【米日カウンシルの暗躍②】加計はいた❓安倍と日系米人(アーネスト比嘉)の会食(4/1)の疑惑⁉️ | ☆Dancing the Dream ☆

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【米日カウンシルの暗躍①】加計はいた❓安倍と日系米人(アーネスト比嘉)の会食(4/1)の疑惑⁉️
2018年10月19日(金)
https://ameblo.jp/et-eo/entry-12412188061.html
⬆︎記事のつづき…


①と②に分け、
②を再掲



ーー

安倍政権によって、戦後70年周年の課題とは、
オバマ広島訪問を実現すると同時に、
安倍政権が推進している教育改革の重点課題の
初等教育から高等教育まで一貫した「グローバル人材の育成」の
下地作りということなのだろう。

安倍晋三が、ハーバード大、マサチューセッツ工科大、
スタンフォード大
などを訪問し、
安倍昭恵が、グレートフォールズ小学校、ローザ・パークス小学校などを
訪問している。

第一次安倍政権による改悪後の教育基本法が国民に強要する
愛国心」をもって、(軍事)企業が求める企業の資する人材、
世界に勝つ人材を作るという計画だ。
この背後には、改憲によって軍事国家をつくり、
学校を軍事の下請けにするという意図が見え隠れする。


…しかし、このような日米外交は、
明仁天皇 美智子皇后の皇室が積み上げてきたものを
横から掠め取ったようなものだ。

こちら(↓)を クリックして、ご覧いただきたい。
『宮内庁発表 皇室のご活動 アメリカ合衆国ご訪問(平成6年)』


1994年 両陛下訪米

2015年の安倍のアメリカ訪問は、
1994年の両陛下アメリカ訪問を
なぞる如きものであることがわかる。
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※2006年3月 昭恵と下村今日子は、加計孝太郎とアメリカ旅行をし、
 加計学園 広島 英数学館とグレートフォールズ小学校の
 姉妹提携を締結した。


Students from the Great Falls Elementary School's Japanese Immersion Program, grades 1-6, performed at the Willard Hotel in Washington DC on April 2, 2016.

天皇皇后両殿下が、「グレートフォールズ小学校」をご訪問されたのは、
この小学校は、日本語イマージョンプログラムがあり、
子供たちが日本語に親しんでいるからのようだ。

グレートフォールズで日本語教育を始めたのは、
おそらく、グレートフォールズ出身の
アンドリュー N ネルソンという宣教師が編集した
漢英辞典の存在によるものなのだろう。
この辞典は世界中で親しみを込めて「ネルソン」と呼ばれ、
英語圏で日本語を学ぶ者の定番なのだ。


Andrew Nathaniel Nelson アンドリュー N ネルソン:1893年アメリカ・モンタナ州グレートフォールズ生れ。ワラワラ大学卒、1938年に日本の寺院の起源、歴史、現在の位置付け関する論文を発表し、ワシントン州立大学にて博士号所得。セブンスデー・アドベンチスト教会の宣教師として来日。語学教育の分野でも活躍し、英語圏の学習者向け辞典、”The Modern Reader's Japanese-English Character Dictionary”を出版。
ネルソンは香港で死去。死後、ハワイ大学東アジア言語文学部教授のジョン H ヘイグのチームによって改訂版が出されるが、学者や教師、生徒は、ヘイグ・エディションで行われた変更のため機能性が損なわれたとして印刷中に残っているオリジナル版が使われ続け「ネルソン」と呼ばれ、この辞典は親しまれている。
ジョン H ヘイグ:米国最大の東アジア言語文学研究所、ハワイ大学東アジア言語文学部准教授。



両陛下が築いた皇室外交は、
本来なら皇太子ご夫妻によって引き継がれるものだろうが、
小泉政権下において、
外務省は、護憲派天皇の意思を継承した
皇太子ご夫妻の活動を排除した。
雅子さまバッシングが過熱し、
皇太子殿下は、雅子さまへの「人格否定」に抗議した。


2004年 5月10日 欧州3カ国歴訪を前にした皇太子徳仁親王は記者会見
結婚後の雅子妃の状況について
「外交官の仕事を断念して皇室に入り、
 国際親善が皇太子妃の大切な役目と思いながらも、
 外国訪問がなかなか許されなかったことに大変苦労していました。
 雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を
 否定するような動きがあったことも事実です」

憲法改悪を目指す安倍政権は、
護憲派天皇の平和外交を、
戦争ビジネス外交に塗り替えたのだ❗️


斎木昭隆 斎木尚子 夫妻ともに外務官僚。
2006年3月時点で斎木昭隆は、在米日本国大使館公使。
斎木昭隆は「10年に1度の大物次官」と言われるほど
傑出して優秀な官僚だった。
2002年9-2006年1までアジア大洋州局次長として拉致問題に関わり、
斎木夫妻と安倍夫妻はプライベートでも親しかったが、
2013年、外務事務次官に就き、日露交渉の方針で、
プーチンとの北方領土交渉の解決に前のめりになっていた安倍首相と
「益なし」と見た斎木は対立し、
次官退任後の最高ポストの在アメリカ日本大使には就けなかった。
斎木尚子は、2015年ミシェル大統領夫人来日時も活躍し、
2015年10月には異例の重要ポストの国際法局長に就任する。
🔴2006年3月の 昭恵、下村今日子、加計学園のアメリカの旅行のお世話係をしたのでは❓



佐々江賢一郎 外務官僚。米日カウンシル評議員
岡山県倉敷市児島出身 (岡山は加計学園の本拠地)
広島大学附属高等学校 (加計勉と同じ出身校)
2005–2008年アジア大洋州局長に就任し北朝鮮拉致問題にも当たった。
🔴新天皇の《侍従長の候補》に、
現在の河相周夫侍従長とその前任の川島裕と同じく、
外務省事務次官や駐米大使を歴任した佐々江賢一郎が
最右翼と目されている❗️



藤崎一郎 元外務官僚。米日カウンシル 評議員
伊藤博文の玄孫にあたる。中曽根康弘世界平和研究所 理事長。
🔴藤崎一郎の謀略〜2009年12月21日、普天間移設問題に関して国務長官ヒラリーと国務省で15分間の緊急会談を行った際、大雪のためアメリカ政府機関は臨時の休日となる中で朝に急きょ決まって午後に会談に呼び出されたとして、日本メディアは異例と報じた。藤﨑は「朝にクリントン国務長官から来て欲しいと連絡があった」と語っているが、フィリップ・クローリー国務次官補(広報担当)は翌22日の記者会見で「呼び出したのではなく藤崎大使の方から訪れた」と述べ、藤﨑の主張を否定した。
《関連記事》
**鳩山さんを陥れた官僚のウソ~レク用極秘文書偽造
**原爆投下に対する謝罪を求めない異常な日本




2015年
エジプト演説「ISと戦う周辺国に2億ドル支援」(1/17)
→ISが人質邦人の身代金2億ドル要求 (1/20)
→新経済連盟の新年会挨拶 国家戦略特区法成立の約束 (1/22)
→IS拘束2邦人見殺し (湯川さん1/25 後藤さん殺害2/1)
→国会答弁席から日教組ヤジ (2/19)
→加計と面談15分間「いいね」(2/25)
→311福島復興 不気味メッセージ (3/11)
→ミシェル大統領夫人 初来日 (3/18–3/20)
USJC アーネスト比嘉(日系米人)と会食 (4/1)
→加計ら官邸(柳瀬秘書官)訪問 (4/2)
→加計の花見の会に出席 (4/7)
→国賓公式訪米(4/26〜5/3)
→昭恵オバマ夫人 グレートフォールズ小学校訪問 (4/28)
→米議会両院合同会議にて演説 戦後70年ジャパンイズバック(4/29)
2016年
昭恵 「私的」真珠湾訪問 (8/22)
→安倍 「謝罪なき」真珠湾訪問演説 オバマ参加(12/27)


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経緯・資料

○2015年1/5 安倍は、新幹線を利用して伊勢神宮参拝。
 往復とも 名古屋駅で葛西敬之JR東海名誉会長が出迎えた。
 http://d.hatena.ne.jp/pm-watcher/20150105/p1


○1/15〜1/20 中東訪問
 エジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナを歴訪し、
 約850億円をばら撒いた。


○1/20イスラム国は、
 1/17の安倍のエジプト演説「ISILと戦う周辺諸国に2億ドル支援する
 という内容を受けて、拘束していた2邦人の身代金2億ドル要求。
 猶予は72時間以内。日本政府は救出に失敗。
 邦人二人が殺害(湯川氏1/25 後藤氏2/1)された。



○2015年1月22日「新経済連盟」新年会安倍首相挨拶
 (1:00〜)
「先の臨時国会で廃案となった国家戦略特区法の改正案や、
 女性活躍推進法案も成立を目指して参ります。」



○2015年2月1日、安倍緊急会見
 イスラム国による湯川さん 後藤さん殺害について



○2015年2月12日 安倍 施政方針演説
 アベノミクス解散 (衆議院解散2014年11月21日)に伴う
 衆院総選挙が行われ、自公は現行制度下で最多の35議席を獲得。
 議席数の3分の2以上を維持。


○2/18 東京・南麻布の日本料理店「有栖川清水」で、
 葛西敬之JR東海名誉会長、
 古森重隆富士フイルムホールディングス会長と会食。



○2015年2月19日 衆議院予算委員会 
 玉木議員は、西川公也農林水産相の献金疑惑について追及。
 安倍は 「日教組!日教組どうすんだよ」と脈絡のない野次を飛ばし、
 大島理森委員長にたしなめられてもヤジりつづけた。


○2/20 衆院 安倍晋三vs前原 2/19の日教組ヤジの謝罪を求める。 
 安倍:「なぜあの時、日教組といったかといえば、
 日教組は補助金をもらっていて、そして、
 教育会館というものがあるわけでありますが、
 教育会館から献金をもらっている議員が民主党にはおられて、
 それに対する質問をかつてかつて我が党がした時に、
 「これは別の団体だから関係ない」というのが、
 当時の民主党の政府としての大臣が答弁した見解であったわけでありますから、
 それをどう考えるかという指摘をしたところでございます。



○2/23 安倍 事実誤認。しぶしぶ撤回謝罪
「文科省で調べた結果、2012年度までの10年間の決算書を
 確認した限り、議員献金という記載はなかったということだった」
「私の記憶違いにより、正確性を欠く発言を行ったことは
 遺憾で訂正申し上げる。申し訳ない」と、発言を撤回し謝った。




○2015年2月23日 衆議院 予算委員会 山井和則



○2015年2月24日 安倍スピーチ CLSAジャパンフォーラム2015


2/25に理事長が首相と面談(15分程度)。
 理事長から、獣医師養成系大学空白地帯の四国の今治市に
 設置予定の獣医学部では、国際水準の獣医学教育を目指すことなどを説明。
 首相からは「そういう新しい獣医大学の考えはいいね。」
 とのコメントあり。
 また、柳瀬首相秘書官から、改めて資料を提出するよう指示があったので、
 早急に資料を調整し、提出する予定。
 (3/3に行われた加計学園と愛媛県の打ち合わせ/愛媛文書より)



○2015年3月11日。311東日本大震災から4年。福島復興
 安倍 全国­の皆様への(不気味な)メッセージ。


○3月18日から20日、ミシェル・オバマ大統領夫人が来日
19日に安倍と昭恵それぞれ会談。
ミシェル夫人が行なっている発展途上国の女子教育支援キャンペーン
「Let Girls Learn」のイベントに出席。
20日には京都を見学し大阪からカンボジアに発った。

19日、ミシェル夫人は、
安倍と昭恵それぞれ会談した後、
ミシェル夫人自らが行なっている発展途上国の女子教育支援キャンペーン
「Let Girls Learn」としてのイベントに、
昭恵、キャロライン・ケネディ駐日米国大使、
斎木尚子外務省経済局長らと共に参加。
このイベントには、
米日カウンシルと在日米国大使館がつくった
TOMODACHIイニシアチブ〉というプロジェクトの経験者である
岩手、宮城、福島、東京の日本人女子学生も参加した。
**TOMODACHI http://usjapantomodachi.org/ja/2015/03/14754/


○2015年4月1日 東京・元代々木町の
 ピザ店『エンボカ東京』友人と会食。(首相動静より)
 今井雅人が国会で誰と会食したのか質問した。
 安倍は加計孝太郎も加計学園関係者も参加していない。
 古くからの友人の*日系アメリカ人夫婦と会食したと答弁。
 (↑米日カウンシルージャパン 代表理事の *アーネスト比嘉
 衆院予算委 18年4/11 今井雅人(動画 14:00〜)
 翌4/2 加計学園と今治市、愛媛県は官邸を訪問し、
 柳瀬首相秘書官と会談している。
 4/2以前に安倍と加計孝太郎は会談している記述あり(愛媛文書より)


○2015年4月7日 「高輪七軒茶屋」で開催される恒例の
 加計孝太郎 主催の「花見の会」に出席。



○2015年4月29日 米国連邦議会上下両院合同会議 安倍演説
 「希望の同盟へ」ジャパンイズバック❓戦争70年
 4月26日から5月3日まで米国を訪問。
 4月30日、安倍首相は日本の首相として初めて
 公式にシリコンバレーを訪門。
 スタンフォード大学で公式演説 を行った。
 トップの起業家・ビジネスリーダー7人との非公式懇談。
 米日カウンシル評議員会会長でスタンフォード大学名誉教授
 ダニエル・オキモト博士が米日カウンシルのチームを率いて
 同大学と協力し、この大規模なイベントを企画した。
 米日カウンシルージャパン 代表理事 *アーネスト比嘉氏も参加。
 **外務省https://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page4_001169.html
 **米日カウンシル http://ja.usjapancouncil.org/pmabe_cavisit_may2015

 



アーネスト比嘉氏は、株式会社ヒガ・インダストリーズの創業者として知られるハワイ生まれの日系3世(ルーツは沖縄?)。昭和女子大学 理事。経済同友会会員。
1998年に日本長期信用銀行の経営破綻処理後の新生銀行の取締役に2013年、就任。
新生銀行の社長兼会長に八城政基が招聘された。取締役会には、スタンフォード大学のMichael Boskin博士、サンタンデール銀行会長のEmilio Botin、リップルウッドのTimothy C. Collins、新日鉄(新日本製鐵)(現・新日鐵住金)名誉会長の今井敬、日銀の可児滋、三菱商事の槙原稔、UBSペインウェーバーのDonald B. Marron、メロン・フィナンシャル会長兼社長のMartin G. McGuinn、ロックフェラーグループ元会長のDavid Rockefeller Jr.、他5名。
《飲食業の人材派遣会社株式会社キイストンによるアーネスト比嘉の経歴紹介》
http://in-shoku.info/foodfighters/vol258.html
1952年10月15日、ハワイ・ホノルルに生まれる。小学校を卒業するまではスイスで暮らし、中学から日本のアメリカンスクールに通う。ペンシルバニア大学ウォートンスクール で大学生活を送り、今度は米国コロンビア大学の大学院にてMBAを取得。いったん父(が)創業し、兄が継いで経営する)の会社に就職するが、すぐに自ら起業。木材や医療機器の輸入・販売で成功を収めたのちの1985年、「ドミノ・ピザ」を東京・恵比寿にオープン。破竹の勢いで出店を重ねる。宅配システムはもちろん、インターネットでの注文システムの導入でも先駆け、宅配ピザを日本に定着させる。いったん役目を終えたかのようにドミノ・ピザを売却するが、2011年12月27日、今度はUS大手バーガーチェーン「Wendy's®」の再上陸を仕掛ける。
**アーネスト比嘉 経歴
http://in-shoku.info/foodfighters/vol258.html
**アーネスト比嘉 新生銀行の経歴http://www.shinseibank.com/corporate/en/about/officers/biography_higa.html
アーネスト比嘉のルーツ 父・比嘉悦雄とは? 1954年に当時アメリカ統治下の沖縄で、比嘉悦雄の設立した「与那城飲料会社」により製造・販売が開始される。ペプシコーラの沖縄地区フランチャイジーとなった 「比嘉悦雄」 (Yetsuo Higa; 1915.11.10~2000.7.30) の人物像とは…?
米軍統治下の沖縄において清涼飲料業を始めた悦雄は, ハワイ・ホノカア(Honokaa) 生まれの日系二世で, 米軍人とその家族向けの引越運送会社 「比嘉エンタープライゼス (Y. Higa Enterprises)」 を営む実業家であった。 ホノルルの地元新聞 Star Bulletin (2000年8月3日付) によれば, 彼の父・亀吉は, 沖縄・与那城村 出身の移民で, 1923年オアフ島中部のワヒアワ (Wahiawa) へ移り, トラック1台で運送会社を興した。 6人兄弟のうち最年長であった悦雄は, 地元のレリフワ (Leilehua) 高校を卒業後, 1937 年から父・亀吉の会社で働いた。 彼は必ず約束を守る正直者との評判で, 友人達からトラック購入資金をうまく調達して事業を発展させた。 そして, 1941年12月の日本軍による真珠湾奇襲に際し, 悦雄は日系二世の米国人とし て, 戦災に逢った残骸の運搬処理を無償で行うことにより, 日系人でありな がら海軍から信頼の獲得に成功し, 戦後1948年以降, 米軍関係の運送業務を
請け負う 「比嘉運送サービス隊 (Y. Higa Trucking Service fleet)」 を立ち上げ, オアフ島最大規模の運送会社にまで成長させた。
日系アメリカ人の比嘉悦雄は, なぜ, 戦後沖縄の地におけるペプシコーラのフランチイズ権を獲得したのか。 おそらく父・亀吉ら一世達の故郷を慈しむ気持ちが大きな駆動力であったと思われる。 亀吉らは戦災 で疲弊した沖縄に救援物資を送るべく, 1946年北中城村人会 (Kitanakagusuku Sonjinnkai;1950~51年,比嘉亀吉が会長職) を結成し, 当該物資を悦雄の運送会社倉庫に保管していた。 また, 悦雄の運送会社は米軍からの厚い信任を得ていたところから, 沖縄に駐留する米軍人とその家族の引越業務を請け負う ことで, 沖縄・大山9番地に荷物倉庫を設けていた。
さらに, 前出 『沖繩新聞』 の全面広告には, 「琉球經濟へのプラス」 と題する次の一文も載せられている。~〈ではペプシコーラ会社の設立は琉球の經濟にどのようにプラスするのでしょう か, 先ず第一に雇傭量が加致します。 飮料水の生産増加はそれ丈従業員の加 を意味するのであり, 「飮料水の増産にはもつと従業員を要する」 とは本社社長 比嘉悦雄氏の言葉であります。次にこの事業は沖繩の砂糖, 水, 電力, 油脂などの生産面に取つても利益になります。 又, 新聞, 放送, 映画の広告源ともなりましよう。 更に政府の大きな財源となり, この販賣によって, それ丈, 政府の税収入は加する譯です。〉~
すなわち, 比嘉は自らのルーツである沖縄の地に大衆的な飲料ビジネスを導入することで, 雇用量の増大と関連事業の振興を通じて, 戦後沖縄の経済 と社会の復興に貢献したいという想いがあったと考えられる。
とはいえ, 沖縄市場には既にコカ・コーラが導入されているにもかかわらず, 比嘉が何故ペプシコーラに着目したかは, 必ずしも明らかではない。 おそらくは, 1950年代の米国飲料市場で, コカ・コーラ社から移籍したアルフレッド・スティール (Alfred N. Steele) の指揮下においてペプシコーラが急激な追い上げをみせたというビジネス状況をふまえ, ペプシコーラなら先発コカ・コーラに十分対抗できるとの見通しがあったからと思われる。
また, 与那城ベバレッヂの元従業員からの聞き取りからは, 悦雄の弟・秀雄 (第2代社長:1955~79年) が, ドナルド・ケンドール(Donald Kendall)と 知り合いであったことに起因するのではないかとの示唆を受けた。 確かに, 比嘉秀雄は, 日系二世で組織された442部隊 (the 442nd Regimental Combat
Team) で片足を失うほど勇敢な兵士であったことでブロンズスター (Bronze Star) やパープルハート (Purple Heart) 等の勲章が授与されている。
他方ケ ンドールは, 前節の脚注でふれたように, 第二次世界大戦中, 太平洋区域で の優秀な海軍爆撃機パイロットとして名声を博し, 戦後直ちにニューヨーク でファウンテン店向けペプシコーラの販売担当となり, 1952年には米国内販 売の担当副社長(その後, 1956年米国内販売・販売企画・販売促進の担当副社長,1957年ペプシコーラ海外部門担当社長, 1963年ペプシコーラ社 CEO 兼社長, 1965年ペプシコ社 CEO 兼社長, 1971~86年年同社 CEO 兼会長)になっている。
しかし, 比嘉兄弟とケンドールとの間に接点があるとすれば, むしろ海軍を通じての可能性が高く, ケンドールに接触できたのは秀雄よりもむしろ悦雄の方 であったように考えられる。 直接本人にインタビューの出来ない以上, 比嘉 兄弟とケンドールとの関係は依然として不明である。 もちろん, ケンドール が海外部門担当社長となった1957年以降は, フランチャイザーとフランチャイジーの関係から, 当然何らかの接触はあった筈である。
ところで, 比嘉悦雄は, 1955年末以降, 東京へ移り本土でのペプシコーラ導入に大きな役割を演じていくこととなり, 与那城ベバレッヂの後任社長には日本語の不得手な弟・秀雄が任についた。https://core.ac.uk/download/pdf/148079417.pdf
1964年 比嘉悦雄は、冷凍ピザを輸入し、販売するジェーアンドシーカンパニーを設立。
長女 大河原愛子がこれを継ぎ、現在ジェーシー・コムサの代表取締役社長。
愛子の夫は、日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)創業時のメンバーで、3代目社長を務めた大河原毅。


※米日カウンシルとは、有力な日系米国人を中心に日米関係の強化、連携を目的として2008年に設立された民間団体でワシントンDCに本部を置く501(c)3非営利非課税組織です。一方、米日カウンシル-ジャパンは、2012年にTOMODACHIイニシアチブを支援するため、一般財団法人として設立された日本経済団体連合会の関連組織である企業市民協議会の支援の元、寄付者は税制上の優遇措置が受けられました。米日カウンシル-ジャパンは、2013年に公益財団法人に移行し、公益財団法人米日カウンシル-ジャパンとなりました。寄付者の拠点が米国、日本に関わらず、一般財団法人 米日カウンシル、移行後は公益財団法人 米日カウンシル-ジャパンを通じてTOMODACHIイニシアチブに寄付した場合、寄付者は税金の優遇措置を受けることができます。
米日カウンシルと米日カウンシル-ジャパンは、在日米国大使館と緊密に協力して官民パートナーシップであるTOMODACHIイニシアチブを実行しています。具体的な活動は、プログラムの開発と監督、コミュニケーションとアウトリーチ活動、マーケティング、資金調達、寄付者との折衝などです。
※米日カウンシルの設立は、日本の外務省が2000年に始めた「在米日系人リーダー招へいプログラム(Japanese American Leadership Delegation Program)」に遡る。一方、故ダニエル・イノウエ上院議員などのアメリカ人リーダーは、“ジャパン・パッシング”を懸念するようになっていた。イノウエ議員は他の日系人と協力し、日系人が日米関係の強化に寄与できるような新たな場として、米日カウンシルを創設した。外務省の投資は、日米両国の支援に専念する新たな組織として実を結んだのである。現在の会長は、故ダニエル・イノウエの妻 Irene Hirano Inouye。ダニエル・イノウエは、長年連れ添った前妻を2006年に癌で亡くし2008年にアイリーンと再婚していた。理事長は、JPモルガン・チェイス 太平洋西北地区長のフィリス・キャンベル。
※米日カウンシル渡邉利三寄付奨学金あり。
ダニエル・イノウエ (ハワイ生まれ日系二世。父・兵太郎は福岡県、母・カメは広島県 三田村出身でハワイで孤児として育った。 元アメリカ陸軍将校。ハワイ大学在学中の1941年12月の日本軍による真珠湾攻撃でアメリカが第二次世界大戦に参戦した後、ハワイでの医療支援活動に志願。その後アメリカ人としての忠誠心を示し、米陸軍の日系人部隊の第442連隊戦闘団に配属されヨーロッパ前線を戦う。イタリアで独兵の弾に被弾し右腕を失った。日系人社会だけでなく米国の英雄。ジョージ・ワシントン大学法科大学院でJ・D 取得。司法試験合格。アメリカ初の日系人上院議員。2012年12月死去。88歳没)因みに、元アメリカ大統領、バラク・オバマは、1961年8月4日ハワイ州ホノルル生まれで、ジャカルタにいた数年間を除いて高校卒業までの成長期の大半をハワイで過ごし、彼の政治家としての最初のインスピレーションは、ダニエル・イノウエによってもたらされたと述べている。
** http://repository.aitech.ac.jp/dspace/bitstream/11133/2152/1/紀要48号(P123-127).pdf
** http://ja.usjapancouncil.org/watanabe_scholarship
** http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-1270.html

(左から)米日カウンシル理事長デニス・テラシ氏、会長アイ リーン・ヒラノ・イノウエ氏、
安倍総理、米日カウンシルージャパン代表理事 アーネスト・エム・比嘉氏
※2015年11/9-11/10 米日カウンシルが第6回アニュアル・カンファレンスを東京で初開催。
9日には安倍晋三内閣総理大臣が出席して挨拶した。
基調講演では、アンソニー・フォックス氏(米国運輸長官)、平野信行氏(三菱UFJフィナンシャル・グループ取締役 代表執行役社長兼グループCEO)、サンドラE.ピーターソン氏(ジョンソン・エンド・ジョンソン グループ・ワールドワイド・チェアマン)らが登壇するほか、ノーマン・Y・ミネタ氏(ミネタ・アソシエーツ社長兼CEO、元米国運輸長官、元米国商務長官)、ジョン・V・ルース氏(元駐日米国大使)、田口壮氏(野球解説者)、ポール与那嶺氏(日本アイ・ビー・エム代表取締役社長執行役員)などが登壇。
https://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/actions/201511/09soukai.html
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000015739.html
http://ja.usjapancouncil.org/ac2015_posteventpr_japanese
Suzanne BASALLA https://www.nippon.com/ja/column/g00290/


○4/28首相はオバマ氏の大統領専用車に同乗しリンカーン記念堂を訪れた。
 昭恵とミシェルオバマはバージニア州の
 グレートフォールズ小学校に訪問。


 2006年3月、加計孝太郎と昭恵と下村今日子の3人がアメリカ旅行し、
 グレート・フォールズ小学校視察。
 同年〈グレートフォールズ小学校は加計学園の英数学館小学校の姉妹校
 となった。当時、官房長官夫人の昭恵はその姉妹校締結に関与。
 下村博文元文科大臣は、
 「昭恵夫人には米国バージニア州グレートフォールズ小学校との
  姉妹校締結の橋渡しをしていただいた」と発言。
 2013年6月、英数学館小学校とグレートフォールズ小学校は、
 官邸に安倍を表敬訪問。恒例となる。
 グレートフォールズ小学校は、バージニア州にある
 日本語集中プログラムの実施校、
 ジャパニーズ・バイリンガル・バイカルチュラル・プログラム(JBBP)を
 開設しているサンフランシスコの2つの公立小学校のうちの1校。
 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/206332/2
 http://saigaijyouhou.com/blog-entry-16982.html?sp


  Dr. Mya Fisher(米日カウンシル プログラムマネージャー)
**昭恵のオバマ夫人とのグレートフォールズ小学校訪問の
 お世話係は、JETプログラムの卒業生でもある
 USJC(米日カウンシル)のProgram Manager, Dr. Mya Fisherさん。
 昭恵とDr. Mya Fisherは、日本政府のKAKEHASHIプログラム、
 その下でのTOMODACHIプログラム、
 JETプログラムの関係強化などについて議論した。
 http://www.usjapancouncil.org/pmabe_dcvisit_apr2015_2

**北米地域との青少年交流 KAKEHASHI Project ~外務省
 規模=29億円
 https://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/page22_002263.html
 https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000098236.pdf
**TOMODACHI
 東日本大震災の発生を受け、米軍と自衛隊は「トモダチ作戦」を通じて
 東北地方への緊急人道救援活動で協力し、成功を収めました。
 この時の協力と友情の精神を基盤に、米国と日本は
 TOMODACHIイニシアチブを開始しました。
 TOMODACHIは公益財団法人 米日カウンシルと
 東京米国大使館が主導し、日本政府および日米の企業、
 団体、個人から支援を受けています。
 http://usjapantomodachi.org/ja/about-us/
**青年交流:JETプログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)
 外務省https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/hito/sei/jet/index.html
 総務省http://www.soumu.go.jp/kokusai/kouryu.html
 国際交流支援事業 クレア 助成金
 主に海外で実施する事業 500万円/事業
 主に日本国内で実施する事業 300万円/事業
 http://www.clair.or.jp/j/exchange/shien/page-5.html