「神の聖所で、神をほめたたえよ。御力の大空で、神をほめたたえよ。
その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。
そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。」
「神様がしてくださった事のゆえに賛美すべきでではない。ただ神様というお方のゆえに賛美すべきだ」と言う人達がいます。
神様がしてくださる事は、神様がどのようなお方であるかという啓示なのです。
あなたが、神様がしてくださった事のゆえに賛美する時、あなたは神様というお方のゆえに賛美しているのです!
神様は人々を癒されるだけではなく、神様は癒しなのです。
神様は言われました。「わたしはジェホバ・ラファ」
神様は人々に供給してくださるだけではなく、神様は供給者なのです。
「わたしはジェホバ・ジャイラ」と言われました。
神様は人々を義にするだけではなく、神様は義なのです。
神様は言われています。「わたしはジェホバ・ツィドゥケヌ」
神様はただ事を行われるだけではないのです。
神様がなされる事はすべて、神様のご性質についてのさらなる洞察を与えるものなのです。
主が、5つのパンと2匹の魚を増やされ、5000人に食べさせた時、それは単なる奇跡ではありませんでした。
主はその事によって示そうとされたのです。
「あなたがわたしを信頼するなら、わたしがあなたの供給者となる!わたしはエルシャダイ。わたしは十二分すぎる者だ!
あなたの初めが小さくても、わたしはあなたを溢れるほどに豊かにする増加の神だ。」
同じように、主がバルテマイを癒された時、ツァラトの人を癒された時、死にかかっていた百人隊長のしもべを癒された時、
自分がメシヤである事を示したいがゆえに、彼らを癒されたのではありません。
もちろん、それも一つの理由でしたが、それ以上に主は、ご自身の性質、ご自分というお方、ご自身の心、憐れみを示すために癒されたのです。
神様はただ癒されるのではなく、神様は癒しなのです。
神様はただ愛されるだけではなく、「神は愛」だと聖書は語っています!
私達が神様がしてくださった事のゆえに賛美する時、結果として私達は神様というお方のゆえに賛美しているのです。
この2つを切り離すことはできません。
主は私の体を癒し、私が強迫神経症にがんじがらめにされ、めちゃくちゃでひどい状態で、逃げ道がなかった時に私の思いに触れてくれたんです!
私は9年前の出来事のゆえだけに神様を賛美するのではなく、主が今日、そして明日してくださる事のゆえに賛美します!!!
神様は私を解放してくださっただけではなく、今日も解放してくださり、これからも解放してくださるお方なのです!
主は昨日も、今日も、永遠に同じお方です!
変わった事がなく、変わるつもりもありません。
不変なのです。
主であり、苦しむ時、そこにある助けなのです。
「神様がして下さった事ではなく、神様というお方のゆえに賛美すべきだ」と妙な事を言う人達がいますが、どうしたらそれが上手くいくのですか?
あなたの聖書から、イエス様が福音書でされた事を引き裂いたら何が残りますか?
いくつかの良い説教と、ほぼそれだけですよ。
イエス様が水をワインに変えた時、ヨハネ2章は、「イエスはこの最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現わされた。」と語っています。
イエス様がなされたしるし、不思議は、神の栄光と力の現れなのです。
ですから、あなたが神様がして下さった事のゆえに神様を賛美する時、神様のご性質ゆえに神様を賛美しているのです。
2つを切り離すことはできません。
ですから、神様が癒し主であり、供給者であるゆえに感謝する事や、神様が平安であり、鬱から解放してくださったゆえに感謝するのが悪い事だと感じさせてくるごみを頭に入れないでください。
イエス様は平和の君です。
聖書は、イエス様が平安を与えてくださると語っていますが、私は主が与えてくださった平安のゆえだけに主を賛美するのではありません。
イエス様は平和の君であり、私の内に生きておられ、神様の平安が私の人生の全てで満ち溢れているのです。
「角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。
緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。
音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。
鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。
息のあるものはみな、主をほめたたえよ。
ハレルヤ。」
詩篇150篇の最後「息のあるものはみな、主をほめたたえよ。」を取り上げたいと思います。
「私には神様を賛美する事がありません。」と言う人達がいますが、息があるなら、神様を賛美する理由があります。
世界最大の教会の創立者であるナイジェリアのオイデッポ監督は言っています。
「あなたが何かを失ったとしても、神様のゆえに、あなたはすべてを失ってはいない。」
「私には神様を賛美する理由がない。目に見える状況の中で手をあげて神様に感謝し、賛美をささげるに相応しいものは何もない。」と言うなら、愚かです。
理解していませんよ。
あなたの肺には息があり、心臓は動いている。もしかしたら病があるかもしれない。心臓や肺が弱っているかもしれません。
でも健康である肝臓や膵臓を感謝しないなら、癒しを受ける資格はありませんよ。
自分の足を引っ張っている問題にいつも目を留めるのではなく、うまくいっている事に目を留めてみませんか?
マイナスの状況を見るかわりに、子ども達が食事をする事ができている事、食卓に食べ物があり、住まいがあることを神様に感謝されてみてはどうでしょうか?
天には神様がおられ、あなたのために御業をなそうと待っておられるのです。
神様が以前あなたにしてくださったことのゆえに感謝しはじめてください。
それがダビデの成功の秘訣でした。
今から言う事を、あなたの霊に今日刻み込んでください。
「今あるメニューのゆえに神様を賛美するまでは、あなたは天国のレストランのメニューをアップグレードする資格はない」
今目の前にあるメニューのゆえに神様を賛美するまでは、アップグレードしたメニューを持つ資格はないのです。
過去の祝福を神様に十分感謝していないなら、さらなる祝福を受ける資格はありません。
だからこそゴリアテを殺す前に、ダビデは知っていたのです。
ダビデはばかではありませんでした。
自然では、ゴリアテにはかなわない事を理解していました。
ゴリアテは若い頃から戦士で、3メートルも身長があり、槍の穂先は7キロ近くあり、盾持ちがいて、大きな頭をしていたんです。
ダビデは知っていました。
「肉では、この男に太刀打ちできない。太刀打ちできる者がいるとしたら、兄のエリアブだ。他の人達より身長が高いから。」
サウロは一番身長が高かったけれど、天幕に隠れていたからです。
ダビデは知っていました。
1つに、自分は油注がれていることを。
2つ目に、サウロが「行くべきじゃない。死んでしまうよ。」と思いとどまらせようとした時、ダビデは過去の勝利のゆえに神様を賛美してサウルに答えました。
「過去に獅子と熊の爪から救い出してくださった同じ神が、今日敵対してくる割礼を受けていないペリシテ人から私を救い出してくださいます。」
彼は過去の勝利のゆえに落ち度なく、また正しく神を賛美した時に、今日の勝利を与えるために神が現れたのです。
ですから、あなたが何かを失っていても、その失ったもののゆえに不満を言うのをやめて、神様があなたの人生にもたらしてくれたものを感謝し始めてください。
子ども達を感謝し、主があなたのビジネスや経済にしてくださった事を感謝し始めてください。
あなたが被るはずだった破産、死に到らせたであろう病、意気消沈させたであろう問題。
しかし神様はいつもそこにいてくださって、苦しむ時、そこにある助けでした。
山はあなたの上に崩れ落ち、波はあなたを押し流すはずでしたが、あなたは今だに立っていて、前進している!
あなたは諦めず、善を行い続けました!
あの時、あなたを救い出してくださった神様は、今あなたを救い出されます!
しかしあなたは、怒ったり、疑ったりせずに、聖い手を上げて言う必要があります。
「主よ!あなたは変わってないと私は信じます!
私を見限ってはおられないと信じます!
私の前にはまだまだ良いものがあると信じます!
私は途中で止めない!
ボクシンググローブをしっかりとはめて、リングに戻り、神様を賛美します。
それを武器として用い、悪魔の仕業に打撃を与えます!私は勝利を得ます!
なぜなら神様、あなたはいつもキリスト・イエスによって私に勝利を与えてくださるお方だからです!」
ハレルヤ!





