死んだと思っていた息子のヤコブの生存を聞き、エジプトへ招かれていることを遣わされた馬車を見て安堵し、ヤコブはエジプトへ息子ヨセフに会いに行こうと決めます。しかし、ヤコブには一つ気がかりなことがあります。それは、神様が彼の先祖アブラハム、イサクに、そしてヤコブ自身にも約束されたカナンの土地が与えられること、彼らが大いなる国民となること、全ての民が彼の子孫を通して福されること(創世記12:1-3、15:5,7)、これらがエジプトへ移住してしまうとどうなってしまうのか、という懸念です。ヤコブはエジプトへ旅たちましたが、その途中ベエル・シェバという場所につくと、神様を礼拝します。この場所はカナンの最南端に位置し、アブラハムも(21:31-33)、イサクも(26:23-25)主のみ名を呼んで礼拝した場所であり、各々が主なる神様の恵みを体験した場所です。そして、その夜ヤコブ自身も神様から幻にてお告げを頂きます。「エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民にする。わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるだろう」(46:4)
この言葉にヤコブはどれ程勇気づけられ、励まされてたことでしょう。ヤコブは、その人生において人を騙したり、また計算高く、そして一人の子供をえこひいきして息子たちの間に争いをおこし、神様への信仰の継承も息子たちへうまく出来なかった、そのような人間臭い、失敗も多い人でしたが、神様はいつもヤコブを「わたしが共にいる」と励まし、人生の岐路に立った時、行くべき道を示してくださったことが創世記から読みとれます。そして、神様はご自分がなされた約束を必ず果たしてくださる方です。エジプトへ移住したヤコブの家族はヨセフ含み、妻たちを除けば総勢70名(46:27)でしたが、エジプトのゴシェンという良い地をファラオから与えられ、子孫が増えて、大いに数を増したと記されています(47:27)。
私たちも度々、人生の岐路に立たされます。どちらの道へ進むべきか、選択を迫られる時があります。また日常の生活の中でも、小さな選択を日々しながら私たちは生きています。自分の判断、経験に頼り、人のアドバイスを聞いて決めることは自立した大人がすることであり、大切なことです。しかしながら、自分で考えた上で、いったん自分の計画、想いを横に置いて、神様に聞くことがもっと大切です。なぜなら、私たちの見方は近視眼的で、片寄りがあるからです。私も過去に、何度も神様に祈らず、自分の思いで決めて進んでいった結果、非常に苦しい、痛いめにあい、神様に「助けて下さい」と叫び求めたことは何度もありました。しかし、それでも神様は優しい方で、憐れみ深く、助けて頂きました。今はまず祈って、神様の導きを求め、御言葉により確証が示されるまで待ってから、進んでいくように心がけています。すると、祝福が必ず与えられてきたことを体験させていただいています。もちろん失敗することも多く、また神様の導かれる道が、自分の想定したものでない困難な道のこともありますが、全てを保活的にとらえることが出来る全能の神様は、私たちを最善の道へ導き、共に人生を歩んでくださる方であると信じる信仰が与えられていることは幸いです。神様は遠くにいる畏れ多い存在ではなく、目に見えなくとも共にいてくださり、私たちのことを思いやり、慈しみ、忍耐をもって私たちを愛をもって導いてくださる人格的な方であり、その方に信頼して安心して歩んでいければと願います。 (新共同訳聖書引用)