エリック・サティ① ~余白の美学 | ☆Dancing the Dream ☆

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The Joy of life ♡
with ☆Michael Jackson☆


部屋の掃除を全てすませ、一人、

五月の白い休日の午後。。

サティの白い音楽を聞く。

Gymnopédies ジムノペディ・・



ゆるやかに水のように流れる音が、細胞の隅々に沁みわたり、

金色に煌めく波 浮かぶ島影 風に揺れる木立 たなびく白い雲 海鳥の旋回・・

大きく漕いだブランコ 干された白いシーツ 走りながら笑う子供・・

擦りガラスに映る遠い記憶の幻影が、幾重にも重なって、

すべてが夢のなかに霞んでいく。 まどろみの中へ。



Erik Satie: "Trois Gymnopédies"


サティは、ノルマンディー地方の船乗りの一族の末裔だ。

父方のヘンテコな叔父さんの血を継いだか、

スコットランドの母方の変わり者の血か、稀代の奇人変人といわれ、

1888年、22歳の時に『ジムノペディ』を書いた。

西洋音楽の本流にいたドビュッシーもラヴェルも彼の音楽に打ちのめされ、

たっぷりと影響を受けた。

若造のピカソやコクトーは、サティを愛し崇拝した。

可愛げのある男たちとは相思相愛だった。

と言って、サティにはエイセクシャルの匂いがするが。。

そして、サティは、現代音楽のジョン・ケージやブライアン・イーノ、

スティーブ・ライヒの父と言ってもいい。

世紀末のパリ、金や権威には背を向け、あるいは、背を向けられ、

黒い山高帽子をかぶり、鼻眼鏡、黒服姿で黒い蝙蝠傘を持ち、

どんなに遠くてもどこにでも歩いて行った。

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「Le Chat Noir 黒猫」というカフェのピアノ弾きをして、

生涯貧乏な独り身だった。

晩年は、貧しい労働者が住むパリ郊外の町に暮らし、

自らピアノを弾いて、孤児たちにコーラスを教えたり、

アマチュア音楽家の練習にも付き合い、59歳で死んだ。

風貌は、こんなだ。

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エリック・サティ(Erik Satie、1866年5月17日 - 1925年7月1日)

おお!!! 似ているえ゛!

私が愛読するエドワード・ゴーリーと!!ひよざえもん ラブラブ

生きた年代は60年ほども隔たりはあるけれど、

「家具の音楽」と称したサティの音楽も、

ゴーリーの描いた「ナンセンス」の絵本の文章も絵も

 余白こそ命。

二人は、ライフスタイルまで、似ている。

そして、なぜか風貌まで似ているのだ!

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エドワード・ゴーリー(Edward Gorey, 1925年2月22日 - 2000年4月15日)



私には、髭は生えないが、

もし、変名するなら、エドワード・サティに決めた。

そんな機会がなければ、

猫を飼って、黒猫にサティ

縞猫にゴーリーと名付けよう。


お別れした猫の名は、

相方が名付けた、〝ヒラメ″ と 〝ホタル″ だった。

結局、呼ぶときは、ヒ~ちゃん と ホタちゃんになってしまった。


サティとゴーリーは、

サッちゃん ゴッつぁん などとは呼ばないようにしなければ。





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サティのGymnopédies ジムノペディの

お話しは、つづく。。。