マイケルとエルトンジョン③ ~子供の力 | ☆Dancing the Dream ☆

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上の動画は、2012年のエルトン・ジョンのインタビューです。
後半、彼は、自宅に作られた、個人的な祈りの場であるチャペルを紹介しています。
そこには、彼の母親、お祖母ちゃんとともに、
この世を去り、彼が尊敬し、愛していた人々の碑が飾られているようです。

乳がんに対する意識を高める運動「ピンクリボン」で有名なエスティローダーの
エヴリン・ローダー、
エイズ撲滅運動のリーダー、エリザベス・テーラー、
ファッションデザイナーのジャンニ・ヴェルサーチ(彼は、エルトンによって説得され、
薬物障害の治療施設でドラッグ中毒を克服していた)、
地雷廃絶を訴えたダイアナ妃。

そして・・それらの慈善家、著名人と並んで、
エイズで亡くなったライアン・ホワイト君の碑がありました!
エルトンにとって、このチャペルに銘を刻むほど、
ライアン少年は、特別な存在だってのですね!

エルトンは、この年若くして強く美しい魂に、
人生を一変させるほどの影響を受けたのです。
80年代、音楽界で不動の地位に登り詰め、全てを手に入れたはずのエルトンは、
当時、ドラッグに溺れ、自殺未遂を繰り返していたことを告白しています。
多くの人々に影響を与える音楽を世界に送り出し、
また、多くの知識人や成功者、才人と触れ合う機会がありながら、
心の内では、死を思うほど、彼の魂は孤独だったのです。
その閉ざされた彼の魂の奥深くに触れたのは、他あろう、
13歳から5年間の間、深い交流を交わし、
18歳でこの世を去った、インディアナに住んでいたひとりの少年だったのです。

マイケルはあるインタビューで・・

「もっとも影響を与えられているもの、あるいは人というと、
 『子供と神』だと思う。
 子供というのは意外な答えと思うかもしれないけど、
 彼らの秘めたる可能性とエネルギーに触れると、頭が下がるんだ。
 自分のエネルギーは神と子供たちからきていると、信じているよ。」

エルトンなら、この言葉の意味が、
きっと、心の芯に沁みて理解できるのでしょう。。

マイケルは、デンジャラスツアーの只中、
93年、児童虐待の嫌疑をかけられ、心労と身体の痛みから、
深刻な薬物中毒に陥りました。
(あるいは、このツアーに関わり利害を持つ者らにとっては、
マイケルに危険な薬物を過剰に与えてでも、ツアーを続行せねばならなかった
というような都合主義が背景にあるとも思うのですが。。)
今にして思えば、TIIの前兆のような、この時のマイケルの危機を、
エリザベス・テーラーとともに救う手助けをしたのが、エルトンでした。

最近、エルトンが、マイケルの思い出として語った
「マイケルは、10年間人々と共に座って食事したのは、初めてだと言っていた。」
・・というのは、この時のことではないかと想像します。
エリザベスがエルトンとマイケル救出のタッグをくみ、
彼女の采配で、何よりもマイケルの身体を一番に考え、急遽ツアーを中止して、
全てのマスコミをシャットアウトし、エルトンが隠密でマイケルを匿った・・
あの時の事です。。

マイケルは、
根っからの仕事人間、ステージに命懸けで臨むプロ中のプロですから、
彼を止められる人は、彼自身の他にいない。そんな強い自我をもった人。。
(彼の歌には、そんな歌詞もありますものね・・)
けれど、マイケル自身が、ツアーの中止を決め、
薬物中毒の治療をする決心をするに至ったのは、
エリザベスやエルトンの説得によるものと言うよりも、
もしかしたら、彼らが、マイケルに
「ライアン君」を思い出させたのではないかと思えてなりません。。

マイケルや、エルトンにとって、
ライアン君という存在は、
彼らが支え励ました少年というだけではなく、
むしろ、ライアン君の方こそ、
マイケルやエルトンという孤独な魂を、真に揺さぶったメッセンジャーであり、
身に纏った「頑丈な犀の皮?」あるいは、「笑顔の仮面?」の内側で
傷つき、悲鳴をあげている素顔の自分を受け止める機会を与え、
人生を見つめ直す勇気を与えてくれた・・偉大な魂の持ち主。
彼らのような感受性に富んだ純粋な芸術家は、
そのようにライアン少年に頭を垂れたのではないかと思うのです。
今回、この一連の記事を書いて、そう強く感じました。

そして、この世界で最も貴重な宝は、
ライアン君に象徴される純粋な「子供の力」のようなものであり、
私たちが、子供を守りたいと思う心は、
か弱い者を守りたいということ以上に、
貴いものに学び、美しいものに照らされたいからなのかもしれない・・
・・そんな想いを巡らせました。

子供たちが、無邪気な笑い声を響かせるのを聞く時、
まだ寒い寒いこの時期に、蕾が膨らむ木々に、ただ喜びを感じるような
幸福感が胸に広がります。
この世界を、随分傷つけ、取り返しのつかないことをしてしまった・・と
自分自身も含め、どうしようもない人間たち・・と意気消沈していても、
この世界は、まだまだ捨てたもんじゃない!と思うのです。
希望をもって、あの幸福の笑い声を絶やさない場所を守りたい。
小さな存在なりの小さな場所で。

最近は、体罰問題について、盛んにニュースで取り上げられ議論されていますが、
一方的に教える側、指導する側、躾ける側だと思い込んでいる大人たちが、
子供たちへの虐待を、
教育や指導や躾け・・という言葉に置き換えねばならないのは、
本当は「子供の力」を信じていないからなのでしょうね。。



J.M. Barrie,のPeter Panからの一節・・


“Pan, who and what art thou?" he cried huskily.

「パン!お前はいったい誰で何なんだ?」彼はしゃがれた声で叫んだ。

"I'm youth, I'm joy," Peter answered at a venture,
"I'm a little bird that has broken out of the egg.”

「僕は、若さ! 僕は喜びだ!」 ピーターは大胆に答えた。
「僕は、卵から孵ったばかりの小さな鳥なのさ」