これはクーデターか。
この法案が通れば、直系の皇室は途絶える。
「静謐」という言葉が最も似合わない麻生太郎が主導する「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」は「静謐な環境の下での議論」を名目に、名簿も議事録も残していない。
高市政権は立法府の相違を踏まえ、皇室典範改正案を閣議決定したものの、
森衆院議長が「旧皇族の養子の男系男子が皇位継承権をもつ」と発言してしまった。
このような議会の各党協議では議論されていない内容が法案に盛り込まれていたのである。
600年も前の天皇の男系の血筋という遺伝学的にも絵空事の物語を法案に盛り込むのか!
これは護憲天皇を怖れるものによる乗っ取りではないだろうか。
国民の幸福を常に願い、国民と苦楽を共にするという仁徳の天皇道を幼少から身につけた方は、
愛子さま以外にないと思う。
愛子内親王 20歳の成年会見 12月1日
皇室の一員としてのあり方をどのように学んでいるかということでございますけれども、
私は幼い頃から天皇皇后両陛下や、上皇上皇后両陛下をはじめ、皇室の皆様が国民に寄り添われる姿や
真摯にご公務に取り組まれるお姿を拝見しながら育ちました。
そのような中で、上皇陛下が折に触れて仰っていて、天皇陛下にも受け継がれている
「皇室は国民の幸福を常に願い、国民と苦楽を共にしながら勤めを果たすということが、基本であり、最も大切にすべき精神であると私は認識しております。
国民と苦楽を共にするということの一つには、皇室の皆様のご活動を拝見しておりますと、被災地に心を寄せ続けるということであるように思われます。
先週で東日本大震災から十一年の時が経過 いたしました。
町には徐々に活気が戻ってきているようにも伺われますけれども、未だに2500人以上もの方の行方が分かっておらず、また4万人近い方が今もなお避難生活を続けていらっしゃいます。
被災された方々の心の傷が癒えるのは容易なことではないと思いますし、また時間を要するものであると想像されます。
そういった苦難の道を歩まれている方々に、思いをせ続けるということも 大切にしていくことができればと思っております。
また皇室の皆様は、歴史であったり、生物であったり、児童文学であったり、様々な福祉活動に携わっていらっしゃっ たりと、ご自身の関心のある分野を深めていらっしゃいます。
お一方お一方がそれぞれに専門とされるような分野を持ちでいらっしゃって、その深い知識を公的なお仕事にも役立てられているご様子を拝見いたしますと、このような立場にこのような立場で研鑽を積むということの意義をを示しくださっているように思います。
その他にも 行事の際など皇室のみなさまにお目にかかった折には 皆様のご所作や立ち居振る舞いをお側で拝見し、そのなさりようをお手本とさせていただきながら 少しでも皆様に近づくことができますよう努力したいと思っております。
【愛子さま当時20歳の成年会見】
— てのひら (@43H4LLg65tQNyEo) July 1, 2026
天皇陛下の側で育まれ、日々覚悟ある研鑽を積まれる唯一無二の国宝レベル💫#敬宮愛子内親王殿下#男系女性天皇 pic.twitter.com/NobsbCwOg6
徳仁天皇陛下 2026年6月11日
制度に関わる事項については、私から言及することは控えたいと思いますが、
皇室の在り方や活動の基本は、国民の幸福を常に願い、国民と苦楽を共にすることだと考えており、こうした皇族数の確保の在り方についての議論においても、
国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります。
消されてもいい。この言葉を
— エナガ (@takatakata66666) July 8, 2026
少しでもたくさんの人に届けたいから。
一人でも多くの人に広めたい。
お願いします。
最後までお読みください。
今一度、陛下のお気持ちを。
「皇室のあり方や活動の基本は
国民の幸福を常に願い
国民と苦楽を共にすることだと
考えており… pic.twitter.com/kd84wD6Agm
明仁天皇陛下 お気持ちを表明 2016年8月8日
私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
天皇陛下「お気持ち」表明 ビデオメッセージで公開(16/08/08)
生まれた時皇族でなかった者が養子になって皇族になった例はない#報道1930 pic.twitter.com/kzX1mUoarP
— 新議長 (@adidagoo) July 7, 2026
愛子さまの卒業文集、これだからね。
— 西位 輝実 NlSHII Terumi (@NishiiTerumi) July 8, 2026
そりゃ高市や麻生が排斥したがるわけです。https://t.co/5U4JLOOKzH pic.twitter.com/rqOzAebbfx
【国会中継】衆院議員運営委員会 皇室典範改正案を質疑(2026年7月10日)
立法府の総意とは言えない!やり直し!#吉田忠智 #皇室典範改正#立憲民主党
皇室典範改正について、ついに元宮内庁長官からも声が上がりました。皇位継承を男系男子に限る1条について「これだけでは将来、皇室が絶える危険性が高い」。https://t.co/IEsNyhtAh7
— 杉尾ひでや 参議院議員【公式】 (@hideyaemma) July 9, 2026
共同通信 2026年07月09日 15時23分
元宮内庁長官の羽毛田信吾さん(84)が9日までに共同通信の取材に応じ、現行の皇室典範は「構造的な欠陥がある」との認識を述べた。皇位継承を男系男子に限る1条について「これだけでは将来、皇室が絶える危険性が高い」と指摘した。
皇室典範改正案 あす衆院で採決 今国会で成立へ 中道が修正要求 自民「のめない」(2026年7月9日)
2026/07/09
国会では、10日の衆議院本会議で皇室典範改正案の採決を行うことが正式に決まり、改正案は今の国会で成立する見通しとなりました。
木原官房長官は、国会での審議を通じて野党や国民の理解を得ていく考えを強調しました。
木原官房長官 「政府としては、国会のご審議、丁寧に説明を行いながら多くの方にご理解いただけるように努めていきたい」
衆議院では、午前に委員会を開き、3時間公開で審議したのち採決することを決めました。 午後の本会議で衆議院を通過させます。
中道は、政府案に賛成する条件として養子の子どもの皇位継承権の扱いを「将来の検討課題であることを明確にすべき」として、付帯決議の修正を求めています。
ただ、自民党幹部は「絶対にのめない」と応じない構えです。
「立法府の総意」に基づく改正案ですが、与党以外の賛成は国民民主党など一部の野党にとどまる見通しです。
【皇室典範改正案めぐり】中道・立憲が方針固める2026/07/08 #皇室典範改正案 #立憲民主党 #中道改革連合
「我々は修正案を提出させていただく。
修正案が秘決された場合には、原案には反対をさせていただく」
立憲民主党はこれまでも旧皇族の男系男子を養子に迎える案に対して反対の姿勢を示しており、
田辺幹事長は、女性皇族が結婚も皇室に残る案のみを改正案に盛り込むべきとの考えを示し
ました。
一方、中道は、養子の子の皇位継承権について将来の検討課題であることを明確にすべきとして、
付帯決議案を修正することなどを求めており、この修正を条件に賛成する方針を決めました。
仮に修正が行われなかった 場合の対応については笠本部長に一任することとしています。
天皇家を潰す、自民党の陰謀。皇室典範改正の裏。京都大学教授・池亀彩。安冨歩東京大学名誉教授。一月万冊清水 2026年7月10日
内田樹さんに聞く!高市首相、今日吉村代表と会見。どうなる国会? 皇室典範改正 2026/07/07
【前半無料パート】内田樹氏様出演!『天皇論』(2025年5月2日21:00~生配信)
内田樹:
その時、一番ショックを受けたのは、考えてみたら、「天皇は日本国民の統合の象徴である」という憲法の最初の言葉だというのに、「象徴って何だろう」ということについて、実は80年間全然考えてこなかったですね。日本国民は。
言葉として、象徴という言葉はあるけども、象徴が何を意味するかってことについて、全く吟味したこなかった。
にも関わらず、80年間、昭和天皇と平成の天皇と今回の令和の天皇と。
多分、3人の人たちは非常に真剣に考えていたと。
大日本帝国憲法の天皇性とは全く違う日本国憲法の下の象徴天王制ってのは、どんなものであるかについて象徴天皇制がどんなものであるかについて具体的なイメージ持ってる人間ってのは、憲法制定時点で誰もいなかったってことですよね。
一応言葉として書いてみたけども実態なかったわけですよね。
この「象徴」っていう言葉に実態を 与えようとしたっていうのが、さっきの上皇陛下だと思うんですよね。
僕これは聞いた時に本当にいちばん感じたのは、「あ、そうか。憲法の天皇に関する条項が具体的に何意味するのか」天皇制と立憲デモクラシーという、近代の”政治的犠牲”である立憲デモクラシーと太古的な起源を持つ天皇制というのが、日本の場合並立してるわけで、 こんな変な統治形態を持ってる国って世界にないわけですよね。日本しかないわけであって。
ということは、「天皇制立憲 デモクラシーがどうやって両立するか」って いう難題について考えるって日本人しかないわけですよね。他の誰も考えてくれないし、アメリカとかヨーロッパの政治学者が日本の統治形態がこうあるべきだと。天皇制と立憲デモラシーはこうやったらうまく並立するんだってことを、そんなことを誰も言ってくれないし、誰も考えてくれないわけですよね。
僕らしか 考える人間がいないにも関わらず、我々は主体的に立憲デモクラシーと天皇制の並立、この 葛藤をどうやって生きるかってことについて真剣に考えてこなかったってことです。
改憲派とか右翼の人たちのとにかく「大日本帝国みたいなものに戻していこう」みたいなことしか考えていないし、左翼の人たちは原理的に言えば、「天皇性を排した方がいい」って考えてるわけですよね。一方では、とにかく「立憲デモクラシーなんかいらない」っていう「大日本帝国に戻したい」人たちがいて。日本には「天皇性はいらない」って人たちがいて。
この人たちにとっては、すっきりしてるんでしょうけども、すっきりしてるがゆえに日本国憲法が僕らに提示した難題ですよね。
「立憲デモクラシーと天皇性の並立」ってのは、いかにして可能か?ってことについて誰も考えてこなかったですね 。「2つを葛藤させながら生きる」っていう日本の道について、日本人は80年間全然考えてこなかったということを改めて気づかされて。
「真剣に考えていたのは、実は、天皇陛下ご自身だった !」という事実を知って、非常に衝撃受けたのを覚えてます。
その時に「象徴って言葉を8回繰り返した」って、さっき引用がありましたけども。
その通りなんですよね。
「象徴とは何か?」「象徴天皇とはどんな仕事を果たすことか?」なんてことを考えてい たのは皇室の人たちだけだったっていう。真剣に考えたのは。
その結論っていうのが、そのお言葉の中にもありましたけども。
基本的には「象徴天皇の象徴的行為っていうのは、先の戦争の犠牲者たちの慰霊を弔う」ってことですね。ここには日本人だけじゃなくて日本と戦ったアメリカも含むし、あるいはフィリピンとか中国とかベトナムとか、日本人が戦っていって戦争の中で死んでいった全ての人たちですね。
これを戦争の戦没者として等しく彼らの慰霊を弔うっていうことが、天皇の本分の第一であると。
それはただ柏子所に行って、なんかこう「皆さんあの成仏してください」っていう手を合わせるのではなくて、「実際に戦没者たちがそこで死んだ場所に行って地面の上に膝をついてそこで祈る」という、その行為であるっていうことを、ここで明記したわけですよね。
戦争の象徴的行為の第一というのは、戦没者の慰霊であると。
その戦没者にはこの戦争で死んだ全ての人を含むっていうですね。
これ、ものすごくある種、大胆な命題だったわけですよね。
そのためには、ただ日本国内にいて皇居の中にいて祈るのではなくて、「実際にそこに行かなきゃいけない」と。「人が血を流して死んだ場所に行って、そこに人骨が埋まってるところに行って膝をつかなきゃいけない」と。「これが慰霊なんだ」っていうことを言ったっていうことが一つと。
もうもう一つは、天皇の仕事のもう一つは、これは国内ですけども。
要するに、様々な天変地異があったり、災害の中で亡くなったり傷ついた人たちがいるわけで。この「被災者のそばに寄り添って、彼らを慰謝する。」慰めの言葉をすると。
これも、どっちもそうなんですけど、「膝を着く」んですよね。
体育館の冷たい床の上に膝をついて。天皇皇后両陛下とも「膝をついていって彼らの言葉に耳を傾けて慰めの言葉を告げる」という。「頑張ってください」と。
この二つのことが天皇の象徴的行為。
この二つの行為に集約されるってことを明言されたわけですよね。
これは「天皇制とはいかないかなるものであるか?」について、戦後初めての定義なんですよね。
立憲デモクラシーにおける天皇制はいかにあるべきかについて、誰も何も提言しなかったのに、天皇ご自身が「こうあるべきだと思います」っていうですね。
これは一つの仮説というか、天皇の側からの言明なわけであって。
ボールが投げられたわけですよね。
「天皇制についてどうあるべきか?」と、最初にボール投げたのが天皇ご自身だっていうことです。
これにやっぱり僕はすごく強い衝撃受けて。
これ、とっても良いことだと思ったんですよ 。
立憲デモラシーと天皇せ制の並立について、何のアイデアもなかった日本人に向かって、まず天皇陛下が「こういうものじゃないでしょうか?」っていう提言をされたと。
「これについてみんな考えてください」と。
「これでいいんでしょうか?」と。
「天皇制はこういうものでよろしいんでしょうか?」と。
「私はこんな風に考えますけどもいかがでしょうか?」というですね。
本当に、「万機公論に決すべし」じゃないですけども、我々に投げられたと。
でも、この時に陛下が投げたボールを受け止めようという人がほとんどいなかったんですよね。
ショックだったのはね。
僕は、これは一種の関係妄想なんですけども、この言葉って僕に向けられてるって思ったんですよね。「俺だ!」と。
「この命題いかがでしょうか?」っていう事について日本国民の1人として返答する義務があると思ったんですね。
その本を書いたのは、実はそのためなんですよね。僕からの天皇陛下に対するコール &レスポンスですよね。問いが投げかけられたので僕の方で答えると。
素晴らしいことを提言されていただいたと。80年間、日本国民が日本国憲法の第1条の解釈についてほとんど考えてこなかった中で天皇陛下が先に考えて「これでいかがでしょうか?」
「慰霊と慰謝」ですね。この2つの行為に集約されると思います。
「ただその場合どっちも現場に行かなきゃいけない」と。
あの時に強硬陛下が「退位したい」って言った理由っていうのは、もう体力なくなったと。「そこに行くだけの体力、気力がなくなってしまったので、若い人に譲りたい」っていうことだったんですよね。
これはね、結構響いたんですよね。
そこまで行かなきゃいけないんだ!と。
現場に行って膝つかなきゃいけないんだけども、さすがにもう年齢的に厳しくなってきた。次の天皇に是非変わっていただきたいと。この仕事は。
早く退位したいっておっしゃったのは、まだまだ生物学的には生きてるわけだけども、《象徴天皇としての象徴的行為》っていうのを行うことができなくなってしまった。
これは立憲デモクラシーの天皇制度としてはあってはならないことなので、実際に現場に行って膝をついて「慰霊し慰謝できる人が天皇陛下であるべきだ」って。
これも本当に新しい天皇解釈だったわけですよね。
僕これは、是非は別として真偽は別として、天皇制に関して明確な提言をしたっていうことについてはこれは重く見るべきだと。
これに対して回答する。受け止めて自分なりの見解を述べるっていうのは日本国民の権利であり、義務であると考えたわけですよね。
僕は義務を果たすつもりで、その『街場の天皇論』っていうの書いたようなつもりなんですけどもね。以上です。
白井聡:
天皇自身からの問いかけがあって、これに対して応答しなければなら ないんじゃないかという感じっていうのは、もう私も全くど同じことを感じまして、それであの『国体論』という本を書きました。
本の中での最初の方ですけれども、大きく一章を抑えて、お言葉に返しする僕の解釈っていうの書いているし、また本の末尾で お言葉の意味というのに立ち戻っております。
ですから、私も非常にやっぱりあのお言葉が発せられたっていうことについては、もう「大事件だな」というふうに受け止めました。
それで先ほど内田先生おっしゃったように、そのような捉え方をするとりあえず知識人に限って見ても、本当に少なかったっていうことに関して未だに私はある種の戸惑いのようなものを感じてます。
それで、じゃあその中身の解釈っていうことについては、ちょっとまだまだ今、内田先生が仰られたことにプラスして色々と言いたいことがあるんですけれども。
本当に、「動いて祈るんだ」「動いて、そして祈る」ということ。「それが天皇の勤めなんだ」というもう本当にテーゼを出されたと。
その「動いて 祈る」ということが体力的にきつくなってきたからだから退位したいんだという、その筋書きになってるわけです。
国民の大方の受け止めとしては、「これまで本当によく務めてくださったから、ご高齢にもなって体力的にきついであろうことは明らかなんで、これまで本当に頑張ってくれたんだから、感謝の念というのがあるので、ご希望を叶えてあげたらいいんではないか」ぐらいのね、こう受け止めになっちゃった わけなんですけれども。
ここからやっぱり 先というのを、何を意味するのか、その言葉にどんな含蓄があるのかっていうことを知識人はもっともっと解釈をして、打ち出さなければ ならなかった。世論に対して。
僕は 僕自身でできる限りのことやりましたけれども、そういうことをやった人があまりにも少ないんですね。
それで、法制度的には、体力的な加齢とか、それから病気で職務が果たせなくなった時には「摂政を置く」っていうことに法的には可能なんですよね。 摂政になる、これは昭和天皇が大正天皇の晩年、摂政になってたわけですけれども。摂政を置くってことは、もう摂政が事実上の天皇になるっていうことに等しいんですよね。
天皇は自身は名目上の天皇になってしまうということになる。
「それではダメだ」って言ったんですね。
で、仮に、単に「それが不本意だ」と、もう天皇が「自分の考える天皇の勤めを果たせないのに名目的に天皇であるという状態が不意なんだ」ということでしかなかったら、それは個人的なものでしかないんですね。個人の思いでしかないんですよね。
あそこのやっぱり言われてたことが、やっぱり個人的な思いじゃないんですよね。
個人的な思いが いかに公的な意味を持つかっていうことなんですけれども。
じゃあ公的な次元っていうのは、何な んだ?と考えてきた時に、要するに「祈り」によって勤務め を果たすんだ。務めの本質は「祈りなんだ」と。
つまり国会の開会宣言とか、衆議 院解散しますとか、いわゆる政治的な国事行為ではなくて、「祈り」の方に本務があるんだということが示されたのは、内田先生は新しいという風におっしゃいましたけれども、確かに近代の考え方としては近代世界においては新しく見えるけれども、これってものすごくアルカイックな古い思想でもあるわけですよね。
言ってみれば「祈る、…それもしかもその力強く祈なきゃダめなんだ」ということですよね。体力が衰えてくると力強く祈れないわけなんですよね。
それがなぜ公的な意味を持つかと言うと、まさにその「祈り」っていうのがちゃんと天に通じるかどうかと。通じないと何が起こるかと。
祈りが弱体化して天に通じなくなると、何が起こるかと言うと、例えば、天変地異とかが起こって、日本人が不幸になると。
天に通るような力強い祈りをしなければならないんだと。
だからこれって言ってみれば、もう「祈り 1 本で国民の幸福を支える」っていうような話なんですよね。
これはものすごく古代的な、シャーマン的な感覚っていうのがすごく生きてるという部分でもあったわけですね。
かつそれが同時に政治的な意味を持ってしまう次元というのがあると。
とりわけその祈りの中で重要なのがですね。激戦地へ行って慰霊の祈りを捧げるっていう活動っていうのをすごく一生懸命、取り組まれたわけですけれども。
これに関して、靖国神社の宮司のオフレコ発言というのが表へ出たことがあって、それがきっかけになって、その宮司は解任というか、辞職やむなきに至りましたけれども。
それは、どういうこと かって言うと。…「引きずってでも天皇陛下を靖国に連れてこい」ってこと言ってるんですよね。とんでもない発言だっていうことだったんだけど。
でも、この発言っていうのはものすごくポイントついてるんですよね。
ものすごいポイントついてる。
どういうことかと言うと、要するに靖国イデオロギー的な、その昔、懐かし的な右翼の世界観からすると、「日本の兵隊の…少なくとも兵隊の戦争犠牲者の霊というのは靖国にいるんだ」になってるわけですよね。
だからこそ、首相以下、政治家が参拝をすると。「公式に参拝するのは当たり前だし、天皇陛下も来るべきだ」と。こういう風に言っているわけですよね。
いわゆるA級戦犯合祀以降、昭和天皇の時代からもう天皇が来なくなったっていうのは周知の通りでありますけれども。
そして、さらに平成の天皇は靖国に来ないだけじゃなく激戦地に次々に慰霊の旅へ出たと。
そうなると、暗に何を意味してしまうかと言うと、「霊はどこにいるの?」っていう問題なんですよね。靖国イデオロギーによれば、靖国神社のはずなんですよね。
そこに来ずに、「激戦地に行って霊を慰める」というのであれば、その激戦地で命を落とした人たちの霊というのは靖国に行って安らかに眠ってるんじゃなくて、言ってみれば、「祀ろわぬ霊」として激戦地を未だに彷徨ってるんだと いうことになるわけです。暗に。
それを言ってみれば、「祈って慰めて、霊を沈める行為の旅に出た」っていうことになるわけですけれども。これは言ってみれば、靖国的なるもの、戦前からずるずるそれを引きずってしまった靖国的なるものに対するやっぱりもうこれは、実践的な「否定であり、批判」である他ないわけですね。
だから非常にそこんところ鋭く嗅ぎ取って、靖国神社の宮司は「あれはとんでもないことだ」と。
「あんなことやられちゃ困るんだ」と。だから「引きずってでもうちに連れてくるべきなんだ」というのは、ある意味、彼らの立場からすれば大変正しい言明。論理的にはね。なんですよね。
政治的な意味 、そして「象徴」っていうことの意味についても、これはちょっと長くなりますんで、後の議論をしたいと思いますけれども。
1つだけ言っておくならば、本当にだから、なんでそれだけのメッセージを出されたのに、受け止め損なったのか?
当時、安倍政権の時代ですよね。
安倍晋三さんという政治家は、右派と言われたけれども。
そして、本当に いわゆる右派の皆さんは、「保守派のプリンスだ」ということで彼を一生懸命 持ち上げたわけだけれども。
彼ほど 天皇陛下に対して不敬の限りを尽くした政治家はいないですよ。式典において漢字の読みを間違ったりですね。信じられないですよ。漢字の読みを間違ったのは無教養だっていうせいもありますけれども、読み方 に自信がないんだったらきちんと「ここどう読むの?」ってきちんと事前に確認しといて、絶対に読み違いなんかして はならない場面じゃないですか。
そこで間違ったんですから、いかに彼がその天皇に関する仕事というのをどれほどいい加減に考えていったのかっていうのは、本当に目に余るばかりです。
だから、本来ならば、右翼は、安倍晋三は「不敬の臣」「奸臣」であります。
「あんなものは絶対に許さない」という風になるのが当然であったろうに、そういう右翼にはまずおめにかからなかった。
ああ、つまり、だからこの戦後日本の右派ナショナリズムというのは、実は内的に崩壊している。
言ってみれば、片山杜秀氏がうまいこと言ってましたけど、「安倍さんっていうのは、つまり天皇抜きのナショナリズムというのをやってみようとしたんだ」という風におっしゃってましたけど。
これは非常にポイントついてるなと思いますね。
はい。とりあえずは以上です。
ジョー横溝:
『街場の天皇論』の中にある言葉を抜粋しました。
天皇の役割として「権威」ではなく「霊的権力」「道徳的中心」って言葉を内田先生は使ってらっしゃいます。
それから天皇制の根本的な機能は日本という国の「霊的統一」であるということを内田先生は使ってらっしゃいます。
それから、仁徳天皇の歌を引用なされていて、
「たかき屋にのぼりてみれば煙立つたみのかまどはにぎはひにけり」
という、これを内田先生は引かれておりまして。
これはずっと日本人が好きで選んできた天皇陛下が読んだ歌 なんですけども、これを読むと、
「民の生活に天皇は気遣って祝福を送るというのが、天皇制の本義である」ということを、国民も古くずっと理解してきて、いわゆる軍事とか政治とかっていうものとは違う役割として、天皇を考えていたということが。この歌からも分かると。
そう考えると安倍さんはですね、天皇の即位の時に「万歳を40何回やったってのもありましたけど、その前の何かの儀式の時も予定されてなかった「天皇万歳」をやって、全く 霊的なものではなくて、あくまでも 現世的な政治に引っぱり込もうとする面でも天皇制とかも分かっていないんだなっ ていうのが露呈した瞬間なのかなという風には思いました。
島田雅彦:
考えてみると天皇というのは、昭和天皇もそうだったし、上皇様もそうだったと思うんですけれども、ずっと「存在論的な苦悩」をしていると思うんですよね。
つまり、憲法に規定されている「天皇の定義に合わせた自分の存在というものは一体どういうものになるのだろうか?」という存在論的な悩みですね。
昭和天皇の場合は、大日本帝国憲法下の規定を前半の20年間はやってきたわけで、その時は「神」だったわけだけれども。その後 「人間宣言」をするっていう、前、神だった人が急に人間になるっていうことで大きな大きな転換があったし、 敗戦をどう受け入れるのか、敗戦直後は退位論とかも出てきた時代ですから。新しい時代、戦後、天皇はどうあるべきな のかっていう存在論的な苦悩を生涯を通して苦しんだと思いますけれども。
上皇様も それを受け継ぐ形で、より現行の日本国憲法の規定に忠実に生きてこようとされてきたと。だから 「護憲天皇」というような評価っていうのが与えられるかと思うんですが。
その辺が、右翼の改憲派の人からすると、「天皇は護憲な態度を示したりして、けしからん!」というふうになってしまうわけですよね。
そこを内田先生は、行為として、死者、あるいは、傷ついた人々、戦争だけじゃなくて、おりの震災等の被害者のいわゆる「魂鎮め」というやつですね。鎮魂ですね。
これをもっぱらその職務として心得ていらしたと。
それはあの内田先生の言葉だと、「共苦」という「共苦する」と、共に苦しむという風に言っておられたかと思います。それは全くその通りだなと思います。
内田先生は『街場の天皇論』の中では、 例えば、安倍首相が背負ってるのはせいぜいが自分のおじいさんなど限定された死者だけであって、天皇陛下は全ての死者ということ。鎮魂の対象は全ての死者ということで、全然 スケールが違うということは言えるのかなとは思うんですけどね。
もう1つ、天皇の実質的な役割と言いますか、それ自体は、天皇自らは主張はされていませんけれども。やっぱりこうある種の伝統をずっと継続してきた中で、宗教とか文化とか、こういう歴史的に踏襲継承されてきたもの。これの常に「霊的な中心たらねばならない」というそういう役割というのはあるかと思います。
後で、三島の文化防衛論なんかも引きながら、彼が天皇の存在をどのように定義しようとしたかっていうような話もできればとは思っておりますけれども。
その「魂鎮め」というのは確かに伝統的な一種の宗教行事のようなものであって、公務の中にはそれこそ、神武天皇を弔ったりとかですね。あるいは直近の天皇、明治天皇、大正天皇、昭和天皇を弔うというようなこと。これももう1年のスケジュールの中にがっちり決まっていますしね。
それからやっぱり震災、戦争の犠牲者に対する「魂鎮め」っていうのもあって。
ものすごく忙しいんですよね。この魂鎮めの仕事っていうのはね。
だから体力的問題を考えて、本当に自らの決断とされたということは言えるかと思います。
あともう1つは、「現在の政治のシステム、統治の機構が時に非常に危なっかしい」と。
「平気で憲法違反を行う」とかいった、一種の「暴走」というものが、ずっとこの間、危惧されてきたわけですけれども。
こういう状況における天皇の役割というものというのも考えられるっていうことを『街場の天皇論』の中でもご指摘なさっていたので、そこに私は非常に同意しますね。
つまり、いわゆる「戦争の危機が迫ってくる」とかですね。
あるいは、「震災の対策っていうのが遅れている」とかですね。
あるいは、「外交的な失策というものが続くことによって安全保障上の非常に脆弱な状況が訪れている」といった…
そうした<国家的な危機>の中にあって、天皇っていうのは唯一「国民を統合する」役割を果たし得るだろうという点ですね。
実際、「外交っていうものが戦争を回避するのに最も有効な手段だ」と考えた場合、外務省がやってるような外交とは違う形での「皇室外交」っていうものを、これまでも展開されてきたと。
その役割って、すごく大きくて、それこそ「皇室が外国を訪問すると、そのことだけで外交官100人分の仕事ができるっていったような評価がありますけど、 私もそう思いますね。
例えば、今現状、ロシアと日本の間っていうのは非常に悪いんだけれども。
例えば石破首相なんてプーチンから出禁を食らっていますからね。
だからこんな状態の中にあっても、天皇はちゃんとプーチンに親書を書いて渡したといったような話。今の天皇ですけどね。…も聞こえてきますしね。
だからそういう意味である種のこの「危ない日本にとっては保険になり得うる」という意味においては、私も左翼側の人間と思われてますけれども、その点においては内田先生と同様に、天皇を尊敬しております。
内田樹:
今の天皇陛下も、きちんと「上皇陛下の考えた象徴天皇制の道」というのを歩んでいこうとされてると 思いますね。
前にね、韓国に行った時に韓国の知識人から「日本は天皇制があっていいですね」って 言われたことがあるんですよ。
びっくりしてね。何をおっしゃるのか⁈とね。日本帝国の植民地としてあれだけ苦労した人たちなのに「天皇制があって良かったですね」って言われたびっくりしてですね。
いや、韓国だと国家元首は大統領なわけですけども。
大統領って、しばしば職務の終わった後に訴追されて囚人服を着て法廷に立ち、場合によっては本当に投獄されたっていうケースが多々あるわけですよね。
つい昨日まで自分たちの国家の中心にあった人たちが、多くの場合、<道義的な欠陥>によって…
多くの場合って、本当にお金をどうこうしたとかですね、身内が大統領の威令を利用して私財を増やしたとかですね。そういうことで、大体、訴追をされたケースが結構多いんですけどもね。
その時に言われたのが、天皇制ってやっぱり、なんだかんだ言いながら、
「<道義的なインテグリティ>っていうのをずっと維持してる」ということですね。
国家の中心に道義的な人ね。
国家の中心って、やっぱり<道義的>じゃなきゃいけないっていうことを思ったんですよ。聞いててね。
天皇制って、今、実質的に政治権力ないわけですよね。
実際に権力持ってるのは、その時々の統治者たちなわけですけども。
だけど、全くレイヤーが違うんですよね。
なので、何が違うかっていうと、結局、天皇っていうのは「道義性」っていうことが最優先するっていうですね。「国民統合の象徴」っていう時に、その象徴する時の吸引力でしょうかね。
人々を引っ張る力っていうのは、「霊的な威力 みたいなものではなくて、実は道義性だ」ってことですよね。
<道義性>って言うと言葉が分かりにくいんだけど、「ちゃんとしてる!」ってことですね。
「すごくちゃんとしてる!」っていうですね。
私利私欲のために公権力を利用したりってこと絶対しないってですね。
基本的に自分の一身を捧げて、とにかく国民的な統合のために職務を遂行していくっていうですね。
実際、今の日本の権力者たちっていうのは、言ってしまうと「トライブデモラシー」っていうか、「部族民主主義」ですよね。
自分と自分の周りにいる人たちですね。自分の部族たちのための利益を図っていて。
で、国民分断して、国民をいくつかに分断して、我々はここにいて、で、「あいつらは敵だ」と。
「こんな人たちに負けるわけにいかない」ってことを安倍晋三が言ったことありましたけどもね。
「こんな人」っていう形で国民分断するってことってのは、政治家は平気でやるわけですよね。
でも、そういう形で国民的な分断の中で、相対的な有劣を競って相対的に選挙で勝ったからと言って、その人たちが持ってる権力っていうのは、国民を統合する力にならないんですよね。
分断はしたけども、分断して相対的な優位は得たけども統合ではないんですよね。
僕が見てる限り、本当に日本の戦後の政治家の中で国民的な統合っていうことを最優先にした人って、本当に数えるほどしかいないと思うんですよね。
21 世紀に入ったから1人もいないと思うんですね。統合ってこと考えた人は。
でも「国民国家」の基本って、国民国家のまず統合じゃ ないですか。
いかに分断を乗り越えていくのか。
様々な政治的な立場もあるし、階層の違いもあるし、経済格差も教育格差も様々な格差があって。
国民ってのは 無数の集団に分断されてるけども、なんとかしてこれを1つにまとめなきゃいけないって。それを最優先に考えてる政治家っていないわけですよね。
むしろ分断を強化していって、分断の中で相対的な優位を占めることによって、公権力を私的に利用し、公共財を私物化するっていうことに懸命になってるっていうのが、現在の政治家たちなわけであって。
それは、まあ、多分、隣国でも変わらないわけですよね。
でも、日本の場合はそのに上に、<道義的なインテグリティ>ってのを保っている人がいて。
とにかく、この人は「国民的な統合」っていうことを主務としていると。
「国民的な統合を主務としている公人」って、日本に1人しかいないんですよね。本当に。
これってね、僕は本当に大きいと思うんですよ。
みんな意識してないと思うんですけどもね。
でもね、いないとまずいんですよ。
今、アメリカっていう国が激しく分断されていますけども。
やっぱりアメリカの場合っていうのは、トランプの場合ってのは、「自分に反対する人間が敵である」という形でで、これを「排除していく。殲滅していく」っていう思想なわけだけども。
逆に、民主党の人たちは、トランプを批判する。いろんな方たちがトランプの暴政を批判してますけども。
その時に、「アメリカ合衆国の建国の理念に立ち返って、我々は1つの連邦として統合されなきゃいけないんだ」っていう、どういうような未来の姿を描いて統合 していくのかっていうことを説得力のある言葉で語ろうとしてる政治家がいないわけですよね。
バーニーサンダースとかですね、激しくトランプを批判して、また、見事に批判してはいると思うんですけども。その批判の言葉が「アメリカ大衆国の統合」っていう方向に向いてるかっていうと、向いてないわけですよね。
それ見てると「国民の統合っていうことを主務とする公人がいる」ってことって、とても「統治形態の安定性を考えるととても大きいと思うんですね。
その人が実際に政治的な権力を行使してるか、行使してないかってことは別として、1人の公人がいて、その人が国民の統合を、分断を嘆いていると。
なんとかしてみんな統合して いただきたいと思ってる。…そういう人が公職にあるっていうっていう ことっていうのは、僕たちが考えてる以上に、実は大きな政治的な意味を持ってるんじゃないか。
現代日本人っていうのは、「道義性」っていうことが持っている政治的な力っていうのを、あまりに軽んじてると思うんですよね。
パワーはパワーだ!って。でもパワーはパワーっていうんじゃないんですよね。
パワーにはやっぱり大義名文がなきゃいけないわけであって、ある種の大義ってのが必要なわけですよね。
とりあえず国民国家の場合とは国民の統合… よく「自由、平等、博愛」って言いますけども、最後の博愛っていうのが肝なわけですよね。
フラテルニテ(fraternité)ってのは、「みんな同胞じゃないか、同胞は仲良くしようよ」ってことなわけですよね。
僕ずっと学生運動してる頃から分断が嫌いで、71年の時に駒場で1人で運動やったことあるんですけどもね。それって一生懸命ビラまいたんですけどもね。「みんな対立すんのやめようよ」って。
「みんな革命しようと思ってるんだったら、区々たる綱領的な差異を超えて、みんな一緒になってさ、共に戦うじゃないの」って言ってビラをまいて。もう一顧だにされなかったっていうですね。
「バカかお前は」って言われたのがあって。
その時以来、ずっと「だって仲良くした方がいいと思うぜ。どうやって共通点見つけていって一緒に何ができるかってこと考えた方が絶対。僕らはだって日本国っていう国民国家っていう統治システムの中に閉じ込められてるわけであって、これをどうやってパフォーマンスを最大化するかってことを考えるべきなのに、分断なんかしてる暇 ないじゃないか」っていうのずっと言ってたわけですよね。今に至るまで。
で、で、本当に久方ぶりに、同士を得たって言うですね。(笑)
この人、国民は統合されなきゃいけないと思ってるんだって。
そういうことで、知識人でもあっても政治家であっても、はっきりと言う人って本当にいないんですよね。
この言葉って空語だっていう風に思う人いるかもしれませんけど、空語じゃないですよ。
「道義性」っていうのは、本当に空語ではないです。
ものすごい強い力を持ってると思いますね。
僕たちはその強い力によって統合されてるんだけども、そのことについての自覚が薄すぎるという気がしますね 。
ジョー横溝:
なるほど。まさにきっと皆さん思い浮かべるのはカールシュミットが「政治というのはそもそも敵かと友かを分けるところだ」という提言をしてましたが、天皇はもうその逆で、ある意味、統合というものを…
内田:
そうですね。「統合」が本当に唯一の機能なわけですね。
統合をするために 1 番いい方法っていうのが、「最も傷ついた人たちの傍により添う」っていうことなわけで。
「最も非業の死を遂げた人たちを鎮魂する」っていうことが、それが統合にとって最も<道義的>だってことの核心部分っていうのは、「慰霊と慰謝」だっていうですね。
それは「敵と味方を分けない」っていう。
前に上皇陛下がフィリピン行った時に、犠牲者の名前を挙げた時に、フィリッピン人、アメリカ人、日本人っていう順番だったと思うんですけどもね。
最初にまずフィリピンの方たちね。この戦争に巻き込まれてインボルブされてしまって主体的に全然戦争に関わる気がなかったのに多くの方々が亡くなったって。その方達のためにまずその慰霊の祈りを捧げたいっていう。
この立場って、本当に日本国統合っていうことからさらに超えていって、「人類全部統合されるべきだ」っていうとこまで拡大するわけだけども。
こういう種類の… 空語なんですよ。リアルポリティークにおいては。
全く空語なんだけども。でも、空語じゃないと思うんですよね。
そういうことを言う人って絶対いないとまずいんですよ。
その点で言うとね、かつて1945年 に国際連合できた時に、国際連合はやっぱり1つの理想っていうのは全ての国々が、万国が万国に対する戦いを展開してる中で全ての国が国益の最大化を求めてる中で、「みんな仲良くしようよ」と。
フラテルニテに統合していって、理非の判断をする一つ上の新級が必要なんじゃ ないかと。
全員が同じところで戦い合って喉首掻っ切り合ってるんじゃなくて、理非の判断を下していって非があることに対して「あなたの方が間違ってますよ」と言ってですね。それをきちんと悟すっていう機能が
193の国民国家の上になきゃいけないっていう発想っていうのはね、国連にもあったと。
で、これは結局うまくいかなかったわけですけども。
うまくいかないっていうのはね、だから意味がないってことじゃないと思うんですよね。
理想ってないと。本当に。
だから、とりあえず日本国民は友愛で結ばれなきゃいけないと。
分断するべきじゃないと。それに開げていって「人類全体80億の人間全体がみんな仲良く人類として
仲良くしましょうよ」という、こういうような綺麗事っていうのは誰かが言わなきゃいけないんですよね。
それを言ってる人って本当に世界見回してもあんまいないわけ。
ローマ教皇とかいますけど。ローマ教皇と匹敵するぐらいの強い政治的な影響力って実は発揮してるって気がするんですけどもね。
いかがしょうか?皆さんどう思いますか?
退位礼正殿の儀―平成31年4月30日
天皇皇后両陛下には、末長くお健やかであられますことを願っていません。
と言ってしまった安倍晋三。 安倍晋三は、「已みません」が読めなかった。
政治学者の白井聡氏は、安倍晋三を次のように批判した。
安倍晋三さんという政治家は右派言われたけれども、そして、いわゆる右派の皆さんは、保守派のプリンスだということで彼を一生懸命 持ち上げたわけだけれども。
彼ほど 天皇陛下に対して不敬の限りを尽くした政治家はいないですよ。
式典において、漢字の読みを間違ったりですね。信じられないですよ。
漢字の読みを間違ったのは無教養だっていうせいもありますけれども、読み方に自信がないんだったらきちんとどう読むのかをきちんと事前に確認しておいて、絶対に読み違いなんかしてはならない場面じゃないですか。
そこで間違ったんですから、いかに彼が天皇に関する仕事というのをどれほどいい加減に考えていたのかというのは、本当に目に余るばかりです。
本来ならば、右翼は、安倍晋三は「不敬の臣」「奸臣」であります。「あんなものは絶対に許さない」という風になるのが当然であったろうに、そういう右翼にはまずおめにかからなかった。
ああ、つまり、だからこの戦後日本の右派ナショナリズムというのは、実は内的に崩壊している。
言ってみれば、片山杜秀氏がうまいこと言ってましたけど、「安倍さんっていうのは、つまり天皇抜きのナショナリズムというのをやってみようとしたんだ」という風におっしゃってましたけど。
これは非常にポイントついてるなと思いますね。
わざと「コンジョウ」と呼んで貶めている可能性もありますね。
— 你楊 (@niy_20000v) July 6, 2026
そう考えると、昭和百年の式典での振る舞いや、サミットへ向うは乗機へのイヤミ、両陛下がオランダ・ベルギーよりのお帰りになった時の、わざとらしい手振り出迎えの説明もつきます。
皇室へのマウントかもしれません。
配信
自民党の船田元・元経済企画庁長官は自身のホームページで、政府が国会に提出した皇室典範改正案について「国会の総意から逸脱したものと言わざるを得ない」と投稿し、苦言を呈した。また、国会で与野党対立が続く状況で典範改正案を審議することについては「皇室に対して極めて失礼ではないだろうか」と指摘した。投稿は7日付。
船田氏は典範改正案には、衆参両院がまとめた「立法府の総意」と異なる内容が含まれていると指摘。皇族の養子の子に継承権があるとして皇位継承まで言及した点や、女性皇族が民間人と結婚した際には住民基本台帳にも記載される点を挙げた。 その上で、憲法が天皇の地位について「国民の総意に基づく」と規定していることに言及し「国会の総意にも基づかない内容であれば、憲法の精神に反することになりはしないだろうか」とつづった。【田辺佑介】
皇室典範改正へ旧宮家の思いは 「立法府の総意」越える高市政権の狙い【7月7日(火) #報道1930】
【皇室典範改正案】会期内成立の見通し 高市首相が衆院の集中審議に出席へ2026年7月8日
国会正常化をめぐり自民党は、高市首相が出席する衆議院予算委員会での集中審議に応じることを野党側に伝えました。これを受け、皇室典範改正案は会期内に成立する見通しです。 (2026年7月8日放送)
【国会審議】高市総理が国会に 中傷動画報道・皇室典範…野党が追及【news23】|TBS NEWS DIG





