【南北首脳 共同声明】平和の歌を歌おう〜1997年金大中とマイケルジャクソンの約束 | ☆Dancing the Dream ☆

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南北首脳会談 金正恩朝鮮労働党委員長 文在寅大統領 共同発表


1978年8月、朴正煕の独裁政権時代
民主化活動家の、のちに大統領となる金大中が、
日本を訪問中、諜報機関(KCIA)によって拉致されるという
異様な事件が発生した。

これは、日本国内で発生し
韓国政府が絡む日本の主権が侵害された事件として
外交問題に発展したが、
実は、KCIAの協力者として、
日本の自衛隊内の秘密組織(別班)の関与、
元陸自3佐 坪山晃三(興信所 経営者)の関与、
町井久之(鄭建永 山口組系東声会会長)、
柳川次郎(梁元錫 山口組系柳川組組長)などの暴力団の関与、
日本の暴力団関係者と韓国政府とのパイプ役として
児玉誉士夫の関与などがあったと言われている。

これらは、GHQのG2(参謀第2部)と親和して生き残り、
そのまま日本の上層部に居座った日本の軍産複合体が抱える
裏組織の連中である。
朝鮮戦争が集結し南北が統一すると彼らには都合が悪い。
握っている軍事利権が消滅するからだ。

朴正煕は、1971年の大統領選挙で金大中に僅差で勝利したが、
強力に民主回復を求める金大中は、
朴正煕にとって、危機感を感じさせるに十分な脅威的存在であった。

朴正煕は、デモを鎮圧するため、より独裁色を強め、
非常戒厳令を発して、
憲法改正を強行し、維新憲法を制定した。
この間、国民の生活は、夜間外出禁止令などにより粛清され、
反政府運動は暴力的に弾圧された。

金大中は、この拉致事件の前に、
不審な自動車事故に遭っていた。
大型トラックが金大中の車に突っ込み、3人が死亡。
金大中は腰と股関節の障害を負ったのである。
この事件は、韓国政府の差し金によって、
KCIAが行った交通事故を装った暗殺工作であった。

戒厳令下、
金大中は、国外亡命を余儀なくされ、日米を往復していた。
その亡命中日本で起こったのが、金大中事件である。

この事件の後、1979年秋、朴正煕は、
腹心の部下、KCIA部長・金載圭によって暗殺される。
大統領権限代行となった崔圭夏は、その後短い任期の大統領となるが、
1980年、金載圭の逮捕処刑を指揮した全斗煥(チョン・ドゥファン)が、
実権を掌握。
全斗煥は、日米との連携を強め経済の活性化すると同時に、
朴正煕政権時代に増して社会的弱者や、学生運動家、労働運動家を弾圧し、
独裁者、虐殺者、汚職者と呼ばれた。

1980年、民主化運動を再開していた金大中は、再度逮捕され、
死刑判決を受けた。
これをきっかけに、市民による民主化要求が激化し、
デモを軍部が武力鎮圧し、流血の大惨事となった。

金大中、死刑判決には、国際的な批判が高まり、
1982年初、米国への出国を条件に刑の執行を停止された。

その後、韓国に帰国した金大中は、
1987年、1992年と大統領選に挑む。
しかし、この闘いに敗北し、

一時、政界引退を表明し、研究生活を送るも、
再度、立ち上がり、
1995年に新党を結成し総裁に就任。
1997年、三度目の大統領選に出馬し、ついに勝利する。
1998年2月から2003年2月の韓国・5代大統領となった。

北朝鮮外交の緊張緩和政策、太陽政策を推し進め、
2000年6月に北朝鮮の金正日との南北首脳会談を実現。
在任中にノーベル平和賞を受賞した。

さて、折しも、金大中が大統領に就任する直前の 1997年1月21日、
マイケルジャクソンは、
ジミー・カーター元大統領の仲介で、金大中氏と会談していた。

マイケルは、金氏の平和保持の意思と、
分裂した国土にあっての民主制に対する絶え間ない努力を讃え、
金大中が大統領選に勝利した暁には、
チャリティーコンサートを開催する機会を設けることを約束した。

『Michael Jackson & Friends』と銘打たれたこのコンサートは、
諸問題(妨害工作)が持ち上がり、難航するが、
最終的に、10年前に東西統一を果たしたドイツと、
南北朝鮮に "統一" のメッセージを贈るため
韓国での開催が決定された。

1999年6月25日 ソウル
続いて 6月27日 ミュンへンで、
コンサートが行われた。

このコンサートのために、
マイケル自身と ケニー・オルテガによって
スペシャルヴァージョンの演出を考案され、
朝鮮半島の南北の軍事境界線となっている
沙川江に架かる橋「帰らざる橋」
"The Bridge Of No Return"をイメージした
巨大な鉄橋がステージ上に設置された。



マイケルが、コンサートのステージ上で、
スピーチを行うことは、かつてないことであったが、
このソウルでのステージでは、特別なメッセージが贈られた。

(25:42〜)
〜韓国に再び戻って来れてとても嬉しいです。
韓国の友人のあたたかい歓迎とおもてなしに 
そして、ここ韓国と世界中の苦しんでいる子ども達への
支援と基金を集める手助けをするために
この場所にお越しくださったことに感謝したいと思います。
戦争で家族や愛する人たちから引き離された韓国の人々の
深い悲しみをお察しいたします。
まだ戦争は終わっていないのです。彼ら自身の判断ではないのに。
しかし、金大中大統領という、平和を愛し、人権を尊重し、
苦痛に満ちた過去を乗り越えようと尽力する偉大な人物の
リーダーシップのもとにある、今の韓国の状況に、
私は大きな期待と尊敬の意も感じています。
韓国の人たちを愛しているから、僕は今日ここにいます。
皆さんを本当に愛しています。
韓国の人たちの和解への取り組みをサポートすることを
2年前に金大統領と約束しました。
このコンサートを通して、
私は、今日も世界で唯一 分断されている民族である韓国の苦しい境遇を
グローバルに認識してもらいたいのです。
ドイツが共に一緒になったように、
韓国が共に一緒になるのを早く見たいと願っています。
その日が来たら、私はまたソウルに戻って来て、
皆さんと共に最高に素晴らしい人類の空前の勝利を祝福することを
約束します。皆さんを愛しています。この曲を皆さんに。
さぁみんな、お辞儀をしよう。
これを実現させてくれた人たち、僕のチームです。
皆さんい感謝しています。君にもね。愛しているよ。〜

この二日後、1999年6月27日、
ドイツ、ミュンヘンで、
演出に使用した巨大鉄橋の落下事故が発生した。



"Earth Song" のクライマックスで、
ファイアーワークの火花が、異常に炸裂し、
マイケルが、乗っていた高さ14mの鉄橋が
予定外の速さで落下し、地響きを立てた。

恐ろしい撃墜音に、
衣装デザイナー、マイケル・ブッシュは慌てて駆け下りるが、
マイケルは、自力で奈落から這い上がり、
不屈のショーマンシップで、
ステージを貫徹した。

ステージ終了後、マイケルは、頭部から血を流し、
楽屋で倒れこんで病院へ搬送された。

この衝撃による背中の損傷により、
その痛みは、後遺症となって後まで
マイケルを苦しめたという。

この1999年6月25日に行われた
マイケルジャクソンの政治運動とも言える
『Michael Jackson & Friends』ツアーのソウル公演の
ちょうど10年後、
2009年6月25日、マイケルジャクソンは召された。

マイケルジャクソンの死に際して、
金大中は、
「韓国は,朝鮮半島の統一をいつも気に掛け、
 支援してくれた愛すべき友人を失った」と弔辞を送った。

しかし、その2ヶ月後の 2009年8月18日、
金大中自身も、南北統一を見ぬまま、
天国に召された。

不屈の信念で平和を願って闘ったマイケルジャクソンと金大中は、
奇しくも 同じ年、夏の始まりと終わりの頃、
この世を去ってしまった。

金大中と同じく、北朝鮮に対して太陽政策を取っていた
盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領も、
ちょうどマイケルの死の1ヶ月前の2009年5月23日に死去した。
自殺であった。しかし、今尚、暗殺説が囁かれる。
韓国は、太陽政策を推し進めた元大統領を
4ヶ月足らずで相次いで亡くした事になる。

そして、
ついに2018年4月28日、
彼らの待ち望んだ日が訪れた。