【米日カウンシルの暗躍①】加計はいた❓安倍と日系米人(アーネスト比嘉)の会食(4/1)の疑惑⁉️ | ☆Dancing the Dream ☆

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2015年の安倍の行動を追うと、
とても正常な人間のすることとは思えない。

2015年は、イスラム国邦人拉致殺害事件に幕を開け、
前年14年7月に閣議決定された
違憲の安保法案、集団的自衛権の行使容認が成立に向けて強行された年だ。

現在、加計孝太郎の2度目の記者会見で、
火に油を注ぐように加計問題が再び燃え上がっている。
焦点は、愛媛文書に記録された2015年2/25の安倍と加計の会談だが、
さらに、文書は、
同年4/2 以前にも安倍と加計が会食していた事実を示している。

さて、2015年4月2日以前の 安倍と加計の会食、
その日は、いつなのか❓




2015年、イスラム国邦人拉致の問題を抱えながら、
安倍は、正月があけるとすぐに中東諸国を訪問し、
エジプトで「テロと戦う周辺諸国に2億ドル支援する」と
外務省の原稿には書いていないセリフを世界に向けて言い放った…
外務省は凍りつき、怒り心頭、後に、内部告発した。

安倍は、イスラム国から身代金要求があった2日後…
ITビジネスの新興産業団体の新経済連盟の新年会に出席し、
「みなさんの要望にはほとんどお応えしたので感謝してもらいたい」
などと言い、笑いを取った。
……とても正常な神経ではない。
この時、
「廃案になった国家戦略特区法改正を必ずやる」と言っている。

わざわざイスラム国を刺激し、
安倍自身が招いた
湯川、後藤の両氏が殺害されるという最悪の結果。

日本中がショック状態になっていた頃…
安倍は、湯川さん後藤さんの死から、
ひと月も経たない問題の2/25…
密かに加計孝太郎に会い、
今治の獣医学部新設について、相談を受けていた。

そして、4/2に、
加計は、金を出し渋っていた今治市と愛媛県を連れて
官邸を訪れた。
柳瀬秘書官と面談し、
市と県は「これは首相案件だ」
「死ぬほど実現したいという意識を持て」と檄を入れられて、
50億の予算を96億出させることになる。

…しかし、愛媛文書によると、
4/2の官邸訪問以前に、
安倍と加計は、会食をしているはずなのだ。
その際に、総理は加計理事長に、
「下村文科相が出している課題の宿題が返ってきていない、
 けしからんと言っている」と言い、
加計は安倍に「地元の動きが鈍い(50億しか金を出してくれない)」
と訴えた。…こんなリアルな会話の記録が残っている。

安倍と加計は、4/2以前のいつ会ったのか❓
今井雅人議員が、国会で、
首相動静にある4/1《元代々木のピザ屋「エンボカ東京」友人と食事》
という記録から、
誰と会ったのかについて質問すると、
安倍は、「日系アメリカ人の友人夫婦との会食」であり、
「加計さんはいなかった」と答えている。


3月18日から20日にミシェル・オバマ大統領夫人が来日し、
この後の4月の末から5月初、
ゴールデンウィークの安倍のアメリカ訪問の流れから言って、
4/1に会食した「日系アメリカ人の友人」というのは、
おそらく、米日カウンシル–ジャパンの代表理事、
アーネスト比嘉氏》のことだろう。

そして、本当に、4/1の
アーネスト比嘉氏夫婦と思われる会食の場に、
加計孝太郎はいなかったのか❓



(左から)米日カウンシル理事長 デニス・テラシ、会長 アイ リーン・ヒラノ・イノウエ氏、
安倍晋三、米日カウンシルージャパン代表理事 アーネスト・M・比嘉氏

アーネスト・比嘉  ダニエル・イノウエ上院議員  佐藤玖美(株)コスモ・ピーアール社長


アーネスト比嘉氏は、
「米日カウンシル– ジャパン」の代表理事であり、
米日カウンシルは、〈ミシェル夫人来日〉から、
〈安倍のアメリカ訪問〉の全般をコーディネートしている。


アーネスト比嘉氏とは、
ドミノ・ピザを日本でフランチャイズ化して成功した人物である。
アーネスト比嘉のルーツは沖縄。
彼の祖父、沖縄出身のハワイ移民1世の比嘉亀吉は、
トラック一台で運送業を始め、
亀吉の長男の比嘉悦雄氏は、父の会社を
オアフ島一の米軍関連運送業社に成長させ、
さらに、アメリカ統治の琉球政府下の沖縄で、
ペプシコーラのフランチャイズ展開を行った。
比嘉家は、大いに 米軍利権の恩恵に与った一族なのである。

「米日カウンシル」とは、簡単に言えば、
日米関係の強化のために、日系アメリカ人リーダーを招集し、
アメリカへのロビー活動を行なってもらう、日本政府メイドの団体だ。
アメリカは一般的に日本人が思うほどの関心は持っておらず、
米中央政治の日本に対する関心は無に等しいほどに乏しいのだ。
外務省が2000年から開始した
日系アメリカ人を毎年日本に招き、日本のリーダーとの交流を作る
「在米日系人リーダー招聘プログラム」という投資を原点とする。

3月18日から20日、初来日したミシェル夫人は、
19日、安倍と昭恵それぞれ会談した後、
ミシェル夫人が行なっている発展途上国の女子教育支援キャンペーン
「Let Girls Learn」のためのイベントが用意されていた。
これをセットしたのは、米日カウンシルだろう。
昭恵やキャロライン・ケネディ駐日米国大使、
斎木尚子外務省経済局長(夫は当時 外務事務次官の斎木昭隆)らと共に、
TOMODACHIイニシアチブというプログラムの経験者である
岩手、宮城、福島、東京の日本人女子学生も参加した。
TOMODACHIイニシアチブとは、東日本大地震の復興支援から始まった
日米の次世代のリーダーの交流の場として、
米日カウンシルと在日米国大使館がつくったものである。

そして、ゴールデンウィークの安倍のアメリカ訪問は、
翌年5月の〈オバマの広島訪問〉につながるものだ。

オバマ広島訪問の実現には、
米日カウンシルのシンボル的存在で、
オバマ大統領が一目を置き尊敬する民主党上院の重鎮、
ダニエル・イノウエ上院議員の影響があったに違いない。
米日カウンシルの会長をダニエル・イノウエの妻の
アイリーン・ヒラノ(前妻と死別後、晩年5年間の結婚)が務めている。

ダニエル・イノウエは、ハワイ生まれの日系2世。
大戦時、ハワイ大学の学生で医療活動を行なった後、
米軍に志願入隊し、米陸軍日系人部隊である第442連隊に配属され、
ヨーロッパ戦線を戦い、右腕を失ったアメリカの英雄で、
初めて米国議会上院議員となった日系人だ。
ダニエル・イノウエは、オバマが任期中に被爆地を訪問したい
という意向を示した際に、支持を表明していた。
「母が広島出身であることから、私はこの問題には敏感だ」と述べた。
オバマにとって、ダニエル・イノウエは、
尊敬すべき同郷の同じハワイ移民の偉人であり、
政治家を志すインスピレーションの源泉となった人物だったという。

広島にルーツをもち、
真珠湾攻撃を受けたハワイ生まれの日系人、
アメリカ人として戦争に参加して片腕となり、
のちに米議会の重鎮となった民主党議員のダニエル・イノウエの
平和への遺志を継いで、
「核なき世界」を掲げ2009年にノーベル平和賞を受賞した
アメリカ初のアフリカの血脈をもつオバマが、広島を訪問するという
ストーリーである。
このストーリーを背後で支えたのが、
日本政府メイドの米日カウンシルなのだ。

その「平和」の看板とは裏腹に、
安倍の訪米は、(戦争)ビジネスの画策が進んでいた。

安倍の訪米中のシリコンバレー訪問は、
日米の産学政官の連携ビジネスのグローバル展開の
足掛かりを作る目的だったが、
米側の米日カウンシルの評議委員会の会長で、
シリコンバレー在住の政治学者、
ダニエル・沖本(米スタンフォード大学名誉教授)氏が、
この労を執った。
これを受ける形で日本側の米日カウンシル– ジャパンの
アーネスト比嘉氏が、安倍政権の対米外交の結び目として
活動していたのだろう。

ちなみに、米日カウンシルには、
企業、個人、財団法人の寄付が行われているが、
外務省と共に、笹川平和財団が助成金を出している。

一方で、昭恵がミシェル夫人と、
加計学園の英数学館小学校の〈姉妹校〉の
グレートフォールズ小学校を訪問
した際も、
米日カウンシルの若き女性プログラムマネージャーがエスコートした。

この安倍と昭恵の一連のアメリカでの動きの全てを
セットしたのが、外務省の意向を受けた米日カウンシルなのだ。