【暴力選挙】戦前以来、日本の政治と任侠団体・暴力団は極めて密接につながっていた | ☆Dancing the Dream ☆

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戦前以来、日本の政治と任侠団体、暴力団は、極めて密接につながっていたのです。

そもそも、明治期 松方内閣において選挙干渉のために暴力行使を要請したのは時の政府自身であり、
松方正義内閣は第二回総選挙において「民党」(民権政党)に対抗して自前の「吏党」(官権政党)を作るべく、全国的に選挙干渉を行いました。
玄洋社の頭山滿に依頼しヤクザ者を大動員させ、民党系を襲撃し乱闘を演じ、政府は小銃や大砲を撃ち殺傷するに及び、死者25名負傷者388名を出したのでした。

大正年間には、原首相や時の内務大臣・床次竹次郎の肝いりで、博徒系右翼の全国組織として「大日本国粋会」が結成され、警察の最高責任者たる床次内務大臣の元で結集したヤクザ者が、八幡製鉄ストに際しては2万8千人の労働者を襲撃するなど、各地の労働争議に介入。水平社(被差別部落撤廃)と衝突するなどの流血事件を繰り返しました。

戦後においても、GHQの粛清の後、博徒やテキ屋などの暴力団の動員を図って復活させたのは、
時の法務総裁の木村篤徳太郎でした。
60年安保においては、全国の右翼や関東系暴力団をカバーする児玉誉士夫に依頼し、アイゼンハワー訪日に際し、ヤクザ者を総動員し、警視庁との打ち合わせの下に見物人にまぎれてデモ隊を襲わせました。
このための資金・数億円は財界から集められたといいます。
東大生・樺島智子さんが死亡した6.15事件では、国会を取り巻く反安保勢力に対して、石井一昌が率いる「維新行動隊」の襲撃隊は、棍棒などで殴りつけ車で突入し、女性や子供を含む多くの負傷者を出しました。

 

 

元彦が、自分と重ね合わせたのが、高杉晋作だという。

日本会議のスローガンは「草莽崛起」。
“在野の者よ、立ち上がれ”という意味である。
元々は、長州藩の思想家・吉田松陰が、組織の中で機能するよう、"人" を "人材" に変えようと、長州藩の志士達を煽動した言葉。

この言葉に奮起して高杉晋作が作ったのが、「奇を以って虚をつき敵を制する兵」=「奇兵隊」と「長州藩諸隊」。
奇兵隊は、長州藩の常備軍で、不平武士、市井の浪人から、農民や町人、また、当初は屠勇隊として分離されていた被差別部落民ものちに取り入れらた。
長州藩諸隊とは、奇兵隊に触発されて農民、町人、漁師、猟師、穢多、神官、力士、僧侶など、藩士以外の様々な身分の者からなる義勇軍的な部隊だった。

長州は下関海峡で外国船を無差別テロ攻撃し、これに対し英仏蘭米は改めて連合艦隊を組んで徹底攻撃し、長州は大惨敗した。
この和議交渉の使節として、高杉は脱藩の罪で幽閉されていた牢から引っ張り出され、イギリスの提督と交渉。
イギリスは300万ドルの賠償金を請求し、高杉はその支払いを長州ではなく幕府に付け回した。
幕府はこれを払えず、代わりに貿易の関税率を5%に引き下げさせられてしまった。

そして、彦島の租借の要求に対して、
高杉は、「繰り返しになりますが、コミュニケーション、風通しの良い環境を作っていくことが大事だと思います。」
「まずはかなり大量の調査報告書になりますから、その内容をこれから見ることが大事と思います。」
……ではなくて…
『古事記』を「天地はじめにおこりたるの時、高天原において神成りまし…」などと頭から暗誦を始め、交渉を有耶無耶にしたという。

 

 

 

 

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