『Seeing Voices』については、
切れ端がリークされたとき、
以前も、記事を書きました。
マイケルが大好きだったJ5の家庭教師、ローズ・ファインさんの
夫で、作曲家のシドニー・ファイン氏の曲を
マイケルが歌ったものでしたね。
彼らの息子、ピーター君は、
稀な脳の病気から、聴覚に障害を持っていました。、
そして、その病気が原因で、
1975年に亡くなったのでした。
今回、「Is This Scary」の未発表映像と共に、
この曲の3分20秒の完全版がリークされました。
これについては、
こちらの記事が状況を詳しく伝えています。
『Seeing Voices』は、
マイケルの長年のエンジニアMatt Forgerが、
マイケルに感謝の念を持っていたシドニー・ファイン氏を紹介し、
この曲をマイケルが気に入り、歌ったものだということでした。
シドニー・ファイン氏による
二つのピアノ、アコースティック・ベース、
小さな合唱団の構成に、
マイケルは、ストリングスを加えることを
リクエストしたそうです。
Seeing Voicesは、1999年5月28日、
Ventura Club in Sherman Oaks, Californiaで、
ファイン氏による、小さなプライベートなイベントで発表されました。
この招待状には、
“Seeing Voices” is “a song for the deaf”
「Seeing Voices”は、耳の不自由な人のための歌です」という
コピーが添えられていました。
“Seeing Voices”というのは、
イギリスの神経学者・オリバー・サックス氏のベストセラーの
本のタイトルと同名で、この著書に
インスパイアされたものなのだそうです。
オリバー・サックスといえば、
『レナードの朝 (Awakenings)』の原作者。
ロバート・デ・ニーロと、ロビン・ウィリアムズ
名優が共演して、アカデミー賞を受賞した作品です。
オリバー・サックス自身、
片目が失明しており、視覚障害者で、
この為、幾何学模様の幻覚が見えるのだそうです。
彼の著作は、主に患者の体験に主眼が置かれ、
その詳細までが記され、曰く、
「多くの場合、患者は完治することはないが、
その代わりに自身の状況に新たな手段で対応している。」
とのこと。
“Seeing Voices”のコーラスには、
スティービー・ワンダーが参加していたということですが、
視覚を失ったスティービーや
聴覚を失ったピーター君は、
オリバー・サックスの言うように、
単に失われた感覚の代わりに、それを補うというのではなく
何か新しいものを掴みとり磨き上げていったのでしょう。
外界とのコミュニケーションの断絶に苦悩し、
自らの内なる欲求が関を切って解き放たれるとき、
何か未知のあらかじめ備えらた
シークレットボックスが開かれる・・
異なる感覚を司る場所の間、
例えば、見ることと聞くことの間をつなぐ
閃光が走り抜る・・、
彼らは、次々にそれらを発展させ、
鋭敏で豊かな新しい感覚の世界を
作り上げているのかもしれません。
それは、授かった感覚器官を鈍らせて
漫然としか外界を感知していない私たちが、
むしろ失ってしまった
感覚世界なのではないかと想像します。
"Seeing Voices"
I sing of what you see and might think about
Because of what you see.
Moving hands, mobile faces
Where by the ear
Not the eye traces what's on the mind
ぼくは 君が見るもの
そして考えているだろうことを歌うよ
君が見るもののためにね
動く手 豊かな表情
目ではなく、耳が描く
心の中をね
So when you see hands
Weaving the space between friends.
Think of them as being
As though you were seeing voices
Speech without sound face to face, hands unbound
Weaving the space between friends
So, think of them as being
As though you were seeing voices.
そう ともだち達との間の空間を編み上げる
君の手を見るとき
その手の動きは
まるで君は声を見ていたかのようだったと思うのさ
顔と顔を見合わせ 音のないおしゃべり
ともだち達との間の空間を編み上げる
解き放たれた手
そう その動きを思い出すよ
まるで君は声を見ているかのようだったと
Believe it they ramble on exactly as we would
And talking with someone we know
And even they stumble on expressions as we would
And talking with anyone.
ぼくらに言わせれば
彼らは全くとりとめのなく話しているんだってことさ
誰かと話しているってことは、ぼくらは知ってる
だけど ぼくらに言わせれば 彼らは表現にすらつまづいている
それで 誰かと話しているのさ
So..
When you see hands weaving
The space between friends
think of them as telling or asking
Or spelling out choices
So think of hands as being
As though you are seeing voices.
そう・・
ともだち達との間の空間を編み上げる
君の手を見るとき
話し 問いかけ
文字を選び綴っているようだと思うのさ
動く手を思い出すよ
まるで君は声を見ているようだと
Think of them as being
As though they were seeing voices.
Speech without sound face to face, hands unbound
Weaving the space between friends
So, think of them as being
As though you were seeing voices.
動く両手を思い出すよ
まるでその両手はまるで声を見ているよう
顔と顔を見合わせ 音のないおしゃべり
ともだち達との間の空間を編み上げる
解き放たれた手
そう その動きを思い出すよ
まるで君は声を見ていたかのようだったと
So think of them as telling or asking
Or spelling out choices
Just think of hands as being
As though you were seeing, voices
Voices, voices
そう その両手は 話し 問いかけ
文字を選び綴っているようだと思うのさ
まさに 動く両手は
まるで君は見ていたかのようだと思うのさ 声たちを
声たちを 声たちを