△「外車」と言えば現在はベンツとBMW

本ブログ(11月11日付)で「1970年代前半のヤクザはアメ車に乗っていた」「大場政夫(ボクシング)と沢村忠(キックボクシング)はアメ車のスポーツカーに乗っていた」という話をした。
では、プロ野球のスター選手はどんなクルマに乗っていたのか。
南海や阪神でプレーした江本孟紀は『週刊ポスト』2015年8月14日号で次のように語っている。
「僕が南海に移籍した時、ノムさん(野村克也)はリンカーンに乗っていたし、阪神時代の田淵(幸一)さんはキャデラック。当時で700万円くらいしたんじゃないですか。僕らはタイヤ1本買えない年俸でしたけどね」
外車を選ぶ理由は「大きくて頑丈だからです。事故から身を守るため頑丈なアメ車に乗れ、と先輩からいわれました」という。
江本が東映から南海に移籍したのは1972年のことである。野村が選手兼任監督を務めていた時期だ。1970年代前半はプロ野球選手もアメ車を好んでいたことになる。アメ車がステイタスシンボルであり、庶民の憧れの対象だったのだ。

日本には古くから「外車を乗り回す」という言葉がある。派手な生活をしている人を揶揄することが目的だが、多少の嫉妬も含まれている。詐欺事件の犯人が逮捕されると、新聞は「○○容疑者は都心の高級住宅街に住み、外車を乗り回していた」などと書き立てることが多い。
この「外車」は、もともとアメ車と同義語だった。1970年代は、日本を走っている外車の大半がアメ車だったからだ。その割りに一般人の間では車名があまり知られていなかったので、「外車」とひとくくりにされた面もある。

アメ車が幅をきかせていた中で、知名度が高い欧州車も存在した。4ドアの高級車はロールスロイス(イギリス)、2ドアのスポーツカーはポルシェ(ドイツ)。この2社は高級車の代名詞だった。
ロールスロイスは王族のクルマというイメージがあった。庶民出身者は芸能やスポーツなどで金持ちになっても、乗ってはいけないような雰囲気があった。アントニオ猪木は1976年、異種格闘技戦のために来日したモハメッド・アリの送迎車として、ロールスロイスを用意した。アリ自身がアメリカでロールスロイスを所有していたからだ。
ポルシェはレースのイメージが強かった。国内メーカーは、ポルシェを手本にして、レーシングカーの開発を進めた。1964年の第2回日本グランプリでスカイラインGTがポルシェ904GTSを抜いてトップに立ったときは、スタンドの観客が総立ちになった。国産車がポルシェの前を走るというのは、あり得ない光景だったからだ。
スカイラインが国産車の中で抜群のブランド力を持つようになったのは、「(1周だけとはいえ)ポルシェの前を走った」という事実が伝説になったからだ。それだけポルシェは特別なクルマと見られていたのだ。

山口組三代目組長の田岡一雄は1981年7月に死去した。後任として四代目組長に選出された竹中正久は1985年1月、大阪・吹田市内のマンションで敵対する一和会の組員にピストルで撃たれた。竹中は、組員が運転するクルマで配下の南組事務所に搬送され、そこから救急車で大阪市の大阪警察病院に移送された。意識が回復しないまま、翌日に死亡。南組事務所に搬送されるときに使ったクルマは、竹中が所有するベンツである。
ここから推測すると、ヤクザがアメ車からベンツに乗り換えたのは、1970年代後半から1980年代前半ということになる。この間、日本で何があったのか。

子どもたちの間では1970年代後半、スーパーカーが大ブームになった。『少年ジャンプ』に連載されていた「サーキットの狼」がきっかけになって、フェラーリやランボルギーニがヒーローのようになった。幹線道路沿いにカメラを持った子どもたちが待機し、スーパーカーが信号待ちで止まると、写真を撮った。全国各地でスーパーカーの展示会が開かれ、子どもたちで賑わった。
この漫画では欧州車が主役、アメ車が引き立て役として扱われた。作者の池沢さとし(現・池沢早人師)自身が欧州車好きで、アメ車に関心がなかったからだ。当時の子どもたち(現在の50歳前後)は、この漫画の影響で「外車に乗るなら欧州車、アメ車は格好が悪い」という考え方を刷り込まれた可能性がある。
大人(現在の70歳以上)はスーパーカーブームの影響を受けたのか。直接的な影響は受けなかったにしても、「外車イコールアメ車」的な考え方を改めたり、欧州車に目を向けさせるきっかけにはなったと思う。

決定的だったのは、1970年代に起きた2度のオイルショックだ。1973年に第一次、1979年に第二次ショックが起こり、石油価格が高騰。大排気量のエンジンを搭載しているアメ車は燃費が悪いと嫌われ、GM、フォード、クライスラーの米3大メーカーは経営が悪化した。
このままでは倒産しかねないので、各メーカーは利益を確保するため、製造コストの削減を図った。これに伴い、アメ車は品質が急激に低下し、ブランドイメージも悪化した。その結果、日本の外車ユーザーの間でアメ車離れが起き、欧州車にシフトする動きが生まれた。

タイミングが良かったのは、その頃、ベンツの外観が変化していたことだ。1960年代まではヘッドライトが縦長で、どことなく昆虫のようだった。周りを威圧するような外観ではなかったので、ヤクザの愛車としては不向きだった。しかし、1970年代になるとヘッドライトが横長になり、縦長時代に比べると迫力が出てきた。
アメ車離れしていたヤクザは、必然的にベンツに飛びついた。ヤクザ受けを狙ったわけでもないだろうが、ベンツはモデルチェンジのたびに外観の迫力を増した。ベンツはヤクザを吸い寄せ、ヤクザはベンツに吸い寄せられた。気づいたときは「ヤクザの愛車=ベンツ」という構図ができていたのだ。

ただ、最近はヤクザの間でベンツ離れが進んでいる。①暴力団対策法が強化され、ヤクザの収入が減った②「いかにもヤクザ」というクルマに乗っていると、警察に「職務質問」などで止められる③セダンよりミニバンという考え方がヤクザの世界にも広まった-の3点が大きい。
セダンよりミニバンという考え方は、政治家の間でも広まっている。車内が広いし、有権者に「偉そうなクルマに乗っている」と思われることもない。最近はミニバンも威圧感のある外観になっているが、ベンツに比べればその度合いは低い。

ヤクザや政治家に人気のあるミニバンは、トヨタのアルファードとヴェルファイアだ。共にトヨタの高級ミニバンで、基本的には同じクルマである。外観が少し違うだけ。いわば兄弟車だ。
国内で高級ミニバンというジャンルを確立したのは日産である。1997年にエルグランドを発売して、人気になった。それに刺激されたトヨタが2002年にアルファードを発売。2008年にヴェルファイアを追加し、商品ラインナップを充実させた。

後発のアルファード・ヴェルファイアは徐々に人気を獲得し、現在はエルグランドを完全に圧倒している。他社が確立したジャンルにトヨタが遅れて参入し、市場を席巻するというのは、自動車の世界ではよくある現象だ。
ストリームとウィッシュの関係もほぼ同じ。2000年に発売されたホンダのストリームが人気になると、トヨタは2003年にウィッシュを発売した。すると、トヨタに対して「そこまでやるか?」と批判が相次いだ。ウィッシュがストリームに瓜二つだったからだ。

とはいえ、エルグランドも日産のオリジナルとは言いがたい。エルグランドが発売されたとき、「シボレー・アストロにそっくり」という声が続出した。「パクリ」という見方もあった。それほど似ていたのだ。
エルグランドに刺激されて世に出たのが、前述したようにアルファード・ヴェルファイアだ。その意味で、現在の高級ミニバンブームはアストロがつくったとも言える。国産メーカーは、依然としてアメ車の影響を受けていることになる。

【文と写真】角田保弘












△かつては憧れの的だったアメ車

クルマ関連の動画をあれこれと見ていたら、「何だ、これは?」と思うものが出てきた。10月27日の夜、ハロウィンで賑わう東京・渋谷で撮影された動画だ。
シボレー・インパラ(アメ車)のボンネットの上で仮装した女が寝そべり、その姿を友人が写真撮影。運転席にいた男はそれがウザいと思ったようで、クルマをホッピングさせた。しかし、女は気にせず、靴を履いたままボンネットに立ち上がった。その直後、インパラの後方にいた別の男が走ってきて、女の両足を腕で払いのけた。女はボンネットの上から転げ落ち、背中から地面に叩きつけられた。頭は打たなかったようで、女はすぐに起き上がった。近くにいた外国人2人は、その男に「何やってんだよ!」と詰め寄った。動画はそこで終了となった。

別の動画を見ると、男たちは3台のクルマ(いずれもアメ車)に分乗して、渋谷にやって来たことが分かる。前述したトラブルで居づらくなったようで、すぐにクルマを動かし、その場を立ち去った。そのとき、周りにいた外国人の1人がクルマに向かって缶を投げつけた。それでも男たちがクルマを止めなかったのは、外国人が大勢いたからだろう。人数と体格から見て、ケンカになれば、男たちに勝ち目はない。
それにしても、ハロウィン開催中の渋谷は日本とは思えない光景だ。まるで無法地帯だ。人混みにアメ車で乗り付け、周りに見せびらかす男たち。他人のクルマのボンネットに無断で上がり、ポーズをとる女。その姿に激怒し、死角から足払いする男。幸い大した怪我はなかったが、女が頭を打っていたら、傷害事件になっていた。

インパラのうち、1960年代に生産されたモデルはローライダー(クルマの車高を低くしたり、派手な外観に改造する人々)に人気がある。この動画に登場するインパラも1960年代のものだ。空色のコンバーチブル(オープンカー)。古きよき時代のアメ車らしく、ボディが無駄に大きい。実物を見たら、ドライバーに「(燃費は)リッター何キロ?」と聞きたくなる。半世紀前のクルマなので、維持費もかかりそうだ。
日本で「外車」と言えば、1970年代半ばまでは主にアメ車のことだった。ハリウッド映画に登場する高級車のキャデラックやリンカーンは憧れの的だった。力道山(プロレス)や田岡一雄(山口組三代目)もキャデラックを愛用していた。ジャイアント馬場(プロレス)は、親友のブルーノ・サンマルチノ(同)にプレゼントされたキャデラックに乗っていた。

森永製菓は1968年にエールチョコレートのコマーシャルを制作し、テレビで放送した。作曲家の山本直純が「大きいことはいいことだ 森永エールチョコレート♪」と歌うという内容。作曲したのは、山本自身である。
当時の日本は高度経済成長の真っ只中だった。そのカンフル剤として、1964年に東京オリンピック、1970年に大阪万博が開催された。1968年に国民総生産(GNP)が西ドイツ(当時)を抜き、世界第2位の経済大国となった。国全体がイケイケドンドンの昇り調子にあり、長大重厚産業がその牽引役になった。フルサイズのアメ車がステイタスシンボルになったのも、「大きいことはいいことだ」という空気が社会に蔓延していたからだ。

1973年1月に大場政夫(ボクシングWBA世界フライ級チャンピオン)が交通事故で亡くなった。愛車のシボレー・コルベットを運転し、首都高速5号線を走行。スピードの出し過ぎでカーブを曲がり切れず、中央分離帯を突破して反対側の車線に飛び出した。コルベットは正面から来たトラックと衝突。ロングノーズショートデッキのクルマだったが、運転席まで大破した。大場はほぼ即死だった。
同じ時期に沢村忠(キックボクシング)もコルベットに乗っていた。しかし、大場の事故死にショックを受けて、すぐに手離したという。

ここで重要なのは、大場、沢村のスター選手2人が欧州車ではなく、コルベットに乗っていたことだ。フェラーリやランボルギーニではなく、アメ車のスポーツカーに乗っていたのだ。当時はそれだけアメ車のステイタスが高かったことになる。
1977年に公開された映画『幸福の黄色いハンカチ』にこんなシーンがある。帯広市に着いた武田鉄矢は、通行の妨げになる場所に止めてあったクルマを無人だと思い、「ひどい止め方をするな」とつぶやきながら、車体を蹴り上げる。すると、車内からたこ八郎が出てきて、「あれ、傷がついた。どうすんだ、オメー」と因縁をつける。武田が謝罪しても許してもらえないので、高倉健が加勢に入る。高倉は「兄さん、クルマを傷つけられて、そんなに悔しいか」と言いながら、たこ八郎の頭をクルマのボンネットに何度も叩きつける。このときのクルマは、リンカーン・コンチネンタルだった。

当時、ヤクザが乗り回すのはアメ車というイメージがあった。映画の中のたこ八郎がリンカーンに乗っていたのも、それが原因だ。ヤクザ社会の頂点に立つ田岡は前述したようにキャデラックに乗っていた。ベンツはお呼びではなかったのだ。(つづく)

【文と写真】角田保弘




△おなはま海遊祭に展示されたGT-R

東大阪市の自動車専用道をクルマで走り、時速280㌔を出したとして、大阪府警城東署などは11月5日、道交法違反(速度超過)容疑で大阪市城東区の無職、川西智弘(35)を書類送検した。川西は「クルマの性能を試すためにやった。みんなに(動画を)見てほしかった」と容疑を認めているという。

川西は今年1月12日午前4時10分ごろ、第二阪奈道路のトンネル内でクルマのナンバープレートを隠し、時速280㌔で走行した。制限速度は時速60㌔の道路なので、220㌔上回ったことになる。川西は運転席から撮影した動画をYouTubeで公開していた。
動画は約1分20秒。最初にトンネル内に止めたクルマが登場する。映っているのはリア部分。丸目4灯なので、車種は日産の「GT-R」と特定できる。国産車最速で、リミッターを外せば時速280㌔は確実に出る。ナンバープレートは折り曲げられて、数字が見えないようにしてある。
続いて、スピードメーターとタコメーターがアップになる。クルマは猛スピードで走り出し、両メーターの針が勢いよく跳ね上がる。トンネル内なので、エンジン音が壁に反響し、エコーがかかっているように聴こえる。
クルマはなおも加速し、スピードメーターの針は時速300㌔を指す。片側2車線の道路で、乗用車やトラックを次々と追い抜いていく。スピードが上がるにつれて、トンネルの壁が車体に迫ってくるような錯覚に陥る。クルマが前方にある空気の壁を押しながら前進しているという感じが伝わってくる。

大阪府警が動画の存在を知ったのは、今年5月のことである。「YouTubeに危険運転の動画が投稿されている」という情報提供があったのだ。城東署などが動画を解析し、時速が約280㌔であることを裏付けた。動画のIPアドレスや過去の暴走行為などから川西の犯行と認定。8月に車検切れのクルマを運転していたため、道路運送車両法違反容疑で逮捕した。翌日に釈放し、それ以降は任意で取り調べを続けていた。
こうした動画がYouTubeで公開されると、警察は必ずと言っていいほど容疑者を割り出す。ケンカを売られたような気分になるからだ。放置しておくと、「なぜ捜査しないのか」などと苦情が寄せられるからというのもある。「こういうことをやれば、必ず捕まるよ」という警告の意味もある。

1990年に『320㎞激走!フェラーリF40』(笠倉出版社)というビデオが発売された。この中にフェラーリの「F40」が時速300㌔以上で走行するシーンが盛り込まれた。場所は常磐自動車道。運転していたのは、土浦市の自動車販売店「レーシングサービス・ディノ」社長であり、フェラーリ・クラブ・ジャパン会長も務める切替徹だ。
茨城県警はこのビデオを目にして、捜査を始めた。映像の中でA地点からB地点まで何分かかっているかを測定し、そこから時速を割り出した。さらに、F40に追い抜かれたクルマのナンバーを次々と書き出した。そのクルマの持ち主に「猛スピードのフェラーリに追い越された記憶はあるか。それはいつ、どこで起きたことか」といったことを聞き出し、証拠を固めた。その上で、切替と出版社関係者を道交法違反容疑で逮捕した。

今年は時速200㌔を超えるスピード違反の摘発が相次いだ。
警視庁交通執行課は3月1日、東京都世田谷区の会社員、白井良宗(41)を道路交通法違反(速度超過)容疑で逮捕した。白井は2016年1月29日午前4時15分ごろ、東京都国立市の中央自動車道上り線をクルマで走り、時速235㌔を出したとされる。そのシーンをオービス(自動速度違反取締装置)が捉えた。乗っていたのは、米クライスラーの「ダッジ・チャレンジャー」。フロントのナンバープレートは取り外され、白井はオービスに向かって中指を突き立てていた。挑発された警視庁は捜査を開始し、逮捕という形でリベンジを果たした。

GT-Rで暴走した川西と同じように、YouTubeの動画が摘発のきっかけになった事件もあった。
千葉県警は3月23日、柏市の会社員の男(33)を道交法違反(速度超過)容疑で書類送検した。男は2017年5月24日午前3時50分ごろ、木更津市の東京湾アクアライン上り線をバイクで走行し、時速239㌔を出したされる。バイクは英トライアンフの「デイトナ675」。男は走行中のスピードメーターを撮影し、その動画をYouTubeで公開していた。動画では、スピードメーターが最高で時速279㌔を表示していた。
動画を公開すると警察は執念深く捜査して、容疑者を割り出す。時間と費用に糸目はつけない。川西らと同じことをやろうとしている人は、摘発されることを覚悟した方がよい。

フェラーリF40の切替は青空の下で時速300㌔を出したが、他の3人はいずれも午前4時ごろにクルマ(バイク)を走らせ、時速200~300㌔を出した。この時間帯を選んだのは、1日のうちで最も交通量が少ないからだろう。ただ、交通量は0ではない。
例えば、片側2車線の道路をクルマで走っているとする。車線変更をするときは、バックミラーで隣の車線に後続車がいないかどうかを確認するのが基本だ。バックミラーに写った後続車が小さかったら、車間距離があると判断し、車線変更する。

ところが、後続車が時速280㌔で走っていたら、2~3秒で車間距離が一気に縮まってしまう。日本の高速道路はドイツのアウトバーンとは違う。ドライバーは時速280㌔で走るクルマが存在することを想定していない。
バックミラーに写った後続車がスーパーカーなら、とっさに「やばい」と判断し、車線変更をやめるドライバーもいるだろう。一方で、そういうことに鈍感なドライバーもいる。運転免許証を持っているからといって、誰もがクルマについて詳しいわけではない。公道をサーキット代わりにしているドライバーは、そうしたことを頭に入れておいた方がよい。

川西の暴走について、「遠藤」と名乗る若者がYouTubeの動画で自らの見解を語っている。
「このGT-Rの運転手は特に悪くないです。周りにクルマがいないんですよ。1台も。誰にも迷惑をかけていないんですよ。だから、悪くないです。いちおうスピード違反は法律的にはダメなんですが、そもそも法律ができるのは誰かに迷惑がかかってしまうからです。そういう意味でこの人は誰にも迷惑をかけていないので、悪くないと言えば悪くないです(以下省略)」
「周りにクルマがいない」というが、動画ではGT-Rが乗用車とトラックを追い抜くシーンが映っている。周りにクルマがいないように見えるのは、一瞬で抜き去ったからだ。
サーキットを時速280㌔前後で走るレーシングカーを近くで見たことがある。「ビュン」という感じで目の前を通りすぎた。サーキットでさえ、こうなのだ。GT-Rに追い抜かれたクルマのドライバーは、隣の車線を鉄の塊が通り過ぎたように感じたはずだ。驚き、恐怖心を抱いたことは容易に想像できる。「誰にも迷惑をかけていない」というのは、言い過ぎである。

【文と写真】角田保弘