⑤ファシストの系譜 ~「殺された子供」岸伸介 & 「生かされた子供」石橋湛山 | ☆Dancing the Dream ☆

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石橋湛山。第55代内閣総理大臣。
アメリカの傀儡・岸信介と自民党総裁の座を争い、
これに勝利し、総理大臣となった。
石橋湛山は、反共の砦として岸を望んでいたアメリカを
狼狽させた人物である。
一貫して日本の植民地政策を批判し、
いち早く民主主義を提唱して、
台湾・朝鮮・満州を放棄し、小さく平和的な加工貿易立国論、
つまり「大日本帝国主義」に対し「小日本主義」を唱えた
リベラルな言論人であった。

政権樹立の2か月後、脳梗塞に倒れ、
アメリカの差金で副総理に治まっていた岸が、
棚から牡丹餅の形で第56代内閣総理大臣となった。

石橋湛山は、ジャーナリストでもあった。
湛山が務めていた東洋経済新報社の「連載/湛山を語る」
サイトに、色々な方の湛山に関するコラムが寄せられている。


岸信夫は中学三年のときに、
佐藤家から岸家に養子に出されたが、

湛山もまた、
10歳のとき、望月日謙という人物に
数年間、預けられたのだと云う。

上のコラムの中の石橋湛山研究の第一人者である増田弘氏の
「石橋湛山の魅力――
 三つの顔、三つの思想哲学、六つの人間的資質」によると・・

湛山の父・杉田湛誓(のち"日布")は日蓮宗の僧侶で、
やがて総本山・身延山久遠寺の第81世法主になるようなエリート僧だった。
当時の慣習に従って、湛山は母親の石橋姓を名乗ったということだ。

湛誓は、東京で生まれたが、すぐに両親と共に山梨に移り、
幼い頃から修行僧と一緒に、ランプみがき、
廊下や便所の掃除などの仏事をこなして育った。

そして湛山が10歳になった時、
父は、息子を自分の信頼する友人である望月日謙に預けた。
望月日謙も後に身延山久遠寺の第83世法主となった僧であり、
大変な人格者であったと云う。

のちに湛山自身が父親に、
「なんで望月日謙さんに預けたのか」と聞いたところ、
父は、「『孟子』に、古者、子を易えて之れを教ゆ、
とあるじゃないか」との一言を応えたのだとか。

古者、子を易えて之を教ゆ」とは、
どういう意味だろう?

「公孫丑曰く、君子の子を教えざるは何ぞや。
 孟子曰く、勢い行われざればなり。
 教うる者は必ず正を以てす。
 正を以てして行われざれば、之に継ぐに怒を以てす。
 之に継ぐに怒を以てすれば則ち反(かえ)って夷(そこな)う。
 夫子(ふうし)我に教うるに正を以てす。
 夫子未だ正に出でざるなりと。則ち是れ父子相夷うなり。
 父子相夷うは則ち悪し。
 古(いにしえ)は子を易(か)えて之を教う。
 父子の間は善を責めず。善を責むれば則ち離る。
 離るれば則ち不祥焉より大なる莫し」
       ↓(現代語)
孟子の門人である公孫丑という男が尋ねた。
「君子は自分の子供を教えないと言われますが、どうしてなのでしょうか」。それに対して孟子は言う、「それは自然の成り行きとしてうまくいかないからである。教える者は必ず正しい道を行えと厳しく言う。うまくいけば良いが、実際は教えた通りにはならない。うまくいかないとなれば、教える者はついつい腹を立てて怒鳴ってしまう。怒鳴ってしまうと、本来は正しいことを教えたはずなのに、かえって愛情とか父子の関係を損ねる結果になってしまう。それどころか子供は『お父さん、あなたは私に正しいことを教えているが、いったいあなた自身は正しいことを行ってないじゃないか』と反発してしまう。こうなったら、もう取り返しがきかない。だから昔の親は自分の子供を自ら教えるのではなく、他人の子供と取り換えて教え諭(さと)したのである。父が子に善を責めると、親子の情が離れてしまう。それこそこれ以上不幸なことはない」

なるほど、
このような思慮をもった父の愛情の元の行いであるのか。
湛山自身は、これに関して、
後に『湛山回想』にこう記している。

「もし望月師に預けられず、父の下に育てられたら、
 あるいはその余りに厳格なるに耐えず、
 しくじっていたかもしれぬ。
 …望月上人の薫陶を受けえたことは、一生の幸福であった。
 そうしてくれた父にも深く感謝しなければならない。」



さて、では岸信介の場合は、
いったいどうだったのであろう?
岸信介も少年期に養子出された。
やはり、岸の親も古者の知恵に学んで
息子を養子に出したのだろうか?
どうやら、そうではなさそうだ。


岸信介の父親は岸秀助、母親は佐藤茂代。
母方の佐藤家は山口県にある長州藩士の家系である。

岸家の岸秀助は、佐藤家の茂代と結婚し、
婿養子に入り、佐藤秀助を名乗り、
山口県庁の官吏を勤めていた。

後に佐藤秀助は役所を退職し、
造り酒屋を営むことになる。
その際に必要となるのが佐藤家のもつ酒造権である。
この酒造権が佐藤家の娘・茂代に与えられ、
これによって、秀助夫婦は、
造り酒屋を営むことができるようになった。

そして、秀助が佐藤家の婿養子になった代わりとして、
秀助と茂代の間に産まれた男子の3人
長男・市郎、次男・信介、三男・栄作のうち、
次男の信介が、当時中学3年生の時に、
佐藤家に養子にやられたのである。

つまり、この「子供の取引」は、
いわゆる閨閥 形成の手法の一種なのだ。

閨閥 とは、
政界、財界、官界さらには王室、貴族に属す一族が
自身の影響力の保持および、増大を目的に
一族の子弟、子女を婚姻させ強固な関係を構築する
血縁のネットワークのことであるが、
日本の支配者集団は、
閨閥によって成り立っていると言って過言ではない。

しかし、
岸家、佐藤家、そして、次代には安倍家を絡めた
この一族は、閨閥を支える政略結婚だけではなく、
「幼い子供を取引する慣例」があったのである。

そして、この慣例は、
信介の代だけでは終わらない。

信介は、安倍晋太郎と結婚した
娘・洋子の第三子を妊娠した時に、
産まれた子供が、男子であった場合は、
洋子の実兄の岸信和と仲子夫妻に赤ん坊を
養子としてやるように命じたのである。

仲子は、信介と同じく長州の出自の井上馨の血筋の
山口県議会議長を務めた田辺譲の娘であり、
田辺は日産コンツェルン創始者鮎川義介の従兄という
名家の一族の出である。

晋太郎と洋子の間には、
長男・寛信、次男・安倍晋三がおり、
本来は、安倍家の三男となるはずの信夫が、
子供のできない兄夫婦の元へ養子にやられたのだ。

信夫は、自分が養子であった事実を、
大学進学に際し戸籍謄本を取り寄せて見たときに知ったという。
信夫は、「そのときのショックは、それは大変なものがあった。
何で教えてくれなかったんだ!と、
頭のなかが一種錯乱状態に陥った。」とその時の心境を語った。

そして、実母の洋子は、信夫が成長してから、
母親としての情を示して憚らなくなり、
養母の仲子は信夫から遠ざけられ、
仲子は、非常な苦痛から精神的に病んでいく。
そして、幾度となく自殺未遂を図ることとなったのだ。

仲子が手首を切って東京から運ばれた病院は、
晋太郎と仲子の郷里でもある山口の油谷の
安倍家の縁戚に当たる木村医院である。
木村医院の木村義雄は、安倍寛の代から
安倍家を物心両面で支えてきた一番の支援者であった。
木村医院は、仲子の心身の療養のために
最高の待遇で迎えた。

その後、仲子は、岸家から籍を抜いた。
夫の岸信和とは、今も仲睦まじく暮らしていると云う。

以上は、『総理の乳母: 安倍普三の隠された原風景』という
著書の一部に依拠する。

信夫の実母・洋子と、養母・仲子の悲惨な状況を描いた項には、
「修羅」という題が付けられていた。

このような、岸信介の「子供取引き」による悲劇は、
石橋湛山の父が、孟子の知恵に学び、
子供をより良く育もうとする愛情によるものとは、
全く異質のものである。
よって、全く異なる結果を生んだ。

湛山の父は、僧であろうとも、人の親になろうとも、
愚である自分自身を深く悟っていたのかもしれない。
息子に多くを望み厳しくしてしまう自分自身の未熟さ、
親というものの愚かさに気づいていたのだろう。
後に湛山自身も「父が余りにも厳格であることに
耐えられなかったかもしれない」と言い、
預けられた先の望月日謙との出会いを「一生の幸福」と述べている。
改めて父の思慮深さに感謝し、
湛山は、父の深い愛情を感じることができたのだ。

一方、岸の行いは、無惨に家族を傷つけてしまった。
この非情な行いは、岸信介自身が
一族の利得のために「売られた子供」であったことに
起因していると私には思われる。

少年の信介は、自分の運命が親によって、
非情に決定付けられたことを、非情だと認識するのを
無意識に拒絶したのだろう。
多感な少年期の子供を育むことよりも、
お家大事の道具になることを強いられたというのが真実であるが、
その真実を無視し、自分自身を偽ることにしたのだ。

そして、岸信介のこのように歪んだ内面性は、
負の連鎖を起こした。
家族に、子孫に、他者に向かって。
政治にまでも拡大されて行った。

子供を取引の道具に使うことを
平然と行える人格の持ち主は、
自分を平然と売ることができる。
国も平然と売ることができる。
なぜなら、元々、自分は売られた子供だから。

石橋湛山の子供の魂は生かされ、
岸信介の子供の魂は殺され、
そして、岸信介はA級戦争犯罪人として巣鴨の拘置所に入る際、
この歌を詠んだ。

名にかへて みいくさの正しさを 
来世までも語り伝へん    
     岸信介
         
       ↓

私は、太平洋戦争を
歴史上、正しかったことにするために
アメリカに自分の名誉を売り払うつもりだ。




岸伸介は、
歴史までも歪めようとしたのだ。


この妖怪は、
孫に憑りついた。

恐ろしいことに、
その孫が、現在の我が国の総理なのである。