アメリカは、人質をとられても「テロリストとは交渉しない」――
このアメリカの方針を遵守した日本政府が、
イラク日本人人質事件の犠牲者、
湯川さん、後藤さんの運命を決定づけたと言ってもいいだろう。
「テロリストとは交渉しない」
アメリカは、首尾一貫して変わらない方針だと言う。
しかし、実際問題、アメリカは、テロリストと交渉していた。
しかも、決して、
"自国のアメリカ国民の命を尊んで"ということではない。
政治家が、政策の道具、
自分の政治力の演出効果として利用するためだった。
◆アメリカの人質

ボウ・バーグダール米陸軍軍曹――
2009年6月30日、バーグダールは、アフガニスタン東部パクティカ地方の
人里離れたある村近くに設営された粗末な兵舎、
その任地から忽然と姿を消した。
彼は、アフガンの武装勢力タリバンによって捕えられ、
その後、5年間幽閉の身となっていたのである。
2008年、23歳。
いろいろな武術を学んでいた彼は、
陸軍の新兵のリクルートに、
「アフガニスタンの村人が暮らしを再建するのを助け、
自衛の武術を教えたい」と、入隊を決めた。
「武器を手にした平和部隊」に入ったつもりだったのだと父親は語る。
5年という年月の間、
両親は、タリバンが公表した宣伝ビデオに映る
頭を刈られ、タリバン兵に脅される捕虜としての彼の姿しか見ていない。
しかし、彼らの悲痛は、そればかりではなかった。
政府によって、何度となく捕虜交渉案が出され、
そのたびに、主に共和党議員の激しい反対と
FOXなどの右派系マスコミのバッシングに阻まれた。
不在の息子と両親に対する政治的思惑に操られた
謂われない攻撃が仕掛けられたのである。
その残酷なバッシングの筋書きは、
ボウ・バーグダールが、「脱走兵」であり、
彼の長いひげの父親をして「ムスリム・シンパ」であるというようなもので、
中には、ローティーンの頃のバーグダールが
バレエの「くるみ割り人形」を踊る映像まで出回った。
彼が捕虜交換するほどの価値のない兵士であるということを、
本人不在の弾劾裁判のように扱ったものだった。
実際、ボウ・バーグダールは、自分が思い描いた任務は、
アフガンの復興などではないことを知り始めていた。
自分が従軍している戦争の無意味さ、
怒りや不満をプライベートな書き物を日誌に綴った。
父へのメールには、
「ここで起きているすべてがひどい。
現地の人たちは助けを必要としているのに、
世界一の欺瞞国が彼らに向かって言いつのる。
お前たちはまったくとるに足らず、
どう生きたら良いかさえわかっていないおろか者だと・・・
アメリカは、恐怖そのもの。おぞましい存在です。」と。
これに父は「良心の声に従うんだね」と返した。
だからといって、これは、極プライベートな心情の吐露であり、
彼が、脱走兵だという証拠になどなるものではない。
アメリカでは、9.11発生以来、
テロリストとは交渉しないという鉄則が布かれていた。
しかし、オバマ大統領によって、突き上げる反対派は退けられ、
グアンタナモに収容されていたタリバンの指揮官5人との
交換が決定したのである。
その背景には、政治的イメージ戦略があった。
オバマは、10年以上にも及ぶアフガニスタンの駐留軍を
2016年までに、ほぼ全面撤収させるオバマの方針のために、
劇的な効果を狙って、長期に渡り捕虜となっている
兵士の帰還を演出したのである。
バーグダールは、タリバンの文字通り「最後の捕虜」だった。
解放されたバーグダールは、
まず、アフガニスタンからドイツの米軍病院に運ばれ、
治療を担当した医師によると、鬱、不安、PTSDなどの症状がある他、
深い罪悪感、恥辱、困惑、自分が何者であるかについての
喪失感、英語が貧弱になり会話力も欠けていたという。
本来なら、長い拘留を耐えたアメリカの若者の労をねぎい、
出迎えるべきであろうが、故郷アイダホ州の町では、
捕虜交換への反発が広がり「歓迎会」を中止にした。
さて、バーグダール軍曹について、
彼が捕虜になって3年目に入る、
卑劣なバッシング記事が溢れる中で、
綿密な取材を行い勇敢にも良質で正当な記事を掲載したのが、
『ローリングストーン』誌に2012年6月7日号だった。
「アメリカ最後の戦争捕虜(America’s Last Prisoner of War)」
という記事だった。
著者は、マイケル・ヘイスティングス。名うての取材記者だ。
マイケル・ヘイスティングスと言えば、その筆による暴露記事を書き、
アフガン駐留軍司令官を退任に追い込んだ人物である。
しかし、2013年6月、彼は、深夜猛スピードでLAのヤシの木に激突し、
不慮の死を遂げる。
アメリカという国は、なんと恐ろしい国だろう。
いや、国家権力というものは、
獰猛なものなのだとつくづく思う。
そして、もっと恐ろしいのは、
騙され易い大衆だ。
つまり、私たち自身。
私たち自身が、国家権力の人質だ。
2015/1/27 Daily Press Briefing: Jen Psaki
アメリカは、首尾一貫して「テロリストと交渉しない」
ISによる邦人人質事件に関して、
日本政府にもこの方針に従うよう命じ、圧力をかけていた。
しかし、実際は、
アメリカは「テロリスト(タリバン)と人質交換交渉」をしていた。
サキ報道官は、この件を記者から指摘されたが、
追及を排除した。
MS. PSAKI: Go ahead.QUESTION: How about your deal with Taliban last year?
問:去年のあなた方のタリバンとの交渉はどうなんですか?
MS. PSAKI: I spoke about this yesterday. I think one of your colleagues with the red scarf on over here, right to your left, asked this particular question.
サキ氏:すでにこれは昨日お伝えしました。あなたの左隣にいる赤いスカーフのあなたの同僚だと思いますが特にこの質問をお尋ねになりました。
QUESTION: I wasn’t here. Sorry.
私はいませんでした。すいません。
MS. PSAKI: And I conveyed that that is – was a case where Sergeant Bowe Bergdahl was a member of the United States military, he was a prisoner of war, and that is a different circumstance, as we’ve said in the past.
私がお伝えしたのは、ボウ・バーグダール軍曹はアメリカ軍のメンバーであったケースで、捕虜でした。以前も申しあげたように状況が異なります。
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つづく・・・