竹中平蔵 Go to prison❗️剽窃/仁風林(姦詐慰安所) /民営化(売国) | ☆Dancing the Dream ☆

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『リベラルタイム』(2005年10月号)より
売国奴か?改革者か?「竹中平蔵」の研究
「貧困と差別」に憤った少年期
/ルポライター◎田中 幾太郎


〜〜「父親は小さな履物小売商をやっていた普通の商売人なんですが、
  父を見てると、世の中が不公平に見えるわけですね。
  父親はこれだけ苦労をして一所懸命働いてるのに金持ちになれない。
  もっと楽してお金儲けしている連中が一杯いるのに・・・・。
  どうやったらもっと住みやすい、よい世の中になるんだろう」(中略)
同級生から「緻密で冷静」と評されていた竹中が別の側面を見せたのは、
六七年十一月、和歌山市で「第四回全国高校生部落問題研究会」が
開かれた時のことだった。
十七都府県二百三十二校から二千三百名が結集した会場に
高校二年生の竹中も足を運び、各分科会を精力的に回り、
発言していたという。(中略)
周囲が驚いたのは、その集会で、
和歌山のある集落の出身者がひどい就職差別を受けたという
報告があったときのこと。
竹中の顔が怒りでみるみる真っ赤になったのである。〜〜


若き竹中平蔵は、
部落差別といういわれなき差別に憤り、
貧しい生活の中で苦学をし、
格差、貧困問題をなくしたいと
真剣に考えていたはずではなかったか?
なぜ、竹中平蔵は、これほどまでに変節してしまったのか?


イギリス帝国主義の外交上の謀略の鉄則は、
相手国内の反乱分子に武器を与えて
内乱を起こさせ、傀儡政権を仕立てることだ。

イギリスは、無差別テロを行なった長州藩士に
武器を与えて武力倒幕させ、
明治維新を起こさせた。

同じようにアメリカは、
第二次世界大戦のA級戦犯を免罪し、
戦争犯罪者に政権を取らせた。

そして、冷戦終結…
飴と鞭を用いて育て上げられ
思いのままに操れるエージェント竹中平蔵の出番になったのだろうか…
東大法学部という日本のエリートインナーサークルから漏れてしまった
竹中平蔵のような屈折した野心家の躓きを見逃さず、
学者としては許されざる〈剽窃〉行為の弱みを握られ、
奴隷にされてしまったのか…




『市場と権力』著者・ジャーナリスト 佐々木実
大阪府出身。阪大卒。元 日本経済新聞社 記者。1995年退社 フリーとなる。
小泉政権下で改革をすすめた竹中平蔵の半生を描いた処女作
「市場と権力 『改革』に憑かれた経済学者の肖像」で
新潮ドキュメント賞、大宅賞受賞。



竹中平蔵が政治の表舞台に登場したのは、
小泉内閣において新進気鋭の経済学者、有識者として、
経済財政政策担当大臣、兼 金融担当大臣に迎えられた
サプライズ人事だった。

竹中平蔵は、
1951年生まれ。地元和歌山の和歌山県立桐蔭高等学校から
一橋大学へ進学。
→政府系銀行 日本開発銀行入社。
→営業成績が振るわずシンクタンク 設備投資研究所に出向させられる。
→1998 金融危機 大蔵省ノーパンしゃぶしゃぶ事件の時に
 経済学者の政府ブレイン第一号として大蔵省小渕内閣 経済戦略会議に出向
→小渕総理が急病(脳梗塞を発症) 。
 密室での不透明な決定によって森内閣が
 誕生(五人組による密室談合政治)した。
 竹中は、森内閣のIT戦略会議に入る。
 竹中は財政出動ではなく新自由主義政策を主張。
 この時期から小泉と繋がりを持つ。

政策決定の現場に食い込み、
単に助言にとどまらず、
政策の実現のために人脈を駆使して貪欲に取り組む。
竹中氏は、ついには小泉政権時代、
閣僚にまでのぼりつめたのである。
従来の一介の経済学者にはあり得ない
政権中枢に食い込む竹中的オーガナイズのテクニックは、
いったいどこで身につけたのだろうか。
竹中式の原点とは?

大平内閣の内閣官房に審議官として入った長富祐一郎という
異能のキャリア大蔵省官僚がいた。
長富は、大蔵省のシンクタンク財政研究所を設立する責任者であった。
竹中は開銀から出向して長富のかばん持ちをしていた。
学者を束ねて利用して、銀行や保険会社から金を集めた。
財界から金を集め、学者を使う大蔵官僚的な立場から
得意なテクニック学び、人脈をも引き継いだ。
また、竹中はアメリカへの傾倒した。
アメリカの政治に関係するような
エコノミストや経済学者を見る。
経済学者がウォール街の金融業界の顧問やアドバイザーをして
表の本業よりもかせいで、金融緩和政策に影響を与える論を説いた。
学者が履歴には載せていないインサイドジョブを行う、
学、政、財の回転ドア方式に関心を持つ。
慶応に竹中を引っ張った加藤 寛教授が折れて
一介の慶応助教授が 集中講義と称して
半年アメリカで過ごすという変則的な勤務形態が許された。
ニッセイ基礎研究からお金をもらっていた。

官僚の出世 二つのタイプがある。
組織の中の主税局、主計局など主要な部署の局長をして
本流で事務次官に上り詰めるようなエリート。
一方で、官房に出向して大臣官房など政府に近い仕事をしたり、
省から外部に出てそこで力をもったりして最終的に
事務次官になるタイプがある。
政治を利用して権力を持つ
戦前の 軍部に結びついて政治力に食らいついた
革新官僚と同じ系譜である。

竹中は官僚でもなければ、
学者としての確たる功績もない。
開銀のシンクタンク設備投資研究所の同僚(鈴木和志/ 現 明治大学教授)と
共同研究を行い、実証研究を主導していた共同研究者を裏切って
共著ではなく単著として出して自分の業績にした。
アカデミズムに認めらる学者に転身するために、
まず単著を書いて博士号を取得する必要があったのである。
竹中は、目的のために手段を選ばず、
剽窃行為を犯したのである。

しかし、竹中の剽窃事件の一部始終を知る
当時 設備投資研究所の顧問をつとめていた
日本を代表する経済学者・宇沢弘文教授が、
この一件を収めたと言われている。(理由など詳細は不明)
そして、竹中の処女作『研究開発と設備投資の経済学』は、
1984年度のサントリー学芸賞を受賞した。

竹中に共同研究を独り占めにされた
鈴木氏のショックはいかばかりか…。

〜〜「竹中君がこんな本を送ってくれたよ」
設備投資研究所で、宇沢はそういって鈴木和志に本を見せた。
鈴木との共同研究が入っていたからだ。
ところが鈴木は本を見て驚いたような顔をしている。
不審におもって宇沢がたずねると、
鈴木には献本はなく、竹中の出版を鈴木はまったく知らなかった。
鈴木が激しいショックを受けたことは傍目にもわかった。
宇沢や同僚たちのいる前で泣き出してしまったのである。
じつは、竹中は本を出版するかなり以前に鈴木のもとを訪れていた。
共同研究の成果を竹中の名前で発表することの承諾を求めたのである。
鈴木は拒否した。〜〜

シカゴ大学教授の経済学者の宇沢弘文氏は、
規制のない自由主義経済を理想とする同僚の
フリードマン(1976年ノーベル経済学賞 受賞)と対立し、
「市場万能思を信仰する経済的自由放任主義者で、
 アメリカ経済学を歪めた。
 真に受けて起きたのが2008年のリーマン危機である」と批判。

宇沢教授は、
森林・大気・水道・教育・報道・公園・病院など
すべての人々が、ゆたかな経済生活を営み文化を育み、
人間らしい社会を維持することを可能にするような
社会的共通資本 Social Common Capital は、
国家的に管理されたり、利潤追求の対象として
市場に委ねられたりしてはならないと提言し、

剽窃行為を犯して発表した処女作によって
経済学者としてスタートした竹中平蔵は、
「若者は貧しくなる自由がある」↓と言ったが、
http://toyokeizai.net/articles/-/11927?page=2
法治国家で、
金儲けのためにどんなことをしても自由とは言えないだろう。

フリードマンは、
「自らの生命に関してどんな危険を冒すかは、
 選択の自由に任せるべきだ」と言い、
「麻薬の楽しみと中毒になったときの苦しみとを
 はかって選択すべきだ」と麻薬禁止法まで反対していた。

パソナの取締役会長・竹中平蔵も麻薬自由化論者なのだろうか?
パソナの美女が接待する怪しい施設〈仁風林〉は、
政界、財界、芸能界、スポーツ界の人間が出入りしており、
覚醒剤取締法違反等の容疑で逮捕されたASKAが
仁風林で出会った女性・栩内香澄美の背後に蠢く黒い影は、
「中毒になったときの苦しみよりも楽しみ」の誘惑術を操ったのか?



二度目の逮捕 =冤罪。ASKA尿検査の尿はお茶にすり替えたもの。
それなのに警察は陽性反応がでたと主張した。


警察の裏金問題の内部告発者・仙波敏郎氏による
冤罪の作り方解説。


はたして日本は法治国家なのだろうか?

7/31 本日、籠池氏が、大阪地検特捜部に逮捕された。
逃亡の恐れも証拠隠滅の恐れもない籠池を逮捕して、
なぜ、近畿財務局を強制捜査しないのか?


近畿財務局と酒井弁護士の間で土地の価格の交渉をしていた。
土地価格からゴミの撤去費用の値引額が決まった。

菅野完 @noiehoie
手持ちの資料を全部公開してるのは?=籠池
手持ちの資料を全部ないというのは?=財務省と国交省
積算能力をもってないのは?=籠池
積算能力をもってたのは?=キアラ設計と藤原工業
国会証人喚問から逃げ隠れしてないのは?=籠池
ずっと雲隠れしてるのは?=酒井弁護士
で、籠池逮捕w
午後4:52 · 2017年7月31日





諮問会議の民間議員の一人である竹中平蔵は、
〈パソナ〉グループの会長であり、
オリックスの子会社〈オリックス農業〉の社外取締役である。

2016年7月、神奈川県の特区で規制緩和された
家事支援外国人受入事業において、
〈パソナ〉が事業者として認定された。
そして、農業分野で特区に指定された兵庫県養父市では、
〈オリックス農業〉が参入した。

これが利益相反でなくてなんだというのだろう⁈



喰い物にされる水道民営化・ダム・治水 〜関良基


2013年4月19日、米シンクタンクCSIS(米戦略国際問題研究所)で
麻生太郎は「水道をすべて民営化する」と言った。

その直前に開かれた
第6回産業競争力会議(13/417)で
↑議事要旨 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/dai6/gijiyousi.pdf
竹中平蔵が配布した資料・立地競争力の強化に向けて↓を提出。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/dai6/siryou14.pdf

竹中平蔵のペーパーには、
「これまで官業として運営されてきたインフラで、
 利用料金の伴うもの(空港、有料道路、上下水道、公営地下鉄等)について、
 民間解放を推進する。」と書かれていた…。

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関良基先生のブログより
05/11/16
〜〜月刊『現代』の今月号(12月号)に、ジャーナリストの佐々木実氏が「竹中平蔵 仮面の野望(前編)」という渾身のルポルタージュを掲載しており、非常に興味深い内容でした。その中で、このブログの10月9日の記事でもちょっと触れた竹中平蔵氏による同僚の研究業績の盗用事件が詳しく紹介されております。興味のある方は是非『月刊現代』をご一読ください。竹中氏による盗用事件の概要は以下のとおりです。竹中氏は日本開発銀行(現・政策投資銀行)の設備投資研究所に勤務していた当時、同僚の鈴木和志氏(現・明治大学教授)と共同研究をしておりました。ところが竹中氏は、共同研究者の鈴木氏には無断で、その研究内容を単名の著作の中で発表してしまったのです。かくして、鈴木氏が行なった実証研究の成果は、パクられて竹中の業績になってしまったのでした。
問題の本というのは、竹中平蔵著『研究開発と設備投資の経済学』(東洋経済新報社、1984年)です。竹中はその「業績」によりサントリー学芸賞を受賞し、学者への道を切り開いたわけです。その問題の本では、鈴木氏の他にも、同じく同僚の高橋伸彰氏も、自分の作成した図を竹中氏に盗用されるという被害を受けていたそうです
 『現代』のルポでは、竹中に自分の研究成果を盗用された事実を知った鈴木氏が、あまりの悔しさで、同僚たちの目の前で泣き崩れてしまった事実などが、生なましく描写されております。鈴木氏が泣き崩れた現場にいて、鈴木氏を励ましたのが、設備投資研究所の研究顧問をしていた宇沢弘文氏(当時は東大経済学部教授)でした。
 じつは私も宇沢先生から、直接に「竹中事件」のあらましについてお聞きしておりました。宇沢先生は、この事件について「汚い犯罪」と仰り、「あの時、竹中を処分していれば、こんなこと(今の絶望的政治状況)にはならなかったのかなあ」と語っておられました。
竹中氏がやったことは、学問の世界ではもっとも恥ずべき犯罪行為です。竹中氏は、日本をアメリカ型社会に改造したいようですが、もしアメリカだったら、こんな盗用事件が発覚した時点で学者生命は終わりですね。決して大学教授なんか続けていられないでしょう。
私は、産業政策や社会経済のシステム全般に関しては、かつての(日米構造協議や年次改革要望書で破壊される以前の)日本型システムの方が、米国よりもはるかに優れていると思っております。しかし残念ながら、学問研究に関する制度は米国の方がはるかに優れています。悔しいことですが、私も米国がうらやましいと思う次第です。スポーツや学問研究の世界なんて、厳然たる競争原理がはたらくべき分野だからです。そういう分野は米国型でよいのです。(しかし、社会経済のシステム全般に関しては決してそうではありませんが・・・)。
米国型のアカデミズムの規律の中では、竹中氏のような窃盗行為は厳格に処分されます。教授職も解任されるでしょう。もっとも、そもそも竹中氏程度の研究業績だったら、米国では決して教授になんかなれないでしょうが・・・。何せ、竹中氏ときたら、唯一の学問的業績が、この盗用本なのです。竹中氏の他の著作なんて、まったく取るに足らない俗説受け売り、オリジナリティー・ゼロの解説本ばかりなのですから・・・・。
残念ながら、日本の大学の多くでは、学問的業績よりも、教授にどれだけゴマすったかで登用が決まるといった、じつに情けない状態ですから、竹中氏なんかでも教授になれたわけです。
 日本の大学で独創性のある人間は、だいたい教授の言うことなど聞きませんので、教授から見ると使い勝手が悪くて嫌われ、教授に従順な茶坊主が研究室の「後継ぎ」になってしまうことが多いのです。かくして日本の大学はだんだん腐ってきております。
 アメリカ型アカデミズムでは、「茶坊主度」などは評価の対象にならず、研究の独創性が当然のことながらトップ・プライオリティーとして重視されますので、優れた研究が出るわけです。
 私の所属する某学会では数年前、某旧帝大の某教授が、同じ講座の女性助手の未発表の調査データを盗用して論文を書いていたという「アカデミック・ハラスメント」の事件が発覚しました。日本の従来通りの慣行でしたら、なあなあで「恩赦」が与えられてうやむやになっていたのでしょう。しかし、幸いなことに学会の若手には、日本におけるアカデミズムの規律も米国のように厳しくあるべきだと思う人が多かったようで、厳格な処分を求める署名運動が起こりました。その結果、その某教授は、学会から「退会勧告」という処分を受けました。
 しかし、肝心の某旧帝大の教授会は、その某教授に対して今に至るまで何の処分も下しておりません。何せ、他の教授たちも似たようなことをしているのでしょうから・・・・。
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/29469447a0d19222c5dc03ae3d04da49


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『週刊文春』
2014年5月8日・15日ゴールデンウィーク特大号 P.51~52

「構造改革」の立役者、竹中平蔵・慶応大学教授(63)には
STAP細胞も真っ青の論文剽窃騒動があった。
『市場と権力』(講談社)で
大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した佐々木実氏が、
知られざる秘話を明かす。
 かくも長きにわたり日本の経済政策に影響を与えた経済学者がかつていただろうか。竹中氏は十六年前に小渕政権の経済戦略会議のメンバーになって以降、ほぼ途切れること無く政府の経済ブレーンをつとめている。
 そんな竹中氏が、今度は安倍政権で規制緩和の司令塔役を果たそうとしている。産業競争力会議で「国家戦略特区」構想を打ち出し、提言どおり安倍総理直属の「国家戦略特区諮問会議」が新設されると、こちらでも民間議員に就任。労働、医療、農業などの分野に大胆な規制緩和で切り込もうとしている。
 もはや日本を代表する経済学者となったわけだが、そんな彼にも触れられたくない過去がある。デビュー作をめぐる“剽窃疑惑”だ。
 竹中氏が『研究開発と設備投資の経済学』(東洋経済新報社)を上梓したのは一九八四年七月。当時は日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に勤務する三十三歳の駆け出しエコノミストで、大蔵省のシンクタンクに出向していた。
 ところが、満を持してのデビュー作が出版されると、日本開発銀行に波紋が広がった。共同研究者だった鈴木和志氏(現明治大教授)が、竹中氏の本を見てショックのあまり同僚たちの前で泣き出してしまったからだ。アメリカ留学時のふたりの研究が、「竹中氏個人の研究成果」として発表されていたためである。
 竹中氏は確信犯だった。というのも、出版前に鈴木氏を訪れ、共同研究の成果を竹中氏個人の著作として発表させてほしいと頼み込んでいた。「ふたりで研究したのだから、発表するならふたりの名前で発表してほしい」。鈴木氏はそういって拒絶した。鈴木氏にとっても、アメリカでの研究の集大成なのだから無理もない。しかしその後、竹中氏は鈴木氏にいっさい何も知らせず、出版を強行した。
 涙を流して悔しがった鈴木氏は結局、竹中氏と絶交した。一方、竹中氏はこの著作でサントリー学芸賞を受賞、新進気鋭のエコノミストとして評価された。「裏切り」の対価として「褒賞」を得たわけだが、そもそも研究を主導したのが鈴木氏だったことから、研究仲間からも「剽窃に近い行為だ」との声があがった。
 剽窃騒動はそれだけではない。開銀の後輩研究者だった高橋伸彰氏は、自分が作成して論文で発表したはずのグラフが竹中氏の本に無断掲載されているのを発見して驚愕した。しかもこのグラフは高橋氏の論文の核をなすものだった。だが竹中氏は高橋氏のクレジットを入れることもせず、勝手に拝借していたのだ。
 竹中氏は批判など意に介さず、大胆にも本作を博士論文として母校の一橋大学経済学部に提出している。経済学博士号の取得がかねてからの狙いだったのだ。
 だが、事査の結果は「不合格」。真偽は定かでないが、剽窃疑惑が響いたとみる向きもあるようだ。いずれにせよ、「経済学者竹中平蔵」がトラブルを伴って誕生したことは事実である。
「処女作に作家のすべてがあらわれる」。学者にもあてはまる格言だろう。現在、竹中氏は「慶応大学教授」として労働規制の緩和に熱心に取り組む。一方で、彼は人材派遣大手パソナグループの取締役会長をつとめる。「利益相反」をものともしない経済学者には、“剽窃疑惑”騒動でかいまみせた“グリード(強欲)”の精神がいまも宿っている。

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宇沢弘文(うざわ ひろふみ、1928年7月21日 - 2014年9月18日)経済学者。
数理経済学 専門。東京大学名誉教授。
ノーベル経済学賞受賞候補であった。


日刊ゲンダイ
2014年9月28日
世界的経済学者・宇沢弘文氏が蛇蝎の如く嫌った「新自由主義」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/153687

①「日本を代表する経済学者」といわれた宇沢弘文東大名誉教授が今月18日、肺炎のために死去した。大手新聞は一斉に訃報と、その業績、生きざまを書いていたが、そこにすっぽり抜け落ちていた部分がある。宇沢氏こそ、アベノミクスが推し進め、竹中平蔵慶大教授が旗を振っている「新自由主義」に真っ向から反対し、猛烈な批判を浴びせていたことだ。晩年の宇沢氏は「TPPは社会的共通資本を破壊させる」と唱え、「TPPを考える国民会議」も立ち上げた。宇沢氏の功績=アベノミクスの全否定になるのである。
宇沢氏は1951年に東大理学部数学科を卒業した。経済学に転じたのは「世の中を救うのは経済学である」と考えたからだ。
米スタンフォード大准教授、カリフォルニア大助教授、シカゴ大教授を経て、東大教授に。70年代以降は市場原理を優先する経済理論や、それを推進する学者の浅ましさを徹底批判したことで知られている。
② 最晩年にインタビューし、宇沢氏が2011年、脳梗塞で倒れた後も親交を結んでいたジャーナリストの佐々木実氏はこんな思い出を語ってくれた。
「宇沢氏は新自由主義者のノーベル経済学者、フリードマンとシカゴ大で一緒でした。ある日、みんなでランチを一緒にしていると、フリードマンが怒っている。ポンド切り下げを見越して、空売りをしようとしたら、銀行から断られたというのです。それで怒っているフリードマンの言動に宇沢氏は心底あきれて、このエピソードを話されていた。
稼ぐが勝ちという新自由主義もおかしければ、それを唱える学者の人間性にも怒っていた。ノーベル賞クラスの学者でしたから、竹中平蔵氏を名指しで非難はしていませんが、その政策や生きざまには批判的でした。
実は宇沢氏と竹中氏は日本開発銀(現・日本政策投資銀)の研究所で一緒だった時期があるのです。その時に竹中氏が共著にすべき論文を単著で出して大問題になった。
それを収めたのが宇沢氏なのですが、その竹中氏が新自由主義の旗振り役となって、日本をおかしくしているのですから、皮肉なことだと思います

③ 宇沢氏は40年以上前、ベトナム戦争を批判された米国防長官が経済効率性を理由に胸を張ったことに愕然とし、「言葉に言い尽くせない衝撃を受けた」と語っている。以後、平等・公正・正義ではなく、「稼ぐ」ことだけを目的とした経済学に批判を投げかけてきた。
人材派遣大手・パソナの会長として、巨額の報酬を得ながら、産業競争力会議のメンバーにもなって、パソナが得をする雇用改革を推し進めている竹中氏などは、宇沢氏にしてみれば論外で、蛇蝎のごとく嫌う存在だったのである。
「宇沢氏は学者が政府の会議に入ることにも批判的でした。宇沢氏の存在があったからこそ、教え子の学者たちは政府の会議で緊張していた。その重しがなくなると、どうなるのか、心配です」(佐々木実氏)

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月刊日本 8月号
佐々木実 「竹中平蔵とは何者か」
2014/7/31

問われる田村憲久厚労大臣の責任

── 竹中平蔵氏が会長を務めるパソナグループが話題になっています。ところが、一般紙は覚せい剤取締法違反容疑でASKAとともに逮捕された栩内香澄美 容疑者とパソナの関係について、一切報道していません。

佐々木 私は、ASKA事件が起こる前から別の問題でパソナの取材をしていたので、この女性がパソナグループ代表の南部靖之氏と関係があるという情報がすぐに入ってきました。

 栩内容疑者は元麻布にあるパソナの接待施設「仁風林」で客の接待をする女性の一人だったといわれ、ASKA容疑者とも「仁風林」で出会ったと報じられています。逮捕当時は「セーフティネット」という会社に勤務していました。パソナ側は、セーフティネットとは資本関係がないなどと弁明していますが、じつは南部氏と縁の深い会社です。第一次安倍政権のときに『週刊文春』(2007年7月12日号)が取り上げています。社長を務める山崎敦氏は、海上自衛隊にいた人です。自衛隊を辞めてすぐパソナに入り、2001年にセーフティネットが設立されると社長に就きました。山崎氏は、「パソナに来ないか」と南部氏から直接誘われたと発言しています。記事ではセーフティネット幹部が、「セーフ社(注:セーフティネット)の大株主は、『サウスルーム』という会社ですが、これは南部さんの個人会社。セーフ社は南部さんに育ててもらったようなものなんです」と証言してもいる。

 『週刊文春』がセーフティネットを取り上げたのは、防衛省と取り引きをしていたからです。パソナグループのベネフィット・ワンは、小泉政権時代に防衛庁職員26万人の福利厚生業務を防衛庁共済組合から請け負っていました。年間14億円で受注したといいます。セーフティネットは、このベネフィット・ワンと組んで、防衛庁への食い込みをはかっていたようです。

 ところが、防衛庁幹部がパソナ関連の未公開株を受け取ったのではないかという疑惑が取り沙汰されたこともあり、防衛庁はベネフィット・ワンとの取り引きを2年で打ち切った。しかし、セーフティネットはその後も防衛庁から仕事を受注していました。防衛庁職員のメンタルヘルス対策で電話相談業務などをしていたということです。

 つまり、小泉政権時代からパソナは役所関係の仕事を受注してきたのです。ボリュームがあってうま味があることをよく知っているのです。パソナは役所のOBを大勢受け入れてきましたが、南部氏が竹中氏をパソナに迎え入れた背景としてこうした事実を押さえておくことは重要です。

 竹中氏は2005年10月、第3次小泉改造内閣で総務大臣に就任、2006年9月に退任するわけですが、退任した翌月の10月、パソナの創業30周年のイベントに招かれ、「特別講演」を行っている。翌年2月にはパソナの特別顧問に就任しました。ちょうどこのころ、パソナは、竹中氏がついこのあいだまで大臣をつとめていた総務省から仕事を受注します。国家公務員の再就職先を紹介する総務省所管の「人材バンク」の仲介業務です。総務省が実施した企画競争に勝ったのがパソナでした。

── 安倍政権で、竹中氏はパソナに利益誘導しているように見えます。

佐々木 ASKA事件をきっかけに、パソナの接待施設「仁風林」に田村憲久厚労大臣が招かれていたことが発覚しました。厚生労働省は人材派遣ビジネスを監督する役所です。田村大臣は国会で追及され、昨年2月28日、南部氏から「ゲストスピーカーで話してほしい」と頼まれて「仁風林」に行ったことを認めました。

 問題は、「仁風林」に招かれた直後の田村氏の言動です。およそ2週間後の3月15日の「第4回産業競争力会議」で、田村厚労大臣は「これまでの雇用維持型の政策から、労働移動支援型の政策にシフトする」と語り、民間人材ビジネスを活用した労働移動支援を抜本的に拡充すると宣言したのです。しかも同じ会議の席で、パソナ取締役会長の竹中氏が、「今は、雇用調整助成金と労働移動への助成金の予算額が 1000:5くらいだが、これを一気に逆転するようなイメージでやっていただけると信じている」と述べている。まるで田村大臣と口裏をあわせたかのような発言です。

 なぜこの問題を大手メディアが取り上げないのか。『日刊ゲンダイ』などは報じていますが、一般紙は報道しません。国会で追及された際、田村大臣はわざわざ「仁風林」には「大手マスメディアの方々もいた」と語りましたが、かりにそんな言葉で口封じされたのなら話にもなりません。

日本のエスタブリッシュメントの崩壊と竹中氏の台頭

── いまや南部氏は政界や官界の有力者と強いパイプがあると言われています。

佐々木 私がASKA事件発生の前に取材していたのは、南部氏に対する民事訴訟事件です。「2億円近いお金を貸したのに、返済していない」として、関西の相場師から民事裁判を起こされているのです。パソナが上場を控えた時期、南部氏が複数の相場師と深いつきあいをしていたらしいことがわかってきましたが、人材派遣業を営む起業家がなぜ相場師と関係をもつ必要があったのか。大きな謎です。

 1998年に日本長期信用銀行が破綻した際、長銀のシンクタンク「長銀総合研究所」を買おうとしたのがパソナでした。長銀総研は有名なエコノミストを擁し、銀行系シンクタンクの中でも格が高いシンクタンクとして知られていました。長銀側がパソナ1社による買収に難色を示したため、エイチ・アイ・エスなどと共同で買収することになりました。そして、「社会基盤研究所」として新たなスタートを切ったのですが、長銀総研時代の職員のほとんどが辞めてしまいます。南部氏を訴えた相場師は、再スタートを切った社会基盤研究所に資金を提供していた。確実にいえるのは、この時期、パソナはまだ資金的に楽ではなかったということです。

 そんなパソナを急成長させたのが、小泉政権が進めた労働規制の緩和でした。労働者派遣法が大幅に改正されて、人材派遣市場が急拡大した。竹中氏がパソナに迎えられたのは決して偶然ではないでしょう。「構造改革」で労働規制が緩和され、人材派遣会社は潤った。恩恵を受けた南部氏が、「構造改革」の指揮官を三顧の礼をもって迎え入れるのはわかりやすい構図といえます。そしてパソナ取締役会長となった竹中氏はいまなお、産業競争力会議や国家戦略特区諮問会議の場で“大活躍”している。南部氏にとっては頼もしいかぎりでしょう。……