前章までに、アロンの家系が祭司として幕屋にて奉仕するための任職式と任職式を終えて、正式に彼らが儀式を執行をすることができ、祭司アロンが民を祝福し、民全体で皆で喜びの声をあげて神様を礼拝した様子が記されていましたが、その直後も非常にショッピングな出来事が10章で記されています。何が起きたかというと、任職されたアロンの長男と次男が、規定に反した香を主の御前に奉げてため、主の前から火が出て、二人は焼死してしまったのです。香をたく規定は出エジプト記30・7-9.34-38に記されており、規定以外の香を焚いたり、自分が楽しむために類似品で香を焚くと民から絶たれるとあります。そこまで厳しくなくともと思われますが、神様にささげる神聖なことだからと理由が記されています(出エジプト記30・36)。祭司というのはそれほど責任重大で、聖なる神様に民を代表して近づき、礼拝や、捧げもの等の書儀式を行う立場なので、厳しい要件が「聖別の油を注がれた身」(7節)に要求されます。その後、モーセはこの臨在の幕屋に入る時は酒を飲んで入るなと言います。この飲酒とこの香事件と関連があったかどうかは不明ですが、一般社会でも、お酒を飲むと正常な判断が出来ないゆえに、自動車の運転も禁じられているとおりです。ましてや聖所で仕え、細かい規定に従った儀式の所作を守り行う身分の祭司は酒によっては仕事ができません。そして、祭司の任務は儀式を行うだけでなく、民に何が神の前に清いから汚れているかを区別し、主が命じられた掟をすべてイスラエルの人々に教える任務があるとモーセはアロンに指示しています(10-11節)
こんな痛ましい事件が身内に起こって、アロンの家族に動揺が生じないわけがありません。しかし、彼らは亡くなった二人のために嘆き悲しむことも出来ず、仕事を幕屋で続けなければなりませんでした。おそらくこの動揺によってか、アロンの3男と4男は捧げ物の儀式でやるべきことをしなかったのでモーセから責められました(16-18節)。息子たちに変わってアロンは「…わたしにこのようなことがおきてしまいました。わたしが今日、贖罪の捧げ物を食べたとしたら、果たして主に喜ばれたでしょうか」(19節)とアロンはモーセに向かって弁明します。つまり、彼らが贖罪の献げもの(雄山羊)をささげた後、祭司たちがそこから彼らの取り分を聖所で食べるという規定があるのですが、アロンの息子エルアザルとイタマルは食べないで、全部燃やしてしまったのです。なぜ彼らが、そうしたかは聖書に記されていませんが、彼らに情状酌量はあったのではないでしょうか。モーセもこれを聞いてそれ以上責めませんでした(20節)。
旧約聖書を読んでいると、神様の聖さがどれ程人間からすると厳格であるのか、その聖さに対して設けられた規定を犯すと死をもたらす程であることが記されています。私たちがこの時代にもし生きていたら、何度死んでいたかと思う程です。私たちが死罪として裁かれず、生かされているのは、御子イエス・キリストが代りに私の死罪にあたる罪を負って十字架で代わりに死んでくださったこと、それゆえに赦されて神様の前に立てることを思い、感謝します。そして、罪が赦されたらそれで終わりでなく、イエス様を復活させた、その神様の力で、私たちは同じ過ちを犯さないよう、神様の聖さに徐々に預かれるよう、聖霊によってこの世の歩みにおいて心が変えられて行くという希望が与えられていることも、本当に幸いです。
(新共同訳聖書引用)