【ハイライト】 21世紀の新・帝国主義「安倍国葬」は対米隷属勢力と対米自立勢力の踏み絵
『国葬=旧統一協会=対米隷属=勝共連合』の図式を読み解く!
岩上安身による 政治経済学者 植草一秀氏インタビュー
収録日 2022.10.3
【最後のまとめ】
統一教会の問題は、片側でずっと自民支援してきているが、もう一方の姿がある。
アメリカが日本の属国化をずっと維持するには、自民党を中心とした政権を維持しないといけない。
それには、常に選挙の洗礼を越えなければいけない。
その戦術は、動員、妨害、分断である。
動員:国民の約25%が自公支持者なので動員をかける。
妨害:残りの75%はできるだけ政治に関心を持たせないように関心を逸らす。
分断:一番の核はの頃の勢力で反自公の人たちを割ってやる。
分断で一番良い方法は、共産党と組む勢力と組まない勢力でで割ってやると、必ず自公が勝つ。
共産党と組まないようにするにはどうするかというと、「共産党と組むんですかー?」と繰り返し言うと、組む人は組む。組まない人は組まない。必ず分かれる。
それ(分断工作)をずっとやってきたのが、元々民社党だし同盟だし、その延長上にある今の連合の傘下の産業別労働組合(6産別)で、国民民主党で、その連合のトップにいる芳野友子会長は、「富士政治大学校」という同盟の作った研修機関で反共理論を学んでいる。
この「富士政治大学校」の二代目の理事長が、松下正寿という民社党の参院議員で、松下正寿が統一教会とまさに表と裏の関係だった。
この「富士政治大学校」と非常に近い関係にあるのが、「松下政経塾」で、ここも基本的には6産別の研修機関みたいなものなのだ。
裏側にあるのはCIAだと思っているが、日本の政治を対米隷属で属国化する方法は、ひとつに自民党を支援する、もう一つは野党二つに割る、そして、野党を二つに割る運動の中心が、反共政策で、その中核にいたのが、「国際勝共連合」。
「国際勝共連合」というのは、実は、民社党とか同盟とかと非常に近い関係だったのである。
1947年以降の日本というのは、逆コースで反共政策が中心で、それが現在まで続いているので、この統一教会問題は単に宗教問題ではなくて、アメリカの日本支配の基本ツールである反共政策の中核部隊である「国際勝共連合」と密接な関わりをもつという全体像を全ての国民がこの機会に知っておく必要がある。
芳野友子は、国葬に出ている。
一緒に出ているのが野田佳彦。野田佳彦は「松下政経塾」の第1期生。前原誠司も同じく第1期生。
✔︎2010年問題。鳩山政権が潰され、菅直人、岡田ラインに切り替えられて、2月にカート・キャンベルと小沢一郎が会った。これをWikileakがリークしているが、あの一連のリークの中に、2009年10月に前原誠司とルース大使が会っていて、「この場で普天間の辺野古移設の話がうまくいかない場合は5月に連立を解消して社民党を出して、それをやる」という話をしている。それを前原誠司がルースに話したことをWikileakが暴露していた。
このWikileakの情報は小沢・キャンベル会談と同水準に極めて重要な情報だが、まだ十分に浸透はしていない。
民主党の中でも正確に知っている人が結構少ないことに驚いている。
⬇︎ ⬇︎
✔︎wikileaks
AMBASSADOR ROOS'S MEETING WITH MINISTER MAEHARA
Date:2009 December 10, 05:10 (Thursday) Canonical ID:09TOKYO2822_a
https://wikileaks.org/plusd/cables/09TOKYO2822_a.html
前原誠司は一般の支持者をあつめた朝の講演で、堂々と「私は鳩山政権で大臣を仰せつかったけれども、面従腹背です」とはっきり言った。公然と裏切るつもりだったと言っている。最近昔の話を暴露し始めている。
いち代議士がそのような恐れ多いことをできるものではない。自分のバックに米国がある、米国の指示で動いていることは間違いではないという信心だろう。(by岩上)
「連合」というのは、「国際勝共連合」ではないかなと思われる。(by植草)
民社・同盟・六産別と勝共連合(植草一秀の『知られざる真実』)
2022年8月24日 (水)
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2022/08/post-4d607f.html
国際勝共連合が創設されたのは1968年のこと。
1967年に笹川良一氏が本栖湖畔の施設に文鮮明氏、児玉誉士夫氏の代理人、日本統一協会初代会長を招き、「アジア反共連盟」の結成準備を話し合った。
しかし、日本の右翼陣営の不一致によりこれは実現しなかった。
その後、本栖湖会談の精神を受けつぎ、1968年に「国際勝共連合」が創設された。
創設した主体は旧統一協会。
旧統一協会は1954年に韓国で世界基督教統一神霊協会として創設された。
日本で宗教法人の認可を受けたのは1964年。
当初の本部は渋谷区南平台の岸信介氏宅隣接地に置かれた
1968年の国際勝共連合創設に際しては岸信介氏が後ろ盾になったと見られる。
岸信介氏、笹川良一氏、児玉誉士夫氏には強いつながりがある。
3名は揃って1948年12月24日に釈放されたA級戦犯容疑者である。
前日の12月23日にA級戦犯7名に対する絞首刑が執行された。
運命は天地に分かれた。
この戦犯容疑者釈放に深く関わるのが米国の対日占領政策路線の転向だ。
GHQの対日占領政策は民主化・非武装化路線から非民主化・思想弾圧・再軍備化に転向した。
「逆コース」と表現される変化が生じた。
占領当初の民主化を主導したのがGHQ・GS=民政局。
転向後の「逆コース」GHQを主導したのがGHQ・G2=参謀2部である。
参謀2部を率いたのがウイロビー少将。
吉田茂はウイロビー少将と関係を築き、首相の座に返り咲いた。
岸信介氏釈放を主導したのもウイロビー少将であると見られる。
1947年を転換点にGHQの対日占領政策の根幹に「反共政策」が置かれた。
「反共活動」こそ、1947年以降の対日占領政策の根幹を成したと言ってよい。
この過程で1968年に「国際勝共連合」が創設された。
韓国で創設された旧統一協会は当初、反共政策を掲げていなかったとされる。
旧統一協会に対する厳しい視線が存在した。
このなかで、「反共政策」を掲げることによって朴正熙軍事政権、KCIAの庇護を受けることに成功。
その戦術を日本に持ち込み、「反共政策」を基軸に日本における地保を固めたと見られる。
しかしながら、旧統一協会の教義には、「先祖の犯した植民地支配という罪を償うため日本人信者はあらゆる献金をし、先祖解怨をし、懺悔する気持ちで献金をしなさい」というものがある。
北海道大学大学院の櫻井義秀教授は、
「原理講論(教典)に韓国語版と日本語版があって、韓国語版には植民地支配がいかにひどいものだったか書かれていて、日本語版にはそれがない」
「“恨みを解く”ことが統一教会の本質で、植民地時代の民族的恨みを解くこととして、日本で資金を調達してそれを韓国に持ってきて世界的な活動に使うことが統一教会の本質を成しているんだと思う」と述べる。
「反共政策」と「反日教義」が基軸になっていると言ってよいだろう。
米国の占領政策は「反共政策」を軸に展開されることになったが、このなかで1960年に民社党が創設された。
野党のなかに対米隷属勢力を埋め込む戦術。
その民社党の支持母体として創設されたのが「同盟」。
この民社党も「反共活動」の拠点になった。
1955年に立教大学総長に就任した松下正寿氏は1967年に自民、民社推薦で東京都知事選に出馬し、落選したが、翌68年に民社党から参院東京選挙区に出馬して当選した。
1974年には旧統一協会が主導する世界平和教授アカデミー初代会長に就任。
その後、松下氏は民社・同盟系の富士社会教育センター(富士政治学校)理事長を務めた。
現在の連合会長の芳野友子氏はここで反共政策の研修を受けた。
旧統一協会と深い関係を有するのは自民党清和政策研究会だけでない。
民社党、同盟=連合六産別が反共活動の尖兵として行動してきた歴史がある。
1947年以降の「逆コース」日本における「反共活動」全体について、正確な知識と理解を持つ機会が生み出されたことは不幸中の幸いだ。
『日本経済の黒い霧
ウクライナ戦乱と資源価格インフレ
修羅場を迎える国際金融市場』
(ビジネス社、1870円(消費税込み))
民社・同盟系の動向がかぎ 連合と右派運動 中島岳志
2019年5月23日 02時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/3319
参院選が近づく中、連合の股裂き状態が解消されていない。もともと連合は民主党・民進党を支援してきたが、大きく立憲民主党と国民民主党に分かれたため、組織内候補も二分化されている。比例代表の統一名簿も提案されているが、立憲民主党は応じていない。このまま選挙に突入すると、政党支持率が低迷する国民民主党は苦戦することが予想される。当然、国民民主党から比例代表で立候補予定の五人の組織内候補は、全員の当選が難しくなる。
連合は、もともと一枚岩ではない。社会党を支持してきた「総評」や民社党を支持してきた「同盟」などが統一して結成されたため、思想的な背景を異にする人たちが参集している。
朝日新聞の言論サイト「論座」でスタートした藤生明の連載「日本会議と共闘する労働戦線は、どう作られてきたか」は、「民社党・同盟」勢力の現在を追うことで、今後の野党を展望する。
連載第一回「生きていた民社党、保守運動をオルグする」(5月5日)の中で、藤生が注目するのは、現在、日本会議会長を務める田久保忠衛の存在である。田久保は「民主社会主義研究会議」(民社研)の中枢で活動した言論人で、民社党の綱領づくりにも参画した。民社研は一九六〇年の民社党結成と同時に発足した組織で、民社党の政策を理論的に支えるシンクタンク的存在だった。
日本会議のような右派運動が、「民社党・同盟」系の田久保に期待しているものは何か。藤生曰(いわ)く「民社協会の地方議員ネットワークやUAゼンセンのような活発な労働組合の存在は戦力として魅力的に映ったに違いない」。民社協会は、旧民社党系の国会議員・地方議員が構成するグループで、国会では国民民主党に属している。
「民社党・同盟」の人脈は、現在でも様々(さまざま)な右派運動に関与している。「新しい歴史教科書をつくる会」、「文化の日」を「明治の日」に改める運動、そして拉致問題。かつては「元号法制化実現運動」にも参画し、大きな役割を果たした。
立憲民主党と国民民主党の亀裂は、労働運動のイデオロギー的な再分化・先鋭化を加速させる可能性がある。これは野党共闘の大きなネックになるだろう。国民民主党は、草の根の右派運動と、どのような関係性を保つのか。両者の関係が深まれば深まるほど、リベラルな価値観を重視する立憲民主党との溝は深まり、自民党との思想的近さが鮮明になる。
民社党・同盟の源流をたどると、鈴木文治らが大正期に創設した友愛会(一九一二年)、日本労働総同盟(一九二一年)に行きつく。東京・芝にある「友愛労働歴史館」では、連合に至る歴史が展示されており、現在は「民社党結党60年、勤労国民政党の旗を掲げて」という企画展が開催されている(6月28日まで)。
重要な展示なので、見に行ってみた。当然、一九六〇年に民社党を結成し、初代委員長に就任した西尾末広が大きく取り上げられている。
西尾は一九二八年の第一回普通選挙で社会民衆党から立候補し、当選。一九三〇年代には無産政党が結集した社会大衆党に所属し、中核を担った。社会大衆党のメンバーは、国粋主義的な国体論に接近し、全体主義的な労働者の解放を主張。西尾は社会主義の観点から国家総動員法案を支持し、近衛文麿首相に対して「もっと大胆率直に日本の進むべき道はこれであると、かのヒトラーの如(ごと)く、ムッソリーニの如く、あるいはスターリンの如く大胆に進むべきであると思うのであります」と演説した。
「一君万民」という国体論は、天皇の超越的権威のもと、万民は平等であるというイデオロギーである。西尾らにとって、この国体論は資本家から労働者を解放する根拠となった。
このような社会大衆党の戦前・戦中の国体イデオロギーへの接近は、展示の中では強調されていない。しかし、「民社党・同盟」には、その皇国主義的ナショナリズムが連続的に受け継がれている側面がある。ここが藤生の指摘する「日本会議と共闘する労働戦線」につながる。
現在の「民社党・同盟」は、どこへ向かおうとしているのか。今後の政局に関わる重要なポイントにほかならない。
(なかじま・たけし=東京工業大教授)