①後藤氏のコラム「もうひとつのラストメッセージ」~2003年と2015年・邦人殺害事件は関連する | ☆Dancing the Dream ☆

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後藤健二は、イスラム国ラッカ入りする2014/10/25の前日、
10/24に、Christian Todayにコラム投稿し、
そのコラムは26日掲載された。

後藤健二が残したラストメッセージは、
ラッカ入り直前に撮られた「映像によるメッセージ」、
そして、このコラム「文章によるメッセージ」の二つが存在するということになる。

再度、彼の「もうひとつの最後のメッセージ」とも言える
コラムを読み直してみた。

これを再び読んでみて、愕然とした。
ここには重大なことが書かれている!

後藤氏は、「映像によるメッセージ」「文章によるメッセージ」共に、
非常に緻密に細心の注意を払って、平易な言葉で覆いながら、
人々の平和な暮らしを破壊するアメリカに追従し、
新自由主義を推し進める自民党政権への痛烈な批判が隠されている。

これら2つの最後のメッセージは、
恐怖政治の元の表現者が常に苦心するように、
一読では読み取れないよう告発的な内容を
暗喩的に隠蔽して表しているのである。

つまり、
為政者の手で直ぐさま握りつぶされないように、
言葉の表層の地下に、
真のメッセージを隠しているのだ。


  ↓  後藤氏のコラム「もうひとつの最後のメッセージ」
 戦争に行くという意味 後藤健二 Christian Today

後藤氏は、
イラク戦争を取材し、
普段は慎重を期して踏み込むことのない戦闘の最前線
“War zone”にカメラを持って入ってしまった。
米軍が武装勢力に襲撃されている現場である。
米兵は、銃を向け後藤氏に狙いを定めたという。
米兵はゆっくりと近づき後藤氏の左胸に銃を突きつけたまま、
プレスパスを確認し、「取材禁止、立ち去れ」といった。
米軍に敵と見なされ、死を真近に感じる恐怖、
神から与えられた生を、一瞬、自ら諦めたことへの罪悪感なども綴られている。
死にたい。どうせ死ぬなら戦場で死のうと思った―という北大生について、
戦争とは、自分が死ぬ可能性があるばかりでなく、
このように死にたいと思ってもいない愛する家族のいる相手の
命を奪う可能性があることに考えが及んでいないことを指摘している。
詳細は、掲載のご本人のコラムを読んで頂きたい。

そして、この時撮った映像は蔵入りしたが、
後に、頻繁に使われることになったという。
2003年11月に発生した「イラク日本人外交官射殺事件」以来。

つまり、後藤氏の撮ったものは、
武装勢力が米軍を襲撃している映像であるため、
イラク戦争を正当化する道具として、
盛んに用いられたということなのである。

この「文字によるメッセージ」が投稿された直後、
ラッカ入りする直前にイラク人ガイド・ザイム氏の手で撮られた
後藤氏の「映像にメッセージ」がある。



以前のブログで、その内容を分析したが、
この「映像にメッセージ」と「文字によるメッセージ」は、
明らかに繋がっている。

Don't claim to the Syrian people.

後藤氏は、自分がイスラム国入りし、
仮に拉致され人質になり、
最悪、殺害されることがあった場合、
それを、「安倍政権が対テロ戦争に自衛隊を派遣する口実」に
利用するすることを恐れていたのだ。

そして、
「日本国民が安倍による対テロ支援のプロパガンダに呑まれる」ことを
危惧していたのである。

彼は、仮に自分が殺されても自己責任である故に、
シリアの人々に向かって、
 当然の権利であるかのように、
 矛盾や異議があるのに、
 要求したり、
 主張したりするのはやめてくれ!
」と言ったのだ。

彼が、撮ったイラク映像のように利用しないでくれ!と。
そして・・

ちょうど11年前、
小泉政権が「イラク日本人外交官射殺事件」を口実に
「テロに屈しない」という言葉を発し、
自衛隊イラク派遣に踏み切ったように!! と。







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2003年3月ブッシュ政権は、
イラク・フセイン政権が大量破壊兵器の保有しているとして、
バクダッドを空爆し、イラク戦争が始まった。

以来イラク戦争が始まって13年になる。
そして、日本がイラク戦争に、自衛隊を派兵させるきっかけになったのが、
二人の外交官:奥・井ノ上の射殺事件である。

2003/11/29、イラク北部、バグダードで、
奥克彦・駐英参事官と井ノ上正盛・駐イラク三等書記官、
イラク人の運転手が乗った車が、襲撃され、3人は死亡。
彼らは、会議(援助活動を行う人々のための宿泊施設の開所式)に
向かう途中であった。

結果的に、小泉政権は、「テロの可能性が高い」と決めつけ
「テロに屈しない」という口上のもとに
自衛隊のイラク派兵へとつながっていった。

この事件の取り扱いを日本政府は、
初の現役外交官殺害事件であるにも関わらず、
米軍当局にまる投げにした。
しかし、米軍の事件における発表内容には数々の不審な点があった。

まず、後に問題となるが、第一報は死後5時間もが経過していた。
フランスAFP通信のニュースは、米軍大佐による次のようなものであった。
「29日午後6時ごろ、日本人外交官2名が、サダム・フセインの出生地で
援助会合の開催地になっていたティクリットに向かう途中の
ティクリット南方15キロにあるムカイシファの食品店に立ち寄った際に
射殺された。この事件ではレバノン人も1人、負傷した。
これら3人は食料と飲み物を買おうとして停車したが、
そこを複数の攻撃者が小口径の銃器で狙い打ちされた。
これら3人はティクリットの病院に運ばれた。
負傷者の状態は不明である。」

しかし、現地住民の証言によって、
「29日午前11時ごろ」
「立ち寄った店で停車しているとき」ではなく、
「走行中に三、四台の車に囲まれ」射殺された。
車は、道路から畑へ突っ込み、
「武装車列のあとを米軍車列が通り過ぎていった。」

テロリストにとって敵国アメリカに追従する日本の
外交官を殺害したことは宣伝の種となるだろうが、
犯行声明は一切なかった。
この事件がアメリカ軍、もしくは、
アメリカが雇う民間戦争会社の傭兵によるものだという
疑いがもたれた。

つまり、日本人外交官2名は、
アメリカによって暗殺された可能性が高い。
あるいは、これを口実に自衛隊派兵を行った小泉政権は、
ブッシュ政権の日本人に対する暴挙に無抵抗であることにより、
謀殺の共謀と判断されても仕方ない顛末である。

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この事件を調べるにあたって、
当時も、参院特別委で民主・参議院若林議員による
「外交官惨殺は米軍の可能性がある」との追求を
大手メディアは報道しないなど異様な報道粛正がなされていたが、
現在も、ネット上の報道ニュース動画は見当たらない。

私が探した限りでは、
唯一あるのは、元・レバノン全権日本大使・天木直人氏による
本・外交官殺害事件の追悼と小泉政権のイラク外交批判の
講演の動画のみであった。

天木直人氏は、イラク侵攻のブッシュ米国政権に
追随しようと­する小泉外交に異議を唱え、
小泉外交を批判した意見具申をしたことにより
解雇された人物である。

そして、奥克彦氏と井ノ上正盛氏もまた、
天木氏と同じく、イラク戦争に異を唱える人物であった。

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イラク便り
~元気なイラクの子供達~
 
平成15年5月14日(水) 在英国大使館 奥参事官 (より一部抜粋)

旧サッダームシティーはサッダーム・フセインが
バグダッド市の建設を進めるために、
60年代に貧しい南部のシーア派の人々を強制的に移住させた地区です。
あまりにも多くの人を特定の地区に住まわせているために、
一部の家庭では寝る場所が十分でなく、
寝る時間を交代制にしているようです。
今回の戦争の後の略奪も多くはここの地区の住民が
関与しているといわれていますが、
自分の地区の下水処理ポンプを売り飛ばさなければならない程の
困窮振りなのです。
自分自身を略奪してしまっているのです。

でも救いはあります。それは子供達の輝く目です。
イラクの子供達は皆パッチリとした目で生き生きしています。
教室は狭く、長椅子に6人、7人が詰めて座って授業を受けている有様です。
これから盛夏に向かい、教室内は60度近くに気温が
上がることもあるそうです。
勿論、扇風機すらありません。
それでも学校へやって来て、日本の支援に触れてくれれば、
いつか大人になってもその記憶が心に蘇るのではないでしょうか。
何時の時代にも何処でも、子供達の目は純粋に好奇心を語ってくれます。
イラクの子供達のきらきらした目を見ていると、
この国の将来はきっとうまく行く、と思えてきます。


つづく・・