エドワード・ゴーリーの絵本『華々しき鼻血』 ~『美味しんぼ』の "フクシマの鼻血" | ☆Dancing the Dream ☆

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コレクションしている絵本の中から、
今夜は、エドワード・ゴーリーの『華々しき鼻血』を。

エドワード・ゴーリーに関しては、
たくさんの記事をあれこれ書き散らしてきましたが、

今夜は、ゴーリーおじさんの
日本の美意識にも通じる
「余白」こそ命―-を侵すであろう野暮な記事を書きます。




『華々しき鼻血』柴田元幸訳(河出書房新社)
 原題:THE GLORIOUS NOSEBLEED 
Hardcover, 64 pages
Published August 15th 1974 by Peter Weed Books


さて、この絵を見て、
なにを感じるでしょう?

ハンカチで鼻血を押さえ、白目を剥いて倒れている女。
その側で、まったく我関せず、あらぬ方を向いて
ぬくぬくと毛皮を着こみ、平然と立っている男たち
あたりには、黒々とした霧が立ち込めています―-―



これは、1974年、
今から42年前に描かれたエドワード・ゴーリーの
『THE GLORIOUS NOSEBLEED』の表紙です。
柴田元幸氏の名訳によって、
『華々しき鼻血』と題されて2001年に邦訳版が出版されました。

そして、
不気味、不条理、残酷、ナンセンス、ゴシック・・と評されるゴーリー作品、
その代名詞に違わない『華々しき鼻血』のこの表紙絵の様が、
現在の日本で、現実になっていることに
戦慄せずにいられるでしょうか?




山本太郎・国会で『美味しんぼ』の「鼻血」に言及


福島集団疎開裁判・記者会見  漫画「美味しんぼ」表現の自由を抑圧する福島県に抗議


雁屋哲氏『美味しんぼ』の「鼻血」のモデル/前双葉町長・井戸川克隆氏


日本では、
ゴーリーファンの間でも、
あまり語られることのない、
エドワード・ゴーリーと、"戦争"
エドワード・ゴーリーと、"大量破壊兵器"
エドワード・ゴーリーと、"日本" 

・・について、お話しようと思います。


ゴーリー曰はく、
「いやまったく、我々は育つ過程であんまりいろんなことを
 信じこまされるもので、
 そういうものが自分とは違うのに気づくまでには
 えらく時間がかかりますよ。」

おそらく、ゴーリーおじさんにとっては、
この絵は、大人になって知ってしまった現実の世界そのもので、
世界は、少年の頃から信じ込まされていたより
ずっと残酷だったのです。


エドワード・ゴーリーは、高校を卒業後、
1943年、シカゴ美術館附属美術大学に一学期、
シカゴ大学で日本語を学んでいました。

ゴーリーは、実は、大変な日本びいきで、
あらゆる時代や文化で、もっとも親近感を抱くのが
日本のものである、と述べています。

それは、単なるエキゾチックなものに対する
憧れというような範疇を超えており、
彼の日本通は、
成瀬巳喜男や溝口健二の静的な映画を絶賛し、
源氏物語を6-7回も通読したというほどでした。

しかし、1941年より、日本は、英米に宣戦布告し、
太平洋戦争が始まっていました。
1944年、シカゴ大生だったゴーリーは、陸軍に引き抜かれ、
3年間、ユタ州ダグウェイ実験場で非戦闘員兵役に就くことになります。
ゴーリー、18歳の時のことです。
おそらくは、敵国である日本語の語学能力をもつ人材、
ある種の諜報要員として用いられたのでしょう。

彼は、ユタ州ソルトレイクシティにほど近いダグウェイ実験場で、
工兵隊(the Corps of Engineers)として、
毒ガスのテスト等に係る事務に従事させられました。
その任務は、モーニングレポート(ミッションの報告・指令) の
ファイリングなども含まれたと言います。(The Harvard Advocate)

ダグウェイ試験場とは、
化学兵器および生物兵器
大量破壊兵器をテストするための場所でした。

1942年2月ルーズベルト大統領は、
公有地約513㎞2を陸軍省に割り当て、
ダグウェイ実験場が創設されました。

ダグウェイ実験場では、
1943年2月から3月にかけて、日本の木造長屋を正確に設計し、
場内に12棟24戸を建設、路地の幅も日本と同様にし、
下町の町並みを再現した「日本村」を作り上げました。
同年5月から9月にかけて、繰り返し焼夷弾を投下する実験を行い、
落下軌道・発火範囲・燃え方・消火にかかる時間など詳細なデータを記録し、
得られたデータは1945年3月の東京大空襲に生かされました。
(同様にドイツ村も建設。)





また、神経ガスの空中散布、炭疽菌の製造を含む、
少なくとも1100件以上の化学兵器に関する試験が行われました。
恐ろしいことに、後年1991年、
生体実験を含む日本の731部隊の調査報告書が、当実験場で発見されました。
(*731部隊:石井四郎軍医・戦犯免責「細菌戦部隊」
 *「陸軍軍医学校」を中核とし「登戸研究所」等の周辺研究機関をネットワーク化した
  特殊兵器の研究・開発のための実験・実戦部門の、その一部が、
  「731部隊」であったという見方もある。
 *岩畔豪雄によって「陸軍科学研究所」の下に「登戸研究所」が設立された。
  岩畔豪雄の終戦後20年間の事蹟は謎である。)

そればかりではなく、長崎型プルトニウム爆弾と同型のファットマンの
人類最初の核実験、トリニティ実験(1945年7月16日)に続く形で、
マンハッタン計画の実験場として、
ダグウェイ試験場では、1949年から1952年にかけて、
65回の核実験が極秘に実施され、
480兆ベクレルを超える量の放射性タンタルが大気中に放出されたことが
明らかになっています。

この実験場の付近の スルトレイク南西のSkull Valleyの牧場では、
3000頭もの羊が大量死し、
事件後およそ30年間機密扱いにされた報告書から、
これは、陸軍化学隊によるVXガスの散布が原因であることが明白ですが、
陸軍は事件の責任を受け入れず、また過失を認めていません。

この「スカルバレーの羊殺し」事件について、
ゴーリーは、"ダグウェイの周りで羊が死んだ"ということを
言及しています。(インタビュー集『どんどん変に』)

ゴーリーも実際に、
"THE GLORIOUS NOSEBLEED=ものすごい鼻血"を出して倒れる人々を
見たのかもしれません。

除隊後、復員軍人援護法(GI Bill)を使って、
ハーバード大学に入学し、フランス文学を専攻。
日本語や中国語も学びました。
1950年から作家活動を開始。
挿絵やブックデザイン、舞台美術、衣装デザイン、
アニメーション制作など、マルチな才能を発揮しつつ、
残酷で不条理に満ちたナンセンスな独特の世界を
緻密な線描で描いたモノクロームの絵と、
韻を踏んだ独特の言語表現の「絵本」を出版。
また、ルイスキャロルやマーク・トゥエインのように、
いくつものペンネームを用いた私家版を出版。
(アナグラムを用いた仮名:Ogdred Weary, Regera Dowdy,
Dogear Wryde and E. G. Deadworry.など。)

特に彼の絵本の中の淡々と行われる暴力は、
諧謔的なまでにあっさりと大抵は子供たちが犠牲者となる。
にもかかわらず、子供、大人を問わず、
世界中で読まれ、カルト的な人気を博する絵本作家であり続けています。

私生活では、バランシンのバレエを愛し、
トレードマークの毛皮と両手の指にはめられた指輪、
ジーンズにスニーカーという、独特の出で立ちで、劇場に日参し、
甥や姪を訪ねては、料理を振る舞い、甲斐甲斐しく世話をし、
大量の本と、お気に入りのオブジェと、数匹の猫と共に、
マサチューセッツのエレファントハウスと呼ばれる家で一人暮らし、
生涯独身でした。2000年に心臓発作で死去。享年75歳。

**********

さて、『華々しき鼻血』裏表紙では・・

表表紙の3人の姿は消え去り、
暗く垂れこめた、黒い雲、黒い霧の
茫茫たる岩地の、女が倒れていたあたりを
とぼけた顔の一匹の犬が、匂いを嗅いでいる。