Liberian Girlから、One More Chanceへ① ~長き映画への情熱
↑こちらの続編です。
時は、刻一刻と
あの忌まわしい裁判へと 向かう頃のお話です。
2003年2月3日 「Living with Michael jackson」英国で放映。
2003年6月 サンタバーバラ郡保安官が調査を開始。
2003年11月18日 「Number Ones」がリリースされた。
その数時間後、サンタバーバラ郡シェリフは、
70人を超える調査者を以って家宅捜索。
2003年11月20日 証拠不十分のまま、児童性的虐待等の容疑でマイケル逮捕。
滞在先のラスベガスから小型ジェット機でサンタバーバラ
郡警察署に到着。
マイケルは後ろ手に手錠をかけられ身柄を拘束された。
保釈金は300万ドル(約3億円)。これをを支払い45分後に保釈。
注)政治的背景
11月17日にカリフォルニア州知事が共和党のシュワルツェネッガーに変わった。
前知事が政策として進めた「発電の自由化」は、発電所間の競争が激化することで、
電力の値段が下がり、サービスが向上するはずだった。
しかし、悪名高いエンロンを中心とした会社群が、自由化の盲点を突いて
荒稼ぎに走ったのだ。発電所を買収してそのオペレーションを手中に収め、
卸しの電力料金を高騰させるため、人工的に電力不足を起こした。
この不始末によって、民主党の前知事は解任された。
この折、後釜にシュワルツネッガーを押していたブッシュ大統領は、
イラク戦争に対する批判を逸らすため工作に、
マイケルジャクソンを利用したと言われている。
まだありました!この動画。。 ロックを壊し、容赦なく荒らしまわる。マットレスを引き裂いたり、もっと酷いのは消えてますね。。
マイケルに手錠なんて!! やめて、やめて~!!!・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
この騒動と同時進行するように、
マイケルは、新たな段階に進むために動き始めていました。
・1月10日 トミー・モットーラは会長を退陣。
マイケルは勝利し、最終的に5月にはマイケル側の意向を
ほぼ全面的に呑むことで合意した。
・2月3日 イギリスとアイルランドで、午後9時から
「Living with Michael Jackson」が放送され、英国内で
1400万世帯が視聴し、53.9%という高視聴率を記録した。
・2月6日 「Living with Michael Jackson」が午後8時から
アメリカで放送された。18.7%という高視聴率となった。
・2月20日 アメリカで、マイケル側からの反論番組
「The Michael Jackson Interview:
The Footage You Were Never Meant To See」が放送された。
・8月30日 マイケルの45歳の誕生日を記念するファンイベント
「Michael Jackson ... A Celebration Of Love」が、
LAのオーフィウム・シアターにマイケルを迎えて開催され、
「みんなに約束する。マイケル・ジャクソンのファンである事を
誇りに思わせるよ。」と述べた。
・9月13日 マイケル主催によるチャリティーイベントがネバーランドで開催され、
著名人を含むおよそ700名が参加。
「What More Can I Give」のポップアートが披露される。
・10月7日 マイケルが監督を務める予定のネバーランド・プロダクションズ
配給作品「ぬいぐるみを檻に入れられて」の配役に関する話し合いが
開始された。
・10月10日 ロサンゼルスのThe BeatやシカゴのWGCIなどのラジオ局で
「One More Chance」のオンエアが開始された。
・10月25日 ラスベガスのセレモニーに出席。
市長からラスベガスの鍵を贈与される。
・10月27日 チャリティーソングWhat More Can I Giveをデビューさせるため
ラジオ・ミュージック・アワードに出演。プレミアム上映を行った。
同日、発売無期延期状態だった「What More Can I Give」が
ついにインターネットで配信。
・11月18日 マイケルはラスベガスで「One More Chance」の
ショートフィルムの撮影のため、自宅には不在だった。
その間、 カリフォルニア州サンタバーバラ郡保安官事務所が、
自宅のネバーランドを家宅捜索。
この状況が物語るのは、マイケルの視点に立つと---
ひとつは、
マイケルは、「What More Can I Give」を「ウィ・アー・ザ・ワールド」に
続くものと考え、これに長い期間をかけ、100人以上のアーティストが、賛同し、
このレコーディングに奉仕した重要な作品として、世に送り出したいと強く望んで
いたということ。
もうひとつは、
SONY WARSと呼ばれた、レコード会社との攻防に、決着がつけられ、
マイケル優位で契約がなされ、マイケルとしては、ベスト盤+未発表曲をリリースし、
ソニーを去る展望が、明瞭になっていたということ。
さらに、
2002年より、ゲーリー・パドニーのプロデュースで
『The Nightmare Of Edgar Allan Poe』のポー役を主演すること、
『ぬいぐるみを檻に入れられて』を監督することなど、
映画界進出に関して、具体的な案件を持っていたこと。
つまり・・
マイケルは、多くのアーティストと集い、
世界平和を歌う「What More Can I Give」で、
その歌の詞にあるように、「ぼくに、もっと何ができるのか?」と歌い、
それを最後の花道として、力強く和した音楽界の中心から去る
という構想を描いていた・・?!
そして、最後の契約上の義務を果たすために提供した未発表曲、
「One More Chance」のSFを撮った。
多くの未発表曲の中から、この曲を彼が選んだのは、
ポー、よろしく・・マイケル一流の「暗号」が隠れているのではないかと思う。
この二つの曲は、つながっているのでは?
こんな風に・・・
「One More Chance, what More Can I Give!!!」
「もっとぼくが与えることのできる
もうひとつのチャンスを!」
マイケルが自分にはできると確信する もうひとつの チャンス!とは・・
「映画」です!
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長くなるので、いったん仕切ります。
Liberian Girlから、One More Chanceへ③ ~長き映画への情熱
に、つづく。