③オウムの闇・生き残る分子 ~●後藤組・後藤忠正 ●早川組・早川紀代秀 | ☆Dancing the Dream ☆

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後藤忠正 
後藤忠正とは、山口組系暴力団・後藤組・組長。オウム真理教との関係が指摘され、オウム麻薬密造・密輸、武器流通に関与していることが疑われた。
後藤は、山口組の東京進出勢力の拡大に寄与した。警察庁資料によると、資金面では地元の財政界人、在京の右翼、金融界、総会屋、不動産ブローカー等と知己を持ち、これらを利用して莫大な資金をつくった。特に、過去創価学会の土地不正取得、墓地公園建設を巡る(株)日原と市政の癒着問題に深く介入し、莫大な資金を得た他、ゴルフ場、企業進出等の開発行為を察知し土地先行取得による企業恐喝で暴利を得、これをもとに東京進出を果たした。マスコミを恫喝し、組織に不利な報道については、組織名を使って執念深く脅迫する。また週間誌に情報提供し謝礼振込ませる関係をもつ。後藤組のフロント企業には芸能事務所「バーニングプロダクション」がある。
1992年暴力団を描いた映画『ミンボーの女』の監督伊丹十三を襲撃したのは、後藤組組員である。
日本航空(JAL)の個人筆頭株主でもあった。2001年、アメリカ連邦捜査局(FBI)と、持病の肝臓病の治療、肝臓移植を受けることを条件に、山口組内部情報、弘道会の幹部らのリストや山口組の米国でのご用達の金融機関などを漏洩し、司法取引を行った。
引退後、カンボジアに移住し、カンボジア国籍を取得。フン・セン首相・独裁政権の人民党党員でもあり、大規模な養鶏場やトウモロコシ農園を経営している。(2014年宝島インタ
*憚りながら・・2010年、後藤組と創価学会の関係について明らかにしたことなどが話題を呼んだベストセラー自叙伝『憚りながら』(宝島社)を出版。
創価学会元(公明党最高顧問の藤井富雄)による暴力団・五井野正の暗殺依頼を暴露。
創価学会の買い占めが行われた書籍。
本文より~~(P111)創価学会との攻防の章 
池田が裏で何をしていたかといったら、
山崎(*正友・元創価学会顧問弁護士)や藤井富雄(*元公明党都議)をパイプ役にして
俺達ヤクザを散々利用し、仕事が終われば知らんぷりだ。それで俺達がちょっとでも
もの言おうもんなら、今度は警察権力を使って潰しにかかる。
で、それがマスコミにバレそうになったら、頬かむりだ。
竹入さんにも矢野さんにも俺にした仕打ちとまったく同じことをしているんだよ。
だから、俺もこうして公の場で居直らせてもらったわけだ。
国家に入り込んだ宗教と題した項目で・・・・・
創価学会、いや「池田教」が、この日本という国家を乗っ取ろうとしていることが、
見過ごせないんだよ。
日蓮正宗という宗教を利用して、人を集めて、会員にして、その学会員から
莫大な金を上納させて、・・・・・・・・。
公明党を作って政治に入り込んだり、創価大学を作って人材を官僚にしたり、法曹界を牛耳るために人を送り込んだりしちゃいかんだろう。
外務省には池田にノーベル平和賞を取らせるためだけに動く、学会員の組織が
あるじゃないか。法務省にも、池田を守るための組織がある。
だいたい神崎(元検事)にしろ浜四津(弁護士)にしろ、もともと山崎の弟子だ。~~
(創価学会という)宗教のために国会や官僚組織に入り込むというのは、筋が違うんじゃ
ないか。・・・・宗教の理屈を国に持ち込む、さらにはそれで牛耳ろうとするのは、少なくとも自由主義国家じゃ許されることじゃねえだろ。そもそも創価学会が「自公連立政権」だとか言って、国家の中枢でデカイ面してきたこと自体が、間違いなんだよ。
(P105)大石寺「妙遠坊」での発砲事件、大石寺「奉天寮」に火炎瓶が投げられる事件の項目にて・・・
俺自身(後藤元組長)は・・・一番の悪はやっぱり裏で、山崎だの藤井富雄だのに汚れ仕事をさせといて、表では善意に満ち溢れた教祖サマ面している、池田大作だろうな。
(P108)密室ビデオ事件後(後藤元組長と創価学会藤井富雄の密会現場)新宿の藤井富雄宅玄関の門扉が時限爆弾で破壊される事件がおきた。項目において・・
俺が今回、初めて創価学会との経緯を話したのには、2つほど理由がある。
ひとつは、創価学会のやっていることが・・・・
池田大作のために、それまで散々働いてきた連中や、俺みたいに協力してきた人間を、用済みになったと思ったら、簡単に切り捨てるようなやり方が許せんのだよ。
山崎だって・・池田のために汚れやくに徹していたのは事実だ。にもかかわらず悪事がバレそうになったら、山崎ひとりに押し付けた。
・・・竹入さんや矢野さんが居直るのは無理ないよ。



早川紀代秀
早川紀代秀は、オウム組織の建設省大臣。オウムの階級制度の中では、正大師よりもヒエラルキーの低い正悟師であり、主にオウム施設の建設や用地買収を担当していたと自称している。
しかし、教団内の早川グループの実態はオウムの裏部隊とも言われ、早川は、北朝鮮からの麻薬密輸、また、科学技術省大臣の村井秀夫を中心として第7サティアンで覚せい剤が密造され、これを捌く販売ルートをもつ後藤組へと繋ぐ橋渡しの役目を担い、また、ロシアから武器密輸を行っていたと言われる。ロシアからの輸入兵器の中には「サリン」。また、早川は「核弾頭」の購入を画策、あるいは入手したとも疑われている。
岩上安身氏によってスクープされた『宝島30』96年6月号掲載の「早川ノート(オウム「11月戦争」の恐怖前編後編)」に明らかに示されたように国際的に活動した実務派の教団の武器商人であったことは間違いない。そして、早川の動きはオウム事件が、単に狂信的な宗教団体による犯罪ではなく、国際的な組織犯罪のケースであるということを示唆している。早川ノートには、内乱の準備が綿々と綴られ東京壊滅のシナリオが記されている。彼らは国家転覆、神聖オウム帝国の樹立を目指してその計画の一部を実行したのである。 
教団がロシア進出を進めるなか、早川はオウム関連企業「世界統一通商産業」の社長として暗躍。表面化しているだけでも3年間で21回もロシアへ渡航していた。また北朝鮮には17回と足繁く渡航していたことも事実である。
オウムのモスクワ支部「露日大学」ばかりではなく、ウクライナに貿易会社『マハーポーシャ・ウクライナ』を設立し、兵器や高度情報・通信システムなどの輸出入窓口とした。そこはオウム服の信者ではなく、ロシア旧共産党幹部からロシアンマフィア、統一教会日本人信者、朝鮮語を話す人々、さまざまな人種が出入りし、会社の経営や専門的な業務は、日本人商社(芝興産(統一教会系)=ウクライナ大使館開設を仕切り在日ウクライナ大使館に自社ビルを無償で貸出した)が仕切っていたという。
旧ソ連崩壊後、駐日ロシア通商代表部に所属しながら密かにウクライナ通商代表部を名乗ってウクライナの利権話を持ち歩いた自称KGBのウクライナ人、ヴィタリー・H・マセンコは武器売買で暗躍していたが、早川は、マセンコとも幾度も合っていた。事件直後にはオウム事件の闇を知るキーパーソンとして、マセンコの消息を各メディアは追い求めたが、ある時点から全く報道できなくなった。
エリティン(在任: 1991年-1999年)政権下の汚職が瀰漫しているロシア側では捜査関係者に対して露骨な政治的な圧力がかけられ、1995年11月 ロシアでのオウム調査を率いた国会宗教問題 委員会の委員長ヴィタリー・サヴィトスキーは「自動車事故」で突然事故死を遂げる。暗殺が疑われている。
このような事例からも解るように、警察の国境を越える犯罪へ対応は手詰まりとなっている。

*「早川組」は生き残っている
「オウム帝国の正体」より~上祐は、出所後、かつて村井、早川両グループに所属し、特殊な技術や知識を持っていた信者たちを呼び集めている。中でも、重視したのは、早川が率いていた「謎の人脈」であった。早川が教団に引っ張ってきたメンバーは、不動産から殺人兵器まで資材を調達するプロを始め、信者の獲得や扇動、まとめ役の第一人者、闇の世界に精通し、多彩な人脈を持っている者、出所不明の多額の資金を集めてくる者.....など、いずれも”百戦錬磨”の強者ばかりと言っていいだろう。この早川グループの面々は、リーダーの早川同様、地下鉄サリン事件などの現場には決して顔を見せず、松本、地下鉄両サリン事件の発生直後、二回にわかれて大量脱会している。しかも、早川グループがロシアなどから買い集めてきた大量の武器の行方が、全く分からないままなのである。さらに興味深いのが、彼らの大半が脱会後、別の宗教団体の幹部に収まったり、暴力団幹部や企業舎弟、別の宗教団体関係者と一緒に事業を始めたり、北朝鮮に食い込んで、大々的にビジネスを展開するなど、いかにも怪しげな軌跡を辿っていることだ。こうした事実を見ると、早川がオウムの”裏の司令官”と呼ばれ、どこかの国の工作員だった、と疑われるのも無理はない。上祐は、密かに、この早川グループのメンバーに接触し、再結集を呼びかけていた。メンバーの多くがそれに応じた。(P.53~54)。実は、彼らの多くは不可解な行動が教団上層部に疑われ、早川がロシアに行って不在の間に一斉に拘束され、厳しい査問にかけられていた。早川グループは確かに、ある宗教団体の幹部と接触を図っており、スパイと疑われるのも仕方ない面があった。(中略)「早川は自分と子飼いの信者たちを守るため脱会し、新しいグループ、つまり、第二のオウム帝国を建設しようとしていたのではないか。そこには当然、彼を支援してきた”闇の組織”や、彼が生み出した利権を守りたい連中からのサジェッションがあったに違いない。早川グループが飛行機2機に乗せて、密かに運び出したとされる大量の武器は、新しい帝国づくりのための準備資金か、協力者達への報酬なのかもしれない。」そう語るのは、CIA関係者だ。(P.71~72)



筑紫哲也による早川紀代秀インタビュー


早川紀代秀 38歳でオウムに出家。
静岡県富士宮市の土地買収で暴力団(後藤組)とかかわりを持つ



(7:36~)岩上安身氏が入手した「早川ノート」

岐部哲也・銃器部品所持 早川・「世界統一通商産業」の社長 


*「早川ノート」は、本当は「岐部ノート」早川自身は、「早川ノート」と言われているメモは、オウム防衛庁長官・岐部哲也のものだと主張している。
森達也・著「A3」(月刊プレイボーイ連載 5月号)~
この中に早川紀代秀の手紙が載せられている。
以下~早川の手紙~
最新の「A3」で話題にしておられる二冊の本のうち、『黄泉の犬』は知人が貸してくれましたので私も読みました。言われてみれば、水俣病やその関連について、もっと早く気づいてもよかったはずなのですが、教団にいるときはもちろん、逮捕されてからも、まったく思いもよらないことでした。
もちろん本人からそのようなことを聞かされたこともありません。 水俣病のこともそうですが、お兄さんを教祖とすることを考えていた時期もあったと知って、これも驚きでした。
87年のエアータイトサマディのときも、ご両親は来られましたがお兄さんは来られませんでしたし、お兄さんのことはまったく話題にされたことがありませんでしたから。
この他、私の個人的なことですが、私の名前が二ヵ所出てくるのですが、そのどちらも不本意なもので、その点は残念に思いました。いずれも著者の責任ではないのですけれどね。
ひとつは50ページの「早川ノート」というところです。 
これは「岐部ノート」の誤りです。 警察が誤ってマスコミに流したのが原因のようですが、警察もその後、訂正をしてくれません。
もうひとつは、75ページのお兄さんの話で、「早川という男が教団に入ってきて智津夫の態度が急激に変わった」というところ。 そんなことはありません。 私にはそこまでの影響力はありません。
水俣病の話がとても衝撃的でした。
「やっぱりそんなことがあったんだなあ」と納得する面もあります。……変に思われるかもしれませんが、無性に胸が痛みます。……哀しいですね。
一度、松本氏と弟子十数人と共に、松本氏の実家に行ったことがあるのですが、そのときにみんなの食事用にハマグリが用意されていたんです。 バケツ半分くらいあったように思います。
それを知った彼は、ハマグリだけは料理させずに、そのまま(生きたまま)貰い受け、帰りの道すがらに、近くの海にばら撒きました(実際にばら撒いたのは私たち弟子ですが)。
そのときは、「生殺をさせないためにそうしたのだろう」と思っていました。  しかし(「A3」にも毎日寿司を食べに行っていた船橋時代のエピソードが載っていましたが)寿司を食べに行くと、彼は目の前で生殺させることになる赤貝や帆立貝などの貝類も注文することがありました。……そんなことが、走馬燈のように次々と思い浮かびました。


岩上氏、破防法適用に反対。
破壊活動防止法ではなく、刑法の内乱予備罪を適用すべきだと述べた。

破壊活動防止法(破防法)」とは、
取締りの対象となるのは「暴力主義的破壊活動を行う団体」とあり、具体的にいえばGHQの手を離れた日本政府が日本共産党の政府や国家転覆を図る革命を恐れ、これを防ぐために制定した法律である。破防法とは犯罪が起こる前に予防的に取り締まってしまおうとする。これは、冤罪を防ぎ人権を守ろうとするのが罪刑法定主義であり、近代刑法のシステムとは相容れない例外的な法律である。


岩上氏は、1996年1月、米軍のミリタリー・インテリジェンスの専門家、ある在日米軍情報要員へのインタビューを行った。
その内容を要約すると~オウムのテロは、北朝鮮と連携して行われ、これは、東アジアのパワーバランスを崩して北朝鮮が韓国への軍事行動を起こすための作戦である。と言う。つまり、日本でテロのような有事の際に在日米軍のダメージを補うために在韓米軍が出動してこれを補い、韓国の防衛が手薄になった隙を狙って、北朝鮮軍が南下し韓国を制圧するというシナリオであるという指摘であった。




●犯人一覧
麻原彰晃 1995年5月16日 死刑
松本知子 1995年6月26日 懲役6年
村井秀夫 (1995年4月24日死亡)
早川紀代秀 1995年4月20日 死刑
井上嘉浩  1995年5月15日 死刑
新実智光  1995年4月12日 死刑
岡崎一明 1995年9月6日     死刑
中川智正 1995年5月17日 死刑
青山吉伸 1995年5月4日 懲役12年
林郁夫 1995年4月8日 無期懲役
遠藤誠一  1995年4月26日 死刑
土谷正実 1995年4月26日 死刑
越川真一  1995年4月6日 懲役10年
飯田エリ 1995年5月29日 懲役6年6ヶ月
横山真人 1995年5月16日 死刑
北村浩一 1996年11月14日 無期懲役
外崎清 1995年4月7日 無期懲役
林泰男 1996年12月3日 死刑
豊田亨  1995年5月15日 死刑
広瀬健一 1995年5月16日 死刑
杉本繁郎 1995年5月16日 無期懲役
渡部和実 1995年5月16日 懲役14年
中村昇 1995年7月9日 無期懲役
平田悟 1995年10月19日 懲役15年
大内利裕 1998年4月19日 懲役8年
富田隆 1995年6月16日 懲役17年
端本悟 1995年7月9日 死刑
富永昌宏 1995年10月8日 懲役15年
山形明 1995年5月4日 懲役20年
松下悟史 1996年11月24日 懲役4年2ヶ月
八木澤善次 1996年11月14日 懲役4年
滝沢和義1995年5月16日 懲役8年
藤永孝三 1995年4月24日 懲役10年
高橋昌也 1995年5月16日 懲役9年
後藤誠 1995年5月17日 懲役10年
丸山美智麿 1995年7月9日 懲役7年
富樫若清夫 1995年5月17日 懲役8年
井田喜広1995年6月16日 懲役6年
松本剛 1995年5月18日 懲役4年
平田信 2012年1月1日 懲役9年
高橋克也 2012年6月15日 公判中
菊地直子 2012年6月3日 懲役5年


●事件一覧
88年9月22日 在家信者死亡事件 
         修行中の事故とその隠蔽
89年2月10日 男性信者殺害事件 
         教団に反発した信者の殺害
89年11月 坂本堤弁護士一家殺害事件  
         教団と敵対する弁護士の殺害
1992年9月14日 オカムラ鉄工乗っ取り事件
         教団の武装化
93年11月以降 サリンプラント建設事件
         不特定多数の殺害を目的としたサリンの生成
93年6月6日 逆さ吊り死亡事件  
         修行中の事故とその隠蔽
93年12月18日 池田大作サリン襲撃未遂事件  
         創価学会最高実力者の殺害
94年1月30日 薬剤師リンチ殺人事件  
         教団から脱退させようとした人物の殺害
94年5月9日 滝本太郎弁護士サリン襲撃事件
         教団と敵対する弁護士の殺害
94年6月以降 自動小銃密造事件
        (オカムラ鉄工乗っ取り事件に関連) 
         教団の武装化
94年6月27日 松本サリン事件  
         教団松本支部立ち退きを担当する判事の殺害、サリンの実験
94年7月10日 男性現役信者リンチ殺人事件  
         スパイを疑われた信者の殺害
94年12月2日 駐車場経営者VX襲撃事件
         教団を脱走した信者を匿った駐車場経営者の殺害
94年12月12日 会社員VX殺害事件  
         スパイを疑われた信者の殺害
95年1月4日 被害者の会会長VX襲撃事件  
         教団を告発した被害者の会会長の殺害
95年2月28日 公証人役場事務長逮捕監禁致死事件  
         多額の布施を見込める信者の奪還
95年3月20日 地下鉄サリン事件  
         教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱
95年4月-5月 新宿駅青酸ガス事件  
         教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱
95年5月16日 東京都庁小包爆弾事件
         教団解散権限を持つ都知事への妨害と教団への捜査の攪乱
~~~記録外~~~
95年4月23日 村井秀夫刺殺事件
         山口組傘下の右翼団体員・徐裕行 懲役12年、2007年に出所。
             殺害を指示したとして起訴された暴力団幹部は、無罪。
 
95年3月30日 国松警察庁長官銃撃事件
         元オウム信者の警察官 最終的には不起訴処分