
ジョン・チョー(NCTC Dallas牧師)
神の御国で報いを受ける者として生きる
まだポイント1しか話せていません。
でもとても重要なメッセージをしました。
今日は、教会の携挙についての箇所を見て終わりにしたいと思います。
Ⅰテサロニケ4章15節は、教会の携挙、つまりイエス・キリストを信じている私やみなさんの携挙についてはっきりと語っています。
「私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。」
死んでいる人々というのは、キリストにあって死んだ人達のことです。
16節。
「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、」
17節。
「次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」
アーメン。
17節はこう言っています。
「次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに一挙に引き上げられ」
引き上げられ、とはギリシャ語でハルパゾーです。これが携挙です。
「携挙という言葉は聖書にない」とある人達は言います。
三位一体という言葉も聖書にありません。
ハルパゾーとは、「引き上げられる」ということです。
空中で主と会うために、一挙に引き上げられる。
キリストの再臨と、この空中で主と会う、携挙は区別する必要があります。
私達は一挙に引き上げられて、空中で主とお会いする。
そして後に、主と共にこの地上に私たちは来るのです。これが再臨で、この時から主の日が始まります。
地上での千年王国時代です。
「キリストにある死者がまず初めによみがえり」
携挙は、私達のからだの復活です。
Ⅰコリント15章50-52節。
「兄弟たちよ。
私はこのことを言っておきます。
血肉のからだは神の国を相続することはできません。
朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。」
「聞きなさい。
私はあなたがたに奥義を告げましょう。
私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。」
ある人達は、死を経験することなく、携挙されます。
私達の多くが、引き上げられる、携挙されるでしょう。もう間もなくです。アーメンでしょうか?
「終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。」
シュッっと本当に一瞬にして、消え去るのです。
そして残された人達は言うでしょう。「エイリアンにさらわれていった。」と。
冗談ではなく、本当ですよ。UFOの話しがあるのも、おそらくそのためだと思います。
「エイリアンにさらわれた」という話しをでっちあげるためです。
「終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」
キリストにあって亡くなった人達は、霊は主と共にありますが、からだはまだ復活していません。
そのため、まず彼らが復活し、その次に引き上げられる私達が、朽ちないからだ、復活したからだを着ます。
それは第一の復活と呼ばれています。
53節。
「朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。」
ハレルヤ。
これが最初に起こる出来事です。
多くの聖書預言が成就してきてました。
そして再臨の預言もこれから成就します。
しかし再臨が起こる前提条件として、まず携挙が起こります。
イエス様は、過ぎ越しの祭りの時に、十字架につけられました。
神様がイスラエルの民に与えた7つの祭りがあります。
過ぎ越しの祭り、種無しパンの祭り、これはイエス様の葬りを示しています。
初穂の祭り、イエス様が復活の初穂となりました。
そして五旬節の祭り。これは聖霊様が、信者達に降ったことです。
これら4つの祭りは、春の祭り、ニサンの月の祭りです。
残りの3つの祭りは、秋にあります。
ラッパの祭り。
もしかすると、この時期に携挙が起こり得るかもしれませんね。もちろん誰にもその日その時は分かりません。けれども、そろそろ近いかなというのは分かると思います。
具体的な日数は分からないけれど、なんとなくこのあたりかなと。
ラッパの祭りの後は、贖罪の祭りです。
これは、イエス・キリストがイスラエルの民を救い、彼らがイエス様を救い主と認めるという預言的意味があります。
そして最後が仮庵の祭り。
これは、キリストのこの地上での王国、千年王国の予表です。
神様が定められたこれらの祭りは全て、聖書預言とそのタイムラインに関係があります。
ハレルヤ。
この事を言って、終わりにしたいと思います。
兄弟姉妹の皆さん。
このメッセージは、あなたの焦点と人生の目的を再調整するものとなるでしょう。
私達は、この地上で永遠に生きるわけではありませんし、輪廻転生もありません。
必ず裁きがあり、それから私達は、天国か地獄で永遠に生きることになります。
しかし、どこで永遠を生きるかをあなたは決めることができます。
私達は、この目的のために神様に呼ばれました。
人々に、もう間もなくやって来る患難時代と破滅から逃れ、救われる道があることを伝えることです。
イエス様の初臨と十字架での犠牲と復活のゆえに、私達は福音を宣べ伝えていますが、切迫しているキリストの再臨は、私達が福音を宣べ伝えるさらに強い動機となります。
もしあなたが、黙示録で書かれている事が本当に起こると信じているなら、恐ろしい事が起こる患難時代についての預言的メッセージを信じているなら、あなたは何を重視し、何を目的としますか?
私達は、人々に福音を宣べ伝える必要があります。
Ⅰコリント3章11-15節を読んで終わりにします。
「というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。
その土台とはイエス・キリストです。
もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
各人の働きは明瞭になります。
その日がそれを明らかにするのです。
というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。」
その日とは、私達にとってのさばきの日のことです。
聖書にはいくつかのさばきが出て来ますが、これは私達が携挙された後に行われる、キリストの御座のさばきのことです。
そこで私達は火によって試されますが、この火は刑罰のためではなく、報いを受けるために私達の働きの真価を明らかにするためのものです。
「もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。」
イエス・キリストを純粋に愛する心で、そして神の計画に従ってしたあなたの全ての働きは、それが一見小さなものに見えたとしても、残ります。残るんです。
しかし身勝手さ、自分の肉に従ってした働きは燃えてしまいます。
15節。
「もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。」
このさばきは、あなたの働きに基づいて、あなたを火の池に投げ落とす刑罰のためのものではありません。
私達の罪にたいする刑罰は、すでにキリスト・イエスにあってなされています。
イエス・キリストは私達の刑罰をすでに受けてくださいました。
ですから私達にたいしてなされるさばきは、報酬を、報いを受け取るためのものです。
そのさばきの時に、私達の働きが燃えてしまえば、報いを失ってしまうのですが、そこで私達の働きが残るなら、私達は主から報いを受けとることができます。
その報いに基づいて、千年王国で治める権威を私達は受け取るのです(ある者は5つの町を治め、ある者は10の町を治める)。
アーメンでしょうか?
ですから、この地上の人生において私達がしたことは、神の御国における私達の立場、報いを決めるものとなります。
だからこそ、イエス様は、10タラント、5タラント、1タラント受け取った人達の話しをされたのです。
1タラント受け取った人は、それで何もしなかったので、それは取り上げられ、10タラントもうけた人に与えられました。
ですからこの地上での私達の目標と注意関心を、もう間もなく来られる私達の王イエス・キリストに集中させましょう。
アーメン。
【完】







