ヨセフがエジプトのファラオ(王)の給仕役の見た夢を解き明かしてから、2年経ちました。ある夜ファラオは二つの夢を見て、朝になってひどく心が騒ぎエジプト中の魔術師・賢者を呼んでその夢の内容を話しましたが、誰もその夢を解き明かす者がいなませんでした。王がその様な状態になって始めて、給仕役は彼の夢を見事に解き明かしてくれたヨセフを思いだします。人というのはすぐに様々なことを忘れてしまいます。特に身分の低い奴隷から頼まれたことなど忘れてしまうものですが、神様がそのご計画の中で、ヨセフとこの侍従長との監獄での出会いも、このエジプトの王の夢を解き明かすためにヨセフを用いられる過程だったこと、神様の摂理が働かれていることがわかります。そして、ヨセフはエジプトの王と高官、賢者たちの前で「神がファラオの幸いについて告げられるのです」(30節)と言って、自分ではなく彼が信じる真の神がなさるということをはっきり表明し、ファラオの見た二つの夢の解き明かしをします。その二つの夢はエジプトとまた当時の世界にに起こる7年の豊作と7年の飢饉の予告でした。ヨセフは奴隷の身分であっても、その場所で物事を管理する能力を養われたこと、夢を解き明かす力を神様から与えられたこと、何よりも神様への信仰が強められ、神様に従い、委ねる姿勢へとヨセフは変えられていったのです。そして、「このように神の霊が宿っている人が、ほかにあるだろうか」(38節)と、ファラオよりこのエジプトの飢饉対策担当として高官に抜擢されました。そして彼は、全国を視察して7年間の豊作時に倉庫に測りきれないほどの穀物を蓄えさせ、続く深刻な7年間の飢饉に備える準備を進めましたが、つまり神様はヨセフをエジプトの民だけでなく、当時の世界の各地の人々の命、カナンにいる彼の家族たちをも救うために用いられたのです(57節)。
ヨセフはエジプトの高官になった時に、王より妻が与えられ二人の息子が生まれ、マナセ(忘れさせる、という意味)とエフライム(増やす、という意味)と名付けられます。「神が、わたしの苦労と父の家のことをすべて忘れさせてくださった」(51節)ことと、「神は、悩みの地で、わたしに子孫を増やしてくださった」(52節)ことにちなんで名付けたとあります。彼は今までの苦難と兄たちのした仕打も全て忘れ、神様から頂いている恵に感謝していることがわかります。人は様々なことを「忘れる」という、精神上の非常に大切な機能が備えられています。もし、すべてのこと、特に過去の辛かったこと、人への恨みを覚えていたら、正常な精神状態を保つことが難しいのではないでしょうか。苦い思い出は後ろ向きな、否定的な思いしか生み出せず、肯定的な人生の歩みを阻みます。しかし、それらは神様が忘れさせてくださるのです。そして、たとえすべてを忘れたとしても、神様が多くの人々を通して自分に良くしてくださったことを覚え、神様に感謝することができれば、なんと幸わいでしょうか。
ヨセフは兄たちに奴隷に売り飛ばされ、様々な試練を通りましたが、「神が共におられたので」、すべてのことが益となってより大きなことに用いられていく様子、神の摂理がこのヨセフ物語より示されています。私たち一人一人の人生においても、私たちが跡から、「ああ、このことのためだったのだ」と神様の摂理を知ることがあるでしょう。渦中にいる時は、わからなくとも、神様がすべてコーディネイトされているという信仰にたち、すべて委ねていきたいと願います。