悪は妹だけ、西山堂病院に行ってもらうようにした。

これまでも、2,3回、西山堂病院から呼び出しがあった。
そのたびに、三階の病棟から、二階の治療病棟に移されて、点滴などで治療して、三階の病棟に帰ると言うのを何度か繰り返していた。

etekoは、田尻の家の中に入り、一服する事にした。
インスタント・コーヒーを淹れて、一服してると、妹から電話が入る。

妹の話しでは、etekoが西山堂病院から電話を受けた時より、妹が西山堂病院に電話したら、ナカちゃんの容態が悪くなってると言う。

危篤状態だと言う。


etekoは、午後5時に、西山堂病院に着けるように、田尻の家を出た。
午後4時を回っていた。


5時ぎりぎりに、西山堂病院に着いた。
妹は、まだ到着してなかった。

妹に電話すると、今、西山堂病院の駐車場に到着したと言う事だった。

担当医師に、その事を告げると、では、ご家族が二人揃ったところで説明しますと言われた。

妹が来るまでに、ナカちゃんの病室で待つことにした。
そこは、ナースセンターのスペースから一番近い、男の4人部屋だった。
急遽の入院で、個室が空いてなかったんだね。

病室に入ると、ナカちゃんのベットの周りに、いろいろな機材が置かれていた。
そして、口には、酸素マスクが付けられて、酸素を供給されていた。
周りには、沢山の点滴の袋が吊り下げてあった。

3階の病室のベットにいる時は、食事用の栄養剤を送る点滴だけを時間に吊り下げるだけだった。
ナカちゃんの病室に入った時に、ナカちゃんのベットの周りだけ、おもおもしい雰囲気になっていた。













ベットの横に、備え付けられたモニターは、ナカちゃんの血圧、脈拍、呼吸数、心拍、血圧などの数字を表示してる。
その強さを表示する、波形が表示されてる。

これが、数字が悪くなってくると、上の方にランプ?が付いていて、ランプが黄色になり、さらに危険な数値になると赤色になるとアラームが鳴りだす。


それに対処して、担当医師の指示に従い、看護師が点滴に、いろいろな薬を入れて、病状に対応するようになってる。


この端末は、ナース室のPCに繋がっていて、そのモニターにも同じ画面が表示されてる。
危険のアラームが鳴ったた時には、ナースセンターにいる医師や看護師が対処するようになってる。

この時点で、酸素は、最大の10を送り込んでると言ってた。
酸素マスクを付けたナカちゃんは、苦しそうに呼吸をしてた。

呼吸をするたびに、「うっ、うっ、」、と小さな唸り声を出していた。

etekoが、顔に近づき、声をかけると、うっすらと開けた。
その瞳に、etekoを確認したみたいだ。

しばらく、ベットの横にいたら。
ナス室から看護師が来て、「妹さんが到着しました。先生の説明を聞いて下さいと言われた。」

ナス―センターの中にある担当医師の席に、etekoと妹が椅子を用意され座った。
担当医師は、年配の女医さんだ。
大門未知子よりは、年配の叔母さんだ。
小柄で、若い頃は、可愛いかったよ。
若い頃に、会えてたら良かったのにと思った。

その女医さんから、ナカちゃんの病状を聞いた。
19日の月曜日から、熱がでて、20日からは、2階の治療病棟に移して、検査しながら、病状に対処治療してます。


担当医師の机にあるPCのモニターに、ナカちゃんの胸部のレントゲン写真をいろいろ見せてもらいながら説明を受けた。

病名は、#急性心筋梗塞(下壁)
    #両側広範囲肺炎 重症呼吸不全
    #両側胸水 心不全増悪

症状は、発熱、SAT低下

SATとは、血液中の酸素量みたい。

治療計画は、安静、薬物療法と言う事だった。

要は、危篤と言う事だった。

この病状の為に、他の大きな病院に転院を希望しますかと聞かれた。

etekoと妹は、もう3年3ヶ月も、脳梗塞で倒れて、病院のベットで寝たっきりのナカちゃんは、西山堂病院で、出来る限りの治療をしてもらえば、いいと思っていた。

脳梗塞で倒れた時には、日立総合病院に緊急入院した。
その時の担当医師には、ナカちゃんは高齢で、脳梗塞で倒れてから緊急入院するまでに時間たちすぎてます。
今の病状の改善の治療をするのは、リスクが大きいです。
現状維持です。
今は、左半身麻痺、言語機能喪失の状態は、改善できません。
この状態で、ベットに寝たっきりとなると、加齢とともに身体も弱って行く状況ですと言われた。

日立総合病院には、ひと月、ちょっとしか入院できなかった。

その後には、大みか病院に転院した。
大みか病院には、半年くらい入院してたか。

最後に、日立市の隣の常陸太田市にある西山堂病院に転院した。
保険の関係で、一つの病院には、長く入院出来ないみたいだ。

長く入院生活を送らないといけない患者は、大きな病院から、小さな病院に落とされて行くみたい。

西山堂病院に転院する条件は、胃婁手術を行うと言うものだった。

この手術をした後に、併設してある特養老施設に入ると言う事になっていた。
大みか病院までは、鼻から管を通して、栄養剤を流してた。
それをお腹に穴を通して、口からでなく、お腹に直接、送り込むことになった。

胃婁の手術をするのも延命の一種だけど、5年はもたないみたい。
西山堂病院で、ナカちゃんは、胃婁手術を受けた。

それから、しばらくして、西山堂病院の隣にある特養老施設に移ると言う話しがあったけど、ベットが空かないと言う事で、2階の病棟から、3階の病棟に移された。

3階の病棟は、西山堂病院の建屋だけど、特養老施設の一部なんだろうね。
ナカちゃんがいた3階の病室は、4人部屋だったけど、みんな胃婁手術をした患者さんで、寝たっきりの老婆ばかりだった。

ナカちゃんの病室を訪れるたびに、ドアの横に掲げてある名前の札が、入れ替わるのが気になってたなあ。

2年以上入院してた間に、1回くらい入れ替わった。
2人目は、ナカちゃんになっちゃったなあ。



担当医師から、他の大きな病院に転院しますかと聞かれた。
etekoと妹は、そこまでしなくてもいいと思った。

ただ、ナカちゃんの弟の高萩の叔父さんの意見も聞こうと思って、電話をいれた。

叔父さんの意見は、「最後なんだから、あらゆる手を尽くした方がいい。」、と言うものだった。

そんな訳で、大きな病院に移って、転院できるならと頼んだ。

女医さんは、日立総合病院と水戸の方の病院をあたてみてくれたが、拒否されたみたい。

患者が高齢で脳梗塞で、3年3ヶ月もの寝たっきりの入院生活を送っている。
その患者が、心筋梗塞や末期の肺炎を引き起こしても、手の施しようがないと言うものだった。


そりゃあ、そうだよね。

若い人が、脳梗塞で、胸を押さえて苦しんでたら、即、救急車でも、救急ヘリでも飛んでくるけどね。ショボーン




20時頃に、etekoは、一旦、田尻の家に帰る事にした。
そして、12時頃に戻って、病院に泊まり込むことにした。
病院では、簡易ベットを出してくれると言う事だった。

田尻の家では、中染から帰ってきてから洗濯をしようと思ってた。
桜川のボロ屋敷から、午前中に来た時、洗濯物を持ち込んでいた。
あわてて、午後の4時頃に、田尻の家を出てきたので、タバコの火の事も気にかかってた。


田尻の家に帰ってから、久慈浜の叔母さんに電話を入れる。
ナカちゃんが危篤状態だと伝える。
そうすると、見舞いに行きたいと言う。
西山堂病院に戻るのは、零時の深夜だと告げた。

それでも、行きたいと言うので、久慈浜の叔母さんの家の近くで、叔母さんをひろって、西山堂病院に向かった。

零時すぎに、西山堂病院に到着する。
玄関は閉まってた。

出入り口は、警備員が詰めてる緊急の出入り口だけだった。
ここは、二重のガラス張りの自動ドアになってる。

最初のドアは開いたけど、中のドアが開かなかった。
警備員の詰めてる部屋の窓越しに、「只今、管内を警備中に着き、戻るまで、お待ちください。」と言う張り紙がでてた。

10分くらい、暗いドアの外でまってると、警備から戻ってきた警備員さんが、内側のドアを開いてくれた。

2人は、2階のナカちゃんの病室に向かった。
妹がひとり、用意された簡易ベットに座って、ナカちゃんのベットをのぞき込んでいた。

10分くらい、叔母さんは、ナカちゃんの容態を見ていた。
苦しそうに息をしてるナカちゃんは、瞼を薄く開いた。
その瞳は、久慈浜の叔母さんを認識したように思えた。

でも、言葉は、しゃべれない。
うなづく力もないようだ。

妹は、etekoと入れ替えに、久慈浜の叔母さんを車に乗せて帰って行った。

ひとり残された、etekoは、しばらくは簡易ベットに座って、苦しそうに息をしてるナカちゃんを見ていた。
ナカちゃんとのいろいろな記憶が蘇ってきた。


etekoは、疲れ切ってるので、少し寝ようと簡易ベットに着たっきりで横になった。
でも、一睡もできなかった。
何回も、起き上がり、簡易ベットに座って、ナカちゃんの様子を見たり、血圧や心拍数を表示するモニターを見入ったりしてた。

夜が明け、午後になって、付き添いを妹と入れ替わった。
付き添いと言っても、側にいても何もできない。

21日の午後は、田尻の家に帰った。

そこまでが、西山堂病院にいる限界だった。

妹には、夜になったら帰ってきて、今日も泊まり込むと言って、西山堂病院の駐車場に出た。

その時の空は、こんなだった。

昨日は小雨がぱらついてたのを思い出した。
中染のナカちゃんの土地に行った時、小雨がぱらついてた。
スマホで写真を撮るのに難儀してたのを思い出した。ショボーン














田尻の家に戻って、休んでいた。
何をしてたか、思い出せない。
西山堂病院へは、20時頃に戻るつもりでいた。

18時30頃に、妹から電話が入る。
今、ナカちゃんが危なくなってる。
心臓が止まりかけてる、電気ショックを与えて持ち治ったけど、危ないと言う。

すくに、田尻の家を出て、西山堂病院へ向かう。

病院に着くと、ナカちゃんのベットの周りには、看護師さんが、2,3名くらいいた。

病院から帰ってる担当医師と電話連絡を取りながら、指示に従いながら投薬の処置をしてる。
夜勤の若い医師?から説明をうけた。
血圧、脈拍が低下してしまいました。
そして、不整脈を引き起こして、心臓が止まりかけました。

心臓に電気ショックを与えて蘇生しましたが、もう限界ですね、
投薬も最大です。
今晩が山です。

事務的に、そう言われた。


eteko自身も、その説明を事務的に受け入れていた。

二度目の不整脈が出た時は、どうしますか。
電気ショックと最後は、人工マッサージだけです。

電気ショックは、患者さんに苦痛だけです。
人工マッサージは、高齢の為に、胸の骨が、折れてしまいます。

etekoの結論は、もういいですと言うだけだった。

22時30頃に、不整脈がでた。

モニタは赤いランプを点滅しながら危険のアラム音を鳴らし続けた。

薬剤投与の処置だけで、延命処置はしなかった。
病室から、etekoは、外に出された。

病室には、4人くらいの看護師さん達が、ナカちゃんのベットに集まり、いろいろな処置をやってるようだった。

ナース・センターに置いてあるナカちゃんのモニターは、警報アラームが鳴りっぱなしだった。

他の病室の患者さんが、「誰もいないのかあー。」って、どなってる声が聞こえた。

処置が終わって、病室に戻された。
モニターのアラーム音は、消えなかった。
ナカちゃんの状態が良くなると、アラーム音は、消えるのだが、直ぐになりだす。
看護師さんが、このアラーム音を手動で消そうと長い時間、モニターに向かって、アラーム音を設定を変えようとしていた。

血圧や心拍は、ナカちゃんが星になるまで下がり続けるだけになっていた。


2日目の夜も、ほとんど眠れなかった。
それでも、簡易ベットに横になると、少し眠った。
でもすぐに目が覚めて、ベットに座り込んで、ナカちゃんを見ていた。

そうこうしてる間に、夜が明けた。
9時近くに、妹に電話して、すぐ来るように言った。

昨日の夜のナカちゃんの状況を話した。


妹が病院に来た、10時頃には、モニターの血圧の表示も出なくなっていた。
看護師さんが、手動で、足に付けて、血圧を測ってた。

20日の日に病院に着た時も、手動で測ってた。
足に巻いた、空気の袋が足を締め付けた時、ナカちゃんは、痛いと呻き声をあげてた。
今は、無反応だった。


それでも、弱々しく息はしてる。
身体の体温も、下がり続けている。

20日の手動の血圧の計測は、モニターの機械的な血圧の計測が正しいか、確認する為のものだった。
それが、今は、機械的な計測は不能になっている。

看護師さんから、ご遺体の引き取りは、どうしますかと言われた。

遺体の引き取りは、どうするかと言われても困ってしまった。

方法としては、家に持ち帰るか、葬儀屋さんに頼んで引き取ってもらうかの二つだと言う。
猛暑が一段落したとは言え、まだ、気温は30度近いよ。
家に引きとると言うのはないなあ。

葬儀屋さんは、金額を考慮して決めようと思ってたけど、20日からの急展開だった。
ゴルフでお付き合いのある大みかの三法堂さんに頼むことにした。

駐車場のプリちゃんに乗り込み、三法堂さんに電話する。
三宝堂さんに電話するのは、10年以上も、三宝堂さん主催のゴルフ・コンペの件だけだったよ。


それが、本業の件で、電話することになった。
三宝堂さんの長年のPR活動が実った瞬間だね。

三宝堂さんに電話すると、会長が出た。
実は、お袋が、いま危篤状態で、三宝堂さんにお願いしたいと思ってますと言った。

病院は、何処なのと聞かれた。

常陸太田市の西山堂病院と言うと、それは以外だなあと言ってきた。

会長は、日立市内の病院だと思っていたみたい。


夜までしか持たないと言われてたけど、22日の午前中まで、息をしてた。

そして、13時22分に、ナカちゃんは、星になった。ショボーン

etekoと妹は、病室から出された。
その間に看護師さん達が、ナカちゃんの身体に取り付けてあった、何本もの点滴の管、酸素マスク、機械計測の為のケーブルをはずして、浴衣に着せ替えた。
一階の遺体の安置室に移動する準備をしてた。

その間、etekoは、外に出て、三宝堂さんに電話した。
ナカちゃんが亡くなったので、遺体を葬儀まで、安置してくれるようにお願いした。

遺体の引き取りに行くのは、40分くらいかかると言う事だった。

etekoと妹は、ナカちゃんの病院に持って行った荷物を妹の車に運んだ。

二人は、2階の休憩所にもどり、三宝堂さんの車が到着するのを待っていたいた。

14時15分頃に、三宝堂さんからetekoのメールに着信が入る。
今、到着しました。
車は、安置所の入り口の所でいいですかと言われた。

ナース・センターにいた看護師さんに、遺体引き取りの車が到着しましたと告げた。

ナース・センターにいた看護師さんは、周りにいた看護師さんに声をかけた。
その中の4人くらいの看護師が、ナカちゃんの病室に入り、ナカちゃんの遺体をベットから移動用のストレッチゃに移した。

看護師さんの後ろについて病室に、etekoと妹も入る。
ベットの上のナカちゃんは、浴衣に着せ替えられていた。
手は合掌に組まされていた。
91歳の指先は、細くなっていた。
右半身はマヒして動かなかった。
筋肉は、ほとんど落ちてるみたい。
左手は、麻痺してなかったけど、3年3ヶ月も、寝たっきりで入院してると、その指先も、上手く動かなくなっていた。

浴衣から覗く腕には、点滴の針で、黒ずんでる所が点在していた。
腕も細くなっていた。

考えてみたら、91歳の老婆の腕を間地かにみるのって、初めてのことだよ。


ああっ、記事を書いてたら、山形の鶴岡から、車で出てきた叔父さんから、着信が来たよ。


ここで、記事は中断で、後に続くだよ。