△キャスターダッシュに臨む男女5人

11月3日にJR福島駅東口の駅前通り商店街で行われた「第12回ももりんダッシュNo.1」。この大会の呼び物になっているのが、「キャスターダッシュNo.1」だ。県内の放送局に勤務するアナウンサーに選手と同じコースを走ってもらおうという企画で、2009年の第3回大会から始まった。2014年まではラジオ福島のアナウンサーも出場していた。
単純な30㍍走では勝負としての面白さがないし、男子が有利すぎる。そこで、早口言葉のタイムを加算したり、男子にタイム的なハンディを課したりして、女子でも優勝できるようなルールにしている。初期は女子が強く、2009年は林藍菜(ラジオ福島)、2010年は佐々木瞳(同)が優勝した。

△じゃんけんで順番を決める各局のアナ

ただ、最近は男子の優勝が続いている。2017年は男子に0.6秒のハンディが課せられたが、それでも女子は優勝できなかった。男子に1秒以上のハンディを課せば女子が優勝する可能性も出てくるが、川本は「30㍍走で1秒のハンディは重すぎる」と考えているようだ。
今大会は果たして、どんなルールになるのか。女子でも優勝できそうなルールになるのか。その内容は競技開始直前、川本が発表することになっている。
競技開始は13時55分。13時半くらいになると、各局アナウンサーが召集所にやってきた。NHK福島放送局は後藤万里子、福島テレビは菅家ひかる、福島中央テレビは馬場佑実子、福島放送は山崎聡子、テレビユー福島は高橋広季。いずれも入社1~3年目の若手である。

△女子4人の中では最速の後藤アナ

男子は高橋1人だった。ルールの内容は不明だが、この時点で高橋は優勝争いの本命になった。男子が優勝すると、当たり前すぎて、大会が盛り上がらない。
そこで、ウォーミングアップ中の高橋に話しかけ、自重を促すことにした。
「今大会は男子が1人です。短距離走ですから、普通にやれば男子の優勝は目に見えています。男子が優勝すると、会場がしらけるんですよね。空気を読んでもらえませんか」
すると、高橋は「いえ、優勝を目指して全力で走ります」と回答した。空気を読まず、あえてヒール(悪役)になるというのだ。
「男子が優勝したら、ブーイングが出ますよ。駅前通り商店街に『帰れ!』コールが鳴り響くでしょう。大丈夫ですか」
高橋は、笑顔を見せただけで何も答えなかった。冗談と受けとめたようだ。

△早口言葉のタイムは最速の菅家アナ

2010年のキャスターダッシュでは、こんなことがあった。例年の大会と違って、そのときは自転車を漕いで30㍍を走るというルールになった。
NHK福島放送局は、入局2年目の男子アナウンサーを大会に送り込んだ。彼は不器用なタイプで、ローカルニュースに出演するたびに噛んだ。「これでよくアナウンサーになれたもんだ」と呆れながらテレビを見ていた記憶がある。
キャスターダッシュに臨んだ彼は、スタート地点でマイクを向けられると、次のように言った。
「昨年は最下位(6位)だったので、今回は5位を目指します」
男子が優勝ではなく、「5位を目指す」と力強く宣言したため、見物人は爆笑した。

△「ゴジてれ」のウェアを着る馬場アナ

スタートの号砲が鳴ると、彼は腰を浮かせながら、自転車を懸命に漕いだ。しかし、上半身が前のめりになりすぎて、動きがぎこちなかった。両足がペダルから離れる場面が多く、エネルギーを大量にロスしているという感じだった。人が慌てた状態を「地に足がつかない」と表現するが、リアルでそんな動きだった。見物人はその姿を目にして、またまた爆笑した。
高橋にそういう役割を期待したのだが、やるつもりはないらしい(←当たり前)。

△カメラに向かってしゃべる山崎アナ

13時55分。キャスターダッシュに出場する5人が見物人の前に姿を現した。川本はその直後、今回のルールを発表した。
「早口言葉と30㍍走の合計タイムで順位を決めます」
早口言葉は「生麦生米生卵」×3回。川本はタイムを計測するため、ストップウオッチを手にしていた。
早口言葉にトライする順番は、誕生日の早い順になった。年齢の順ではない。生年月日のうち、日の数字が少ない順である。
アナウンサーにとって、早口言葉は基本中の基本だ。そのタイムを計測するとなれば、本気を出さなければならない。プレッシャーがかかる方式でもある。結果は馬場が5秒14、山崎が4秒39、高橋が4秒53、菅家が4秒04、後藤が5秒17。早口言葉は、菅家がダントツの1位だった。

△「まずい」という表情をする高橋アナ

次は30㍍走だ。走る順番はじゃんけんで決めた。結果は山崎、馬場、高橋、菅家、後藤の順になった。
スタート直前、川本は1人ひとりにマイクを向け、コメントを求めた。高橋がスタート地点に立つと、MCの渡辺真弓(東邦銀行陸上競技部コーチ)は「唯一の男性です」と紹介。これを受けて、高橋はこんなコメントを口にした。
「先ほど、沿道の方から『空気読め』と言われました(見物人は爆笑)。優勝ではなく、4位か5位を目指したいと思います」
そう言いながらも、高橋は全力疾走した。

30㍍走のタイムは、山崎が5秒64、馬場が5秒21、高橋が4秒58、菅家が5秒26、後藤が4秒97だった。早口言葉との合計タイムは、山崎が10秒03、馬場が10秒38、高橋が9秒11、菅家が9秒30、後藤が10秒14。この結果、順位は①高橋②菅家③山崎④後藤⑤馬場となった。
順位が発表された瞬間、高橋はしかめっ面をした。「まずい、優勝してしまった」と思ったようだ。女子4人は「え~」と不満そうな声を出しながら、高橋を指差した。

△女子4人と高橋アナの体格差は明確

優勝の特典として、高橋に自社番組を宣伝する機会が与えられた。持ち時間は30秒。マイクを握った高橋は「NHKは『まなかあいづToday』、福島テレビは『FTVテレポートプラス』、福島中央テレビは『ゴジてれChu!』、福島放送は『ふくしまスーパーJチャンネル』、そしてテレビユー福島は『Nスタふくしま』です」と言った。自社番組だけでなく、ライバル局の番組まで宣伝したのだ。空気が読めないどころか、実は気配りのできる男だったのだ。唯一の男子なのに全力疾走し、優勝してしまったという負い目もあったかもしれない。

競技終了後、高橋に再び声をかけてみた。
「男は1人だけという状況で優勝しましたね。空気を読みませんでした。でも、最後はライバル局の番組まで宣伝しました。優等生です」
高橋は「いえいえ」と恐縮し、何度も頭を下げた。

△表彰式で顔を並べる二瓶と大橋

今大会に出場したのは県内外の約350人。最年少は2歳、最年長は74歳だった。選手は11部門に分かれてタイムを競ったが、このうち小学5・6年生女子の部は
二瓶希帆と大橋美羽が決勝に進出した。 共に福島大学TCで練習に励んでいる。二瓶は6年生、大橋は5年生だ。
二瓶の母は秀子。旧姓は雉子波。女子100㍍・200㍍の元日本記録保持者だ。福島大学陸上競技部出身で、川本の一番弟子。1995年のふくしま国体では選手宣誓の大役を務めた。現在は福島大学TCヘッドコーチ。父(秀子の夫)も福島大学陸上競技部出身だ。
一方、大橋は2017年の大会(男女共通小学3・4年生の部)で男子に敗れ、2位に終わった。その直後、母の胸に飛び込み、大泣きした(本ブログ2017年11月15 日付「キャスターダッシュNo.1」は今大会も男子が優勝~女子を勝たせるためには1秒のハンディが必要」参照)。5年生になった今回は、小学5・6年生女子の部にエントリー。男子と競走する必要はなくなった。
2人の対決は、二瓶が大橋を僅差で破った。タイムは、二瓶が4秒58、大橋が4秒64。二瓶のタイムは、今大会の女子では最速だった。小学生ながら、中学生や高校生のタイムを上回ったのだ。

△最速王の高橋と最速女王の二瓶

競技終了後の表彰式では、まず各部門の入賞者に記念品が贈られた。小学5・6年生女子の部の表彰式では、二瓶と大橋が顔を並べた。袋に入ったお互いの記念品を確認し合う場面もあった。
各部門の表彰式に続いて、最速タイムを記録した男女2人が表彰台に上がった。最速王は高橋亨弥(東北学院大学)、最速女王は二瓶希帆。高橋にはチャンピオンベルト、二瓶にはティアラが贈られた。提供したのは東邦銀行である。
そのあと、二瓶に話かけてみた。
「二瓶さんのお母さんは秀子先生だよね?」
二瓶は「そうです」と回答。「小学生なのに女子最速って、将来はどうなっちゃうの?」と言うと、二瓶は答えに窮し、苦笑いした。

【文と写真】角田保弘



30㍍の走力を競う「第12回ももりんダッシュNo.1」は11月3日、JR福島駅東口の駅前通りで行われた。実行委員会の主催、福島市商店街連合会、チーム川本、福島駅前通り商店街振興組合の共催。県内外から約350人が出場し、11部門に分かれて競技を実施した。当日は天候に恵まれ、コースの両側には大勢の見物人が詰めかけた。
この大会は2007年11月3日に第1回が行われた。福島大学と東邦銀行の陸上競技部を指導する川本和久監督が発案したもので、県民の走力向上と商店街の活性化を目的にしている。

会場は福島駅前の公道だ。ここを歩行者天国にした上で、陸上競技場のトラックと同じ材質のマットを2つ敷いてコースを設営。正確なタイムを計るため、普段は陸上競技場にある計測器を持ち込んでいる。大会の経費を賄うため、コースの両側にスポンサー企業の広告看板を並べている。

主催者が設定したのは次の11部門。
【男女共通】
△未就学児△小学1・2年生△小学3・4年生
【男子】
△小学5・6年生△中学生△高校生~30歳未満△30歳~40歳未満△40歳以上
【女子】
△小学5・6年生△中学生~30歳未満△30歳以上
このほか、アトラクションとして公務員による「緊急ダッシュNo.1」とアナウンサーによる「キャスターダッシュNo.1」が行われた。

緊急ダッシュに出場したのは福島警察署、福島消防署、陸上自衛隊福島駐屯地の3チーム。3人でチームを編成し、合計タイムで順位を競うという方式だ。
警察署と自衛隊は男子2人、女子1人という編成だった。警察署の女子は、白バイで会場にやってきた。デモンストレーションとして、競技開始前に白バイでコースを試走した。自衛隊の3人のうち、1人はももりん(福島市の観光キャラクター)のコスプレをしていた。消防署の3人はいずれも男子で、一目でそれと分かる格好をしていた。

過去の大会を振り返ると、緊急ダッシュはお笑いの要素が満載だった。わざわざ重い荷物を背負ったり、匍匐(ほふく)前進でゴールするという事例もあった。勝負を度外視して、笑いをとろうとしたのだ。
しかし、今回は例年になく勝負にこだわる姿勢が目立った。消防署の3人は着ているものがゴワゴワして走りづらそうだったが、何も持たずに走った。自衛隊の3人も何も持たずに走った。

その状況で、警察の3人は笑いをとることを忘れなかった。1番手は、盾を持って走った。2番手(白バイ隊員の女子)は、スタートの号砲が鳴った直後、「右よし!左よし!」と指先確認して、見物人を爆笑させた。3番手は「止まれ」と書いてある赤い旗を持ってスタート地点に立った。号砲が鳴ると、ホイッスルを「ピーピー」と吹きながら、犯人を追いかけるように走った。見物人は再び大爆笑。
各チームの合計タイムは、消防署が15秒33、警察署が15秒46、自衛隊が15秒89だった。

キャスターダッシュに出場したのは、後藤万里子(NHK福島放送局)、菅家ひかる(福島テレビ)、馬場佑実子(福島中央テレビ)、山崎聡子(福島放送)、高橋広季(テレビユー福島)の5人。
後藤は福島市出身。2017年4月に入局。「はまなかあいづToday」に出演している。小学生~高校生はバレーボールに打ち込んだ。学生時代も含めて県内にずっと住んでいる生粋の福島人だ。
菅家は喜多方市出身。2017年4月に入社。郡山支社に配属され、「FTVみんなのニュース」内の「こおりやま最新版」を担当した。2018年10月から本社(福島市)勤務。高校時代は放送部に所属していた。
馬場は情報なし。
山崎は東京都出身。2016年4月に入社。学生時代は野球場で売り子のアルバイトをしていた。入社1年目は「ふくしまスーパーJチャンネル」の企画で米づくりにに励んだ。コーナーのタイトルは「田んぼ娘日記」。年末にその総集編が「田んぼ娘年末スペシャル」として放送された。
高橋は東京都出身。2018年4月に入社。「Nスタふくしま」に出演している。

高橋は唯一の男子である。ハンディなしで走ったら、優勝は確実だ。過去の大会を振り返ると、男子はハンディありでも優勝するケースが多い。男子が優勝すると会場が盛り上がらないので、競技開始前に高橋に自重を促すことにした。(つづく)

【文と写真】角田保弘



△福島交通飯坂線の泉駅前にある本社

福島県の地場ゼネコン・佐藤工業が今年12月14日付で準大手ゼネコン・戸田建設の傘下に入ることになった。戸田建設が10月26日に取締役会を開き、佐藤工業の株式取得と子会社化を決めた。佐藤勝也社長(48)は来年3月末に退任。4月以降は佐藤工業の役員と戸田建設から派遣された役員が経営を担う。社名と従業員約120名の雇用はそのまま継続される。
佐藤工業は本社が福島市泉、支店が郡山市大槻町、伊達市梁川町、相馬市中村、仙台市青葉区の4カ所にある。近年の売り上げは、2014年度が約160億円、2015年度が約125億円、2016年度が約136億円、2017年度が約107億円となっている。業績は悪くなく、現時点で準大手ゼネコンの傘下に入らなければならない理由は見当たらない。それでも社長の佐藤が株式の譲渡を決めたのは、将来に対する危機感があったからだ。

福島県内の建設投資額は、1992年の1兆7116億円がピークだった。その後は減少傾向が続き、2010年度は6142億円になった。ピーク時の35.9%という水準だ。しかし、2011年3月に起きた震災・原発事故で状況が一変した。復興事業や除染事業で建設投資額が激増し、「復興バブル」と呼ばれる現象が起きたからだ。
県内の建設投資額は、2011年が7793億円、2012年度が1兆0622億円、2013年度が1兆4977億円、2014年度が1兆6288億円、2015年度が1兆7128億円となった。ピーク時に匹敵または上回る水準になったのだ。これを受けて、青息吐息だった各建設会社は息を吹き返し、わが世の春を謳歌した。
ただ、震災・原発事故から7年が過ぎたことで、除染事業は一段落した。2016年度の建設投資額は1兆6857億円に減少。震災・原発事故前に比べれば依然として高水準だが、先細りは必至だ。

福島県内では「大手」と呼ばれる佐藤工業だが、全国的に見れば中小規模に過ぎない。このまま自力で経営を続ければ、いずれ立ち行かなくなる恐れがある。経営が苦しくなってから動き回っても、相手に足元を見られるだけ。そこで、業績が好調なうちに準大手ゼネコンの傘下に入り、将来の保障を得ようとしたのだ。

一方の戸田建設は学校と病院の建設を得意にしている。堅実経営で知られ、談合事件や汚職事件で名前が出ることは少ない。ただ、鹿島が幅を効かせる東北地方では、目立つ存在ではなかった。知名度はいまひとつで、大きな工事を受注することも少なかった。
この時期に佐藤工業を傘下に収めようとしたのは、復興バブルの余韻が残る福島県(東北地方)に強固な地盤を築きたいという思惑があったからだろう。
大手・準大手ゼネコンは、かつてないほど業績が好調だ。2017年度の決算がそれを示している。鹿島、大成建設、清水建設、大林組、竹中工務店の大手5社はいずれも過去最高益を記録した。準大手では戸田建設、前田建設工業、安藤ハザマ、五洋建設、西松建設の5社が過去最高益となった。大手・準大手ゼネコンは財政に余裕があり、M&Aをやりやすい状況にある。

今が売り時と考えた佐藤工業と今が事業拡大のチャンスと捉えた戸田建設。両者の思惑が一致した結果が、今回の話である。社長の佐藤は「自分の代で世襲経営は終わりにしようと思っていた」と語っており、社長を退任した来年4月以降は佐藤工業の経営に一切タッチしない可能性が高い。
佐藤工業の発行済み株式総数は90万株。ワールドサマールが45万株、ケーエスシーが37万4000株、みやびが7万6000株を所有しており、3社とも佐藤が社長を務めている。佐藤は全ての株式を売却する方針で、すでに各社の取締役会で株式の譲渡を議決している。90万株のうち、佐藤工業が3分の2にあたる60万5362株、戸田建設が3の1にあたる29万4638株を取得する。価格は明らかにされていない。

佐藤工業は1948年、佐藤の祖父・達也が創業した。その会社を三男の勝三が引き継いだ。現社長の佐藤勝也は、勝三の長男である。
達也は旧制福島中学を2年で中退し、家業の農業に従事した。養豚業にも乗り出し、信夫郡養豚組合を設立して組合長に就任。その後、豚肉を加工して販売した方が儲かると考え、伊達郡伏黒村にハム工場をつくった。戦争で召集を受け、白河輸送隊に入隊。戦後は農機具工場や製材業を手掛け、さらに佐藤工業を設立した。
佐藤家は政治家の家系で、父・利助は旧清水村長や県議を務めた。その長男の善一郎は、旧清水村長、県議、衆院議員、知事を務めた。弟の達也は、善一郎の選挙で参謀を務め、黒衣として活躍した。
しかし、1967年の福島市長選に立候補し、自らも政治の表舞台に登場した。このときは現職の佐藤実に敗れたが、4年後の1971年の市長選で初当選した。2期務めて、1979年に退任。その後は北雄会(佐藤工業グループ)会長を対外的な肩書きにした。

達也と妻・はるえの間には三男四女がいる。長男は寿一、二男は禎二、三男は勝三。達也は福島市長選に立候補した1967年、佐藤工業の社長を辞任した。寿一は安積興産(郡山市)、禎二は福浜工業(いわき市)=現・福浜大一建設=を経営していたため、勝三が社長を引き継ぐことになった。
勝三は日本大学理工学部を卒業し、佐藤工業に入社した。28歳の若さで社長に就任。1977年にサウジアラビアに進出し、自ら陣頭指揮をとった。1983年に東北・北海道街と村開発研究所(タード)、1985年にワールドリフォームを設立し、事業規模を拡大した。

社外の役職も増えた。1996年に福島県建設業協同組合理事長、2000年に全国建設業協同組合連合会長、2001年に福島県建設業協会長、2004年に福島商工会議所会頭に就任。社外の活動にウエイトを置くため、この間、勝三は会長になり、加藤眞司を社長に起用した。
しかし、勝三は2006年にあらゆる役職を退いた。福島県発注の下水道工事に絡む談合事件で逮捕されたからだ(裁判で有罪が確定)。佐藤工業は福島県などから指名停止処分を受け、経営が悪化した。

△プロレス大好きの佐藤社長(左端)

勝三と妻・雅代の間には一男二女がいる。長男の佐藤勝也は唯一の息子なので、幼少の頃から「佐藤工業の三代目」と言われながら育った。宇都宮大学農学部を卒業して、ゼネコンに入社。そこで修業し、1997年に佐藤工業に移った。副社長を経て、2013年に社長に就任。43歳の若さで名門企業のトップに立った。
佐藤は、アマチュアのプロレス団体「SED」代表も務めている。「エスサムライ」という名前でリングにも上がっている。毎年春に行われる福島市の街なか広場大会(福島市)については、本ブログが何度も取り上げた。
佐藤は、子どもの頃からプロレスが大好きだった。学生時代はプロレス研究会に所属し、アマチュアのプロレスラーとして活動。卒業後はその趣味を封印していたが、2002年にSEDを設立し、プロレスの練習を再開した。

翌2003年3月にプレ旗揚げ興行をSEDアリーナ(佐藤工業の倉庫)、同年5月に旗揚げ興行を街なか広場で開催し、団体として活動を開始した。プロ規格のリングを所有しており、年4~5回のペースで興行を開催してきた。
今年は団体の活動を開始して15周年にあたる。これを記念して、5月20日に街なか広場で旗揚げ15周年興行を開催した。7月15日に喜多方市、10月14日に伊達市保原でも興行を開催。保原大会は2003年から通算で99回目の興行となった。100回目の興行は、12月16日にSEDアリーナで行う予定。

【文と写真】角田保弘