またここに来る | 秋色コスモの 機械式時計と趣味のブログ

秋色コスモの 機械式時計と趣味のブログ

人生漫ろ歩き 時を刻む
美しいもの、大切なもの、
ありのままに‥‥

ケンポールを初めてここに連れて来た。

例の駅のホーム。
台風一過とは言い切れない日曜午前。

こんなさえない暗ぼったい朝だと思うと

日が差したり‥‥はたまた雨が降り出す。でも

このダイアルとベゼルが醸し出す雰囲気には
どことなく華もあるし、反面
どことなくレトロでワビサビさえ感じる。

こういう
相反するものを同時に感じられる対象は、

時計に限らず好きだ。



一つの中に、相反する二つが

鮮烈なイメージとメッセージをもって共存する。

ディラン・トマスやエズラ・パウンドから、

ロックに至ってはピンク・フロイドまで、

学生時代教わったイマジズムの影響か。

教えてくださったのは、オーディオ評論家として

雑誌に記事も連載されていた高島誠先生。

返り読みをせず前からそのまま英語を読む

直読直解式には度肝を抜かれた。他にも

数々の目から鱗の説得力あるお話。

講師として白百合女子大からいらしていたが、

学生時代一番刺激を受けた講義の一つだった。



そんな時代は、自分年表の中でもう30年以上

離れた片隅の欄に追いやられてしまった。

この線路を見ると、いつも過去を振り返り、

そしてこれから向かう方向を見る。



高島先生は、記憶が正しければ既に20年以上前、

残念ながらお亡くなりになっている。しかし、

私の中であの生き生きとしたヒゲ先生は

未だ講義をしている。晩年の著書

「オルフェウスの首」は是非読んでみたい。



20年30年といともたやすく口にしたが、

考えてみれば、手元の大部分の時計が

その時間を経て私の元にある。言い換えれば

20年前、30年前から今への橋渡し:

この16550は88年という平成のスタート、
そして

このGMTは98年という世紀末

と私をつないでいる。

これらの時計と私は、

それぞれの時代それぞれの場所にあった。

しかし、今はこうして共に。



過去の自分、

今の自分、
未来の自分をつなぐもの。

時々思い出したようにここに来て、

遥か向こうに続く線路を見ては
そんなことを決まって考える。

それがまた好きでもあるのは

言うまでもない。



*台風による鉄道運行見合わせで、再開を待つ人もいる中、時計を取っ替え引っ替え、線路にかざして撮る‥‥どう見ても私はアブナイ人であったニヤニヤ