良い例をお見せします。
16節から。
「私たちが祈り場に行く途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。
この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させている者であった。
彼女はパウロと私たちのあとについて来て、『この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです』と叫び続けた。
幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、『イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け』と言った。
すると即座に、霊は出て行った。
彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、」
ご覧の通り、この世には邪悪な人達がいるんです。
全ての人があなたの味方で、善良で、あなたを助けたいと思っていると思ったら大間違いです。
悪魔は人を束縛状態にとどめて金儲けをしているんです。
彼らは、恐らく10代であったであろうこの奴隷の少女で金儲けをしていたんです。
彼女が占いの霊につかれていたので、占いをさせる事によって金儲けをしていた。
なぜアメリカやカナダ、世界中の都市にストリップクラブがあると思いますか?
それは、悪魔が人々を性的不品行に縛りつけておくことによって、自分の活動に資金を流し込んでいるからです。
薬物中毒者達を見てください。
彼らは縛られていて、悪い人達がそれによって金儲けをしているのです。
なぜ今カナダでは、政府がマリファナやハードドラッグを栽培しようとしていると思いますか?
政府の規制のもとで、コカインやメス(覚醒剤)を合法化しようとしています。
それは何十億ドルもの利益があるからです。
パブロ・エスコバルは、国々に単独で麻薬を流し込む事によって、超大金持ちになりました。
政府はようやくその事に気がつき、合法化する事によって薬物供給者という地位に就こうとしているのです。
その金儲けに、曲がりなりにも加わることができるために。
人々を解放する事には関心がないんです。
なぜ政府は福音を嫌っていると思いますか?
共産主義が政権を握った国で、最初に取り除かれるのは聖書でした。
そして牧師達を刑務所に入れる。
なぜなら福音は、この世が全くできない事を無料でやってしまうからです。
福音は人々を無料で解放します。
福音を聞くのにお金はかかりません。
イエス様は全てを無料でしてくださり、人々はイエス様の元にお金を払わないで来ることができた。
パウロは言いました。「私は人々からお金を取らないで福音を語る事を目標としている」と。
私達は人々からお金を取って福音を語るべきではありません。
神のみことばは無料で私のもとに来ました。
イエス様は言われました。
「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」と。
私の集会で入場料を取ることはこれからも絶対にありません。
ただで来て、ただで解放を受け、ただで帰ることができます。
悪い人達は金持ちになっている。
悪魔は人々を縛ったままにしておいて金持ちになっているんです。
しかしパウロとシラスが現れた時、2人はうんざりして、
「その霊に、『イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け』と言った。すると即座に、霊は出て行った。
彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕らえ、役人たちに訴えるため広場へ引き立てて行った。
そして、ふたりを長官たちの前に引き出してこう言った。
『この者たちはユダヤ人でありまして、私たちの町をかき乱し、ローマ人である私たちが、採用も実行してはならない風習を宣伝しております。』
群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、」
3から5週間前、彼らにとってパウロやシラスはどったこともない存在でした。
でもあの女性が解放されて、儲ける望みが砕かれた今、彼らは気にするようになったんです。
ローマやユダヤの法律の事なんで全く気にかけてなどいませんでしたよ。
沢山金を稼いでいた女性が解放されたから、頭にきていただけです。
「何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。
この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせをかけた。
真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
そこでパウロは大声で、『自害してはいけない。私たちはみなここにいる』と叫んだ。
看守はあかりを取り、駆け込んできて、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。
そして、ふたりを外に連れ出して、『先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか』と言った。
ふたりは、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます』と言った。
そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。
看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。
そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。
それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。」
パウロとシラスはある地域に行きました。
彼らは神様のために働いていて、しるしと不思議が起こっていた。
彼らは、イエス・キリストの福音のために人生を捧げきっていた。
2人は自分を捨て、自分の十字架を背負い、イエス様の大宣教命令「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を伝えなさい」に従って出て行きました。
そして、若い女性を占いの霊から解放した。
けれど表彰されたり、リバイバルが起こるのではなく、まったく逆のことが起こり、
2人は奥の牢に放り込まれ、足かせをかけられたのです。
奥の牢です。ゲーム機があり、キッチンがあって、受刑者達がある程度の自由を享受できるスウェーデンの刑務所ではありません。
洞窟のような一世紀の刑務所です.
エアコンもない、水が滴り落ちて来る,暗くて、重苦しく、冷たい洞窟の中に放り込んだんです。
その上、少なくとも光が入って来る外に面した牢ではなく、真っ暗な奥の牢に入れられた。
灯火で照らされて、全てを見ることができるような快適な牢ではなかったんです。
彼らは真っ暗闇の中にいたんです。
真夜中だったと、聖書は語っています。
手を投げ出して、不平を言ってもおかしくない時間帯でした。
「すべてが駄目になってしまった。
神様のために働いていたのに、神様はこんな報いをするのか。
あんなに一生懸命働いた結果がこれか。
もうやめた。シラス、私は明日、イエスを捨てるよ。そして前していた仕事に戻ることにする。
ペテロにも漁師に戻るべきだと伝えるよ。イエスを信じたって良い事は全くないからさ。」
いいえ!
2人にはその機会がありました。
肉が不満を言うのは簡単です。
イスラエルの民が荒野にいた時、マナしか食べていなかったので彼らは不平を言いました。
そこで神様がうずらを与えたら、彼らはまた不満材料を見出したんです。
あなたが自分の肉を自由にしてしまうなら、ありとあらゆる不平不満に引き寄せられるのです。
何百万という感謝な事があるのに、不満の精神があると1つの感謝できない事を見つけ出してくるんです。
こういう人はみじめです。私はそのような人達と出会ってきました。
神様がその人達の体を癒し、聞こえない耳を癒されるんです。
私はそれを見ました。耳が聞こえるようになった一人の女性が席に戻ろうとすると、孫息子がやって来て「いやー、神様がおばあちゃんの耳を癒してくれたって素晴らしくない!?」と言いました。
彼女何て言ったと思いますか?
「そうだね、私は聞こえないままの方がいいけどね。」
そう言った瞬間に、また耳が聞こえなくなりました。
なぜなら神様は、不平を言う人達に我慢できないからです。不平は神様を苛立たせるのです。
Ⅰコリント10章はこう言っています。
「彼らの中のある人たちがつぶやいたのにならってつぶやいてはいけません。彼らは滅ぼす者に滅ぼされました。」
彼らの中のある人たちのように不平を言ってはいけません。
聖書はこう語っています。
民数記21章。
彼らは神様とモーセに対して不平を言いました。
それなので神様は燃える蛇を送られ、蛇は彼らの足や足首、手首にかみつきました。
イスラエルの全陣営に、大きなパンデミックが起こったんです。
十字架のイエス・キリストの象徴である、旗ざおの上の青銅の蛇を仰ぎ見る時のみ、彼らは癒され、赦されたんです。
イスラエルの民は不平を言い、神は怒りを燃やされたと聖書は語っています。
パウロやシラスのように真夜中にいる時、多くの人達は不平を言いたくなるんです。
私達の肉はそうしたいんです。
しかしあなたがパウロやシラスのようにするなら、-2人は不平を言う事を拒否し、それだけではなく、賛美を始めたんです。
彼らは祈りました。
祈りが聞かれないのは、言わせてください。
あなたの祈りが賛美の洗礼を受けていないなら、その祈りは答えられません。
祈りが効力を発揮するためには、賛美の洗礼を受ける必要があるのです。
賛美と祈りのサンドイッチと呼ばせてください。
ハンバーガーとかサンドイッチはご存知のように、パン、肉、そしてパンですよね。
聖書は詩篇100篇4節で言っています。
「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に入れ。」
まず何よりも力強く神様を賛美しない限り、天の門を入って、神様の前に行って、祈りを聞いてもらうことはできません。
もしダダっと入ってきて、「神様、こんな事が起こるなんて信じられませんよ!!何とかすべきですよ!」と機関銃のようにダダダッと祈ってもきかれません。
神様の耳は閉じられてしまいます。
「耳をそむけておしえを聞かない者は、その者の祈りさえ忌みきらわれる。」と聖書は語っています。
そしてそのおしえには、感謝しつつ主の門に入ることも含まれているんです。
エペソ5章「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」
これが神のみこころだからです。
聖書は、神の御心を行ったなら、約束を受けることができる、と語っています。
神様を賛美をし、今持っているものと神様がして下さった事に感謝するという神の御心を行うまでは、約束を受ける資格はありません。
約束を受けるという確信を持つことはできません。
天の御座にやって来て、自分の人生でうまくいってない全ての事に拳を振りかざしながら怒って、神様が自分のために動いてくださると期待する。
多くの人達は、このような祈りをしています。
そしてさらに失望落胆する。
「3時間も祈ったのに・・・」
あなたはそのように1日5時間も祈ることができます。
しかし聖書はこう言っています。
「彼らは疑いながら祈っていると。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。」
ですから、正しい祈り方と間違った祈り方があるのです。
神様の臨在の中に入る正しい方法があるんです。
私が今日、入館手続きを一切しないで、シークレットサービスに「やあ」と言って、大統領執務室に入って、大統領と話すことができると思いますか?
不可能です。大統領執務室に入るためには、一連の手続きをする必要があります。
人間でさえ、大統領に会う前の手続きを定めることができるなら、なおさらのこと神様に会うための行動規範があるはずです。
あれと、これをしなければ、神様に会う事ができないと、言っているわけではありません。
私はそんな事は言っていません。
私が言っているのは、神様はご自身の主権によって、みことばの中で、神様に近づく時の行動規範を定められたということです。
「感謝しつつ、主の門に入りなさい」と。
続く





