湯川さんについて思う ~宮崎駿「風立ちぬ」&山本伸裕先生の「他力」のお話 | ☆Dancing the Dream ☆

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白い坂道が 空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は 昇っていく
何もおそれない そして舞い上がる

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲

高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも 若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせ

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲

*******************

ほかの人には わからない・・

ユーミンの「ひこうき雲」
これを聴くと、泣けてしまう。
特に一節はぐっと心に響く。

私は、宮崎駿監督の「風立ちぬ」を
映画館で3度も観た。

何故かというと、
何度見ても、眠ってしまうからだ。

ジブリ作品のファンで、もちろん全作品を観ているし、
お気に入りは、何度も繰り返し観る。
そして、その度に、新しく気付かされることがあった。
子供との「もののけ姫」ごっこでは、
空でセリフが言えるほどなのだ^^
なのに、「風立ちぬ」を映画館の大画像を見ながら眠ってしまう。
友人には驚かれ、笑われた。

思うに・・
あまりも美しい昭和の風景、
私の心に刻まれた原風景が、まま目の前に広がり、
この上ない安らぎの中、
母の胎内から出て息をつき広い空をみた、
あの空の広がりへと飛び立っていってしまったのではないか。
現実的には、映画館で眠ってしまっただけなのだか。

「風立ちぬ」は、
風がさらうあのパラソルのように、
私をどこかへさらってしまうのだ。

何もおそれるもののない
子供時代の中へ。
そう思う。

映画の舞台は、
関東大震災、そして、戦争が始まるという
まさに、現在の日本、
東北地方太平洋沖地震、そして、きな臭い日本が
オーバーラップするような時代の物語であるのだけれども。

堀越二郎がそうだったように、
宮崎駿監督も、空を飛ぶことを夢み、
飛行機に憧れた。
大人は子供時代の産物。
大人はみな子供だったのだ。

ただ、あの空を飛んでみたい。
何故かはわからない。
ほかの人にはわからない。

ほかの人には わからない・・
ひとりの人間は、ひとつの宇宙を持っている。

人が生まれると同時に、
ひとつの宇宙が生まれ、
その世界で遊び、
やがて、死ぬとひとつの宇宙が消滅する。
つまり、有限な存在なのだ。

かくも儚い ほかの人には わからない 宇宙をもつとは、
なんと美しく悲しいことなのだろう。


「他力の思想~仏陀から植木等まで」 著・山本伸裕

人間はみな悲しみをもっている。
        
山本伸裕先生は、
大陸から漢語やその他の外来語が伝来する以前に
日本で使われていた言葉、「大和言葉」を紐解きながら
親鸞の「他力の思想」を やさしく説く。

悲し(カナシ)
という言葉は、
カネガタシ(兼ね難し)から来ているのだとか。 

人は、何かを強く思えば思うほど悲しみを感じざるを得ない。
愛おしいものの死を代わってあげられない。カネガタシ
だから、カナシいのだ。と。
そして、芸術のふるさとは、「カナシ」なのではないかと。

坂口安吾は、エッセイ『文学の故郷』(←全文読めます)の中で、
次のような、どうにも、救いようがなく、慰めようのない話を例に挙げ、
我々のふるさとは、むごたらしく、救いのないものだと言い切る。

・シャルル・ペロオの童話、狼に食われた「赤頭巾」
・狂言の「鬼瓦」 鬼瓦が自分の女房に似ていることを泣く召使いの話
・芥川龍之介の農民作家の子殺しについての手記
・「伊勢物語」の中の愛する女を鬼に食われた男の話

我々のふるさと、
生存の孤独は、カナシい。
その通りだとおもう。

ISの人質となって殺害された
湯川さんを思わずにはいられない。
湯川さんのここまでに至ることもまた、
私たちが他力の中で、生かされているならば
「自己責任」などであろうはずがない。

あれからまた湯川さんのブログを読みすすめてみた。
すると、湯川さんの子供時代の思い出が書かれていた。


子供の頃の僕♪昭和時代♪
いじめエピソード

もともと女の子のような気質をもって
花を摘んだり、ままごとをしたり、
千葉の海辺に育ち、
海に憧れ、
ただ、おおきな船がゆく
海の向こうを夢見ていたのだろう。

子供の湯川さんは、
ほかの人には わからない
自分の宇宙を遊んでいた。

けれども、小学校にあがって
虐めっ子と出会ってしまった。
小学生の5年間はいじめ地獄の毎日、
酷い虐めを受け続けながらも
親を悲しませないために、
また、虐めを受けることを恥だと感じ、
辛い思いをひた隠しにしていた。

以来、湯川さんは、一生懸命
本音を隠し、
「自力」で頑張ろうとし、
若くして一時はビジネスで成功した。
この経験が、彼を支え、さらに「自力」で頑張るように
彼を駆り立てたのだろう。

そして、湯川さんは、おそらく、
何らかの商才のようなものや、
人を惹きつけるような雰囲気をもっていたのかもしれない。
それが、彼の仮面であったとしても。

坂口安吾の『文学の故郷』の中にある
「救いがないということ自体が救いである」という
矛盾したような言葉の意味は、
「自力」を手放すよりほか、
生きようがないときに、
初めて「他力」と出会う。それが救い。
そういう意味なのではないだろうか。

とてもとてもカナシくて
やりきれない時、もうダメだと思う時、
私はカナシい。もうダメだ助けて欲しい。と
その「本音」を発し、
願い、祈るとき、
その「音」の響きに応えてくれる
本当の友が現れるのだ。
その友こそが、
大きな力のメッセージを携えてやって来る
神の使いなのだろう。
  *願う(ネ[音]カウ[乞う])
   *祈る(イ[命]ノル[神に祝る])


南無阿彌陀仏(南無阿弥陀婆耶) Namo Amitābhāya
namo ナム=わたしは帰依(よりどころに)します
amita アミタ=はかることのできない
bhāya 佛(はっきりと見えない。つまびらかならざる。大きいの意)さま

ナムアミダブツとは、
はかり知れない大いなるものに安心して身を置きます。
という意味。

その目に見えない大いなるものの名前は、かみさま、と呼んでも、
ほとけさま、と呼んでも、あるいは、自然と呼んでもいいのだろう。

大いなる力は、
きっと All In Your Nameなのだと思うから。

以前から、マイケルの歌の歌詞に出てくる言葉で、
とても気になっていたものがある。
それは、Moneyという歌の中で囁かれる
dignityという言葉だ。

dignityは、普通に訳すと「尊厳」という意味になる。
けれども、英語では、どういうことを「尊厳」とういうのかが解らなかった。
dignityの 語源dek(インド・ヨーロッパ祖語)とは、
"to take(受け入れること), accept(申し受ける),
 to receive(受け取ること), greet(出迎える)"
これは、[神を]受け入れるという意味なのだろうと妙に納得した。


私ならば、神さまに、
どうか私と一緒に んでください~とお願いしたい。
私は、神さまと一緒に歌を歌いダンスを踊りたい音譜