【年金制度回顧録】厚生官僚・花澤武夫「どんどん使ってしまえ。払えなくなったら賦課式に」 | ☆Dancing the Dream ☆

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「厚生年金保険制度回顧録(社会保険法規研究会)」
戦前の初代厚生省年金局年金課長の花澤武夫が、
昭和61年に厚生省の外郭団体が主催した座談会で語った言葉が
「厚生年金保険制度回顧録」証言 に記されている。

厚生省の設置や国民健康保険法の制定など
社会保障政策を進めいていた
当時の近衛内閣で厚生省官僚だった花澤武夫らにより
ナチス・ドイツの年金制度を範として
労働者年金保険法(1944年(昭和19年)に適用対象を拡大し、
「厚生年金保険」に改称)を1941年3月11日に公布。
1942年(昭和17年)6月に施行した。
導入の際には戦時中ということで
大蔵省及び大日本帝国陸軍から反対があったものの、
支払いは数十年先のことであり、
当面は戦費調達を目的として日本の国民皆年金制度は始まった。

※花澤は、戦時下において、
貨幣価値下落の危険があるため、
現金保管では制度自体が危なくなることを熟知していた。


「それで、いよいよこの法律ができるということになった時、
 すぐ考えたのは、この膨大な資金の運用ですね。
 これをどうするか。これを一番考えましたね。
 今でもそうでしょう。
 何十兆円もあるから、一流の銀行だってかなわない。
 これを厚生年金保険基金とか財団とかいうものを作って、
 その理事長というのは、日銀の総裁ぐらいの力がある。

 そうすると、厚生省の連中がOBになった時の勤め口に困らない。
 何千人だって大丈夫だと。
 金融業界を牛耳るくらいの力があるから、
 これは必ず厚生大臣が握るようにしなくてはいけない。
 この資金を握ること、
 それから、その次に、年金を支給するには20年もかかるのだから、
 その間、何もしないで待っているという馬鹿馬鹿しいことを
 言っていたら間に合わない。

 そのためには、すぐに団体を作って、
 政府のやる福祉施設を肩替りする。
 社会局の庶務課の端っこのほうでやらしておいたのでは話にならない。

 大営団みたいなものを作って、
 政府の保険については全部委託を受ける。
 そして、年金保険の掛金を直接持ってきて運営すれば、
 年金を払うのは先のことだから、
 今のうち、どんどん使ってしまっても構わない。

 使ってしまったら先行困るのではないかという声もあったけれども、
 そんなことは問題ではない。
 二十年先まで大事に持っていても貨幣価値が下がってしまう。
 だからどんどん運用して活用したほうがいい。
 何しろ集まる金が雪ダルマみたいにどんどん大きくなって、
 将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら
 賦課式(必要な分だけその場で徴収すること)に
 してしまえばいいのだから、
 それまでの間にせっせと使ってしまえ。」