13日は、3度目のおひとり様の墓参りに行ってきた。
3度目という事は、ナカちゃんが倒れてから3年目に突入したって事か。
ナカちゃんは、28年の5月に倒れたんだなあ。
それまでは、この時期になると、足の悪いナカちゃんを車に乗せって、二人で墓参りしてた。
このお墓は、ナカちゃんの実家にあるお墓を、ここに移したんだなあ。
ここの墓地は、ナカちゃんの弟が住んでる側に造成されたよ。
元々は、高萩市が団地として造成しようとしたんだけど、財政難と需要がないので、墓地に転用されたみたい。
墓地の方は、需要が大きくて、売り出された区画は抽選になったよ。
ナカちゃんの弟が応募して、当選したみたい。
そして、ナカちゃんが、お墓を移した。
行ったら、叔父さんが供えた花があった。
etekoの花と一緒になって、少しにぎやかになったよ。
墓誌を改めて見返した。
ナカちゃんの母親は、昭和10年に、若くして亡くなった。
33歳で亡くなってる。
身籠ってる時に、倒れて亡くなったそうだ。
幼少の叔父さんは、母親の顔を思い出せないと言っていた。
叔父さんは、この頃、4歳くらいだった。
次の年くらいに、大きな茅葺き屋根の家に落雷て失火した。
母親の写真もみんな焼失してしまったと言う。
父親は、昭和43年でなくなってる。
でも、この父親は母親がなくなり、実家が落雷で焼失してから間もなく、北海道のニシン漁に行って、一旗揚げると、家を出ていたそうだ。
そして、音信不通になり、家から蒸発してしまった。
父親は、流れ流れて、山形の鶴岡にいた。
そこで、家族を作ったみたいだ。
危篤状態になった時に、その家族から、ナカちゃんに連絡が入ったのは、記憶してる。
実家は、焼け残った蔵を、住居にしてた。
幼い兄弟は、祖父母に育てられた。
etekoの曽祖父母という事になる。
この墓誌の中で、etekoが会えたのは、曾祖母だけだ。
その頃の曾祖母は、晩年で、焼け残った蔵の一室で、寝たっきりの状態だった。
その頃の、曾祖母は、骨と皮だけの老婆だった。
親父に連れられて行った。
曾祖母は、頭は、はっきりしてた。
幼い孫の顔を見ると喜んでいた。
享年89歳になってる。
etekoも疲れてるなあ。![]()
お墓の周りの空を写した。
蒸し暑かった。
空の様子は、一期一会だなあ。
同じ空には二度と会えない。![]()
叔父さんの家に寄った。
ナカちゃんの様態をいろいろ聞かれた。
ナカちゃんとは、5つ離れてるといってた。
最近は、耳が遠くなったけど、元気だ。
今年は、暑くて、9月の15日頃には、新米が収穫できると言っていた。
お盆あけに、叔父さんを連れて、ナカちゃんの所に見舞いに行くことになった。
叔父さんの家の帰りに、ぬかを持ち帰ろうと思った。
叔父さんの近くの無人精米所によった。
米の空き袋にいっぱいのヌカをげっとできた。
ぬか床が減ってきたからね。
帰りの道で、車を止めて。叔父さんの田んぼ辺りを撮影してみた。















