【70年の苦しみ「たった3分」】水俣病、懇談でマイク音切る | ☆Dancing the Dream ☆

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熊本県水俣湾の漁民を中心に発生した公害病が発生したのは、1953年ごろ。
熊本大学医学部の水俣病研究班が「新日窒(現、チッソ)水俣工場」の排水中に含まれるメチル水銀が原因の有機水銀中毒であると汚染源をつきとめたのが1961年。
政府が公害病と認定したのは1968年。
なんと長い闘いであることか。

水俣病犠牲者の追悼慰霊式のあとの懇談の場での被害者の発言に、国は耳を傾ける時間をたった3分しか持てないというのか。



1日に熊本県水俣市で開かれた水俣病犠牲者の追悼慰霊式のあとの患者団体などとの懇談の場で、団体のメンバーの発言の途中で環境省の職員がマイクの音を切ったことについて、伊藤環境大臣は8日夕方、水俣市を訪れ、団体の代表らに「大変申し訳なく心からおわび申し上げたい」と謝罪した。
水俣病の犠牲者を追悼する慰霊式のあと、患者や被害者でつくる8つの団体の代表が伊藤大臣と懇談する場で、団体のメンバーが国への要望などをマイクで発言している途中、環境省の職員がマイクを切った。
これについて環境省は各団体に発言時間は3分と依頼し制限時間になったらマイクを切る運用で、今回、2つの団体の代表が制限時間を超えたことからマイクを切ったとしている。


被害者団体の発言遮断、謝罪へ 水俣病、懇談でマイク音切る―環境省
時事通信 内政部2024年05月07日18時43分配信
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024050701113&g=soc
熊本県水俣市で1日に開かれた、水俣病の被害者団体と伊藤信太郎環境相らとの懇談の場で、同省が団体側の発言を遮る対応があった。同省は7日、不適切だったと認め、担当者が現地訪問して謝罪する意向を示した。
 懇談は水俣病犠牲者慰霊式の後、同省のほか患者らでつくる8団体などが参加。しかし、団体側の代表2人の意見陳述が3分を超えたとして、同省職員がマイクの音量をゼロにして発言を妨げた。同省によると、1人3分の持ち時間を懇談冒頭に周知する予定だったが、失念していたという。
 同省特殊疾病対策室の担当者は7日、省内で記者団の取材に応じ、伊藤氏から同日、発言者に直接謝罪するよう指示があったと説明。「不適切で不信感を抱かせる対応だった。申し訳なく思っている」と陳謝した。