【元彦の「がんばれ自分」】楠木正成公は、既得権層から「悪党」と呼ばれながらも…? | ☆Dancing the Dream ☆

☆Dancing the Dream ☆

Let us celebrate
The Joy of life ♡
with ☆Michael Jackson☆

斎藤元彦、自らを楠木正成に例えてる?

元彦、『世に棲む日日』を読んでは、自分を高杉晋作に重ね合わせてなかった?

自分をリトルマーメイドのアリエルだと思っている夢見る4歳児と変わらない。

 

 

長州テロリストは、下関海峡で外国船を無差別攻撃し、英仏蘭米の連合艦隊に返り討ちに合い大惨敗した。そして、イギリス帝国主義の某略の鉄則は、国内の反乱分子に武器を与えて内戦を起こさせることである。イギリスはテロリスト長州を手懐けるというしたたかな外交を行う策士である。

長州は、あっという間に攘夷から開国に転換し、覇権国に従属しつつ国内では専制的に振る舞うこととなる。 長州レジウムの始まりである。

長州は イギリスの傀儡となり武器援助を受けテロにより倒幕した。

そして、パックストクガワーナの270年の平和が幕を閉じたのである。

 

 

〜孝明天皇は、朝敵 長州を許さなかった。
長州には、北朝天皇を攻撃した事実がある。
松蔭を始め水戸学者らが崇拝した楠木正成は、南北朝時代の南朝(後醍醐天皇)側の武将だった。
南朝派の長州は、尊皇と言いつつ、北朝の孝明天皇を否定し、京都御所を襲撃したのである。

長州の神官ら5名(長州神官ファイブ)は、長州藩政府に神仏を分離し、国家と一体になった神祇所の設置を訴え、廃仏毀釈につながる運動も提案し、神道と国家とを一体化させた社会革命を目指した。


国家改造計画の具体的な実践が、山口明倫館でおこなわれた『楠公祭』であった。
この『楠公祭』は、「北朝末裔・孝明天皇の否定」を意図し、吉田松陰の遺志を継いだ楠公主義者たちが北朝体制を根底から否定する国家改造論者になっていった国家転覆の神事だったのだ。


『楠公祭』の直後、長州は京都に進撃し、京都御所に大砲をぶっ放し、京都を火の海にするという
禁門の変を引き起こした。 木戸孝允 桂小五郎が首謀者であった。

佐久間象山は、京都御所に長州が武力攻撃しようとしていたことを察知し、孝明天皇を彦根城に避難させようとしていたが、松蔭の弟子である品川弥二郎ら数人の刺客が象山を暗殺し斬首した。
この行いは、まさに テロリストである。

 

孝明天皇は薩長によって暗殺された可能性が高い。
京都御所で孝明天皇は崩御した。

天然痘で死亡したとも言われるが、ヒ素により暗殺された疑惑が濃厚である。
孝明天皇暗殺の疑惑も品川弥二郎の日記から推測される。

中世の楠木正成を正当化する長州は南朝正統説の南朝主義者だった。
薩長による明治天皇の父である孝明天皇の暗殺は、ほぼ事実だ。

 

佐久間象山を暗殺した 人斬り品川弥二郎は、第一次松方内閣で内務大臣に就任した。
そして、国家テロを行った。
警察による弾圧、人権蹂躙国家の基礎を固めたのだ。
衆議院選挙で自由民権運動が高まると、暴漢のサクラを仕込み、これを鎮めるために見せかけ、
警察を投入し、某略で市民25人の死者と300人の負傷者を発生させた。

品川弥二郎以外の暗殺者は、松浦虎次郎は大審院判事に、安藤源五郎も同じく大審院判事になった。
同じ暗殺者の河上彦斎は、維新後も攘夷を主張して邪魔になったので、佐久間象山の暗殺の罪は、

河上ひとりに転嫁され処刑された。

日本の初代総理大臣は、伊藤博文である。
イギリス公使館焼き討ち、横浜焼き討ちを計画したテロリストがめでたく総理大臣になったのである。
明治の日本は、殺人犯が国家の中枢に座る狂った国家だった。
吉田松陰は、弟子たちに「狂人になれ」とテロを鼓舞していたが、その教育の成果として日本はテロが横行する国になった。〜

        

               関良基(農学・歴史学者。拓殖大学教授)

               『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』

               『日本を開国させた男、松平忠固 近代日本の礎を築いた老中』〜

 

 

明治維新の正体 パート3 ~明治政府の洗脳を解く!~ ―講演:関良基氏(拓殖大学教授)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【悪党宣言?】斎藤元彦氏「報道特集」に反応か!立花孝志氏は「反論断念」?住所晒しと攻撃暴露の報道特集砲の波紋【LIVE】朝刊全部!4月20日

 

 

【議事録公開】※この注記は増山委員本人に事実誤認であることを確認の上記載しています