④賛美の武器 
〜賛美は状況を変える〜
(写真はTJ師のホームページより)

TJ Malcangi

イエス様がラザロの墓に来て、ラザロを生き返らせた時、イエス様も神様の行動規範に従われました。


イエス様はラザロの墓に来て、こんな風には言われませんでした。

「マリヤ、マルタ。石を動かす必要はないよ。わたしが自分で動かして、ラザロを呼ぶから。」

そして目をつぶって、「ラザロよ、出て来なさい。」と言われると、ラザロが出て来て、突如としてラザロの手足から布切れがなくなって、彼は喜んだ。

そうではありません。

イエス様は最初に「その石を取りのけなさい」と言われました。

それは期待でした。



期待感なしで、天の御座、神様の臨在の中に入ることはできません。


祈ったことを神様がしてくださるという期待がなかったら、祈りに何の意味がありますか?

それでは空気に向かって祈っているようなものです。


イエス様は、言葉数が多かったり、同じ言葉を繰り返せば聞かれると思っている宗教的な人達のようになるな、と言われました。


どれだけ沢山祈ったか、またどれだけ沢山の言葉で祈ったかではないのです。

祈る時に自分の霊から働かせる信仰のレベルが大事なのです。


祈る時の言葉の質とか雄弁さが、神様の関心を引くのではありません。

祈る時の信仰の質が、神様の関心を引くのです。



イエス様が、マルタとマリヤに石を転がすようにと言われた時、彼女達は「臭くなっている」と言いました。

それは疑いの現れでした。


「なぜそんな事をする必要があるの?臭くなっているし、生き返る望みもないのに」



そこでイエス様は言われました。

「信じるなら、死者がよみがえるのを見ると言いませんでしたか?」



マルタは現代の多くのクリスチャンのようでした。

「そうね、いつの日か義人のよみがえりの時によみがるでしょう。」


イエス様は「違う。将来の事を言っているのではない」と。


宗教はいつも、将来に先延ばしします。

「いつか、癒されます。」「いつか、救われます。」「いつか、解放される。」「いつか、罪から自由になる」と。



イエス様は言われました。

「わたしはよみがえりであり、いのちです。あなたは、わたしをことばどおり受け入れるだけでいい。

天国に行くまで待つ必要はない。死はあなたの救い主ではないからだ。」



「わたしがよみがえりであり、いのちです!わたしがいのちのパンです。わたしを信じる者は飢えることも、渇くこともありません」とイエス様は言われました。



「その時まで待つことはしない。今すぐ石を取りのけなさい。そうすればわたしは今、奇跡を行う。」



彼女たちが信仰の期待をもって、言われた通りにすると、イエス様は行動を開始されました。

何をされたのか?



ラザロを呼ぶ前に、両手を上げ、目を天に向けて言われました。

「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。」



「あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることをわたしは知っていますが、周りにいる群衆のために、わたしは公に感謝します」



イエス様が天の父に感謝した後によみがえりの力が臨み、イエス様がラザロを呼ぶと、ラザロが出て来たのです。



主は言われました。「ほどいてやって、帰らせなさい。」と。



あなたが生きている事を神様に感謝し、すでに持っているものに目を留め始めるまでは、死んでいるものは死んだままです。

停滞しているものは停滞したままです。



感謝の気持ちがないなら、悪い意味で地に足が着いた状態です。

レベル1状態。



非常に上手いクリスチャンのスローガンのようなものがあります。

「態度が自分の高さを決める」


感謝の気持ちがないなら、地表にいる状態、レベル1で、前進することはありません。


ダビデの妻、ミカルの人生を見てください。


ダビデが契約の箱をエルサレムに迎え入れた時、彼は主の御前で力の限り踊り始めました。

聖書は彼の妻が出て来てこう言ったと書いています。


「あれがイスラエルの王の立ち振る舞いですか?

王の威厳にふさわしと?

はしため達の前で裸で踊りになって。

彼女たち、色情を抱いたはずよ。」


もちろんこんな風には書いてありませんが、彼女は怒っていたんです。

もしかしたら妬んでいたのかもしれませんね。


「ダビデ、イスラエルの王として本当に威厳がございましたこと。」


ダビデは何と言ったでしょうか。


「契約の箱が戻ってきたのが分からないのか。」



契約の箱は、この地における主の臨在でした。

神の臨在がユダヤ人達に戻ってきたので、ダビデは主の御前で踊ったんです。

神の臨在は、ユダヤ人達を繁栄させるからです。


契約の箱がオベデ・エドムの家にあった時、オベデ・エドムの家のすべてが繁栄し、成長し、増加しました。


オベデ・エドムは超幸せでした。


「自分の人生にある神の臨在は、私の今の最低状態の終わりを示している。この前味わった敗北が最後の敗北である事も!神の臨在が戻ったので、私は勝利の道にいる。

上向きで前方に向かっている軌道に私はいる。」



ミカルはダビデの賛美にケチをつけました。


誰かがあなたの賛美の仕方に「叫びすぎ。手を高く上げすぎ。踊り過ぎだから。楽器の弾き方が激し過ぎ。ジャンプが髙過ぎる」とケチをつけてくるのは、救いの喜びを理解していないからです!



今、この動画を観ている方は理解されているはずです。

「主が私の味方でなかったなら、自分は滅びていた。意気消沈していた。見捨てられていた。打ちのめされ、めちゃくちゃになっていた。悪魔の牙の餌食となって、ずたずたに引き裂かれていた。

しかし神様は私のそばに立ち、獅子の口を塞ぎ、燃え盛る火を消し、弱い私を強くしてくださった。」と。



彼らはあなたの辿ってきた道を知らないので、あなたの賛美を理解できないのです!



誰かにあなたの賛美の熱量を決めさせないでください!



あなたが神様について知っていることを彼らは知りません!

あなたが神様と通って来た所を彼らは通ってはいません!


火の中を歩いても、あなたは焼かれず、川を渡るときも、あなたは押し流されなかったのです。

あなたの人生にいるミカル達に、神様があなたにしてくださった事にたいするあなたの喜び、感謝を押しつぶされないでください。



ダビデのようになってください!



「私は心に感謝をもって、主の大庭に入る!私はいつも主を褒めたたえる!私の口から、いつも主への賛美が流れる!

踊りをもって賛美し、タンバリンとシンバルで主を賛美する!鳴り響くシンバルで主を賛美する!私のうちにある全てをもって主を賛美する!

私は主を褒めたたえる。主が私に素晴らしい事をしてくださったから!」



あなたの人生から賛美のとどろきが聞こえてきますよ!

今日、あなたが直面している状況に関わらずあなたが神様を賛美する!と決める時、使徒16章のように、全ての牢獄の扉が開き、全ての人の手から鎖が解けおちます!



神様は天と地を揺り動かし、地震を起こして、地獄と罪が閉じ込めていた全ての牢獄からあなたを解き放ちます!



あなただけが自由になるのではありません!

聖書は、あの牢獄にいた囚人達も自由になったと言っています。



あなたの賛美は、あなたを牢獄から解き放つだけではなく、あなたの家族、子供たちを解放する力があるのです!

あなたは、自分の家に神の御霊を招く環境、雰囲気を設けることができます。



そして主の御霊のある所には、自由があるのです!


その自由が今日、あなたの家にやって来ます!


今日、あなたの家で、病の牢獄の扉が開きます!

あなたは病から解き放たれます!



今日、あなたの家で、鬱の牢獄の扉が開かれます!

そしてあなたは、その鬱から解放されます!



破滅の牢獄、あなたの人生に配属された地獄の使い達によって閉じられたままだったその牢獄の扉が、今日開かれ、あなたは自由になって前進して行きます!



なぜなら御子が自由にした者は本当に自由だからです。イエスの御名によって。


ハレルヤ


続く