【「笑う知事」阪神淡路大震災追悼式典】抗議者の訴えに笑う斎藤元彦「心のないブリキの木こり」 | ☆Dancing the Dream ☆

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  「オズの魔法使い」心のないブリキの木こり

 

 

公通報者保護法違反の斎藤元彦さん!

あなたがここにいるだけで追悼の場が汚れます。

今すぐ出ていってください。 

斎藤元彦さんが知事であったがために失われた命があります。
その命に対して謝罪も反省もできないような人間が、阪神大震災の犠牲者に対して追悼する?

何様のつもりでしょうか?
斎藤元彦、人間を馬鹿にするな! 人間の命を愚弄するな!

 

 

 

阪神淡路大震災30年追悼式典 県民の怒りの抗議

命を軽視してきた斎藤元彦知事、阪神淡路大震災追悼式で県民の怒りの抗議が響いた

2025年1月17日、兵庫県の斎藤元彦知事(47)は、1995年の阪神大震災の発生から30年となったこの日、神戸市で行われた県などの主催による追悼式典に出席し、式辞を述べた。

https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202501170000323.html

 

 

27年から室内で開催する阪神淡路大震災追悼行事

阪神・淡路大震災の1月17日に行われる追悼行事「ひょうご安全の日のつどい」は、震災から32年を迎える2027年1月から、(建前としては、)”高齢化が進む参列者の体調に配慮して”屋内開催とする方針となったようです。

  • 追悼式典の会場: 人と防災未来センター の「西館」屋内 で執り行われる。
  • 一般向け献花台: 参列しやすいよう、献花台のみ従来通り屋外に設置される方針。 

これまでは同センターの屋外(なぎさ公園周辺など)に特設ステージや参列席を設けていましたが、式典そのものを西館の屋内に移すことで、冬の厳しい寒さから参列者を守る配置とするというのが建前ですが、斎藤元彦への抗議活動が予想されるため、それを避けたというのが、実際のところでしょう。

https://www.kobe-np.co.jp/news/society/202611/0020994791.shtml

 

 

 

 

身を切る知事はじめ県職員たち…減給20年超

阪神・淡路大震災(1995年)の発災当時、国全体で被災自治体を直接救済するような十分な法制度がなく、兵庫県は甚大な被害インフラの復興費用の多くを「県債(借金)」で賄うことを余儀なくされました。 [1]

これに伴う財政難を乗り切るため、兵庫県は徹底した歳出削減を行い、知事を含む特別職、管理職、そして一般職に至る全職員の給与一斉カット(独自の減額措置)を長年にわたり実施しました。 [1, 2]


兵庫県職員の給与削減は、震災直後の緊急措置から始まり、その後も震災復興債の返済負担(ピーク時の公債費圧迫)や財政健全化の波に合わせて、断続的かつ多段階にわたって約20年以上に及び実施されました。 [1, 2]

1. 震災直後〜復興期(1990年代後半〜2000年代前半)

  • 特別職(知事・副知事など): 最も重い責任として15%〜30%を超える大幅な給与カットが行われました。
  • 管理職: 職責に応じて5%〜10%程度の給料月額・各種手当(管理職手当など)の削減が行われました。
  • 一般職: 期末手当・勤勉手当(ボーナス)の独自削減や、定期昇給の延伸・抑制、昇給停止年齢の引き下げなどが導入されました。
  • 人員削減: 給与だけでなく「職員数そのものを10年間で3割削減する」という極めて厳しい総人件費抑制も同時に断行されました。 [1, 2, 3]

2. 財政危機に伴う一斉カットの強化(2008年度〜)

震災から13年が経過した2008年(平成20年)当時も復興債の返済がピークを迎え、実質公債費比率が全国ワースト2位に転落したため、さらに踏み込んだ削減策が発表されました。 [1]

  • 知事(当時:井戸敏三氏): 給与の大幅カットをさらに拡大し、年収ベースで約600万円(削減率にして都道府県トップクラス)の減額となりました。
  • 管理職: 給料月額の6%〜7%を削減。
  • 一般職職員: それまで手当中心だった抑制から一歩進み、一般職も含めた全職員の月額給与を2.5%〜3%一律カットする措置がとられました。 [1]

 

 職員が置かれていた過酷な環境

当時、兵庫県庁や被災自治体の職員自身も家を失ったり、家族を亡くしたりした「被災者」でした。
その中で、国からの直接的な潤沢な交付金が出ないまま、自分たちの給与・手当を削り(身を削る改革)、不眠不休で街の「創造的復興」のために一丸となって働いたという歴史があります。 [1, 2, 3]

この時に発行された多額の県債(震災関連県債 約1兆3,000億円)の返済負担は非常に息が長く、30年以上が経過した2026年現在でもなお、兵庫県の財政に大きな影響を与え続けています。 [1, 2]

 

 

震災当時、新卒22歳で入庁して不眠不休の復興対応や身を削る減給を経験した職員は、現在53〜54歳を迎えており、兵庫県庁の組織を支える中心層(課長職や幹部・ベテラン層)として今も在籍しています。当時30代だった中堅職員はすでに多くが定年退職を迎えており、現役で残っている震災経験職員のほとんどがこの「当時20代だった50代の職員」です。 [1, 2]

ただし、時の経過とともに県庁内の状況は大きく変化しています。

📉 震災を知る現役職員は「3割未満」へ

震災から30年以上が経過した現在、県庁や神戸市などの被災自治体では、全職員の7割以上が「震災後に採用された未経験の世代」となっています。 [1, 2]

 

 

🤝 50代ベテラン職員の「最後の闘い」と教訓の継承

今、県庁内に残る50代の震災経験職員は、自身が退職を迎えるまでの数年間に「あの時の教訓と、危機を乗り越えたマインドをいかに若い世代に引き継ぐか」という重要な局面に立たされています。

  1. 実体験のデジタルアーカイブ化と研修
    近年、兵庫県では当時下水道や土木復旧などに携わったOBやベテラン職員の証言を集め、若手職員へ災害対応のノウハウを伝える研修を強化しています。 [1, 2]
  2. 全国の被災地への恩返しと派遣
    東日本大震災や能登半島地震の際、兵庫県や神戸市は多くの職員を現地に派遣しました。この時、50代のベテラン職員がリーダーとして現地に赴くだけでなく、震災を知らない20代・30代の若手職員を同行させることで、「被災地支援を通じて災害復興の現場を体験させる(キャリアアップと教訓の継承)」という取り組みも行われています。 [1, 2, 3]

当時の職員たちが必死の思いで繋いだ兵庫県の行政と防災の知恵は、今まさに現役の50代職員の手によって、次世代の「震災を知らない職員たち」へとバトンタッチされています。 [1, 2]

 

 

県が訴えた「復興特別措置法」に国が強い反発

神戸新聞の記事が伝える通り、自らも被災者である当時の県職員は身を粉にして県民のために、震災直後に兵庫県が独自に「復興特別措置法」の要綱をまとめ、非公式に提示していました。このことは当時の国(各省庁)の強い反発を招いたと云います。

 

この国の兵庫県に対する対応は正しかったのでしょうか?

 

憲法25条の精神への違背: 突発的な巨大災害によって数万人もの人々が住まいと仕事を失い、健康で文化的な最低限度の生活を脅かされている状況において、国は社会保障や公衆衛生の向上のためにあらゆる特段の財政措置を講じるべきではなかったか。

 

地方自治への不理解: 自治体職員が現場の悲惨な状況を踏まえて必死に作成した法案に対し、「形式やプライド」を優先して反発した姿勢は、被災者に寄り添う政府のあり方として問題ではなかったか。

 

新たな先例の必要性: 「これまでに前例がない」「個人補償はできない」という硬直した法解釈に縛られ、目の前の国民を救うための柔軟性を欠いていたのではないか。

 

結果として、兵庫県が目指した形での「震災復興特別措置法」は日の目を見ませんでしたが、この時の激しい対立と反省は、日本の災害対策の歴史を大きく変える契機となりました。

 

「被災者生活再建支援法」の誕生へ: 阪神・淡路大震災での「国は個人の財産を補償しない」という壁に対し、被災者や自治体、世論からの強い突き上げが原動力となり、1998年に被災者生活再建支援法が成立しました。これにより、限定的ではあるものの、国が被災者の生活再建(住宅の再建など)に公金を支給する仕組みが史上初めて法制化されました。

 

当時の国が示した姿勢は、財政規律や公平性を守るための「官僚機構のプライドと論理」であったと言えますが、それが被災現場の過酷な現実と衝突したことで、結果としてその後の日本の災害法制がより人道的な方向へとアップデートされる教訓を生み出すことになりました。

 

 

貝原知事・井戸知事と県職員たちの奮闘

当時の兵庫県知事・貝原俊民氏は、大震災が発生した1995年1月17日の当日からちょうど100日間、県庁に泊まり込みました。 [1]

震災当時、通信の遮断や情報不足などから自衛隊への派遣要請が遅れるなど、初期対応への批判が知事に集中しました。貝原知事はその批判を正面から受け止め、「知事の責任は県民の命に対してはもちろん、県土の一木一草にまで及んでいる」 という強い覚悟(太平洋戦争時の沖縄県知事・島田叡氏の姿勢を模範としたもの)を抱き、青い防災服姿のまま3カ月以上にわたって県庁の災害対策本部に籠もり、陣頭指揮を執り続けました。。 [1, 2, 3, 4]

 

地震直後の午前8時20分に開かれた第1回災害対策本部会議には、交通網の寸断により、21人いた本部員(幹部たち)のうちたった5人しか参集できませんでした。しかし、その後、徒歩や自転車などで這うようにして登庁した幹部や職員たちは、そのまま庁内の床や椅子、臨時の段ボールベッドで仮眠をとるだけの生活に突入しました。 [1]

 

幹部たち自身もまた、神戸や阪神間に自宅があり、家が倒壊したり家族の安否が分からない状況にある「被災者」でした。その私生活をすべて横に置き、知事と共に100日以上にわたって寝食を忘れて復興の土台を作ったのが、当時のベテラン行政官たちです。

現在県庁にいる50代の職員たちは、こうした「100日間泊まり込んで文字通り命を削って働いていた知事や幹部たちの背中」を、20代の若手として間近で見ながら育った世代です。

 

 

渡瀬康英氏、竹内英明氏と震災

兵庫県の文書問題で亡くなられた元西播磨県民局長の渡瀬康英(わたせ・やすひで)氏(享年60)は、まさにその「過酷な震災復旧を20代で経験した世代」の一人でした。 [1, 2]

 

また、24年の兵庫県知事選挙に絡むSNS上の誹謗中傷やデマの渦中で亡くなられた元県議の竹内英明氏 と、同知事選に立候補した元尼崎市長の稲村和美氏 は、ともに1995年の阪神・淡路大震災の際に過酷な被災地活動に身を投じた学生ボランティアでした。

 

渡瀬局長の最後のコラム

iwaoさまのアメブロより 2024-09-05

 

兵庫県に情報公開請求した文書が公開されましたのでブログに公開させていただきます。

 

特に印象的な箇所を文字起こしさせていただきました。(公開はPDFでしたので)

 

〇記憶に残る1日

県庁生活で一番心に残っている1日と言えば、平成7年1月18日です。入庁8年目、地方課(今の市町振興課)勤務でした。阪神淡路大震災が起きた当日はあらゆる交通機関が止まり、自宅から近い姫路総合庁舎にとりあえず駆けつけたものの、テレビの前で固唾を飲んで被災状況を見つめていただけでした。

 

出勤しても、下っ端の自分に出来ることはほとんどないと分かっていても、それでもなんとかして職場に行かなきゃと、翌日、どっさり食料品を買い込んで、近所の3人で乗り合わせて本庁を目指しました。道路事情もめちゃくちゃで加古川から三木を通って、最後は鵯台のあたりから本庁舎に辿り着いたと思います。

 

テレビの画面では確認していましたが、実際に本庁舎がちゃんとそこにあって、ホッとしたのを覚えています。そして、ひとり又ひとりと登庁してきては、「おー、無事やったか」とそのたびに握手なんかして、肩を叩き合って再会を喜びあいました。電気も水道もガスも止まり、部屋の中は椅子、ロッカーがぶっ飛んで足の踏み場もないほどぐじゃぐじゃになった建物なのに、そこが自分の行くべき場所で、いるべき場所で、行けばみんながいて、一緒に頑張らなきゃと、なんの迷いもなく思えた自分の居場所です。そして、「さぁて、とりあえずみんなで部屋を片付けよかぁ~」という掛け声のもと、まるで何かの罰ゲームをやらされているかのように、「なんやこれ~、勘弁して欲しいわ~!」とヤケクソになりながらもみんな必死で片付け作業をしたのを覚えています。自分の県庁人生はそこから、その場所から本当の意味でスタートしたんだと思います。下っ端だった自分にとって、兵庫県という組織を身近に感じた瞬間でした。

 

その日から29年、ほんとに色んなことがありました。でも、いい思い出がたくさん。兵庫県で仕事が出来てよかったです。お世話になった方々に感謝感謝です。

 

 

〇おわりに

このメッセージ欄は一般県民の皆さんの読者もいらっしゃるようですが、一方で、県職員の中にも何人かの愛読者がいるようです。自分は間もなく、県を退職します(予定)が、これから県を支えていく後輩の皆さんに最後に伝えておきたいことを書いておきます。

 

我々は公務員です。仕事は県民の皆さんのためにするものです。自分のために、自分の栄達のために、仕事をしてはいけない、仕事を利用してはいけない、県民を利用してはいけない。そして、自分の損得勘定で行動してはいけない、人を選別してはいけない。昇任、出世は結果であって、それを目的にしてはいけない。

 

仕事は楽しく。そのためには一生懸命、しんどいことも沢山あります。楽しい=楽(らく)では決してないです。でも、乗り越えた先にはきっと何かが待っているはず。

 

これからいろいろな人生経験をすると思います。病気などで働きたくても働けないという経験もするかも知れません。でも「公務員として働きたい」という気持ちは持ち続けてほしい。初心を忘れないで欲しいです。「働きたい」ということと「お金がほしい」ということは同じようで違います。生業としての公務員の側面を否定はしませんが、「給料が貰えるなら、仕事は二の次、三の次」という気持ちにすり替っては自分自身も周りの人達も悲しすぎます。

 

同僚や上司、部下はもちろん、関りを持った人達から「あなたと一緒に仕事が出来てよかった」、「また一緒に仕事をしましょう」と言ってもらえる職員であって欲しいです。自分自身の県庁人生は胸を張って威張れるものでは全然無くって、逆に思い返せば情けない恥ずかしいことの連続だったですが、後輩の皆さんには是非兵庫県を支えていって欲しい、そうお願いします。

 

最後に、人を大切にすること、義を通すこと、誠実であることを、ひとりの人間としてずっと心に持ち続けて欲しいです。そして、筋を通そうとして挫けることがあっても、理不尽な現実の壁に跳ね返されても、諦めないで下さいね。「いつかきっと」と心に念じながら。

 

素晴らしい人にたくさん出会えますように。県民の皆さんの心に残る仕事に出会えますように。

 

長らくのご愛読ありがとうございました。お世話になりました。おわり。

 

 

最後のコラム 〜FULL Ver.

 

 

 

鶏頭狗肉...内閣府『防災白書』(平成17年版)2005

 

 

(9)被災地方公共団体への財政的支援 
a 国庫補助の引き上げや地方財政措置 
    政府においては,阪神・淡路大震災の被害の甚大性等に鑑み,阪神・淡路大震災を激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律に基づく激甚災害に指定した。これに加え特別の措置として「阪神・淡路大震災に対処するための特別の財政援助及び助成に関する法律」が平成7年3月に制定され,被災地域の早期復興と住民生活の早期安定・再建を図るとともに,地方公共団体,公的機関等の財政負担を軽減した。 
具体的には,公共土木施設,学校,社会福祉施設,農地,農業用施設,農林水産業共同利用施設,社会教育施設,水道,廃棄物処理施設,火葬場,と畜場,公園,事業協同組合・商店街振興組合等の共同施設,卸売市場,鉄道,病院等の災害復旧事業等に対する補助率の嵩上げなど,特例措置を講じた。 
    さらに激甚災害法及び特別財政援助法の適用対象となった公共土木施設等にかかる事業について,補助災害復旧事業債の対象とした。また,災害救助費の国庫負担金を除いた地方負担分の全額について災害対策債の発行を許可することとし,その元利償還金について95%を特別交付税により措置したほか,阪神・淡路大震災に対処するための特別の財政援助及び助成に関する法律により特別措置を講じた上で,地方の歳入欠かん債の発行やその元利償還金について特別交付税措置をするなどの地方税の減収補てん対策を講じるなど,中央政府として幅広く被災地方公共団体の莫大な財政需要を支え,財政調整機能を発揮した。 
b 阪神・淡路大震災復興基金の設立 
    平成7年度から10年間,復旧・復興への各般の行政施策を補完し,被災者の救済及び自立支援並びに総合的な復旧・復興対策を機動的・弾力的に進めることを目的として,平成7年4月1日兵庫県・神戸市により財団法人阪神・淡路大震災復興基金が設立された。設立当初の基金規模は6,000億円(兵庫県・神戸市からの出資金200億円・長期借入金5,800億円)であったが,平成8年度に増額され,現在9,000億円となっている。 
    長期貸付金に係る地方債のうち,平成8年〜17年度にかけて,一部の利子の95%について普通交付税により措置されている。 
    これにより,応急仮設住宅における心身のケアやふれあい交流の場の創設,ダブルローン対策としての助成など,被災者のニーズにマッチした柔軟な対応を可能にした。

 

・どこまでも「債(借金)」である。「自分で借金しろ」というスタイル。

・「95%を国が特別交付税で面倒を見る」という嘘

・2005年小泉政権が「三位一体の改革」で地方交付税を一気に約5.1兆円も削減し

 

被災地に負わされた重すぎる重荷

2005年(H17年)小泉政権の「三位一体の改革」の一環として、「地方財政法」が改正された。

 

2005年、地方債の発行は、国との「許可制(原則禁止)」から「協議制」に変わった。

実質公債費比率・公債費負担適正化計画https://www.soumu.go.jp/main_content/001081749.pdf

 

簡略化すると、

 

 

実質公債費比率 =
(借金返済額 - 県債管理基金 + 基金の不足分) ÷ 収入 × 100

 

基金の不足分を足すところが、実質高裁比率のペナルテティーになっている。

 

 

さらに、2007年(H19年)安倍政権で、夕張市の財政破綻をきっかけに、「財政健全化法」で、実質公債費比率をそのまま流用しつつ、さらに厳しいイエローカードとレッドカードの基準が追加した。

 

 

実質公債費比率が18%以上

▶︎起債許可団体に指定されて、地方債の起債に当たり総務大臣の許可が必要となる。

 

実質公債費比率が25%以上(イエローカード)

▶︎早期健全化団体に指定をされて、一定の地方債の起債が制限される。

 

実質公債費比率が35%以上(レッドカード)

▶︎財政再建団体に指定されて、国の管理下で財政再建を行う。