少し長めの記事ですが、ぜひ最後までご覧ください😄

記事の最後の方に載せた動画の47:18あたりからしばらく異言で祈る時間が始まります。ぜひ一緒に祈ってみてください。Praying tongues for yourselfという所をクリックすれば祈りに飛びます。


②異言で長く祈ることの力と祝福

~湧き出て、溢れ流れる聖霊様のいのちの泉~

(写真はYoutubeより)


ジョン・K・チョー (NCTCダラス牧師)


今から、内側にあるこの泉からどうやって水を汲みだすのか、その実践的な方法を見ていきたいと思います。


この世の中には、3種類の人達がいます。ご自身がどれに当てはまるかチェックしてみてください。


1番目は、異言を語らない人達です。

これはイエス様を信じてない人達とイエス様を信じている人達両方です。

もちろん、未信者の方達が異言で祈ることができないのは当たり前ですが、クリスチャン達の中にも異言を語れない、あるいはそもそも異言を語りたくない人達が沢山います。


2番目は、異言を語ることはできるけれど、頻繫には語らない人達です。


3番目は、異言を語り、異言を語ることの力を知っていて、異言を語り続け、異言を語ることによって力を体験している人達です。

みなさんは、どれにあてはまりますか?


私は、異言を語ることによってまだ力を体験してない、人生が変えられるのを体験してない、それゆえに異言を語ることが楽しいとは思えない方達に伝えたいのです。


異言で語ることによって力を体験する、人生が変えられるというところまで行きつくことができない。異言で語るけれど、段々疲れてきてしまう。しんどくて、何の変化も感じない。それゆえにやめてしまった。


唯一異言で語るのは、異言を語りやすい雰囲気の時だけ。


しかし異言で語り続けることによって、力が流れ、状況を変化させ、家族が守られ、奇跡の業が起きるのを体験したり、異言で祈る時とそうでない時の自分の状態の変化を体験すると、異言を語ることが楽しくなるのです。


そして永遠のいのちにいたらせる水が沸きあがり、全ての領域に流れていくまであなたは異言で語るようになります。


だからこそ今日は、十分に時間をかけて異言で祈るべき理由を語りたいのです。

ちょっとではなく、十分に時間をかけて長くです。


15分の異言の祈りは十分ではありません。

あなたの人生で本当に奇跡を見たいなら時間をかけて祈る必要があります。


大切な人が攻撃を受けていたり、あなた自身が変化を必要としているけれど、自分の力ではもうどうしようもないなら。

さきほど賛美しましたね。「あなたが支配しておられる」。


なでしょうか。なぜなら私達の状況や、私達の大切な人達を、私達の意思によって変えることは不可能だからです。


あなたのお子さんや家族の誰かの状態を、あなたの意思がどれほど強くても変えることはできません。なぜなら、彼らの意思が必要だからです。


彼らの意思をあなたは変えることはできません。

なぜなら彼らは暗闇の支配下にあるからです。彼らは敵の脅威にさらされている。

あなたは彼らの状況を変える必要がある。なぜなら彼らを愛しているからです。そうであるなら、あなたには神様が必要です。


力が解き放たれる必要がある。

力が解き放たれるためには、水がぽたぽたと滴るだけでは十分ではありません。川々となるまで流れる必要があります。


川々です。



イエス様はヨハネ7章で、「聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」と言われました。


エゼキエル47章1節を見ていきましょう。


1節から5節までと、6節から12節までです。

これは、御霊によって、異言で祈る私達について語っています。

1節からです。


「彼は私を神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、宮の右綿の下から流れていた。」


ここでいったん止めます。


旧約で神様はモーセに幕屋の型を示されました。

そして彼らは幕屋を建てました。

幕屋は神の御座の原型です。そこは神様が座しておられ、私達が近づくことができます。


幕屋はモーセに与えられ、その後ソロモンの時代に神の神殿が築かれました。


神の幕屋は3つの領域があります。

至聖所と聖所と外庭です。


至聖所は神様の臨在が住まわれるところ。

大祭司だけが、生贄が捧げられ、血が振りかけられた後に、年に一回だけその場所に入ることができました。


もし正しくない方法で入っていくなら、死んでしまいました。

なぜならそこは聖なる場所で、罪が入ることはできなかったからです。


神様の臨在がある至聖所、聖所、そして外庭。


その後幕屋から神殿に変わりましたが、神殿にも聖所があり、次に幕があり、幕の向こう側に至聖所が、神様の臨在がありました。


イエス様が十字架で死なれた時、幕は上から下まで真っ二つに裂けました。


つまり神殿にはもはや至聖所がない、神様の臨在がないという意味です。

なぜでしょうか。

今や、私達が神の神殿だからです。


使徒パウロはこう語っています。「あなたがたは神の神殿であることを知らないのですか。」


どういう意味なのでしょうか。


私達が聖霊様を受けると、聖霊様は私達の霊に来られるのです。

神様によって新しく生まれた私達の霊に神様が住まわれているのです。


聖霊様は神のしもべではありません。

聖霊様は神の御霊であり、神様ご自身なのです。第三位格であられる、神の御霊、聖霊様が私達の霊に住まわれているのです。私達の霊は至聖所であり、私達の魂と肉体は聖所と外庭を現わしています。


これで、エゼキエルが語っている、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていたという描写をイメージすることができると思います。


イエス様が「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」と言われた2つの箇所は、エゼキエルが霊で見たこの幻に結びついています。


2節をお読みします。


「ついで、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外の門に行かせた。見ると、水は右側から流れ出ていた。」

つまり水は、神殿から東へと流れ出ていたのです。


3節。「その人は手に測りなわを持って東へ出て行き、一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。」


異言で祈り出すと、水が足首まで来るのを感じます。でもそこで祈るをやめて寝てしまうと、足首までなのでまだまだ異言の素晴らしさを体験できていません。


4節。

「彼がさらに一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水はひざに達した。彼がさらに一千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。」


5節。「彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。」

水が神殿から、祭壇から流れ出し、足首、次にひざに、腰にまで達し、そしてついには渡ることができないほどにまで達した。イメージできましたか?

「水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった。」



水は私達の背丈を越える必要があります。そうなった時に、川と呼ぶことができます。


イエス様は言われました。「その人の腹から、生ける水の川が流れ出るようになる。」


この川が何をするのかを示したいと思います。


6節から12節は、川となった水が海に流れていき、いのちを与えるシーンです。

6節からです。

「彼は私に、『人の子よ。あなたはこれを見たか』と言って、私を川の岸に沿って連れ帰った。

私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。

彼は私に言った。『この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海に入る。海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。』」


9節は一緒にお読みしましょう。

「この川の流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。

この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる。」

ハレルヤ。


この川が入る所では、いのちが、いやしが、繁栄が、供給がもたらされる。

ハレルヤ!


そして10節。「漁師たちはそのほとりに住みつき、エン・ゲディからエン・エグライムまで網を引く場所となる。そこの魚は大海の魚のように種類も数も非常に多くなる。

しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。

川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が成長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。」


その水が聖所から流れて来るからです。

その水は聖霊様のことであり、聖霊様はいのちを与える御霊だから。


その木々は毎月、新しい実をつけるのです。毎月です。

これでなぜ、異言で祈り続けていくと、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制という御霊の実が私達の人生で容易に現れてくるのかが分かりますね。

木が実を結ぶからです。そしてその葉は薬となります。いやし、いやしです。ハレルヤ。



イエス様は言われました。「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

私達は内側に泉を持っているのです。

そしてその泉は永遠のいのちへと湧きあがる必要があります。


みなさんは、イエス様を信じる者として、内側から泉が湧きだして永遠のいのちに至るのを体験していますか?


それとも、イエス様を信じない人達と同じことを体験していますか?

病や失敗、また愛する家族が他の人達から、あるいはこの世のシステムによって傷つけられたり、罪を愛することや死があなたの人生で働いている。


私達こそ、水を汲みだして、永遠のいのちを私達の人生に、私達の状況に、そして家族や大切な人達に流していく者達なのです。


どうやってするのでしょうか?

聖霊様に自分自身を明け渡して、内側から水を汲みだすことによってです。


聖霊様に自分自身を明け渡して、異言で祈る時、私達は内側から水を汲みだすのです。

ハレルヤ。


聖霊充満になるまで異言で長く祈りつづけていくと、ある時点から、もはや自分が祈っているという感じではなくなります。


水が流れ出てくるように、祈りがどんどん流れ出てくるのです。


自分が何を祈るべきなのか、何を祈っているのか分からないけれど、祈りが次から次へと流れ出てくるのです。

そして実際に、敵からの突然の脅威から守り、来るべきものが備えられる。

ハレルヤ。


私達は人生でこれを享受することができ、いのちを享受することができるのです。


家族や大切な人達を守ることができるのです。


御霊によって祈り出すと、あなたは神様の力を未知の状況に送っていることになります。


異言で、御霊によって祈っている時、あなたは何を祈っているのか分からないのですが、聖霊様によってあなたの状況にたいして神様の完全なみこころを祈っているのです。


突然自分の息子や娘のために(あるいは誰かは分からないけれど、祈らなければならないという切迫感)祈らなくてはならないという強い切迫感、促しを感じて、異言でひたすら祈りつづける。そしてしばらくすると、「勝利した。これ以上祈らなくていい」と霊で分かるのです。


多くの場合、祈られている人達は生死に関わる危険な状況にいるのですが、超自然的に守られるのです。


そのような証が沢山あります。

私の妻のポーラー牧師も、そのような経験があります。

電車に轢かれそうになる寸前の時に、母の祈りによって守られました。


妻のお母さんは、夜中に突然目が覚めて、娘のために祈らなくてはならないという強い促しを感じました。その時に幻も見たのですが、それは列車事故に関連するものでした。


なぜこのような事が起きるのでしょうか?

聖霊様は、教会を通して働かれているからです。聖霊様は、私達を通して働かれているのです。それゆえ、聖霊様は私達の関与を必要とされるのです。


だからこそ神様は祈りを考案されたのです。


もし神様が私達の関与を必要とされていなかったのなら、そもそも私達は祈る必要がありません。なぜなら、神様はなさりたいことは何でもできるからです。


神様は私達によって制約を受けています。

だからこそ、私達は神様を本当に必要としていますが、神様も私達を本当に必要としておられるのです。


私達が聖霊様に自分を明け渡し、御霊によって祈る時、私達は自分自身の将来や、子ども達の将来、家族や大切な人達の将来を知らなければ、敵がしようとしていることも知りませんし、どのような状況が待ち受けているのか分からないのですが、私達は御使い達に、聖霊様に信号を送っているのです。


そして聖霊様がいのちをもたらしてくださるのです。

アーメン?


ですから、水が足首まで来たからといってそこで異言で祈るのをやめないでください。


水が腰まで達してもまだ十分ではありません。


もちろん腰まで水が来ると、感じ始めるから良い事ですよ。

「ああ感じる。喜びを、聖霊様に満たされているのが分かる」


でもそこで止まらないでください。

異言で祈りつづけてください。

もっとです。聖霊様に圧倒されるまで祈ってください。


そこに達すると、水がぼこぼこ湧き出して、川となっていっているのが分かります。


川が流れ、川が流れ、あなたは神様の超自然的な働きをもっと簡単に見るようになります。

そしてあなたの人生で、多くの証を目にするようになります。ハレルヤ。


私達がイエス様を信じる者達として見落としてしまっているもの。私達は異言で十分に時間をかけて長く祈ることを止めてしまっているのです。


数々の驚くべき証があります。

多くの神の男性達、女性達が神様の偉大な奇跡を、証を体験しています。

そして全員に共通しているものがあります。それは、彼らは御霊によって長く、十分に時間をかけて祈ったということです。聖霊様に明け渡して。

ハレルヤ。



私は、どのようにしてあなたの家族や大切な人達を守ることができるか、またあなたの人生に神様の力と祝福を解き放つ方法をお分かちすることができます。

それは御霊によって祈ることです。


でもまずみことばを見ましょう。

申命記28章7節です。

共に読みましょう。

「主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。

彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。」


申命記28章は、イスラエルの民が、主の御声に聞き従い、主の命令を守り行う時にこのような祝福を受けるよという約束でした。


しかし今キリストのうちにある者達にも、この約束が与えられています。


あなたが外側からの脅威や、家族にたいする脅威、敵があなたやあなたの家族の人生で何かをしているのを見たなら、敵があなたから神様の祝福を盗んでいるなら、敵を追い出すべき時です。


聖書はこう言っています。

「主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走される。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。」


なぜ7つの道なのでしょうか?7は完全数だからです。


敵が攻撃してくるなら、7倍の復讐、神様から7倍の祝福をいただくべきなのです。


神様はどのようにして、私達に立ち向かって来る敵を、私達の前で敗走されるのでしょうか?


川を流すことによってです。川を流すことによってです。川を流すんです。


そうする時に、主の御霊は私達の状況に流れることができ、力強い働きをすることができるのです。

ハレルヤ。


イザヤ59章19節です。

この節を、皆さんが祈る時に、特に家族や大切な人達のためにとりなしの祈りをする時に用いてください。

19節を共に読みましょう。


「そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。(欽締訳では、その後に「敵が洪水のように押し寄せる時、主の霊は敵に対抗して旗を掲げ、敵を敗走させる。」と続く。)主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。」

ハレルヤ。これは叫んで読みたくなる節ですね。



敵が洪水ようにあなたに押し寄せて来る時、主の御霊が敵に対して旗を掲げ、敵を敗走させるのです。

なぜでしょうか、詳訳聖書(日本語の聖書も)はこのように言っています。

「主は」つまり聖霊様は「激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。」

ハレルヤ!


清らかで力強い神様の力の川が、聖霊様の息吹で押し流されて来るのです。激しい流れのように。そして敵を敗走させるのです。

だからこそヤコブは言っています。

「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば悪魔はあなたがたから逃げ去る。」


悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば悪魔はあなたがたから逃げ去る!

私達はどのようにして悪魔に立ち向かうことができるのでしょうか?


神のみことばを宣言し、私達に与えられているイエスの御名の権威を行使するだけではなく、御霊によって祈ることによってです。御霊によって、異言によって祈る。



自分の意思ではどうしようもできないような状況の時はとくにです。

それは自分の意思とは関係のない状況、あるいは誰か他の人の意思が関わっているからです。


私達の唯一の選択肢は神様に向かうことです。誰か他の人達ではなく。


私達は他のいかなる人間からも、政府からも、いかなるものからも助けを得ることはできません。

しかし私達は、内側にある力、助け主なる聖霊様から助けを得ることができるのです。


私達の内におられる助け主は、いかなる状況も変えることができるのです。


ですから私達は他の人達にではなく、神様に顔を向ける必要があります。


だからこそⅠコリント14章2節でこう言っているのです。

「異言を話す者は、人に話すのではなく」


私達は、助けを得るために、人々に自分の状況について話す必要はありません。

私達は神様に顔を向けて、神様に話すのです。

私達は神様に向かって奥義を語っているのです。


私達が奥義を語る時、神の御霊は激しい流れのように働くことができるのです。

なぜなら主の息吹がせき止められていた川を押し流すからです。


それゆえに、私達は超自然的な介入、超自然的な守り、超自然的な供給、超自然的な癒しの奇跡を体験することができるのです。

ハレルヤ。


今から、実践していきたいと思います。


どうぞ立ち上がってください。


まだ水が溢れ出てくるまで御霊によって祈ったことがないみなさん。

もはや自分が祈っているというより、祈りの霊が注がれて、祈りが溢れ流れて来て、川が流れているという感じに達するまでは、10分の祈りでは十分ではないかもしれません。


この1週間、このメッセージを用意する中で、異言で6,7時間祈りました。1人になれる部屋に行って、音楽もかけずに祈りつづけました。


というのも、私は何度も異言で長く祈ることによって、聖霊様の川が私の人生で溢れ流れ、働くのを体験してきたからです。


それなので御霊によって祈りました。

1、2,3時間御霊によって祈っていると、ある時点から祈りが次から次へと溢れ流れてくるのです。

祈り終えて、日常生活に戻ると、祈りが溢れて来るのです。止めることができず異言で祈りつづけました。

何かをしながら「シャバラバラ」、シャワーを浴びながらも「クヤラバラバラ」

祈りが溢れ出てくる。


みなさんにもこの事をぜひ体験していただきたいんです。

なぜならこれは、神様が私達に与えてくださった力強い武器だからです。

これはあなたに、私達の人生に役に立つのです。

私達はこの力を、自分自身のためだけではなく、家族や大切な人達のために用いる必要があります。

人々は危険にさらされています。

彼らは悪魔の力に、悪魔の攻撃にさらされているんです。

クリスチャンでも、キリストにあって自分が義とされていることを知らず、与えられている権威を、力を用いないなら、悪魔の脅威にさらされてしまうのです。


これは現実なのです。


私達は自分自身や、大切な人達の人生で何が起こっているのかを知りません。

敵は、ほえたける獅子のように、食い尽くすことができるものを探し求めながら歩き回っているのです。


どのような人達を、敵は食い尽くすことができるのでしょうか。


ノンクリスチャンと、クリスチャンでありながらもキリストにあって義とされていることを知らない人達、与えられている権威を知らない、あるいは行使しない人達です。


だからこそ私達は人々を、家族を守る必要があるのです。


それは私達の役目です。


攻撃的に、積極的になりましょう。


なぜならいのちはこれにかかっているからです。


あなたがこのことを実際に体験するなら、あなたは異言で祈ることが楽しくなります。


そして祈りの勇士となり、あなたは力強い神の男性、女性となることができます。


なぜなら、神様は喜んで従って、自分の時間を聖別して、他の人達のためにとりなす人達を必要としておられるからです。


その祈りによって、聖霊様が働かれ、彼らを救い、キリストのもとに、神様の計画の中に連れて来ることができるためです。


ですから祈っていきましょう。祈る時、自分の霊の、腹の奥底に救いの泉があり、御霊によって祈るとその泉から水を汲みだしていることをイメージしてください。

井戸水を汲み上げるために、ポンプを上下に動かしているかのようです。

ついには川となるまで。

御霊によって祈りましょう。ハレルヤ。



(47:18あたりからしばらく異言で祈る時間が始まります。ぜひ一緒に祈ってみてください。Praying tongues for yourselfという所をクリックすれば祈りに飛びます。)


♪自分自身のために異言で祈る♪


聖霊の満たしを体験していないなら、今満たされよ。聖霊の内住の満たしを受けなさい。

御霊の水を飲みなさい。満ち溢れるまで、御霊の水を飲みなさい。ハレルヤ。ハレルヤ。聖霊を受けよ。聖霊を受けよ。


御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。

私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、神のみこころに従って、私たちのためにとりなしてくださる。


それゆえ私たちは知っています。神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを。

生ける水の川が流れる。生ける水の川が流れる。

湧き出よ。湧き出よ!永遠のいのちに至るまで。湧き出よ!湧き出よ。いのちを与える御霊よ。湧き出よ。湧き出よ!永遠のいのちに至るまで。

ハレルヤ。ハレルヤ。


♪家族や大切な人達のために異言で祈る♪


家族や大切な人達のためにとりなし祈る時間を取りたいと思います。

子ども達や、親族、あるいは福音を伝える必要がある人達、あなたの知っている人達で悪魔の攻撃に今あっている人達のために。

敵の欺きによって惑わされたり、攻撃されている。

ダビデは詩篇27篇2節で言っています。

「悪を行う者が私の肉を食らおうと、私に襲いかかったとき、私の仇、私の敵、彼らはつまづき、倒れた。」


彼らはつまづき、倒れた!

どのようにしてつまずき倒れるのでしょうか?私達が異言で祈る時、主の御霊は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。

そして主の霊は、敵に対して旗を掲げ、敵を敗走させるのです。


敵は主の御名を、主の栄光を恐れるからです。

私達が愛する人達のために、主の御力によって、御霊によってとりなし祈る時、主の御霊は激しい流れのように来られ、動かれ、押し流すのです。ハレルヤ。


想像してみてください。

敵があなたの人生や、あなたの愛する人達を攻撃してくるとき、いかなる状況でも、あなたが御霊によって祈る時、主の御霊は敵を敗走させるのです。


敗走させる!ハレルヤ。

そして敵はつまずき、倒れます。敵はつまずき、倒れるのです!ハレルヤ。


ですから愛する人達のためにとりなし祈りましょう。


彼らを神様の本来の計画に、神様の完全なご計画に連れ戻す時です。

私達を攻めるために造られる武器はどれも役に立たなくなる!

私達は彼らを取り返す、イエスの力強い御名によって!


敵よ、私達はイエスの御名によってお前に立ち向かう。


お前は私達の前で敗北されている。


お前は一つの道から私達に向かって来るが、お前は私達の前から7つの道に逃げ去って行く!


主よ、私達は裂け目に立ちます。私達の祈りを用いてください。

愛する者達のために、私達の祈りを用いてください!


私達は彼らを取り返します。私達は彼らをキリストのもとに取り返します。


全ての病は立ち去らなければならない、イエスの力強い御名によって!

彼らを暗闇の中に閉じ込めている、敵の全ての欺きに、私達はイエス・キリストの力ある御名によって立ち向かう!


光が輝くように!光が輝け!光が彼らの心に輝け!光が彼らの心を照らすように!


敵はつまずき、倒れた。敵はつまずき、倒れた。敵はつまずき、倒れた。敵はつまずき、倒れた。敵はつまずき、倒れた。敵はつまずき、倒れた。


今日が救いの日。今日がその日です。私達は救いをもたらします。救いをもたらします。


全ての欺きの霊、全ての病の霊、全ての死の霊よ。イエス・キリストの力ある御名によってお前に立ち向かう。お前を縛る。彼らの人生から出て行け!

彼らの人生から出て行け!お前は出て行かなければならない!出て行け!イエス・キリストの力ある御名によって!


神のいやし、神の守り、神の介入、神の好意、神の好意をもたらす!


全てのことが私達のために働いて益となる!全てのことが私達のために働いて益となります!


敵よ!お前の手を離せ!手を離せ!手を離せ!お前を断ち切る!断ち切る!

イエスの御名によって!


聖霊様、私達の中を動いてください。私達の中を動いてください。

激しい流れのように。主の息吹が吹きまくっている、激しい流れように!

御霊よ、いのちを与えてください。いのちを与えてください。

御霊に満たされよ。

ハレルヤ。



私達に、私達の家族一人一人に、愛する人達に立ち向かってくる全ての敵に、私達はイエス・キリストの力ある御名によって立ち向かう。

お前たちは、私達の愛する者達から出て行け!離れ去れ!イエス・キリストの力ある御名によって!


神の御霊を解き放つ。イエスの御名によって。

主の御霊は激しい流れのように来られる!

ハレルヤ!主の息が吹きまくっている!


敵よ。お前はつまずき、倒れる。イエスの力ある御名によって!


そしてお前は、七つの道に逃げ去って行く!

7つの道に逃げ去って行く!

私達は、私達の愛する者達を神の本来の計画に取り戻す。

取り戻す。



彼らは救われる!彼らは救われる。彼らは救われる。彼らは守られる。

彼らに備えが与えられる!彼らは保たれる!

イエス・キリストの力ある御名によって!

御使い達よ。彼らのもとに行って、救いの業をもたらしなさい。

ハレルヤ。

アーメン。




主を褒めたたえます。どうぞお座りください。

今、私達は実践しました。家でも、個人の祈りの時に霊の戦いの祈りをすることができます。

時に怒ってもいいんです。もちろん他の人達に怒るべきではありませんが、敵にたいしては怒っていいんです。


ですので、怒りを表したい時は、祈りの時に、愛する者達に敵がしていることにたいして怒ってください。


その時に、聖霊様が私達を捉え、主の器として私達を用いてくださり、私達を通して聖霊様が流れ、働かれます。


私達が聖霊様に自分自身を明け渡す時、聖霊様は私達に言葉を与えてくださり、祈りが私達の口から出て来ます。

そしてそれが永遠のいのちに至らせる泉となるのです。

そうなるときに、程なくして、あなたは自分の内側から「終わった。なされた。大丈夫だ」という示しが来ます。

笑いや喜び、平安や「なされた。終わった。」という確信が与えられるのです。


愛する人達が良くなっているのをイメージすることができます。

そして証を目にすることになります。

ハレルヤ。



私もまた私の母の祈りの実です。


今の私を見ると皆さん信じられないかもしれませんが、十代の頃私は本当に神様に反抗していました。


愛する人達が私のために御霊によって祈ってくださり、聖霊様が働かれ、突然私の心が変えられ、私はイエス様と親しくなりたいと思い、イエス様に私の人生を明け渡しました。ハレルヤ。

いきなり、突然です。

突然、いきなり、あなたの愛する者達も変えられます。アーメン。