②オウムの闇・本営による隠蔽工作  ~●城内康光 ●石原慎太郎・延啓 | ☆Dancing the Dream ☆

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城内康光
城内康光は、多くのオウム事件発生当時の警察庁長官であった。
元警察官僚。元警察庁長官。日本会議代表委員。
また、「日本会議」の代表委員でもある。
公安捜査により多くの情報を得ていたにも関わらず、城内指揮下のオウム強制捜査の遅れによって、松本サリン・河野さん冤罪事件、仮谷さん殺害、地下鉄サリン事件等オウム事件の拡大が防げなかったと批判されている。
オウム真理教に対する強制捜査の方針が決定されたのは、
城内が退官した後、1994年7月、警察庁長官に就任した国松孝次氏と
検事総長・吉永祐介氏のトップ会談によるものであった。
これによって、摘発時の適用法令や取り調べ体制などの具体策の協議に入ったと云われる。
城内は、ギリシャ大使として赴任し、松本サリン、地下鉄サリン発生時には、
日本にはいなかった。
1995年3月20日 地下鉄サリン事件発生
1995年3月22日 教団強制強制捜査を開始
1995年3月30日、國松孝次警察庁長官・狙撃事件発生
上九一色村へのオウム強制捜査は、
本来は山梨県警の管轄であるが、警視庁の管轄となった。
その理由は、仮谷さん・目黒公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
犯行現場が上九一色村であるという名目であった。
この捜査において、もっとも問題になったのが、第7サティアンである。
果たして第7サティアンは、何を製造するプラントであったのか?
麻薬取締官(=麻薬Gメン、マトリ。厚生労働省の職員であり警察機構外であるが、
特別司法警察職員として警察権をもつ職務
)も捜査に入ろうとしたが、
警視庁が権限を行使し、これを封じたと云われる。
これは、警察による証拠隠滅と言わざるを得ない。
さらに、オウムに対する起訴の内容の中には
「麻薬製造・密売」という事項があり、
東京地検で事実が明らかにされることが期待されたが、
驚くべきことに、その後、東京地検は
「麻薬製造・密売」に関する起訴を取り下げた。
これは、極めて異例中の異例とも言える行いである。
検察側は、起訴を17件のうち4件を取り下げたのであるが、
その理由は、起訴件数と被害者があまりにも多く、
裁判に時間がかかりすぎるということであった。
第7サティアンでは、サリンの製造が事実上不可能であると
内外の専門家が指摘していたが、専門家の調査に関して、
裁判所は、既に警察が調査済みであり、
信者がサリン製造を自供している以上、
化学兵器専門家が調査する必要はないと決定した。
また、オウム裁判が進行途中であるにも関わらず、
警視庁は"住民のため"として、
重要な証拠が残されている第7サティアンを解体してしまった。
警察、検察、裁判所が、行ってきたこれらの不可解な措置は、
第7サティアンではサリンが製造されていたことにしておき、
オウムによる「麻薬製造・密売」はなんとか隠蔽しようとした工作であると
理解すると辻褄が合う。


(2:57~)東大教授・柴崎正勝「実際問題として、通常の科学者はサリンは猛毒ですから自分たちがどんなに注意深くやっても扱うことができないくらい怖いもの。ですから最終工程はガラス容器で比較的小さなスケールでやらざるを得ないだろうと。実験室でやっていた云々というのは私たちの感覚からしますと非常に納得できます。」

(36:29~)勝谷誠彦「早い時期から犯罪集団だと思った?」
宮嶋茂樹「思いました」勝谷「これを警察がどうして気付かなかったのか?」
宮嶋「松本サリンでは河野さんを逮捕しましたからねメラメラ
勝谷「これは、突き詰めるべき闇だと思いますよメラメラ
辛坊(遮る!)「もう時間があんまりないんですよ」


(27:41~)勝谷「増殖するオウムを調べようと思って簡易に小委員会ができましたよね。あの小委員会の委員長がサンクトペテルブルグで交通事故死してますよね。ご存知でしたか?」上祐「いや、あまり。」勝谷「明らかにあれは口封じだ。」
勝谷が言っているのは~この事件↓のことである。
1995年11月 【露】ロシアでのオウム調査を率いた国会宗教問題 委員会の委員長ヴィタリー・サヴィトスキーは「自動車事故」で突然事故死を遂げる。暗殺が疑われている。
「公安がルーツがロシアにあると見て捜査員を派遣しようとしたが、首相官邸が、それを止めたのだ。それをご存知でしたか?」上祐「そこまでは知りませんでしたが」 
「僕は明らかにオウム事件というのは、背後にロシア、北朝鮮や、ひょっとすると、中国軍閥などの外国勢力の浸透だと思っているけれども、そんなことは一切なかったことになっている。ロシアに関しては、上祐さんはもっと知っていることを喋るべきですよ!」

城内は、将来の総監、長官候補として期待していた若手官僚(渡邊秀男)の1983年裁判沙汰となった女性問題のもみ消しを側近に指示。ところが、このスキャンダルをオウム真理教と関係する暴力団(後藤組)に気づかれて裏取引を行った。後藤組の要求は、オウムに拉致殺害された坂本弁護士一家殺害事件の捜査の中断であったと言われている。
因みに、城内氏の警備局長時代、パチンコ業界からヤミ資金が北朝鮮に漏洩している問題に絡んで社会党議員が政治工作資金を着服している事件を奥田敬和が追及していた。城内氏は、これへの協力を拒んだ。なぜなら、パチンコ業界は、多数の警察OBの天下先であるからだ。なるほど、渡邊秀男は、懲戒免職を免れ病気療養のため自主退職の後に、東証一部上場大手パチンコメーカー・平和の副社長に治まっていた。



*公安警察とは小川泰平氏・手記より)
私の30年間の警察人生は主に「刑事畑」であり、公安警察・警備警察と呼ばれているものとは無縁であった。強いて言うなら若いころに、関東管区機動隊員として成田国際空港警備等に2年間従事したことがある程度ではあるが、私の知り得るものをすべて書かせて頂く。
小説や警察ドラマに「公安」というものは度々登場しているので、その「公安」という言葉自体は聞き慣れたものだとは思うが、一般の方はその存在や仕事の内容までは知らないであろう。公安といっても特殊な組織に属しているわけではなく警察組織の中の1つであり、刑事課や交通課の警察官と何ら変わりはないのである。
各都道府県警察の刑事部に殺人事件を扱う捜査1課や汚職事件を扱う捜査2課があるように、公安部にも公安1課や公安2課というものが存在する。しかし、この「公安部」という組織は警視庁(*東京都を管轄する警察組織の総称)だけであり、他の道府県警察に「公安部」は存在しないのである。警視庁以外は、「警備部」の中に公安1課や公安2課が所属として設けられている。
なぜ、警視庁だけ?と思われる方がいるかと思うが、警視庁つまり、東京都には皇居をはじめ両議院や各省庁、各企業の本社等が集中しており、政治や経済の中心地である。警備対象施設等も数多くあり、また過去も現在も公安対象事件の多くは東京都を舞台に発生しているからである。
ちなみに、警察で1課と言えば捜査1課のことであり、公安1課のことではない。公安1課は「ハムイチ」、外事2課は「ソトニ」と隠語で呼称されている。公安の公の文字から「ハム」、外事の外の文字から「ソト」である。
警視庁の公安組織について分かりやすくするために、組織系統図を書かせて頂いた。警視庁のトップは、ご存知のとおり警視総監である。その下に副総監がおり、そして総務部、警務部、交通部、警備部、地域部、公安部、刑事部、生活安全部、組織犯罪対策部、各部の部長がいるのである。
公安部は、8つの課と1つの隊から構成されている。公安総務課、公安1課、公安2課、公安3課、公安4課、外事1課、外事2課、外事3課、公安機動捜査隊である。
各課の業務内容を簡単に説明しておこう。
☆公安総務課
日本共産党、思想化の一部、旧オウム関連、デモ、市民運動等
☆公安1課
旧日本赤軍等
☆公安2課
労働争議問題等
☆公安3課
保守、愛国心、国粋主義的な思想を持つ団体等
☆公安4課
統計、資料
☆外事1課
在日大使館関連、アジア以外の各国
☆外事2課
アジア各国
☆外事3課
国際テロ情報収集、中東情勢
☆公安機捜
公安事件の初動捜査、NBCテロ捜査
公安機捜のNBCテロ捜査というのは、Nuclear/核兵器、Biological/生物兵器、Chemical/化学兵器である。
警視庁は、公安部の他に「警備部」がありその中に、警備1課、警備2課、災害対策課、警衛課、警護課、機動隊がある。
☆警備1課
庶務担当 資料、情報分析
☆警備2課
警備対策、装備等 爆発物対策、警備犬の運用
☆災害対策課
震災警備、レスキュー
☆警衛課
天皇、皇后等皇族を担当
☆警護課
総理大臣、両議院議長等、国賓を担当 ※SPは、警護課に所属している。
☆機動隊
9隊と特科車両隊の10隊
ここまでが、警視庁公安部と警備部の話であるが、冒頭でも書かせて頂いたが「公安部」として独立しているのは警視庁だけであり、他の道府県警察は「警備部」の中に公安が存在するのである。警察の規模により、多少の違いがあるが、例えば神奈川県警の場合で説明すると、「警備部」の中に、公安1課、公安2課、公安3課、外事課、警備課、危機管理対策課、機動隊があり、外事課の中に国際テロ対策室が配置されている。
ちょっとおもしろいのは、同じ公安1課や公安3課でも担当が全く違うところである。
刑事部でいえば、殺人事件は捜査1課、泥棒事件は捜査3課と全国の警察で統一されている。
しかし、公安は違うのである。
神奈川県警の場合、公安総務課がなく、公安1課、公安2課、公安3課と警視庁と同じ名称の課は存在するが、対象業務内容が全く同じではなく担当する団体等が違うのである。
公安各課の仕事に関しては前途で簡単に説明させて頂いたが、実際に何をやっているのだろう?正直、具体的な仕事の内容は明らかにされていない。
公安と言えば、「盗聴」をしているだろうとか、スパイを送り込んでいるだろうというようなことを頭に描く方がいるやも知れないが、実際はどうなのであろうか?公安警察による「盗聴」も実際にあったことなのである。1986年神奈川県警の公安1課に所属する警察官らが日本共産党の国際部長宅の電話を盗聴していたことが発覚した。最高裁でも警察官による盗聴の事実は認定されたのである。
公安の主な仕事は、担当している対象の「組織実態解明」である。対象者を把握しておく必要があるのである。
記憶に新しいので話をすれば、2010年10月に警視庁公安部の国際テロ関係の資料が流失した事件が発覚した。(警視庁は内部資料の流失を認め謝罪をしている。)流失した資料の内容は、テロ関連の教徒の名簿はもちろんであるが、対象者や協力者等々の国籍、住所、名前、生年月日、電話番号、家族構成、旅券番号、銀行口座等々、個人情報が完璧に把握され、まる裸にされていた。サミット関連の情報もあったようである。このように、公安は常に対象をまる裸にし把握しているのである。
思想家への対応は、現在でもある程度の活動があるので忙しいだろうと想像ができる。視察はもちろんだが様々な形で情報収集等を行っている。現在の公安の主な仕事は、「組織の実態解明」つまり活動家の「視察」に尽きる様である。活動家たちの記念日にはデモや集会等があることから、そのような日には尾行や張り込みが現在でも行われている。秘密の多い「公安」であるが少しは「公安警察」の仕事について分かって頂けたら幸いである。



●石原慎太郎
1989年「オウム神仙の会」は宗教法人認定を手にした。
教団に与えられたこの特権は、オウム犯罪が肥大する根源となった。
宗教の非課税特権は、麻薬売買のマネーロンダリングに最適の環境を提供し、
また、宗教法人の傘の下にある宗教団体に対して、
信教の自由という盾に捜査の手が阻まれたのも事実である。
東京都が拒み続けていたオウムの宗教法人としての認定は、
石原慎太郎の圧力によるものであった。
これは、石原の弟・裕次郎の主治医であった林郁夫
また、四男・石原延啓ら縁故者がオウム信徒であったことから、
身内贔屓による短絡的判断であったことは想像に難くない。
また、石原慎太郎は日蓮の法華系の新興宗教・霊友会に所属しており、
霊友会による組織票が、政治家・石原を支えたのである。
霊友会は、過去に脱税、金塊隠匿、麻薬事件などの
一連の霊友会事件(S24年頃)により分裂したが、
その分派を合わせると、同じ日蓮系の創価学会を大きく上回る信徒数を誇る。
石原が、自らの宗教観を著した「法華経を生きる」の中には、
父・潔の豪放な生き様と石原自身が高校生の時に訪れた死、また、
苦楽を共にした弟・裕次郎の癌による死壮絶な死について綴られているが、
これと、後にオウム真理教で地下鉄サリン事件の実行犯となる
医師・林郁夫が、密教系新宗教・阿含宗、やがて、オウムへと
信仰を深めていく精神的背景を告白した内容を鑑みると、
両者が主治医と患者の肉親として親交したならば、
ある種の共感があったとしても不思議はない。
林は、自供により地下鉄サリン事件解明に協力したことにより、
検察は、自首に相当するとの判断を下し、無期懲役を求刑し、
無差別大量殺人事件の実行犯であるにも関わらず、
ただ一人死刑判決を免れた人物になった。
検察側が自発的に求刑を軽減するのは極めて異例のことであると云う。
また、警察のオウムの一斉捜査の遅れや、
一斉捜査時の警察による四男への対処の特例、
林郁夫の異例判決など、
表に現れたこれらの奇妙な経緯に関しては、
オウムを利用して日本軍事化を画策した他の政・官・財、
いわゆる戦争屋の思惑に加え、殊に身内がオウム内部にいた
石原の浅慮な公私混同が影響したであろうことが伺える事例である。
しかし、オウムの背後に広がる闇のマトリックスに関しては、
箝口令が敷かれ一切の捜査及び報道が、粛正された。

【石原とオウムの関係・まとめ】
①弟・裕次郎の解離性大動脈瘤手術を行った
 慶應病院の執刀主治医(1981-1987年)は、
 オウム真理教出家信者、地下鉄サリン事件実行犯・林郁夫。


②都が拒否していたオウム真理教の宗教法人認定を
 石原の圧力により、1989年8月宗教法人認可。
  *宗教法人は数々の税制上の優遇措置が与えられるが、
   「非課税特権」で得た利益をどんな目的に使ってもわかりにくい。
   オウム真理教による一連の凶悪事件によって、
   1996年宗教法人法改正で、宗教法人に対し、役員名簿や財産目録などの
   書類提出が義務付けられ、違反した場合には代表役員などに対し
   過料が科せられるようになった。しかし、自治体によって提出率に差があり、
   宗教法人の活動実態の把握が不徹底となっており、形骸化している。 

③宗教学者の中沢新一の証言によると、四男の石原延啓は
 オウム真理教の幹部であった。
 延啓は教団組織の官房長官副秘書官。
 麻原の座の背後の曼荼羅は画家でもある延啓作。
 山梨県警ではなく警視庁が第7サティアンを捜索し、
 延啓は第7サティアンで"救出"保護された。
 その後、高尾病院に強制入院となる。 
 
 因みに"石原銀行"とも揶揄された「新銀行東京」は、
 三男・石原宏高の選挙地盤である品川区と大田区の企業に
 主に融資しており、また、石原の発案でおこなわれている
 都の若手芸術家育成事業「トーキョーワンダーサイト(TWS)」から
 絵画3点を購入していた。
 TWSは石原知事の四男の友人で、都参与の今村有策氏が
 館長を務めている。
 2007年年四月の都知事選では、四男の都の文化事業への関与が
 明らかになり、「都政私物化」などと批判を浴びた。
 TWSでは、芸術家として評価されているわけではない
 延啓を重用したり、家族や知人を運営に参画させるなど、
 事業計画・予算決算の不透明な点について
 公私混同の疑いを指摘されたのだ。 
  *警視庁とは、東京都公安委員会の管理の下に置かれ、
   総務部をはじめとする9部と警察学校、犯罪抑止対策本部、
   オリンピック・パラリンピック競技大会総合対策本部及び
   方面本部が設けられている。警視庁は都議によって予算が敷かれる。
   また、第一線で治安維持に当たる合計102の警察署は、
   都内全域を管轄するとともに、24時間の勤務体制で
   あらゆる警察事象に対応し、都民生活の安全と平穏の確保に努める。
   
  *トーキョーワンダーサイトは、東京都による事業であり、
   東京から新しい芸術文化を創造・発信するアートセンターであるとされるが、
   明らかに、四男・延啓への石原の親バカ応援事業である。
   石原都政下で既成の都文化施設に対する予算の減額とは対照的に、
   TWSだけは別格として当初の5589万円→4億7152万円と
   8倍以上に増額された。
   トーキョーワンダーサイト本郷のステンドグラスは、
   延啓が原画を描き、300万円の制作費が都から支払われた。
   延啓は2003年6月から2004年3月までのTWS
   「キュレーティングアーティスト」(学芸員)として委嘱。


四男・延啓のトーキョーワンダーサイト疑惑について
石原の定例記者会見・全録 2006年11月24日(金)
←例えば・・↓こう発言。
【知事】どうしておかしいのよ。私は、肉親だろうと、なかろうと、可能性のある人間に物事をリファーする(任せる)のは当たり前じゃないですか!


(4:14~)元オウム真理教・官房長官副秘書官・石原延啓がゲージュツを語る。

④浜田幸一・著『ハマコーの非常事態宣言』の中で、
 山口敏夫と共にオウム真理教への莫大な資金提供を
 行っていたと名指しで批判された。
⑤地下鉄サリン事件の発生(1995/3/20)、
 またオウム真理教の犯行を疑われている
 国松警察庁長官狙撃事件が起きた(同年/3/30)の直後、
 石原は、議員勤続25年を祝う永年勤続表彰の場で、
 地元後援会にも知らされぬまま議員辞職を
 唐突に表明にした(同年/4/14)。
 石原の辞職は、検察当局との司法取引によるものであり、
 村山内閣で自治大臣・国家公安委員長として入閣し、
 オウム真理教によるテロ事件に「破壊活動防止法」を適用することを
 強硬に主張した野中国家公安委員長によって、
 石原は不問に付されたのではないかという疑惑がもたれている。
 同年6月には山口敏夫が二信組事件への関与疑惑によって、
 衆議院での証人喚問を受け、後に逮捕されている。
  *五輪招致書類、都が紛失・・2011年都知事に再選された石原は、
   2020年夏季オリンピックへ再度立候補の意欲を表明したが、
   2012年10月石原は、突如、都知事辞任した。
   その直後、当時、都知事の石原が提唱し、招致活動を行っていた
   2016年東京オリンピック構想で支出した費用の経理書類をめぐり、
   保存期間内の8事業計約18億円分の文書を保存していなかったことがわかった。
   朝日新聞の情報公開請求に、都は「紛失した」と説明している。
   「新銀行東京」が、石原氏の秘書軍団、石原派都議や区議の口利きで
   裏社会のフロント企業に莫大な金が融資され、
   公明党都議による口利きで創価学会系企業への融資されるなど
   食い物にされ、2007年の時点で、全融資残高は415億円。
   これらが整理回収機構に移管される可能性が高かった。
   東京オリンピック誘致の巨大利権は、これを覆い隠すのに必要な装置だ。 

  *二信組事件とは、東京協和信用組合、安全信用組合の2信用組合の不正融資事件だが、
   この処理のために受け皿銀行東京共同銀行(現在の整理回収機構)が作られた。
   暗殺された特殊法人をめぐる税金の流れなど国の不正を追求し続けた
   民主党の故石井紘基議員は、殺害された折、重要書類をカバンから盗まれた。
   この書類の作成に携わった金融専門家は、石井氏は国策会社
   「整理回収機構(RCC)をめぐる不正を示す書類を持っていたと証言。

⑥オウムには関連しないが、彼の言動の虚栄を示す事象として、
石原慎太郎の【家系の謎と嘘】について記しておく。
石原は、「三国人」「シナ」などの問題発言に見られるように、
根底に選民主義、差別主義思想を持つ。
ルーツによって品定めするのであるから、
自らも止事無きルーツでなければならないと考えているようだ。
そして、石原は、出自に粉飾を施し、家系について、誇大宣伝、
虚偽を吹聴していた。
 *石原の家系詐称 石原慎太郎は自身の家系について
  佐野眞一との対談の中で「うちの本家はそもそも石原ではなく服部なんです。
  そんな大家でもないけれど、元は、落魄 (らくはく) した士族です。
  先祖は武田の残党でそれが松山に流れて服部姓を名乗った。
  弓の名人だったらしく、戦 (いくさ) で七人殺したか、まあ七十人は殺さなかったでしょうが (笑)
  それで七つ矢車の家紋を許された。
  歴代、服部勘助を名乗った服部本家の血筋をひいている親父の親父が石原家に入って、
  それ以来石原姓を名乗った。」と述べている。
  慎太郎の祖父石原信直(警察官)は服部信義の二男である。
  また、
  AERA誌のインタビューにおいても、ノンフィクション作家の吉田司に
  慎太郎は「うちは士族の出でね。カッコいいんだ。武田の武士でね、弓矢の名人でね、
  家紋が7つ矢の矢車なんですよ。武田軍団って、戦強かったでしょ。
  うちの家訓はね、『明日の戦、わが身無念と心得べし』ってんですよ。
  つまり死ぬだろうと…。だから俺の親父もわりと覚悟して、毎晩接待で酒飲み続けて、
  仕事で死んでいった。『今宵の宴、わが身無念と心得べし』じゃないけどね (笑) と述べている。
  しかし、真相は、石原が吹聴したこととは異なっていた。
  石原の菩提寺の龍潭寺・住職によると約20年前の先代住職の頃、
  「慎太郎本人から“石原家のルーツを知りたい”との連絡があったが
  そのときもはっきりしたことは、とうとうわからずじまいだった。」
  つまり、石原は妄想し願った石原家のルーツは、武田家系譜の士族であるなどとは
  判明せず、そのような事実はなかったということだ。
  よって、石原がマスコミに吹聴している出自は、作り話の虚偽である。
  また、石原は、 1932年、兵庫県神戸市須磨区で生まれた。
  父・潔の出身地は父・潔は愛媛県長浜町(現大洲市)、
  山下汽船に店童(てんどう)あがりから重役に上り詰めた男である。
  店童とは、海運会社独特の制度で、商店でいえば 丁稚のようなものにあたる。
  佐野眞一『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』(31-32頁)によると、
  宿舎と食事は確保してくれるかわりに、給料は一切なかった。
  痰壺洗い、便所掃除、社員の靴磨き、使い走りなどが仕事だった。
  つまり、潔は、労働者階級の最末端から這いあがった強者なのであり、
  石原の湘南の海をヨットクルーズするブルジョワ的ライフスタイルは、
  一重に潔一代出世によって齎されたものである。
  母・光子は広島県厳島の出身。
  しかし、石原は、強い家父長・潔のユニークで怪物的な成り上がり一代記の
  成功前の苦節期に関しては語ろうとしない。
  (2004年テレビ朝日の開局45周年記念スペシャルドラマ~石原慎太郎・原作『弟』
  このドラマの自己陶酔的自分語りは、失笑ものであるダウン
  石原自身は、不思議なことに、神奈川県を出身地としている。 
  神奈川県の逗子市で青年時代を過ごし馴染みの土地であることには違いないが、
  出身地が神奈川県でないのは明らかである。