以前から、労作もしない時にチクリと胸に一瞬痛みを感じることが時折あり、心電図でも不整脈(脈が飛ぶ)が示されたので、循環器内科で詳しく検査してもらいました。幸い、「期外収縮」による不整脈と診断され、今後症状が頻繁に出ない限り問題ないとドクターに言われ安堵しました。この不整脈の原因と考えられるのはストレス、睡眠不足、カフェイン過摂取等だそうですが、私には今それらに該当する要因が思いあたらないのです。心臓の動きというのは感情と非常に関係があるためか、緊張・恐れ、興奮状態になると脈が速くなります。古来より、日本でも、欧米でも人は悲しいことに直面した時「胸が痛む」「胸がはりさける」という表現があるように、悲しい思い、辛い思いは胸痛を引き起こすほどストレスなのだと改めて思わされます。
ニュースが報道する内容は、胸が痛むようなことばかりです。長期間続く戦争で多くの人々が苦しみ、子供たちが無差別に事故に巻き込まれ命を落としていること等。日々、人の命が失われるニュースが報道されていて、それらがあまりに多いため、かわいそうにと深く感じることなく通り過ぎてしまう、他者の死に対して心が麻痺してしまいがちであることにも悲しみを覚えます。かといってニュースを見る度に胸痛を起こしていたら、その人の体がもたないので、体のほうが防衛的に反応しないよう自ずと働いているのかもしれません。
イエス様は他者のために泣かれたということが聖書に記されています。エルサレムという都へ上り、これからご自身がそこで逮捕され、十字架につけられるために向かって行く途中でした。イエス様はこれから受けるであろうご自身の苦しみと死のために泣かれたのではなく、近い将来(実際このことが紀元70年に起こった)、この麗しいエルサレムの都がローマ帝国により破壊され、町の人々が殺されてしまうことをご存じで、その町、つまりその町の人々のために泣かれました*1。また、イエス様の親しい友のラザロという人が、病により亡くなって、皆が泣き悲しんでいる状況においても「イエスは涙を流された」*2と記されています。神の御子であるイエス様は、人となられてこの世で生活され、様々なことを経験されたのは、同じ人間として喜び、痛み、悲しみを味わってくださいました。それは、わたしたちの気持ちを理解し、寄り添ってくれるためであるからと、下記の箇所に記されています。
もし、神様が神様のままで、天国にいて人間の様子を上から眺めておられるだけであったら、私たち人間側からすると、「人間の立場に立ったことがないから分からないでしょう」と思うかもしれません。人は自分を理解してもらえない人に、悩みを打ち明けたり、弱さを見せたり、信頼しないものです。しかし、神である方が人間になって下さった、そんな制限のある人間の体に赤ちゃんとしてこの世に生まれてくるほど、なぜそこまでする必要があるのかと。そこまでしてご自身を低くされたのは、人間がなぜ罪を犯してしまうのか、なぜ弱いのか、どんなことで喜ぶのか、辛いのかを知り、人間によりそうため、そして神様と人との間に仲介者(大祭司)となって、私たちをとりなしてくださるためでした。また人として、すべての人間のすべての罪を負って代わりに十字架で死んでくださるためでした。そこに、神様の大きな愛が示されています。そこまでして、神様は私たちを罪から救うとしてくださったことは申し訳ない思いと感謝でいっぱいです。
私は、キリストの十字架のおかげですべての罪が赦され、それだけでなく、キリストが復活されたことにより、私も古い自分が死んで、新しい自分が霊的に今生かされているという喜びが与えられていることを、本当に感謝したいと思います。新しい自分は罪を犯すことはあっても、以前のように罪に支配されることはなく、少しづつキリストの愛の性質に内側が変えられるよう求めていくので、生き方も変えられていきます。たとえ胸が痛くなるような事柄が日々おこっても、聖書に示される、神様の救いの完成の約束、希望の計画を信じて、励まされ歩めることは幸いです。そしてキリストの平和の与える平和が広がるように、自分たちが出来ること、神様から示されて導かれることを行動に起こしていきたいと願います。
「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。 16だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」ヘブライ人への手紙4章15-16節
(引用新共同訳聖書)
*1ルカによる福音書19章41-44節
*2ヨハネによる福音書11章35節