【安田さん会見②】IS極秘資料入手/ 取材の目的/ 国境越え方法/ 拘束組織と監禁場所/ 時系列 | ☆Dancing the Dream ☆

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2018年11月2日 安田純平さん 記者会見 ノーカット


内戦のシリアで3年4カ月にわたり拘束され、
先月25日に帰国したフリージャーナリストの安田純平さんが
11月2日午前、日本記者クラブで解放後に初めて会見した。


8/7 「安田純平さんを救う会」が立ち上げられ、
安田純平さんの奥様の深結さんが、
日本記者クラブで記者会見を行った関係で、
安田さんが解放され帰国して体力が回復した時点で
会見をして下さるよう依頼をし、それに安田さんが応えて下さり、
本日、記者会見を行う運びとなった。
(日本記者クラブ 朝日新聞 企画委員 川村晃司)



【超スクープ‼️】
・2015年5月末離日し、トルコに入り、
自由シリア軍からISに関する極秘資料を入手。
この資料は、仏人人質、ヌスラのスエーデン人人質映像、戦闘員のリスト、
家族構成によって異なる給料、予算表などを含む。
国家に匹敵するほどの規模のISの組織の形成を示すもの。

【取材の目的】
・2015年5月頃、ISに対抗し、背後の協力国や組織の同意の上、
 他の反政府組織が協力関係同盟(ファタハ軍)を結んだことにより、
 イドリブ県を中心に反政府組織が安定を見せた。
 反政府同盟がイドリブ市、シュブール市など主要都市を奪い攻勢した。
・ISの凶悪さが注目される一方で、
 アサド政権の空爆により多くの死傷者が出ていた。
 ISかアサド政権かではなく、イドリブ県の反政府組織が、
 民衆に安定を齎す可能性があるのではないか?
 イドリブの一定の安定はイスラム教が寄与しているのではないか?
 シャリーア(イスラム法)に基づくイスラム法廷が設置されるなどし、
 ファタハ内のそれぞれの組織から出したメンバーを集めた組織によって、
 一般治安を始めていた。
 その際、宗教的少数派がどういう扱いになっていたのか?
・イスラムに基づく地域社会が外部から見て理解し得るものなのか?
 理解し合えるものなのか?
・外国人義勇軍が反政府運動に参加するという
 外国人の関与、反政府運動そのものも批判されていた。
 彼らはどのような事情で、
 どんな理想を抱いて戦闘地域にやって来ていたのか?
 彼らの住んでいた国々に何か問題があるのか? 
 というところまで取材を広げれれば、現代、これからの世界を見る上で
 参考になるのではないかと考えた。
・いわゆる領域国民国家という枠組みを超えた価値観で動く人の流れがある。
 表に見えている世界とは異なる世界がある。
 そういうものを追ってみたいと考えていた。

【現地に入った方法】
現地組織にいくつか当たる中、日本人知人に紹介された
シリア難民の小学校を運営している人々と知り合い、
そこのシリア難民から紹介された*シリア人ガイドに出会った。
そのシリア人ガイドは、後藤健二の元ガイドだったが、
シリア人でトルコのアンタキアに住んでいながら
Iam Kenjiという運動に顔を出してリスクをとって参加していた。
彼はシリアの有力な反米武装組織アハラシャムを紹介してくれた。
安田自身が2012年シリア入りし反政府地域を取材した際に知り合った
アハラシャムの幹部になった人物や
アハラシャムのメディアで活動している人物の名前をあげ、
彼らとも直接会って話をした。


*後藤氏の通訳を務め安田氏のシリア越境の手配を行った
シリア人ガイドとは、ムサ・アムハーンと思われる。

【国境越え案内人に嵌められた?】
6/22深夜 シリアに入る案内人から今夜シリア入国すると連絡が入り、
トルコのカルビアスに入った。
現地の受け入れは、シリア人ガイドの兄(アハラシャムの司令官)が
安田の身元保証をすることになっていた。
国境の町に住んでいる案内人とシリア国境を超え、
待っているガイドのいとこの車に乗って、彼の実家に行き、
アハラシャムの兄と合流するという説明だった。
しかし、トルコが国境警備を厳しく取り締まっていた時期だったので、
シリア人にとっても限られたシリア入国ルートだった。
深夜闇に紛れて迎えのガイド待つ予定だったが、
別のシリア人から「まず案内人がシリア国境を超えて
迎えのガイドを見に行った方が良い」と言われ、
案内人は偵察に入り安田は暗闇の中で待っていることになった。
案内人は2往復の偵察し、その間に、案内人が入ったのとは
別の方向のシリア側から大勢のシリア人が現れ、
そのうちの2人の男が、安田に「それではシリアに行こう」と、
案内人と話が付いているように言ってきた。
彼らはシリア人家族を送ってきたガイドのようだった。
安田は計画とは違う話だとは思ったが、何故か付いて行ってしまった。
予定とは違う方向に入って行ってしまった。
国境を超えて、2人組の仲間に腕を取られて
ピックアップトラックの後部座席真ん中に乗せられた。
チェックポイントを通ったが、警備と同じ組織の人間の通し方ではなかった。
しばらく走り東へ曲がり20分ほど走ったところの
ホブス工場の事務所に入れられ朝までいた。

【拘束組織は何者か?】
・ファタハか?と聞くと、「奴らはイスラム系ではないか」と
嫌そうに否定したので、ファタハではない。
自由シリア軍と共同作戦を行なっている。
外国の組織や国の支援は基本的に受けない。
パン工場やお菓子工場などプロジェクトを行い資金を稼いで
運用していると言った。
組織名は安田にも交渉していた相手(日本政府?)にも言わない。
組織名が判れば身代金の支払いと同時に空爆を受ける可能性もあるからだ。
彼らの人質ビジネスの活動を他の組織に知られることを避けていた。
最後まで基本的に組織名は名乗っていない。
・彼らは、人身売買マーケットから人間を買ってきて
身代金をとるビジネスをしたり、
イスラム法廷から受刑者を引き受けて対価を得るビジネスもしていた。
また、麻薬取締逮捕のような一般の治安も行っていたようだ。
外国人義勇兵を沢山捕まえ、
アサド軍兵士は捕まえて激しい拷問を加えていた。
ジャバルウィーアの施設は、それら囚人の大きな収容所だった。
・マスコミは、安田を拘束しているのはヌスラだと確定事項のように
報道していたので、彼らは途中からそれに便乗し、
ヌスラに成りすます偽装工作を行なっているようだった。




Jabal al-Zawiya イドリブの県都であるイドリブ市の南の山岳地帯の村。
Jabalとは山の意。


【時系列】
【2015年】
6月22日: 未明にホブス工場の事務所に入れられた。
6月23日: 荷物は工場に置いたまま近くの民家に移動し監禁された。    
     23-24はスパイ容疑の尋問を受ける。
6月26日: 深夜に目隠しなし後部座席に寝る体勢で車で移動し、     
     近くの集合住宅の6畳ほどの水はけの悪い地下牢に入れられる。
6月29日: 深夜に空き家の戸建ての民家に移動させられる。     
     見張りは初日からいた人物を含む5人(イエメン人1 シリア人4)     
     7月下旬、日本政府から身代金をとると言われ、人質となった。
8月上旬: 個人情報を書かされた。(家族の名前、家族へのメッセージ)     
     シリア外の協力者が駐米日本領事館にメールを送り、     
     日本側から「金を払う用意はある。要求を言え」と返信。     
     彼らは武器のリストを送った。     
     日本側は「武器提供は無理だが金を払う用意はある」と言い、    
    「どんな組織であるのか」と聞いてきた。(環境) 基本的にゲスト。
(環境) テレビ。一日6-10時間電気が使えた。   
    全部閉められ7月半に2つの内1つ窓を開けられた。   
    一日2回目悪くない食事。トイレ。   
    トルコのラフマジョンという料理をトルコの新聞に包んできた。   
    通訳の携帯が受信した。トルコ国境と近い場所だと推測できた。   
    子供の声、礼拝のアザーンが聞こえることから住宅地だと思った。
10月末: 安田の部屋の窓の外に人が来て話しかけてきた。
   「お前は誰だ?」「日本人だ」「純平か?」「そうだ」
   「何をしているのか?どうして欲しいか?」
   「監禁されている。彼らは金を求めている。」
   「カラシニコフ、RPGはどうだ?襲撃して助けて欲しいか?」
   「助けて欲しい」「30分後に来る」と会話。
30分後にまた来た。拘束者側が窓を閉めてしまっていたので、
中が見えない状態で彼が話しかけてきてしまった。
彼ら(拘束者側)がフルーツを持って入って来た時に、
彼が話しかけて来たので捕まってしまった。
「こいつはアハラシャムだ!こいつはお前に何を話したんだ!」と言われた。
   (後にジャバルザウィーア施設に入っていた時に
    日本人を助けようとして捕まったと言われている囚人もいると聞いた)
12月7日:「日本に送るから個人情報を書け」言われ、     
     日本側に「放置するようメッセージ」を入れた。     
     *暗号メッセージ=オク放置/払っちゃあかん/断固無視しろ/無事帰る     
     日本側が生存証明を求めてきたので、身代金は払われると思ったようだったが
     20日過ぎになって返事が来なくなった。
12月22日:「国境なき記者団」から安田が人質状態で日本政府の即時救出を   
      要請する報道が流れた。(12/28常岡浩介の要請で報道取り消し)
12月31日:妻から日本政府に圧力をかけさせるため妻の連絡先を要求され教えた。

【2016年】
1月6日: 妻からの安田にしか答えられない質問項目の答えを書く。    
    *同一メッセージ=オク放置/払っちゃあかん/断固無視しろ/無事帰る
1月16日: 目隠しをして深夜に別の一戸建て民家に移動させられる。
1月19日: 同じ質問事項の答えを再び書かされる。
    日本側から返事がなかったためと思われる。
    *同一メッセージ=オク放置/払っちゃあかん/断固無視しろ/無事帰る
(環境)日本からの反応がなくなったので何かメッセージを入れたのではないかと疑われ、
   頭を叩く尻を蹴るなどの暴行を加えるようになった。
3月15日: 台本を用意され動画撮影される。
     安田が用意したメッセージ。(暗号入れていない)
     英語の詩のような長文。
(環境)動画撮影後1ヶ月ほどスイーツやラーメンの差し入れなど待遇が良くなった。
   最初から一貫し「殺すことは絶対にない」と言われ、
   日本側が連絡を断つようなら1ヶ月ほど様子を見て放り出すと言われていたので
   解放されることを期待した。
5月9日: 別の一戸建て民家に移動させられた。
5月14日: 日没前に誰かが家の門を開けて入ってくる音がし見張りが出て行って捕まえた。
     トルコの憲兵ジャンダルマ(アラビア語ができない)だとして、
     暴行を受け、別の部屋に監禁され、日々拷問を受けていた。
     彼は安田が監禁されていることを知っていて入ってきたのか?
     そうであるなら彼と抱き合わせで要求が始まる可能性も考えたが、
     追求もなかったので違うだろうと思った。
     国境付近でアラビア語のできない人物はジャーナリストや活動家ではない。
     情報機関かトルコの憲兵が探っていた可能性はある。
5月23日: オレンジTシャツを着させられ手書きメッセージを持って写真撮影。
    「助けて下さい。これが最後のチャンスです」要求どおりの日本語メッセージ。
5月29日: 撮影された写真↑が公開された。
5月30日: テレビが部屋にまだあったので放映されたもの↑を見た。
(環境)「ニダール(安田アラビア名ニックネーム)はどうするんだ?」という会話が聞こた。
    7月頃彼らがワッと喜んでいる声が聞こえ、アラビア語のできない外国人の    
    身代金交渉が成功したのではないかという印象を受けた。
7月10日: ジャバルザウイーヤの巨大収容所に移動させられた(地上5F/地下1F)。
     途中で車を乗り換えた。中継点で「どこまで行くんだ?」
    「トルコトルコ」という声が聞こえたので、1台目の車は戻って
     外国人を乗せてトルコまで運んで解放したのだと思った。
     安田の居場所を知る外国人の解放によって、安田は拘束場所を変える必要が
     あったのだろうと推測した。
(環境)独房で巾1m50cm ×2m ドアの向こうにトイレ、扇風機付き、テレビなし。
   英語の話せる食事を持ってくる監視人に本を要求。英英辞典をもらう。
   果物、スイーツは持ってきた。7月末に空爆の音がした。
   トイレの上にむき出しのパイプが通っていて一本の口が開いていて
   囚人の話声が聞こえるようになっている。そこから近い被弾の音が響いていた。
   空爆について尋ねると「怖いのか?大丈夫だ、ここはジャバルザウイーヤだ」
   と答えた。小さな村なので大丈夫だと言っていた。
   地名を聞き直したことで、安田と話すと不味いと思ったのか8月後半から来なくなった。
10月後半: 右隣のアラビア語も英語もできない囚人パキスタン人夫婦を
     解放するという話が聞こえた。
     身代金交渉が成立して返すのではないことが察せられ、
     安田と抱き合わせで返すのではないかと期待した。
11月22日: パキスタン人が明日解放という話で、その1週間後の29日は、
     安田の写真が公開された5月29日の丁度半年後だったことや、
     食事を運んでくる人間が指を立てるなどの合図をしたことから、
     解放されるのではないかと期待した。
(環境)この頃、周囲の囚人と話をしたくなり、禁止されていたが、
   周囲の囚人と話をするようになった。
   横にパキスタン人、上にシリア人親子がいた。彼らのところにブローカーが来てて、
   一年前に親子の近所に越してきたバングラデシュ人の求婚をされ断ったら
   襲撃され親子丸ごとさらわれ、半年後妹が出て行ったと話していた。
(彼らのビジネス)これは人身売買されてきたのだと分かった。
   安田を拘束している組織は、人身売買のマーケットから買ってきて
   身代金を取るビジネスもしていることが伺えた。
   周りの囚人でイスラム法廷で裁かれて運ばれてきた受刑者もいたと考えている。
   数日から、10ヶ月というような刑期でイスラム教の更生プログラムを受けていた。
   受刑者の引き受けのビジネスもしているとられた。
   安田は何箇所か部屋を移されたが、人質ではなく、エジプト人、ヨルダン人、
   パキスタン人、アフガン人、外国人義勇兵が沢山捕まっていた。
   彼らは、互いの会話で、ヌスラ、アハーラシャム、ISだと言っており、
   看守とも会話をし、深刻な立場の囚人ではないようだった。
   アサド軍の兵士も捕まっており、彼らの拷問される声が聞こえていた。
   ハシシの売人も捕まっていた。
   彼らはこのような逮捕もして治安維持もしているようだった。
   周囲の囚人と会話をし、この場所がジャバルザウィーアである事などを
   話したことがバレてその囚人は見せしめの拷問を受け、
   他の囚人は安田の周りから離された。
   彼らにはジャバルザウィーアの地名はかなり知られたくない情報だった推測する。
   解放日の目処にしていた11/29も過ぎた。
(環境の変化)〜彼らの尋問室の側の周りに囚人がいない環境の部屋に移された。
   ヌスラの捕虜、ハシシの売人、シリア軍兵士、ムジャヒディンの外国人兵士
   などの尋問の声が聞こえた。
   尋問室の隣にトイレがあり、彼らは安田がトイレで盗み聞きをしていると
   思ったようで、安田の部屋のすぐ外で見せしめの拷問の声を聞かせるようになった。
   〜英語のできる人間が来て「東京から来たのか?」と何度も聞いてきた。
   安田の拘束はテレビで報道されていたので、他の囚人に安田がいることを知られると、
   解放した後でバレる可能性があるので、安田と特定出来るようなことを
   言ってはいけないというルールが設定された。
   ルールを侵す度に他の囚人を拷問してルールを知らしめるゲームを行った。

【2017年】
3月半ば:(イスラム教の改宗圧力)
   3月半ば、英語のクルアンと本棚を持ってきて、
   2日後、通訳とイスラム教に詳しい人物がきて事務所に連れていかれ、
   目隠しなしでイスラムについて談話をした。     
   ヌスラのロゴが貼ってある囚人を尋問聴取の資料の束や、棚の全ての引き出しに
   ロゴが貼ってあり、ヌスラの新名称タハレルシャムのロゴが貼ってあった。
   報道では彼らがヌスラであると確定事項のようになっていたので、
   彼らは「ヌスラのフリ」をし始めたように思った。
   彼らのリーダーはイスラム教への改宗は強制しないと言った。
   アバトファイディング(戦い)について、敵対する相手の異教徒には改宗を求める、
   改宗しないなら人頭税を求める、どちらも拒否するなら殺害すると述べた。
   安田にそれに当てはめるならそれは改宗の強制だと言い合いになった。
   翌日からスンニに改宗するよう見せしめの拷問が始まった。
8月初:(精神的肉体的拷問)
   身代金金が取れず、何かメッセージを送ったと疑い、
   スパイ行為をしていると疑い、
   周りと話さない、事務所で話しているときはトイレに行かないなどの
   自己規制を強いるゲームを始め、それがエスカレートしてきた。 
   事務所のそばの部屋から移され、両側の部屋で監視し物音に耳を澄ましていた。
   安田の身動きする音1つで拷問が始まった。
   電気を消したり、点滅させたり、扇風機を消したり、缶切りを付けず 
   缶詰を出したり、鳥の骨を大量に持ってくるなどの嫌がらせをした。
10月、11月:(身動きさせない拷問エスカレート)
   同じやり方で水浴びも、指一本、鼻息ひとつ、唾を飲むのも
   身動き全てを禁止された。ドアの外に監視カメラを置いていて、
   ドア付近50cmに足が写ってもスパイ行為とみなされるので、
   足を曲げるか体をくの字に曲げるかしていなければならない状況だった。
   8月頭から始まり、身動きできない状態になったのが10月11月だった。

【2018年】
3月初め:(ハンスト)
    食事を拒否し、体力がなくなり動けなくなれば望み通り身動きしなくなる、
    そうなったら解放しろ。その代わり改宗する。1日5回礼拝するために動ける。
    本来アッラーは50回の礼拝をムハンマドに求めたので自分は1日50回礼拝する。
    そういう交渉をし、ハンストを20日間断行した。
3月29日: 代表者の部屋に移された。
    「もう帰すから食え。今から20日以内には帰す。」と言われた。
     その部屋にいた2人のウイグル人と帰す。水辺の環境の良いところに移す。
     変更はないので飯を食え。」と言われた。
3月31日: ロの字の形をした平屋の刑務所に移された。
     中庭に向かってドアと窓がある。そこに2日間いてもっと良い場所に移す
     と言われたが、水浴びをして電気を消された。その後の移動はなしになった。
4月5日: 「日本側に送る妻への手紙を書け。できるだけ沢山の思い出を書け。」
     と言われた。
(環境)4月半ばに解放される約束だったが、安田の部屋に別の人間が入れられ、
   実は彼は携帯を持っていて安田の言動を全て報告され解放を先に延ばされた。
   ロの字型の施設を運営しているのがウイグル人、トルキスタンだと言っていた。
   覆面はしておらず、ウイグル料理が出た。
   食事は麺やナンやサムサを外から買ってきたので、ウイグル人のコミュニティーが
   周辺にある場所に移された。
   中庭で日光浴をさせられるとき、真南の外に平らな山があり、その上に
   ローマの遺跡が見えた。柱が3つあるファサード乗った遺跡だった。
   パルミラ遺跡のずっと小規模にしたような遺跡。
   ウイグル人が安田のトルコのガイドブックを見て「ジャバル〇〇だ」と
   その遺跡の名を言った。近くに水場がある。
   この条件から場所が特定できるかもしれない。ここに半年間いた。
6月中旬:日本語で名前と日付を言えと言われ、
   「私の名前はウマルです。 日付」の動画撮影をした。
    安田の名前は彼らにも分かる日本語なので、ウマルと言った。
    イスラム改宗名がウマルだった。
7月5日: イタリア人の囚人が同じ施設に入れられた。
    ひよこ豆について「私の母国語のイタリア語ではこう言う」と言っていた。
7月25日: 「ウマル韓国人日付」「環境が悪い助けてほしい」の動画撮影をさせられる。
     名前、国籍、日付、日本語で言うように言われた。
     大きな施設では中国人と言えと言われたが、
     ここはウイグル人(中国人)施設なので韓国人と言えと言われた。
     泣いていないものと、唐辛子を擦り付け泣いているものを撮った。
9月29日: ジャバルザウィーアの施設に戻された。
10月15日: 以前身動きを禁止された部屋に移された。
     10月1周目に責任者と会って「すぐ帰す」と言われた。
(環境)同じ部屋でまた同じゲームが始まった。
   もうこの部屋での拷問は無理だとクルアンの文言を読み上げ抗議した。
  「神は弱い人間に慈悲を与えてくれる。これはハラームだ。
   もしも殺せば払拭できないハラームだ。」
  「拘束から40ヶ月、これ以上は無理だ。帰すかもしくは殺してくれ。」
  「朝食10時 夕食4時5時その間15時間トイレに行けない。
   トイレに行けないと水も飲めない。これもハラームだ。
   お前らのジハードは政府と戦うことではないのか。これはジハードではない。
   お前らはイスラム教徒だと信じる。これ以上ハラームを続けるな。
   必ず40ヶ月以内に返してくれ。」と強く訴えた。
   10/22が40ヶ月目だった。
10月21日: 扇風機が強く回され、少し眠り、ドサっと寝返りを打ったと同時に
     電気を消された。明日帰されないかもしれないと思ったが電気がすぐ付いた。
10月22日:午後に 「今から帰す」と言われ荷物をまとめた。
     一戸建て民家に移させられた。    
10月23日: 朝、目隠しをされ車で、(*ロの字型施設のトルキスタンと
     *ジャバルザウィーア施設のアラブ人と(*ANN news))トルコへ向かう。
     一度車を乗り換え、目隠しされたまま車中で英語で「お前はもう安全だ」
    と言われた。彼らはトルコ人だと言ってタバコを吸った。
     国境付近からトルコのハタイ県のアンタキヤの入管施設に入る100m手前で
     目隠しを外され「お前は解放された」と言われた。
(解放のオペレーション)
     トルコの情報機関がシリア側まで入り込んで引き受けをしたと思われる。
     トルコ側に入るまで目隠しをしていた。トルコ側で身元引受けをするなら
     目隠しの必要はない。トルコの情報機関がどこまで入り込んだのかを
     隠すために1時間近く目隠しされていたのだろう。
     トルコ側がオペレーションに成功して安田の身柄を引き受けたと
     アナウンスしている。
     トルコ情報機関のオペレーションは、拘束側から通報があり、
     場所の指定があり、シリア側にまで入り込んで身柄を引き受けたと解釈している。


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安田純平氏が、ロの字の刑務所の中庭から見た
ローマ遺跡は何処にあるのか❓

安田氏は、こう言っている。
「刑務所の真南に、山の上に3本の柱にファサードのあるローマ遺跡があった。
 近くにウイグル人コミュニティがあり、近くに水辺のがある場所。」


シリア北部には古代村落群が存在し、
「The Dead Cities 死の町」(アラビア語: المدن الميتة‎)
「Forgotten Cities 忘れられた街」(アラビア語: المدن المنسية‎)とも呼ばれる。
1世紀から7世紀、古代末期から東ローマ帝国時代にかけて形成され、
8世紀から10世紀の間に打ち捨てられたが、
当時の都市から離れた僻地の村々の様子が、
そのままにうかがえる保存状態の良い遺跡だった。
人々の住居や貯水槽、浴場、キリスト教以前の土着信仰の寺院、
キリスト教の教会などが遺された歴史的価値ある遺産として、
2011年に世界遺産リストに登録された。
しかし、シリア情勢が悪化し、古代村落群を含めてシリアの
6つの世界遺産すべてが危機遺産になっている。

イドリブ(Idleb)とアレッポ(Aleppo)の博物館総局の
現地調査では、盗難や破壊行為など資産の損害が報告されている。

Jabal 〇〇という名の遺跡のある村を調べてみると
以下の通りいくつかある。
このうちのジャバル・ザウィア(Jabal Zawia)は、
安田氏が収容されていた巨大施設がある村だ。

また、ジャバル・ザウィア(Jabal Zawia)という村は、
『December 2011 Jabal al-Zawiya massacres』と呼ばれる
アサド政権による大虐殺があった村
だった。
2011年12月19日と20日の2日間で、
約200人以上の人々がアサド政府軍に虐殺された。
12月19日に何百人ものアサド軍兵士が大規模に軍を離脱した。
これを機に虐殺は始まったのである。
70人以上の離脱兵がアサド忠臣兵らに銃撃された。
12月20日には、逃げ果せた脱走兵を捜索するための操作を開始し、
民間人を無差別に殺害し、100人を超える死者の亡骸が
モスクや通りにあふれていた。
シリア国営テレビは、
「1人のテロリストが殺され、数人の負傷者が出た」と捏造報道を行った。

ジャバル・ザウィア(Jabal Zawia)
ジャバル・サムアン(Jabal Sam’an)
ジャバル・ワスタニ(Jabal Wastani)
ジャバル・ アル = アラ(jabal al-’Ala)
ジャバル・シメオン(Jabal Simeon)
ジャバル・バリシャ(Gebel Barisha)
*World Heritage List (Gebel al-Aalaa, Gebel al-Wastani and. Gebel Barisha)



このうち、水辺といえる村は、
ジャバル・ワスタニ(Jabal Wastani)だけだった。
mashru ar ruj湖(人工的な形?)のそばの村。

平成26年度文化庁委託 東京文化財研究所
38回 世界遺産委員会 審議調査研究事業
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/sekai_isan/pdf/38_sekaiisan_shingi.pdf