藤原辰史氏『ホロコーストを起点に考えるイスラエル・パレスチナ問題』 | ☆Dancing the Dream ☆

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ナチス・ドイツの有機農業―「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」』
藤原辰史・著、柏書房、2005年

『ナチスのキッチン―「食べること」の環境史』
藤原辰史・著、水声社 2012年

ドイツ現代史研究の取り返しのつかない過ち――パレスチナ問題軽視の背景 京都大学人文科学研究所准教授・藤原辰史
長周新聞 2024年2月23日
https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/29293



藤原辰史氏出演!『ホロコーストを起点に考えるイスラエル・パレスチナ問題』(2024年6月3日放送)
●日時:6月2日(日)20時から生配信
●ゲスト:藤原辰史(京都大学人文科学研究所准教授)
●出演:島田雅彦(作家) 白井聡(政治学者)
●司会:ジョー横溝


イスラエルとドイツの関係史①
●1948年5月14日:イスラエル建国。「ユダヤ民族を代表することができる唯一の国家」
●1949年5月23日:西ドイツ建国。ナチスの過去を引きずり、それを背負って「西側」として国際社会への復帰を急ぐことを
使命とした。
10月:東ドイツ建国 ナチスと戦ってきた反ファシズムを国是とするためナチズムの罪とは向き合わない。
●1951年:イスラエルは連合国への親書という形で西ドイツに対してホロコーストの「賠償」を突きつける。
●1952年:イスラエルと西ドイツの間で「ルクセンブルク補償協定」が調印され、西ドイツはイスラエルに人道的な補償として30億マルクを物資として支払うことになる。
→西側社会への復帰を急ぐ西ドイツが「人道的な国家」へ生まれ変わったことを世界に示すとともに、イスラエルにドイツの工業製品を届けることによって戦争で荒廃したドイツの経済復興も可能にした。
その物資の中には、デュアルユース(軍民両用)」という形で利用される軍事物資が入っていた。
→西ドイツの「非ナチ化」はまったく達成されていないにもかかわらず、イスラエルはそれには目をつぶり、ホロコースト犠牲者の反対を抑圧して、このような協定を結んだ。
●1957年:西ドイツ首相アデナウアーは国交不在のなかでイスラエルの軍事支援を極秘で進めた。機関銃から高射砲、対戦車砲、戦車、潜水艦を含んでいたともいわれる。これはドイツ憲法に違反するが、明るみに出るまで長く続けられた。
→アラブ諸国は、西ドイツのイスラエルへの補償(軍事支援)によってパレスチナ難民問題が生まれているのだから、西ドイツはパレスチナ問題にも向き合い補償すべきだと主張したが、西ドイツはパレスチナ難民問題とイスラエルへの補償問題を切り離した。
パレスチナ問題に向き合うことは、ホロコーストとパレスチナ問題の関連性、さらには後者への間接的責任を認めるに等しい。それを避けるために、あえて両問題を切り離してイスラエルへの補償と軍事支援を続けた。
●1965年:西ドイツとイスラエルの国交樹立




 ※「ナクバ」
1948年イスラエルという国は暴力によって建国された。そこに住んでいたパレスチナ人を殺害したり土地を奪い追放した。約75万人の大量のパレスチナ難民が生まれた。「ナクバ(大破局)」と呼ばれる。

※ルクセンブルグ補償協定
本来は、イスラエルという国は、”ナチスの後”に生まれ、ホロコーストの時にはなかった国なので、ナチスに迫害されたユダヤ人国家でありながらドイツから補償を受けることができない。
しかし、イスラエルは ”ユダヤ人の殺害は次元の異なる類を見ないもの”として保証を引き出そうとした。ドイツ側は、東ドイツは反ファシズム国家として誕生しているのでナチスの責任は負わない。西ドイツはナチスの国家を引き継ぎ反省する宿命の元に建国されたので、賠償を強いられる。西ドイツは強いプレッシャーの元、「ルクセンブルグ補償協定」を結ぶこととなる。西ドイツは、補償を「物資」で行う。これにより、ヒトラーがポルシェに頼んで作った”フォルクスワーゲン”、ドイツの製鉄業、兵器製造企業の”クルップ”が立ち直っていく。
西ドイツの初代首相アデナウアーが、イスラエルと秘密裏に戦争のための「軍事協定」を結んでいた。西ドイツは日本とは異なり「再軍備」はできたが、この密約は憲法違反で、本来は他国の戦争を援助してはならない。西ドイツとイスラエルは軍事的に近く、やがて、それがイスラエルの戦争の支援に結びついていく。また、ドイツは従来から石油の関係でアラブコネクションは強く、ドイツはパレスチナにも援助しながらイスラエルを支援する形でパレスチナを虐めるという循環構造をもっていた。
これは、日本が韓国に対して賠償はしないが経済協力という形をとった1965年の「日韓基本条約」に似ている。朴正煕の韓国は日本の物資を買いインフラ整備をした。その前の1950〜53年日本は朝鮮戦争の特需で戦後の復興の足掛かりにしている。

 ※ドイツはイスラエル批判に対する言論統制をしている。
ドイツは今、イスラエル批判のデモを行う学生達を逮捕するなど、国家として圧力をかけている。他の国と比較してもナチ時代を彷彿とさせるような状況である。
アメリカも各大学で、イスラエルを批判した学者がパージされているが、ドイツも他国から来たゲストの研究者がパレスチナ支持を表明すると、研究契約を打ち切るということが起こっている。

 ※イスラエルの核兵器
公然の秘密として、イスラエルは核兵器を保有している。
イスラエルの核兵器はドイツの援助があった。イスラエルは「水不足」という問題を抱えていた。海水を電気を使って脱塩して生水にする技術のために、ドイツが電気をつくる「原子力発電」の技術を提供した。しかし、原発ができた記録も、ウランが送られた記録も残っておらず、IAEAによって管理されていない。それは、「原発」ではなく「原爆」につながったのではないかと言われる。
1995年頃、核実験再開を行ったフランスは、イスラエルの核実験を代わりに行なったのでないかとも言われた。https://ja.wikipedia.org/wiki/イスラエルの大量破壊兵器

 「日本の右翼、ドイツのナチの戦後の暗躍」とアメリカ
「ドイツとイスラエル」「日本と韓国」の結びつきに、アメリカが関与している。
日本は、米国の「反共」という外交政策のために、戦犯の国粋主義右翼の再利用が行われた。
ドイツは、「Guilty Conscience」絶対的反ナチだが、実際はCIAが間に入り、戦後ナチの残党の暗躍があった。
西ドイツはナチを克服して民主主義国家になったのか?答えはノーである。
西ドイツ初代首相アデナウアーの側近にさえナチスを支えていた者がいた。
ナチの農業政策で、コンラート・マイヤーという農学者は、東ヨーロッパで3千万人のうち半分を殺し、半分を強制移住させた。この「東部総合計画」はナチスの大きな犯罪なのに、彼は戦後罪を問われることなく教授として復活した。
戦前の統治機構を支えたとりわけスペシャリストを排除することができなかった。
対比として「731部隊」がある。日本の衛生学、細菌学の専門家として京大医学部の石井四郎の部隊が人体実験による研究をし、資料はアメリカに流れ石井四郎は罪を免除された。その研究資料が緑十字にも流れ、のちに緑十字は血液製剤のエイズ問題につながっていく。
ドイツも敗戦の色濃い時期に、秘密兵器V兵器(ミサイル技術)を開発した研究者のブラウンはアメリカのNASAに迎え入れられ、罪に問われなかった。ブラウンのロケットを飛ばす技術が「月面着陸のアポロ計画」に用いられた。
日本も戦争犯罪に加担した研究者は公職追放された後、ほとんど戻ってきた。
藤原氏の研究対象の満蒙開拓移民を国策化した農学者もほとんど復帰した。
ドイツは、欧州とアメリカの共有課題NATOに入る必要があった。
1968年、ドイツの若者達によるstudent revolutionが起きた。「お父さんお母さん、あの時あなたはどこでなにをしていましたか?」とナチスを問い直す「非ナチ化」のスローガンを掲げた。
70年代ヨーロッパ全土を震撼させたドイツ赤軍〈バーダー・マインホフ〉グループは、西ドイツの政府公共施設、政府関係者、政界関係者、法曹関係者、西ドイツ大企業とくに軍需産業幹部、西ドイツの基地に駐留したアメリカ軍などをターゲットにし、多数の著名ドイツ人を殺害した。
同じ時代、日本の「連合赤軍」メンバーたちと同様、理想に燃えたドイツの若者たちは、何故テロリズムに走ったのか。

 ※「緑の党 グリーンパーティ」とナチス
ミリタリズムとエコロジズムの近さ

緑の党がまず掲げたのは、「自然破壊」の問題提起だった。反資本主義的な運動に結びついた。社会民主党、共産党などの ”左翼に疲れた人” が緑の党に流れた。
少数ではあるが、元ナチだった人が流れていたことは事実で問題になった。
緑の党の問題点は、まず「軍国主義に対する批判が弱い」こと。
ドイツの外務大臣アンナレーナ・ベアボックは、緑の党。
ウクライナ戦争が始まってから、一気にドイツは軍事に予算をつけ「軍国主義」に走ったが、緑の党はリベラルな党なのに積極的な軍国主義姿勢をとった。しかし、ナチに関しては、表向きは、完全否定。
「ミリタリズムとエコロジズムの近さ」というのは、緑の党の中に見える。
緑の党は、ナチスがもっていた「自然保護法」「動物保護法」をつくりながら、エコロジカルな法律や運動をつくったが、過去を振り返りながら思想を鍛えていくことをしなかった。
それは、緑の党のエコロジズムが、富裕層、意識高い系の一部の人々にしか響かないエコロジーをつくったのではないか。レイバー(肉体労働者)にもつながっていく回路をつくらなかった。
ドイツにも「ナチスのエコロジズム」の問題の研究もなされているが、「ナチスとエコロジーはきりはなずべきだ」という結論が多い。
ドイツ的なエコロジーの系譜は、ナチス以前からある。「ワンダーホーゲル Wandervogel」はドイツ語で、「Wander彷徨う vogel鳥」の意味。19世紀末〜20世紀に学生達が森に入り、都市に対する嫌悪感を解消していた青年運動。これもドイツのエコロジーの流れの一環。
アウシュビッツ強制収容所のルドルフ・ヘスも、”都市の喧騒から逃れ山へ”という青年運動と重なっていった。ワンダーホーゲル、ナチス、緑の党が出てくる中で鍛え省みることはできたが、アメリカに近いドイツは、アメリカ経由の反近代主義のヒッピーカルチャーの思想の影響をうけた面もあっただろう。

  ※民俗学 フォルクスクンデ(Volkskunde)
ナチの根源的なもの、自然への回帰といった志向は、ロマン派から引っ張ってきたということもあるだろう。
19世紀のドイツ語の文法整備の一環で、グリム兄弟がフィールドワークで民話を収集し、ギリシャ・ローマの伝来ではない「ゲルマン」のVolk(独:民衆)の根源を掘り起こそうとした。
グリムが作った「民俗学(Volkskunde)」が初めて大学の正式な分野になったのは80年代。グリムはドイツの民衆に根ざしたドイツ語と習俗を聞き出し童話集をつくった。それは「ドイツ国民国家」を作る上で極めて重要だった。
ナチスは、普遍主義批判をする。啓蒙主義、近代、キリスト教も批判し嫌った。民俗学者に調べさせ、キリスト教の行事の中のゲルマン起源のものを指摘した。キリスト教でないゲルマン的価値観を民俗学的に掘り起こしていくという、「ロマン派からヒトラーへ」という流れは重要。
12月25日はキリストの誕生日ではなく「冬至」。キリスト教がアニミズム信仰の異教徒の中に広がる中で合流していった。
ヒトラーは、キリスト教以前のアニミズム的なもの、ギリシャローマとも違う、啓蒙のナポレオンのフランスとも違うというとき、「北方文化」を重んじている。
ヒトラーは「ルター以前の百姓の根性を信じている」と口走ったという。



イスラエルとドイツの関係史②
●1982年:西ドイツでキリスト教民主同盟(CDU)のヘルムート・コールが首相に就任。
→それまでの社会民主党系の首相たちは、どちらかといえば歴史に向き合い、ドイツの過去を反省しようという姿勢だったが、コールは「ドイツには歴史的にもっと誇るべきものがあったのではないか」という人々やその気持ちを代弁しながら首相になる。レーガン米政権とともに共産主義包囲期をつくりながら、社会民主党の「歴史認識」への反動を担っていく。それにともない保守系歴史家が台頭した。
●1986年6月6日:エルンスト・ノルテ(ドイツ歴史学者)は、その前例としてソ連収容所の存在を強調し、それとの比較検討
でホロコーストも考えるべきであるという論文を出す。

ドイツで最も影響力のある哲学者の一人であるユルゲン・ハーバーマスは、「それはアウシュヴィッツの絶対悪を歴史の文脈のなかに位置づけて相対化してしまうことであり、“ドイツはもっとよい国だった”とする歴史修正主義的な考え方に近づいてしまうことになる」という主旨の批判論文を出す。  
●1990年10月3日:ドイツ(東西)統一
●2008年3月:メルケル首相は「ナチスの残虐行為を相対化しようとする試みには、敢然と立ち向かう。反ユダヤ主義、人種
差別、外国人排斥主義がドイツと欧州にはびこることを二度と許さない」「ドイツ首相である私にとって、イスラエルの安全を守ること、これは絶対に揺るがすことはできない」とのべ、歴史的責任をドイツの「国是」であるとした。
●2022年2月27日:ロシアのウクライナ侵攻を受け、ドイツ・ショルツ首相が連邦議会で、国防費を国内総生産(GDP)の2%超に引き上げると表明
●2023年9月28日:ロシアのウクライナ侵攻を受けて防空体制の強化を急いでいたドイツと
イスラエルの国防相は、イスラエル製の弾道ミサイル迎撃システム「アロー3」をドイツが購入することで正式合意。
→調達額は約40億ユーロ(約6300億円)で、イスラエル史上最大の武器取引となった。



 ※日本とドイツの植民地主義の比較
 日本は、傀儡国家・満州国を作り、そこに事前に田んぼを作っていた朝鮮人移民を難民化して追い出した。その人たちの一部がパルチザンを作り、その一部が、金日成をつくった。
中国人も追い出して沢山のパルチザンを生み出しその攻撃を受けながら満州国をつくった。
 一方、ユーラシアの西のナチスも、ポーランド、ロシアを攻めて、特にポーランドに自分たちのゲルマン大帝国をつくるために、1世紀前からロシアやルーマニア他の地域に住んでいた在外ドイツ人を移住させてドイツ化をおこなう。そのために元々住んでいたポーランド人、ユダヤ人を追い出す。彼らは労働者にもなるがパルチザンにもなる。
 しかし、「ホロコースト」は別格で、その袋小路から抜け出さねばならない。
それは、「イスラエルの方こそ、ホロコーストと向き合ってないのではないですか?」と言う問いだ。

 ※「働けば自由になる」 Arbeit macht frei
 強制収容所で初めて番号の烙印を押されたのは、ユダヤ人ではなく、ソ連の捕虜だった。
人体実験もソ連の捕虜が先だった。ソ連の捕虜は、300万人餓死で殺されている。 
イスラエルは、アウシュビッツの事実と向き合っていない。 
アウシュビッツは労働キャンプでもあり、障害者、性的マイノリティーが阻害される中に、ユダヤ人がいた。
ユダヤ人は、世界を阻害する代表だった。金融資本をいじり、操り、私たちの労働を奪う存在として、「労働を大切にしろ、インテリども!」という表象でユダヤ人はアウシュビッツに入れられていた。
アウシュビッツの「知的エコロジー」、ナチスにとって近代社会で不要とされたのは何かを見ないと、ユダヤ人虐殺の本性は理解できない。
 アウシュビッツの門に書かれた「Arbeit macht frei アルバイト マハト フライ」は労働論。ナチスが最初につくった収容所はダッハウ強制収容所。政権を1933年1月にとって3月にはダッハウをつくった。ダッハウには政治犯を収容した。政治犯を「インテリがバカにしている労働によって改変させる」
「 macht frei 」とは、「make free」である。
macht frei と言う言葉はドイツの中世に使われている。「都市の空気は自由にする Stadtluft macht frei」”農奴”が都市に潜り込み366日間生活していたら晴れて”市民”にステージアップできると言われた。
中世の時代の大開墾時代に、領土を拡大するために、ドイツ騎士団のように東方に農民たちを駆り出した。その「農奴から身分を上げる」という甘い囁きの逸話が、『ハメルーンの笛吹き男』である。東方移民のための子供達をつれていく笛吹男の物語。
「Roden macht frei 開墾こそは人を自由にする」と言った。
中世では「開墾は人を自由にする」‥「都市は人を自由にする」と言い、ナチスは「労働は人を自由にする」と言った。
ナチスは、「社会主義」だから「労働」こそが人をステージアップさせると言ったのである。
ナチスは「国民社会主義ドイツ労働者党」だから、理念的には、インテリの労働も肉体労働も平等なのである。「労働」はインテリを超えるという理想があった。
ユダヤ人は、頭ばかりを使い、金融を裏で操る「利子奴隷制」をつくっている人間達だというのが、ナチスの定式。
しかし、ユダヤ人の中には熟練労働者もいたがナチスは殺してしまう。実はナチスの中でもユダヤ人を殺すかどうかで議論があった。定式化してしまうと、そのような議論が消えてしまう。
エコロジカルな?相対的な関係の中で、ユダヤ人の虐殺はより深く理解できる。
その残虐さがより理解できるのに、絶対化することで矮小化される。
また、ナチズムの本質も解らなくなる。
「イスラエルはホロコーストと向き合ってない」とサラ・ロイ(政治経済学者)は言った。
いかにユダヤ人達が自分達の歴史と向き合えていないまま、イスラエルという国家をつくってきたてしまったか。
”ユダヤ人がホロコーストに向き合っているならば、イスラエルでガザの虐殺を行う以前に、自分達がナチスに似たことをやってきたことに目が向くはずだ” 
ナチスと向き合っていれば、もっと「ナクバ」を相対化できたはずだ。



用語解説
●ドイツの「記憶文化」
●「ドイツのカテキズム」
(1) ホロコーストが唯一無二であるのは、それが「ユダヤ人絶滅のためにユダヤ人たちを無制限に殺戮すること」を目標としたからであり、それは、そのほかのジェノサイドが、プラグマティックで限られた目標のために遂行されたのとは異なる。ホロコーストは、歴史上初めて、ひとつの国家が、ひとつの民族をただイデオロギー的理由から抹殺しようとしたのである。
(2)ホロコーストは、人間相互の連帯を破壊したので、文明の破断としてのホロコーストを追憶することは、ドイツ国のみならず、高い頻度においてヨーロッパ文明の道徳的基盤さえ形成する。
(3) ドイツは、ドイツのユダヤ人に特別な責任を負っており、イスラエルには特別な忠誠が義務づけられている。
(4) 反ユダヤ主義とは、他とは類型を異にした偏見とイデオロギーであり、特別にドイツ的な現象であった。それは人種主義と混同されてはならない。
(5) 反シオニズムは反ユダヤ主義である。



  ※ドイツの「記憶文化」とは
ドイツの知識人は、ユダヤ人を虐殺したことに対して向き合わねばならないというプレッシャーどころか、それは内面の良心から出てくるものであり良いことだ。日本と圧倒的に違うのは内面化した反省の露出である。
これは「ドイツの記憶文化((Erinnerungskultur 想起の文化ともいう)」によるもの。
innerungs=in 内面化するの意。Er=獲得するの意。内面化して獲得すると言う意味。
ドイツは、ナチスが起こした虐殺の記憶を生活に溶け込ませている。
何人のユダヤ人がこの駅で移送されたということを刻印して地面にレリーフを埋める。ナチスにとって不味い思想家の本を焼いた場所に焚書のレリーフを埋める。子供達に歴史教育で議論させる。
ドイツの加害と向き合う「記憶文化」は日本に比べ素晴らしく、否定はしたくない。
しかし、「記憶文化」というのは、どこか選別されてしまう。ロマや障害者に対する加害も記憶文化の中に入ってはいるが、ユダヤ人の殺害が特権化されている。
「ナチス=アンネ・フランク、アウシュビッツ」というのは偏っている。
ユダヤ人の中には、アウシュビッツでなく、東欧で多く殺されている。東欧で暮らしていてナチスに支配され家を追い出されたユダヤ人が、パルチザンに入って、キリスト教のポーランド人と一緒に戦った。あるいは、ウクライナをナチが占領したとき、スターリンに虐められていたウクライナ人は独ナチを解放者と見て支持する者も多くいた。今でもウクライナにはナチを支持する人々(バンデラ派)がいる。ポーランドにも同様にナチを支持する者がいる。バルト三国にもいる。ナチスはソ連からの解放者と見ている。
ナチスとコラボレーションした記憶というのは、その複雑さから、この「記憶文化」からどうしても排除されてしまう。
「記憶文化」自体は非常に良いが、優劣、優先順位が発生して物事を単純化してしまいがちなので、これだけに頼ると危険な面もある。
「記憶文化」にも限界があった。

  ※「記憶文化」の罠
それは「西洋の記憶の罠」である。
ナチスのユダヤ人殺戮の記憶をどんどん重視していくと、「これに似たような罪を西洋諸国は全部やっていなかったか?」という問いが生まれる。
「奴隷制」「植民地主義」である。
「アフリカに対して、イギリス、フランス、ドイツも含めて大量に人を殺していないか?」
ドイツによる東アフリカ「ヘレロ・ナマクア虐殺」はナチと同様の残虐性をもって現地人を殺している。
このような記憶を「記憶文化」の中で封殺していなかったか?
ドイツで今議論されているのは、ナチスの研究に遅れて、「植民地研究」である。
ドイツの「植民地責任はどうなっているのか?」という問いは、やがて、イギリスに派生する。
イギリスの世界中に広がった「植民地主義」。
アメリカの「奴隷制」。コロナ禍で黒人が感染する確率が高かったのはなぜか? Black Lives Matterでは、奴隷商人の像が引き倒された。
これらも「記憶文化」の闘争なのに、行儀の良い「記憶文化」になってはいないか?というのがドイツの「カテキズム」論争につながる。

  ※カテキズムとは?
カテキズムとは、「問いを禁ずる」「これを疑ってはならない」「金科玉条」という意味。
ホロコースト研究者のディーク・モーゼスが、2020年代にユルゲン・ハーバーマスのやっていたドイツの記憶をめぐるドイツ歴史家論争は、「ハーバーマス側に問題があるのではないか?イスラエルがパレスチナで虐殺をやり続け、土地を奪って、ガザを封鎖しゲットー化して、ガザの水も食料も送らない。そいうことに向き合えないのはドイツに歴史のカテキズムがあるのではないか?」と疑義を呈し物議を醸した。
「Aと言ったらBと答えなさい」という教理問答。問い自体が禁じられるカテキズム。
モーゼスが指摘したのは、上記の5つ。

  ※モーゼスのドイツのカテキズムに対する批判
①ホロコーストは絶対に他と比較できないのか?
一民族を根絶やしにしようとしたのはユダヤ人の他にないのか?
イスラエルはパレスチナ民族として殺し続けていないか?
②ホロコーストというのはドイツだけの問題だけではなくヨーロッパの問題だという。
しかし、ヨーロッパ文明は植民地主義を行なっていたのでは?
③ドイツにはイスラエルに特別な忠誠が義務付けられているのか?
④反ユダヤ主義(antisemitism)は、他の差別主義とは比較できないのか?
セム人はエジプト人以外のアラブ人を指す。antisemitismとは反セム人主義であるが,一般にはひろく反ユダヤ主義の意味で用いられる。
他にも色々な人種主義があり差別があり人が殺されているではないか?
⑤反シオニズムは、ユダヤ人に対する憎悪とイコールか?

 ドイツ現代史研究の取り返しのつかない過ち――パレスチナ問題軽視の背景 
 京都大学人文科学研究所准教授・藤原辰史 長周新聞2024年2月23日
 https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/29293