部屋の掃除を全てすませ、一人、
五月の白い休日の午後。。
サティの白い音楽を聞く。
Gymnopédies ジムノペディ・・
ゆるやかに水のように流れる音が、細胞の隅々に沁みわたり、
金色に煌めく波 浮かぶ島影 風に揺れる木立 たなびく白い雲 海鳥の旋回・・
大きく漕いだブランコ 干された白いシーツ 走りながら笑う子供・・
擦りガラスに映る遠い記憶の幻影が、幾重にも重なって、
すべてが夢のなかに霞んでいく。 まどろみの中へ。
Erik Satie: "Trois Gymnopédies"
サティは、ノルマンディー地方の船乗りの一族の末裔だ。
父方のヘンテコな叔父さんの血を継いだか、
スコットランドの母方の変わり者の血か、稀代の奇人変人といわれ、
1888年、22歳の時に『ジムノペディ』を書いた。
西洋音楽の本流にいたドビュッシーもラヴェルも彼の音楽に打ちのめされ、
たっぷりと影響を受けた。
若造のピカソやコクトーは、サティを愛し崇拝した。
可愛げのある男たちとは相思相愛だった。
と言って、サティにはエイセクシャルの匂いがするが。。
そして、サティは、現代音楽のジョン・ケージやブライアン・イーノ、
スティーブ・ライヒの父と言ってもいい。
世紀末のパリ、金や権威には背を向け、あるいは、背を向けられ、
黒い山高帽子をかぶり、鼻眼鏡、黒服姿で黒い蝙蝠傘を持ち、
どんなに遠くてもどこにでも歩いて行った。
「Le Chat Noir 黒猫」というカフェのピアノ弾きをして、
生涯貧乏な独り身だった。
晩年は、貧しい労働者が住むパリ郊外の町に暮らし、
自らピアノを弾いて、孤児たちにコーラスを教えたり、
アマチュア音楽家の練習にも付き合い、59歳で死んだ。
風貌は、こんなだ。
エリック・サティ(Erik Satie、1866年5月17日 - 1925年7月1日)
おお!!! 似ている
私が愛読するエドワード・ゴーリーと!!
生きた年代は60年ほども隔たりはあるけれど、
「家具の音楽」と称したサティの音楽も、
ゴーリーの描いた「ナンセンス」の絵本の文章も絵も
余白こそ命。
二人は、ライフスタイルまで、似ている。
そして、なぜか風貌まで似ているのだ!
エドワード・ゴーリー(Edward Gorey, 1925年2月22日 - 2000年4月15日)
私には、髭は生えないが、
もし、変名するなら、エドワード・サティに決めた。
そんな機会がなければ、
猫を飼って、黒猫にサティ
縞猫にゴーリーと名付けよう。
お別れした猫の名は、
相方が名付けた、〝ヒラメ″ と 〝ホタル″ だった。
結局、呼ぶときは、ヒ~ちゃん と ホタちゃんになってしまった。
サティとゴーリーは、
サッちゃん ゴッつぁん などとは呼ばないようにしなければ。
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サティのGymnopédies ジムノペディの
お話しは、つづく。。。