【「ガザ危機を見る眼」(中編)】~東京大学名誉教授 板垣雄三氏 IWJインタビュー | ☆Dancing the Dream ☆

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前半のまとめはこちら。

【「ガザ危機を見る眼」(前編)】東京大学名誉教授 板垣雄三氏 IWJインタビュー
2023年11月11日(土)
https://ameblo.jp/et-eo/entry-12828191288.html






「ガザ危機を見る眼」~東京大学名誉教授 板垣雄三氏 IWJインタビュー
[収録日時] 2023年11月2日(木)

(1:38:34〜)

認識の陥穽(落とし穴)
「民間人」と「兵士」は分けられない
 「イスラエル・ハマース戦争」と呼ばれる戦争の始まりの10月7日の破裂「アルアクサの大洪水」は、実はハマースだけではなく、多くの勢力が一致団結した奇襲攻撃の作戦だった。
「ハマースは悪いけれども、罪のない一般市民は苦しめられている」
「一般市民が殺されていていいのか!早く停戦を!」というように語られる。
このように、[ハマース]と [civilian(民間人) というふうに分けて語られる。
パレスチナの方もイスラエルの方も、そんな二分法は成り立たない。

「近朱者赤(朱に交われば赤くなる)」
イスラエルは国民皆兵氏

そもそもイスラエルというのは戦争国家として作られている。
イスラエルは、「国民皆兵」である。性別を問わず国民皆が兵役に就く義務がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/イスラエル国防軍
18歳になると男性は3年、女性は2年兵役に就く。
その後は、皆が「予備役」になる。
予備役は、いつでも兵隊になる準備の下にある一般社会で生活している軍隊在籍者。
一年に1ヶ月は最新の兵器を使う訓練を受けねばならない。
つまり、イスラエル市民は、18歳以下、高齢者以外は皆、軍人でもある。
 となると、”ハマスは、10月7日に音楽フェスのパーティに参加しているイスラエル人たちを拉致した” とされるが、建前上は、 このイスラエルの人たちとは、”予備役”の軍人である。
その行事自体も、軍隊が守って行われている。
イスラエルの都市の中央のカフェやレストランでも客が集まるところには警備をする軍人がいる。
イスラエルはそういう国である。

「近朱者赤(朱に交われば赤くなる)」
 抵抗者たらざるを得ない生活者

「抵抗者たらざるを得ない生活者」これが占領下のパレスチナ人の姿である。
イスラエルの兵士に対して、パレスチナ人は「闘う人にならざるを得ない」
ハマースをはじめ色々なグループの武装集団がいるが、いくらでもそこに「市民も混ざり込む」あるいは「支援する」。子供でも見張り係で支援する。
ガザのようなところでの暮らしの実態への想像力が問われる。

 要するに、イスラエルにしてもパレスチナにしても、「近朱者赤(朱に交われば赤くなる)」
「一般市民、民間人」だからと言って「私は無抵抗です。ノンポリです」ということはあり得ない。
「一般市民 民間人」と「兵士」を簡単に分けることはできない。

 人質とは?
 膨大な数のパレスチナ人の人質(拉致監禁)が無視されている

 人質とは 「純粋民間人」 というようには存在し得ない。
報道では、”ハマスが、イスラエルに越境侵入して、射殺、あるいは、捕まえて人質をガザに連れて行った”
これが「人質」と考えられている。

 パレスチナの側からすると、「人質」とは、まさに自分たちの問題で、「政治犯」「予防拘禁」というような口実で、家族が次々と連れていかれる。
このような「集団懲罰」「家族懲罰」が行われている。
こういう拘束された人々、家族や仲間をどうやって解放するのか?

 そして、10月7日の人質問題が発生した。イスラエル人や一部外国人旅行者が人質になった。
そして、マスコミは「人質の安全を守れ!」と言っている。
その場合に言われる「人質」とは別に、もっと大きな範囲の「人質」が存在している。
マスコミは、その、もっと大きな範囲の「人質」(集団懲罰を受けている多数のパレスチナ人)のことは何も報道しないのか?

 パレスチナ人の「拘禁」は、ガザよりも西岸の方が激しい。
「罪状もはっきりせず、裁判もうけることなしに、何年間も拘禁されているというような者が、家族や親族の一族に1人もいない」というパレスチナ人ファミリーは、いない。
それほど、無闇矢鱈な「拘禁」が横行している。

 西岸に不法入植してくるイスラエル人が、目星をつけた土地に住むイスラエル人を「不法逮捕」して「拘禁」して「裁判も行わない」「罪状もわからない」からいつまでも拘禁が続き、そのうち行方不明となる。
 これは、「人質」以上である。
ボリシェビキやスターリンがやったことは、今も何千何万の人が今も行方不明であり、ゲシュタポがやったことと同じで、滅茶苦茶な「人間の拉致」である。

ミュンヘンオリンピック事件(黒い九月事件)
1972年9月5日に西ドイツのミュンヘンで、パレスチナ人の「黒い九月」というPFLP(パレスチナ解放人民戦線)系のグループが、ミュンヘンオリンピックのイスラエルの選手団を人質に取る事件が発生。パレスチナ側は、イスラエルに収監されているパレスチナ人のほか、日本赤軍の岡本公三や、ドイツ国内で収監中のドイツ赤軍幹部など234名の解放と引き換えに、イスラエル選手9人を解放すると交換条件を申し入れた。
イスラエル側は、これを即刻拒否した。即時、イスラエル側は人質となった選手を見捨てたのである。
 イスラエルにとっては、ユダヤ人が被る被害や反ユダヤ的差別は利用できる材料でもあり、それによってイスラエルの”国家は安泰”である、という皮肉な矛盾した病的な自己防衛を行う。
それまでもイスラエルが人質を見放すということはよくあったが、このミュンヘンオリンピック事件は、明確に「人質見殺し」を行なった。
結局、西ドイツだけが処理を背負わされ、パレスチナ側が要求するエジプト脱出の交渉を呑み、結果的に人質救出作戦に失敗し、パレスチナ人の自爆に巻き込まれて人質9人は死亡した。

 2021年の東京オリンピックの開会式で「ミュンヘンで亡くなったイスラエル選手を悼む黙祷」を行なった。これはイスラエルがIOCに要求し続けていたが、IOCは断っていた。
これが東京オリンピックで実現したのは、五輪のショー・デイレクターだった小林賢太郎が過去ホロコースト問題を揶揄する発言をしていたとして世界の反ユダヤ主義の言動を監視する「サイモン・ヴィ―ゼンタール・センター」(SWC)から批判され、日本側は震え上がって、開幕直前に辞任させ、開会式の黙祷が行われることになった。

  
  ロッド空港事件(テルアビブ空港乱射事件)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ミュンヘンオリンピック事件
” サベナ機ハイジャックの失敗
1972年5月8日に、パレスチナ過激派テロリスト4人が、ベルギーのブリュッセル発テルアビブ行きのサベナ航空のボーイング707型機をハイジャックしてロッド国際空港に着陸させ、逮捕されている仲間317人の解放をイスラエル政府に要求した(サベナ航空572便ハイジャック事件)。しかし、イスラエル政府はテロリストによる要求を拒否し、ハイジャックしているテロリストを制圧し、犯人のうち2人は射殺され、残る2人も逮捕された。93人の人質の解放に成功したものの、乗客1人が銃撃戦で死亡した。
 PFLPと赤軍派の協力
そこで、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)は「報復」としてイスラエルのロッド国際空港を襲撃することを計画した。だが、アラブ人ではロッド国際空港の厳重警戒を潜り抜けるのは困難と予想されたため、PFLPは赤軍派の奥平に協力を依頼し、日本人によるロッド国際空港の襲撃が行われた。
日本人グループはPFLPへの国際義勇兵として参加したもので、「日本赤軍の前史」ともいえる。
犯行を実行したのは、赤軍派幹部の奥平剛士(当時27歳)と、京都大学の学生だった安田安之(当時25歳)、鹿児島大学の学生だった岡本公三(当時25歳)の3名。
奥平は警備隊の反撃で射殺。安田は手榴弾で自爆したとされる。岡本はただ一人逮捕された。


  
  岡本公三 ザ・スクープ
1972年7月13日岡本はイスラエルで裁判にかけられ終身刑が求刑され服役。1985年5月にイスラエルとPFLP-GCとの捕虜交換により13年間服役後釈放された。リビア・シリアを経由して、日本赤軍の本拠地レバノン入りした。日本警察は釈放直後から岡本の逮捕状を取り、国際刑事警察機構で国際手配した。1997年にレバノンに潜伏していた岡本を含む日本赤軍5人が検挙され、禁固3年、2000年3月出所。岡本以外の4人は日本に送還されたが岡本はイスラエルと対立するレバノン政府は岡本の政治亡命を認めた。

エンテベ空港奇襲作戦 
1976年6月 27日イスラエル人約 80人を含む 258人の乗客を乗せたエールフランス139便ハイジャック事件。
イスラエルのテルアビブからパリの素ゴール空港行きの飛行機が、途中の給油地のアテネ空港を離陸した直後にハイジャックされた。
PFLP系のパレスチナ人と西ドイツ人の4人のハイジャック犯は、イスラエル、西ドイツ、ケニア、スイス、フランスに拘禁されているパレスチナ人53人の釈放を要求。
飛行機は、ハイジャック犯の指示に従い、リビアのベニナ空港で給油し、イギリス人の妊婦、身体障害者の人質の解放を行い、その後ウガンダのエンテベ空港に強行着陸し、乗客はイスラエル人およびユダヤ人を残し解放された。
ここで、イスラエル・コマンド部隊 100~200人が突如エンテベ空港に着陸し、奇襲攻撃をかけてきて、空港警備のウガンダ兵が撃ち合いとなった。
ウガンダのイディ・アミン大統領は、親パレスチナだったのである。
これでウガンダ兵多数が死亡し、空港にあったウガンダ空軍のミグ戦闘機 11機がイスラエルにより破壊された。
この作戦は大きな国際的波紋を巻き起こし、アフリカ統一機構 OAU首脳会議や東側諸国はイスラエルの行動を、「国際法を無視しウガンダの主権を犯すもの」として非難した。

 ウガンダのアミンは、当時、国際メディアによって、物凄い「悪者」に仕立て上げられた。
エンテベ事件の翌年、アミンは失脚する。
 メディアはユダヤ人の力が強い。
国際的なメディアでは、なぜかしら、ユダヤ人、イスラエル人に冷淡だったり厳しかったりすると、たちまち「悪者」のレッテルをつけられるということが、現実にある。

 これからイスラエルが実行するのは、「イスラエルは武力で人質を解放する」ということである。
そのモデルは「エンテベ空港奇襲作戦」である。
宣戦布告もないところで、イスラエルとウガンダの戦争が始まった。
イスラエルは、他国の領土に急襲を仕掛け、宣戦布告もなく戦争を始めることによって、人質解放した。

人質になった予備役将校タンネンバウムは麻薬売人だった
2000年10月7日、レバノン人の村シャバア南の前線、すなわち国連の管理区域の目と鼻の先で、国防軍の兵士3名(いずれも1等軍曹)がヒズボラに誘拐されるという事件が発生(ただし誘拐時には3名ともすでに殺害されていた)。9日後の10月16日には、予備役将校エルハナン・タンネンバウムが、レバノン渡航中に誘拐される(後に麻薬取引のために同国に渡ったことが明らかになる)。イスラエル政府は2004年、兵士3名の遺体とタンネンバウムの身柄の返還を引き換えに、約1000人のレバノン人とパレスチナ人の囚人を釈放した。


世論を動かした
人質ギルアド青年の父
ポピュリストのネタニエフが乗っかる

 2006年6月、兵役で戦車部隊に配属されたギルアド・シャリート青年は、ガザとの境界線南部の監視施設で警備にあたっていた。しかし、彼は任務中であったにもかかわらず居眠りをしていた。
そこへ、ガザからイスラエルの村へ通じる地下トンネルを通ってイスラエル領内へ侵入した複数のパレスチナ人に攻撃を受け、戦車の乗員2名が死亡、その他4名が負傷。
シャリートはガザへと連れ去られた。
特徴的なのは、拘束期間が経過する中で、シャリートの父親が、息子の救出を非常に政府に強く迫り、これがイスラエル国内での世論を大きく動かし、国際的な働きかけも受けた。
その結果、イスラエルが捕まえているパレスチナ政治囚・1027人(主体は18歳以下の子供+女性)と、ギルアド・シャリート1人の交換となった。
この決着つけたのはネタニヤフだった。
ネタニヤフは、いわゆる「大衆ウケ」を狙ってこれに乗っかった。

 今、イスラエルは、「エンテベ方式」で強行しようとしているが、
相手側の条件を丸呑みする「ギルアド方式」は、ネタニエフ自身がやったことなのである。


(2:22:11〜 後編につづく)